第12話 森の奥
保健室へ向かう途中、窓の外に見えた黒煙に視線が引き寄せられた。
ついさっき見たばかりの狼煙……。
あれは悪化した妖精であり、助けを求める目印なのではないか――。
校庭のど真ん中に、化物が現れる。
幸い、校庭に出ている生徒はいなかったようだ。
「奈多ぎ」
俺が気づいたということは、それよりも早く奈多切は気づいているということだ。
彼女は既に窓を開けて、足を窓枠にかけていた……——そして飛び出す。
握り締めた右手に収まる身の丈以上の光の槍。
投擲されたそれが、黒煙を纏う悪化した妖精の元へ向かっていき――、
誕生の雄叫びを上げた――俺が見たカマキリと同程度の大きさの……、あれはトカゲ、か?
その眉間に突き刺さり、そしてすぐだった。
トカゲの体内から無数の光の切っ先が飛び出してきて、槍の長さでトカゲの体が浮いて見えるほどだ。……一撃、ではあるものの、厳密に言えば一撃ではない奈多切の攻撃。
奈多切の攻撃はつまり、彼女が想いを寄せる誰かへの好意であり、溢れ出るそれは想いの強さを証明している……。
強い好意がそのまま妖精を救済する力へ変換されているわけで……、
今の一撃で、悪化した妖精が元に戻った。
そう何度も見たわけではないが、毎度のことながら驚かされる。
俺が苦労してなんとか救済した――悪化した妖精を、奈多切は一瞬で救済してしまうのだ……。それだけ抱く好意が強いということなのだろう……。
俺の善意は、まだまだなのだ。
善意を持っている自覚があるのかないのか、そこのところから、やはり違うのかもな。
俺が持つ善意が『なんとなく』で抱いているわけじゃないにしても、やはり『みんな』のことを想っているのと、たった一人のことを想っているのでは、差が出るのだろう。
なんでもそうだ、特化した方が良い結果が残せる。
なんでもかんでも抱え込もうとすれば、一つ一つへ懸ける想いは小さくなる……。
……奈多切に追いつけないはずだぜ。
奈多切は校庭へ降り、倒れた妖精を回収しにいった。
エミールから魔法を与えられているのと同様に、身体能力も上がっているようだ……。
今更だが、安易に飛び出して大丈夫か? 俺みたいに外を見ている生徒だっているかもしれないだろ? 妖精が見えなくとも、お前のことは見えているわけだから……、
しかもなにもない校庭だ、奈多切がいれば目立つはずだ。
「……やっぱ、見られてんじゃねえか」
恐らく、今まで奈多切の特異な体質が話題にならなかったのは、近くで悪化した妖精の影響が出ていたからだ。
注目がそっちへずれていれば、奈多切は注目されない――。だけど今回の場合は影響は最小限、しかも白紙に落とした濃いインクのように、目立ってしまっている状況だ。
奈多切を見たことをきっかけに、妖精が見えるようになってしまう生徒がいるかもしれない……、俺みたいにな。
一階、顔は見えなかったが、女子生徒が校庭を見ていた。
上にいる俺の視線に気づいたのかどうかは分からないが、声をかける前に彼女は校舎へ引っ込んでしまった……大丈夫かな。
SNSに投稿しなきゃいいけどな……。変な噂が流れても……まあ証拠があるわけじゃない。
奈多切なら冷めた態度で一蹴するだろう。
噂も、しばらく考察で盛り上がれば次第に収まるはずだ。
――それから、妖精を手の平に乗せた奈多切が近くまで戻ってくる。
「奈多切、先に保健室にいってるからな」
ここまで跳んできそうだったので、手で制止し、階段で上がってくるように指示する。
……一人に見られたとは言え、その子以外には見られていないのだ。これ以上の目撃者を増やすこともない。目的地が同じなら、現地で待ち合わせをしたって同じだろう。
奈多切が頷いたのを確認し、俺は目的地へ向けて歩き出す。
―― ――
悪化した妖精を救済した後、手の平に優しく乗せて保護した奈多切が見たのは、校舎の玄関に立っていた一人の女子生徒だった。
こっちを見ていた女子生徒は奈多切と目が合ったからなのか、用事を思い出したからなのか……、踵を返して去っていった。
……見られていた?
