第11話 vs薄羽のカマキリ
危険を察知したカマキリが、すかさずカマを振り下ろす。
直線の動きはなんとか自力で避け――レイディの固定の魔法がカマキリの肩を固定する。
小さな部位を固定することで、肩を可動させない……。
肘を曲げることでカマを引き抜くことはできるが、今みたいな大振りはできないだろう。
固定部位が小さいために、すぐに解けることもなく――、落ちたカマのさらに外側へ向かえば、反対側のカマに狙われてもカマキリは自分の腕が障害となって俺たちを狙うことが難しくなるだろう。
その隙に、生徒たちの隙間を縫ってカマキリの背後へ。
この際、動く生徒たちの当たる肘は気にしない。口の端が切れてもそんなものは後だ!
転がり込んだ先はカマの股の下だ。
柔らかそうな腹の皮膚が見えるが、俺の力では破ることはできないだろう――やっぱり背中をよじ登って、薄羽を引き千切るしかないわけか……。
首を回したカマキリが、自分の背中に乗る俺に気づいた。
だが背後だ、カマを振り下ろすことはできないはず――、
「ちょ、うぉっ!?」
手首のスナップを利かせて、軽く落ちてきたカマ――鋭利な刃だ。せっかく中腹くらいまで登ってきていたのに、カマを避けるために手を離したことで地面まで逆戻りだ。
「自分の体なんかどうでもいいってのか!?」
すると、制服の内側に隠れていたメリィがひょこっと顔を出した。
「違いますよ鏑木さん、よく見てください……、カマキリの背中の装甲は堅いんです。……軽く振るっただけで、自身のカマで傷がつくはずないじゃないですか」
「……そうか、装甲よりも柔らかい肉の塊である俺を串刺しにする力でカマを振り下ろしても、自分の背中には傷一つもつかないってわけか――」
「はい。だからこそ、簡単に振り下ろせるわけですね」
カマだからこそ、背中に届く。
これが直線の刀であれば、手首のスナップが利いていたとしても刃の範囲は狭いものだったが……、カマであることで、背中でも射程範囲内になっている。
レイディの魔法は部位、一つにしか効果を発揮しない。
カマの二本を固定することはできないのだ。
弱点を引き千切るには、最低でも一本のカマとは正面から戦うことになるわけかよ……っ。
『――――』
「……っ、今、聞こえなかったか!?」
「喧嘩を囃し立てる人間の声しか聞こえないけど!?」
レイディが言うように、俺もそれは聞こえている……。だが、そんなやかましい声が飛び交っているはずなのに、エコーがかかった小さな嗚咽が聞こえたのだ――。
「まただ、聞こえる……、女の子の泣き声だ!!」
「たぶん、この子ですね」
メリィが指差したのは……、カマキリだった。
「悪化する前の妖精です。悪影響を受けて、悪化して、こんな化物になってもまだ、この子には微かな、自我がある! 鏑木さんの善意が彼女に届いているんですよ!」
「違うだろ……この子が、頑張って堪えて、戻ってきたんだ!」
なんでもかんでも俺のおかげだなんて……そんな風に手柄を奪ったりなんてしない。
少なからずの影響はあるのかもしれないが……目で見えないのだから、そうであるとも違うとも断言はできない。だけど、俺のおかげが大半だなんてことは、決してないんだ。
「俺が手を伸ばしたとしても、それを掴んだのはこの子だ。
この子が握ってくれなければ、俺が引き上げることで助けることはできないんだよッ!」
待ってろ! と叫び、彼女に聞こえるように伝える。
泣くな、お前が悪いわけじゃない。
悪影響を与えた人間が悪い……、まあ、警戒しないお前にも非はあるけどな……ともかく。
「自我があるならメリィの魔法も効力を発揮するのか?」
「え?」
「メリィの思い込ませる魔法で、鏑木を一瞬でもいいから、背中の上にいることに違和感を抱かせないことはできないのかってこと!」
あ、とぽかんと口を開けたメリィが、はっとして俺の首に噛みついた――、レイディに吸われ、メリィにも吸われ……これが血だったら、小さい妖精の体とは言え貧血になるだろ。
だけど与えているのは血じゃない……俺の中にある善意だ。
この子を助けたいという感情。
それは吸われてなくなるわけじゃなく、今だって常に溢れ出ているものなのだから。
奈多切が抱く意中の相手への好意が止まらないように、エミールが食べても食べても底をつかないように――溢れ出ている限り、エネルギーは補充されていく。
レイディの魔法を維持しながらメリィの魔法を使用する。
これが突破口になるか!?
カマキリの背中によじ登って数秒、さっきまで敏感に俺を感じ取っていたカマキリが反応をしなくなった。
メリィの魔法により、俺という存在が背中の上にいることを、このカマキリはそれが当たり前であると強く思い込んでいるのだ。
ただし、悪化する以前の妖精の彼女の意思は少なく、悪影響により敵を殲滅するシステム的な行動理由が組まれてしまっている化物に、思い込みがそう長く作用するはずはなく――、
メリィの魔法は長続きしない。
つまり、手早く行動をしないとさっきのようにカマが迫ってくる――!
