2章 ダーク・エネミー/死人の研鑽

第8話 日陰の強者

 華原かはらみなとは、なにかと話題になっているクラスメイト・奈多切恋白の不自然な視線に気づいた。

 他人をよく観察している彼女だから気付けたのだろう――。移動教室、体育の時間、休み時間など、奈多切恋白はある先輩を目で追っていた。


 鏑木竜正。

 周囲へ冷たい態度を見せる彼女が、その先輩にだけは熱視線を向けているのだ……。気づいてからしばらく意識をして見てみたが、特に進展したような気配もないので、彼女の片想いなのだろう、と――自分だけが見つけた事実に興味をそそられたが、それも共有できる人物がいなければ意味がない。


 一人ぼっちで、奈多切とは違うベクトルで孤立している華原は、気づいた事実にすぐに興味を失っていた。


 奈多切恋白がスポットライトを浴びる『陽』であれば、華原湊は真逆である。彼女にスポットライトを当てる黒子、とでも言うのか……。

 華原湊という『根暗』がいるからこそ奈多切は輝くし、奈多切が輝けば輝くほど、比較される華原はさらに黒く目立つ。


 ちやほやされる奈多切への鬱憤が、手近にいて分かりやすい弱者である華原に向けられるのは自明の理だっただろう。



(……教科書、ない)


 カバンや机の中、ロッカーを探すが、やはりない。家に忘れてきたのか、と思ったが、昨日、確実にカバンに入れたことを覚えている……。

 さらに言えば、朝、カバンから出して机の中に移動させたこともこの目できちんと見ている。


 ……であれば、クラスの女子が悪意を持って隠したとしか思えなかった。


 次の授業で使うから返してほしいと言っても、どうせ知らん顔をしているはずだ。今だってこうして探して焦っている姿を遠くから観察して見ているのだろう……。

 いや、隠して終わりかもしれない。華原が慌てている様子を見て面白がるのではなく、隠すことで鬱憤が晴らされたと考えたら……、

 仲間内で楽しくお喋りをしている犯人候補の態度にも納得だ。


(どうしよう……、教科書がないと……)


 先生に事情を説明すれば理解してくれるだろうが、今度は犯人探しが始まるだろう。

 いじめられている、という事実が表面に出てきてしまう。


 そんな悪目立ちは嫌だった。水面下でのいじめがさらに陰湿になるだけだ……。

 そうなるくらいなら……ここは、忘れたことにして先生に伝えよう。


 授業が始まると、「じゃあ隣に見せてもらえ」と先生が言った。

 隣の男子に「ごめんね」と謝って机を近づけると、彼が半歩、分かりづらい程度に引いた。……それがショックだった。


 分かりづらく気を遣われたことが。もっと露骨に避けてくれれば、いじめの延長だと思えたのだ……、でも、分かりづらいってことは、彼が本音として思っていることだと正面から伝えられた気がして……。


「芋臭い女が隣の席だなんて、可哀そう」


 ぼそっと呟かれた女子の声は、先生の「じゃあ前回の続きから」という声に遮られた。



「――ねえ、さっきあたしのこと睨んだでしょ?」


 奈多切恋白がいなければ、きっと一番目立っていただろう女子生徒が華原に絡んできた。

 もちろん、華原は睨んでなどいない。きょろきょろと犯人を探すために見回したりはしたが、特定の誰かをじっと見ていたわけではないのだ。


「もしかして、教科書がなくなっていたのがあたしたちのせいだって疑ってる? 

 忘れたのは自分の杜撰な管理のくせに、人のせいにしないでくれる?」


「…………」


 なんだか、ぼろぼろと内情を喋ってくれている気もするが、ようするにやったのはあたしたちだけど、それを証明する術なんてないでしょ? と言いたいわけだ。

 構ってちゃんなのか、と指摘できない自分が情けない……。

 スポットライトを浴びるべき人間に席を囲まれたら、憎まれ口の一つも叩けなくなった。匿名だったらいくらでも言えるのに……っ。


 校則違反にならない程度で、最大限のオシャレをしている彼女たちは、見た目こそ普通の生徒だが、スマホケースだけはかなりデコレーションしている。

 ゴツゴツにアクセサリをつけたり、スマホケースに宝石を貼り付けたりしていて……、それで殴れば人を殺せるんじゃないかってくらいの鈍器になっている。


 学園を出てしまえば、彼女たちも化粧にネイルに、短いスカートに変えて遊び歩いているだろうが……、それでもやはり、今の控えめな見た目でも、華原よりは全然、明るい印象を抱く。