いや、妖精の姿は見えていないはず……。
しかし奈多切が窓から飛び降りたところは見ているのだろう……、目を疑って忘れてくれるとありがたいけど……、と希望を抱くが、まあ噂になるだろうな、とは思っていた。
証拠がないのでそう膨らむ噂になることはないだろうけど……。
「…………華原、さん……?」
クラスメイトに見えたけど……つい最近まであんな見た目じゃなかったはず……。
高校デビュー? いや、イメージチェンジがやり過ぎな気もする。
別人な見た目以上に、別人格だって言える……。
罰ゲームと言われたら納得できるけど、クラスメイトの戸惑い方からすると、そういうわけでもないのだろう……。ただ、そう親しくもないクラスメイトのことだったので、奈多切は深くは追及しなかったし、関わろうともしなかった。
自分に向いていた注目が分散するなら、それを止めることもない、と――。
だけど、彼女が手に持っていたのは……、地球儀だった。
形は。だがあれは……カゴに見えたけど……?
彼女が去った軌道を示すように、黒煙が尾を引いていた。
―― ――
「やっぱり、森の奥にいるのって暇よねー……」
一輪の花の上で寝そべる手の平サイズの妖精が呟いた。
森の奥深く、人間など立ち入ることができない妖精たちの世界ではあるが……、
悪意がなく、妖精たちは悪影響を受けることもない。
だから悪化する心配はなく、化物に成ることもないのだが……ただし退屈だ。
人間たちが住む世界のように娯楽があるわけではない。
電子機器はもちろん、スマホもネットもないし……、この森から出たことがない妖精にとっては苦ではないかもしれないが、一度でも都市部へ下りた妖精からすれば、ここで足を止め続けることはできない。
退屈で死にそうだ。
ごろごろとしているだけで成長はなく、刺激もない。
長生きはできるだろうけど、そんな人生、なにが楽しいのか。
「ダメだ、いくらレーモン様の言いつけでもさすがに飽きたっ、私も町にいく!」
薄羽を振動させた妖精が、周囲を見回しながら花から降り、地面に溜まっていた妖精の集団に合流した。
「どうしたの?」
「レーモン様がどこにもいないらしいって……、帰ってきていないみたい」
「え、じゃあ今ならお出かけし放題!?」
実際、外出禁止を命じられたわけではないが、熱心に自分たちのことを想って言ってくれている聖女のような大妖精・レーモンのお願いを断って外出をするのは、心が痛んだ。
彼女がいる内はなかなか外に出られなかったのだが……いないなら問題はない。
障害は彼女の目ではなく、自身の罪悪感なのだから。
現時点でも、いない内にこそっと出てしまおうという行動をしているわけだが、その罪悪感は『その場にいるのに目を盗んで外出する』よりは薄い。
だから、妖精たちも森から外に出ることができた。
一歩、外に出れば悪意がひしめく危険な世界。
だが、生物の本能として、ある程度のストレスがあった方が活発になるのも事実だ……、
つまり、波である。
ひたすら続く平和はやがて退屈になり、生きる気力も奪っていく。
だが、危険と隣り合わせであれば、生物は生きようともがく……当然、一度の失敗で命を落とすこともあるが、それを回避し続けることで生物は強さを得ていく――進化を重ねていく。
犠牲は仕方ない。
しかしそう考えなかったのが、大妖精・レーモンだった。
妖精たちの『死にたくない』という感情が生み出した思想の一片を核としている大妖精。
そう、彼女で一片。
であれば、別の思想を持つ大妖精も当然いるということを意味しており――、
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