「堅……っ! この薄羽、全然、千切れねえんだけど!?」
「わたしたちとは違って大きくて分厚いですからね、多少は頑丈になっているはずです……。
鏑木さんからすれば、重なった透明なビニールシートを破ろうとするようなものですか?」
根本から引き抜こうとしても、そっちの方が大変だ。
細くても、地中に根を張る木を引き抜くようなものだろう……、どっちかと言えば、やはり引き抜くよりも破る方がまだできそう……。だが、短時間でできるようなことじゃない。
「鏑木ッ、そろそろ魔法が切れる!」
「わたしもです!」
「二人とも根性ねえぞ! あとちょっと――」
だが、あとちょっとの時間が延長されたところで、この薄羽を破けるとは思えないし……。
――くそ、やっぱり穴を空けるだけじゃ大したダメージにはならないよな!?
引き裂くくらいはしないと……、でっけえハサミかナイフでもあれば……、
「「鏑木(さん)っ!」」
二人の妖精の声が聞こえ、ふと視線を上げれば、カマが俺の額にめがけて迫ってきていて――咄嗟に俺は、手で掴んでいた『それ』を盾にしていた。それが正解だった。
薄羽がカマによって破られた。
ただ……、破れたのはいいが、刃が俺の肩を貫いていたが。
「ッッ……!」
カマを足蹴にし、落下と共に刃を肩から引き抜く。
激しい痛みで表情が歪むが、カマが出てきた瞬間から一撃、二撃くらいは貫かれる覚悟はあった……、だから堪えられる。
どちらかと言えば落下した時に受け身を取り忘れて、背中から胸へ抜ける衝撃の方が痛かったが……、それも一瞬だ。呼吸を忘れて数秒、すぐに息を吹き返す。
「っ、かはっ!? …………ようせ、い、は……」
「鏑木さんのおかげで……、破れた薄羽から悪意が流れ出ていっていますよ……。まるで膨らんだ風船が萎んでいくみたいにです――、じきに、尾を引く前の妖精が出てくるはずです」
薄羽を破り、悪意を抜くことで、悪化して成った化物は、元の妖精に戻る……。
でも、悪意が抜けたからと言って、元に戻る……そんな簡単な話か?
「純真無垢な妖精は、悪意を抜いても、そこに溜まった悪意に染まれば、また化物になりますよ――でも、今ここには鏑木さんがいるじゃないですか。
真っ白になった妖精はすぐに鏑木さんの善意に染まり、尾を引くことはありません……だから大丈夫です」
「そうか……」
「それよりもっ、鏑木さん、その血ですよ!」
「大丈夫だ、すぐに止血をすれば」
手で押さえようとしたら、それよりも早く俺の肩が掴まれた……、お世辞にも慣れているとは言えない乱暴な巻き方で、包帯が巻かれていく。
「奈多切……?」
「お疲れ様です、先輩。
……言いたいことは色々とありますが、ひとまずは、助かりました」
怪我人はいませんよ、と教えてくれた。
悪意の元となった女生徒同士の喧嘩は、どうやらカマキリを退治したら治まったらしい……。
まだいつも通りの風景、とは言えないが、さっきまでのような騒ぎではなくなっていた。
今の内に教室を出ておかないと、どうして俺がここにいるんだって話になる……、それに、肩の血もなんとかしないと……。
こんな状態じゃあ、事件だと疑われる。
「保健室へ連れていきますからね」
「でもこんな大怪我、先生がびっくりするんじゃねえか……?
救急車を呼ぶ大事になったら、どう説明すればいいんだよ……。
さすがにでっけえカマキリにやられましたとは言えないしさ」
「先輩は大げさに見えているようですけど、実際、妖精が見えない人からすれば、ただの深めの切り傷ですよ。任せて処置をしてもらいましょう。
妖精世界の幻と、人間世界の現実が入り混じっている怪我は、見えている症状と実際の規模はおよそ半分になります。
心が自覚している傷、みたいなものですね。目に見えませんが、傷が深いことは分かるじゃないですか。妖精に関わりがない人からすれば、自覚している分の怪我が引かれて見えているわけですから……、先輩の傷は、すぐに止血が必要な大怪我には見えませんよ」
「なら安心だな」
怪我をしているので安心ではないが、保健室でできる対応でなんとかなるなら困ることはない。肩を動かす時に、強い違和感はないから……——実際の怪我よりも、妖精側の痛みとして自覚している割合が強いわけか……。
「いきますよ、先輩」
奈多切は俺の腕に自分の腕を絡ませ、先導してくれる……が。
保健室の場所くらい、俺は二年なんだから分かるぞ?
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