第9話 思想、顕現

 放課後の帰り道、人気がない廊下を歩いていたら、背後でがしゃん、と音がした。

 振り返ってみれば、廊下に落ちている……置いてある? ものがあった。


 ……地球儀、に見えたけど、よく見れば地球儀の地球の部分が空洞になっている。まるで鳥かごのようにも見えて……、カゴ? 

 地球儀型のカゴと言われたら商品として納得できる。


「なんでこんなところに、こんなものが?」


 というか今、ここを通ったはずだけど……、こんな大きなもの、見ていない。上から落ちてきた? と見上げてみても、切れかかって点滅している蛍光灯しかなくて……。

 やはりこれはどこからともなく突然現れて音を立てた、としか思えなかった。


「――誰!?」


 声がした。聞こえて振り向く。周囲を見渡し、観察するが……、人影はない。

 だけどまだ、声は聞こえているのだ……。公園で遊ぶ子供たちのような声が……。


 視界の先で見えた、黒く長い影。

 反応してばっと見ると、廊下の曲がり角を曲がってしまい……、だけどかろうじて見えた黒いそれ――。後を追うと、先にいたのは手の平サイズの……、


「妖精……?」


 でも、長い尾がある……、妖精って尻尾、生えてたっけ……? と、イメージを思い浮かべる華原だが、尾から連想する悪魔に引っ張られてしまい、確実なことは言えなかった。


 そもそも妖精は人のイメージである。

 薄羽を持つ可愛い女の子、と想像できるが、それが本当の姿とは限らない。


 尾が生えていても妖精は妖精である……。

 妖精、と思ったのも、華原の独断だったのだ。


 あの子が妖精であるとも言えなかった。


「待って――」


 追いかけたらそのまま知らない世界へ連れていかれるのではないか、なんて想像は、華原にはなかった。……精神的に普通じゃなかったのもある。いつもとは違うことに、思わず飛びついてしまったのだ。


 華原の声に気づいて振り返った妖精が、華原に近づいてくる。

 蛇行しながら近づいてくる妖精の軌跡が青く光って見え――、

 妖精の瞳が、敵意を持っていることを示した。


「う、」


 敵意に敏感な華原は、咄嗟に持っていたものを盾にした。

 地球儀型のカゴ。

 もしもそれがなければ、華原は『尾を引いた妖精』に憑依されていただろう……。カゴのせいで妖精が見えた、という言い方もできるが、とにかく華原は危機を脱することができた。


 尻もちをついた華原が目を開けると、視線の先にいたはずの妖精はもうおらず……、だけどまだ声は聞こえている。

 周囲からも聞こえるが、より鮮明に聞こえるのは、手元――。

 地球儀型のカゴに収まっている、妖精の姿だ。


 カゴの格子を噛んで砕こうとしているらしいが、無理だろう。

 妖精の腕と同じ太さの格子を砕くことはおろか、曲げることもできないだろうし……。

 まるで、妖精を閉じ込めるためのカゴである。


 まるで、じゃない……それそのものだ。



「悪意を受けて悪化する……それが『尾を引く妖精』だ」


「……誰?」



 カゴの中にいる妖精とは違う……。

 華原と背丈が同じだ……だから大妖精、なのか。


「悪意を受けて……」


「君の悪意でも他人の悪意でもいいけど、純粋無垢な妖精は悪意を受けて悪化し、化物へ変わるんだ。そしてそれは、人間世界に誤作動と事件、事故を引き起こす。……力がないけど気に入らないやつを地獄へ落としたい今の君には、渡りに船の力じゃないかな?」


「…………」


「悪用しろとは言わない。使い方は君に任せる。とにかく妖精は悪意を受けて悪化する。同じように善意を与えて元に戻す、と覚えておいてくれればいい……。人間と妖精は別世界ではなく表裏一体なんだ……、混ぜて当然、混ざって正常だと思っている」