 見た目の印象はやはり、心の中から漏れるものなのだろう……。


「ねえ、言い返したらどうなの?」

「……睨んで、ないです……」


「なに、聞こえない」


 声と、机に手を落とした威圧に、華原はなにも言えなくなった。


 喉に異物が引っ掛かっているように……気分が悪くなって俯いてしまう。


「ねえ、もういいよ。なんだかもっとイライラしてきちゃった」


 華原の後ろに立っていた女子が言った。

 華原がなにをした、というわけではない。奈多切がやけに目立っていることを妬んだ女子たちが、ストレス発散のために選んだのが、華原だっただけの話だ……。

 ストレス発散しているのに、新しいストレスを溜めていたら意味がないと理解したのだろう。


「あんたさぁ……言い返せよ、マジで」


 去り際に、そう言い残していく女生徒がいた。


「弱いフリすんな。

 あんたの性格が悪いことくらい、見てれば分かんのよ」



 放課後、教科書は無事に戻ってきた。破れてもいないし、目立った汚れもない……、ちゃんと返すからおおごとにはしないでね、と言われているような気がして腹が立った。

 ……本格的に犯人探しをされたら逃げられないと怖くなったのだろう。


 いっそのこと、先生に相談してやろうかと思ったが、できていれば最初からやっている。できないからこそ、華原はこのストレス発散を、甘んじて受け入れていたのだ……。


 でもどうしてか、翌日になると絡んできていた女生徒たちが、がらりと態度を変えていた。


「最近ごめんねー。イライラしてて、華原さんに八つ当たりしちゃった。でももうしないから。お詫びの印ってわけじゃないけどこれ、有名ブランドのクッキーなんだ。マジで美味しいから食べてみてよ。気に入ったら教えて! 他のお店も紹介してあげるから」


 いいよとも嫌だとも言っていないのに、ゴシックなデザインの正方形の箱を渡された……。

 中に虫でも詰まっているのか? と、恐る恐る開けると――


 中身は……、見た目は普通のクッキーだった。


 ……いやでも待て、下剤でも仕込まれていたら……、


「あ、それ有名なお店のクッキーじゃん」


 と、隣の席の男子が話しかけてきた。びっくりしてあたふたしてしまったが、興味がクッキーにいっているため、華原でもちゃんと返せた。


「うん……なんか、貰ったの……」


「へえ。結構高いはずだぜ? 学生で買えるなんて金持ち――」


 と言いかけて、男子が送り主に予想がついたのだ。


「ああ、あいつの土産か。そう言えばあいつ、昨日、大学生のイケメンと付き合い出したらしいぜ。たぶんその人に買って貰ったんだろ。

 でもなんで華原に? ……あ、そっか、教科書を隠したお詫びか」


 ……あの女生徒が教科書を隠したことは周知の事実だったらしい……。ってことは、見て見ぬフリをしていたということだが、華原もそれを責める気にはなれなかった。


 自分が当事者でなければきっと、見て見ぬフリをしていたはずだから……。


 それよりも。気になるのは昨日、彼氏ができたという発言だ。

 どのタイミングで正式にカップルになったのか知りたいわけではないが、彼氏ができたことが、華原への態度の軟化と連動しているなら――。

 つまり、今は幸せだから邪魔しないでよね、という警告だ。


 クッキーはポーズ。


 友好的な態度も、これ以上、引っ張ることはしないという儀式。


 たったそれだけで、これまでの八つ当たりをなかったことにしろと言っている……。

 なんてわがままなんだ……なんて、身勝手な……ッッ!


 こっちは酷く苦しめられたのに、そっちはそっちで……ッ。


「…………(ふざけんな)」


「え?」


 乱暴に箱を開け、封を破り、クッキーをばりばりと食べる。


 手の平サイズのクッキーが十二個。

 それらを連続で休みなく、全部を平らげた。


「……そんな勢いで喰って美味いのか? 勿体ない気がするけど……」

「美味しいよ」


 味なんてほとんど分からなかったけど。


 箱だけでも価値が出そうな高級店のそれをゴミ箱へ捨てる。……おっと、思わず力が入ってしまった、これが八つ当たりか……。昨日の彼女の気持ちが分かった気がした。


「お、おい……華原……? なんだか不機嫌、だよな……?」


「え、なんで? いつも通りでしょう?」


「いつものお前はそこまでスムーズには喋れてねえじゃん……」



 隣の男子が引いている。だけど華原は、知ったことではなかった。


 幸せなら、摘み取ってやる。


 

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