 大妖精が言った。


「君が適任者だ」


 放り投げるなら今しかチャンスはない……でも、華原は地球儀型のカゴを投げ捨てられなかった。華原は感じていたのだ、これは勇気だと。

 このカゴを持つことが自信に繋がるのであれば――これが武器になると言うのであれば――変われるきっかけは、ここしかない。


「あたしは、どうすれば」


「どうしたっていい。君が動けば、どうしたって、世界は交わるからね――」


 妖精たちの意思が生んだ大妖精……、

 つまりこの動きこそ、妖精たちが望んだことだ。


 ―― ――


 大妖精・レーモン。

 その名をメリィに訊ねてみると……、


「森の奥深くにいる大妖精様ですよ。……そうそう人間が住む都市部に下りてくる人ではないはずですけど……、なので、あてにしない方がいいと思いますよ」


 と、言われてしまった。


 森の奥にいる妖精……、そんなイメージ通りの妖精もいるんだなあ……。

 もしかしたら都市部にいるメリィたちが異端だったりするのか?


「どこを棲み処とするかは個人に委ねられますから。たとえ大妖精様からだとしても、文句を言われる筋合いはないですけど」


 大妖精の発言には、強制力があるわけではなかった。


 勝手に大妖精は王様だと勘違いしていたが、誰もそんなことは言っていなかったな……。


「そうか……わざわざ森の中にいくのも面倒だし……いいか。

 いるなら協力してほしいってだけで、近くにいないなら一人でなんとかできるし」


「妖精の森は結界があるので、どうせ一人じゃ入れませんけどね。

 あ、鏑木さん、また善意を食べてもいいですか?」


「勝手にしろ。こっちは垂れ流してるからさ、水に足を入れた後のドクターフィッシュみたいに許可なく食べてくれ」


「もし鏑木さんが悪意を持ったら全滅ですよね……」


 そんなわけあるか。俺以外にも善意を持つやつはたくさんいるだろ……、具体的に誰々がそうだぞとは言えないが。


「――メリィッ!」


 屋上で昼食を食べていた俺(とメリィ)の前に飛んできたのは、彼女の友達の妖精・レイディである。悪化するとサソリに変化する妖精だ。


 彼女は息を切らし、慌てた様子で俺たちの目の前で滞空した。


「『尾を引く妖精』が暴れてるッ!! 鏑木も、早くきて!」


 尾を引く妖精とは、悪化した後、化物になる寸前の状態のことを言う。

 ギリギリ、まだ妖精の姿を保ってはいるが、遠目から見れば悪魔にしか見えない、人格の半分以上が既に悪意側に墜ちている妖精のことである……。


 そんな妖精が校内で暴れている? 

 じゃあ、どこかで学生同士の喧嘩でもあったのだろうか?


 レイディに案内されて駆け付けると、そこは奈多切の教室だった。

 じゃあ奈多切が既に解決を……と思えば、彼女の姿はどこにもなかった。


 ちょうど、席をはずしている時に問題が起こったのか……、間が悪いやつだ。


「うわ……、悪意に触発されて、ほとんどが尾を引く妖精になってるじゃねえかッ!」


 だからか、喧嘩をしている女生徒二名と、その喧嘩を囃し立てるクラスメイトたち……。恐らく尾を引く妖精が憑依をして、喧嘩に薪をくべているのだ。

 止める者がいなければこの喧嘩が止まることはない……。流血沙汰で冷静になればいいが、それ以上いくと……っ。


「……あたしの彼氏だって知ってて、手を出したんでしょッッ!」


「ええそうね。だってあの人が、私の方が良いって言ってくれたんだから。

 手を出すというか、向こうから出されたの、拒む理由があるの?」


 三角関係? うわぁ、これを仲裁するのは骨が折れるな……。厄介なことに巻き込まれるって分かる地雷案件じゃねえか。

 絶対に一人は損をする……、聞く限りだと男が背負うべき罰だと思うが……。

 手を出したのは男側なんだろう?


 でも、尾を引く妖精が絡んでいない、とも言えない……。


 男の意思なのか、妖精の意思なのか、それとも手を出させるような誘惑をした女子か、それとも彼女に憑依をした妖精か――はたまた、浮気させるような対応をさせた、付き合っていた彼女の素行なのか……これもまた、妖精なのか……考えることが多過ぎる。


 推測ばかりじゃ、推測の域を出ることはできない。


 つまりは……、聞くしかねえわけだ。

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