◆クライマックスフェイズ◆
第25話 〆切の金曜日
金曜日は、朝からずっとそわそわしていた。鞄には印刷した新作の原稿の束が入っている。一秒でも早く、雪花に読んでもらいたい。
それでも授業はある。ミスって居残りをさせられては元も子もない。
必死に自分を抑えて、どうにかこうにか授業を乗り切って放課後を迎えていた。
文芸部の部室に入れば、定位置である奥の応接セットに雪花の姿があった。というか、今日に限って他の部員は全員揃っており、俺が最後だった。
走って転んでは元も子もないと走り出したいのを堪えて心を落ち着けながらゆっくり歩いてきたのもあるから、そういうこともあるか。一部の部員が息を切らせて汗を拭っているのは気になったが、もうすぐ七月。暑くなってきたからな。
今日はもう、島の机に荷物を置く時間も惜しかった。鞄を抱えたまま応接セットへ向かい、ノートパソコンに向かっていた雪花の前に座る。
「こうして、すぐにわたしの前に来てくれたということは、書けたのかしら?」
ノートパソコンを閉じて脇に寄せ、雪花は問う。
「自分の言葉は守ったよ」
いよいよだ。
俺は鞄を空けて、クリップで留めて束にした原稿を取り出し、雪花へと渡す。
「なら早速読ませてもらうけれど」
そこで、雪花は予想だにしなかった行動を取った。
「紅理子ちゃん、こっちへ来て。一緒に読みましょう」
これまでは最初に雪花に読んでもらって、次に紅理子ちゃんに読んでもらっていた。
「え、雪花パイセン、いいんスか? えっと、でも……」
そうして、なぜかお誕生日席の天川部長の方を見る紅理子ちゃん。釣られて見ると天川部長は大仰に頷きを返して親指を立てていた。いったい何なんだ?
「では、お言葉に甘えさせてもらうッス!」
だが、紅理子ちゃんには意味が通じたらしい。ポニーテールやらを揺らして元気に駆け寄ってくる。
まるで部長の許可を取っていたようで気になるが、今は置いておこう。
それよりも、俺の作品を楽しみにしてくれていた雪花に、そして紅理子ちゃんに読んでもらうのが先だ。
応接セットは四人がけ。雪花がポンポンと自分の隣を無表情に叩いて示したので、紅理子ちゃんはそこへ座った。
「どうして今日は誘ってくれたんスか?」
素直に喜べない、といった感じに、紅理子ちゃんは雪花に問う。
「鐘太の作品を待っていたのは紅理子ちゃんも同じでしょう。待たされるのは辛いものね。こうして作品ができあがったのなら、少しでも早く読みたいという気持ちは理解しているつもりよ。だから、わたしが読み終わるのを待たせるのは悪いと思ったのよ」
淡々と語られた内容は理由としては筋が通っているというか、一般論とも言える内容だ。
「そうッスね。どこかの誰かのように突然断筆した人と違い、鐘太パイセンは約束通り書き上げてくれたのでそこまで待たされずに済んだッスが、それでも少しでも早く読みたいと思っているのは事実ッス。そういうことであれば、雪花パイセンの気づかい、ありがたく受けとるッス」
紅理子ちゃんも納得したようだが、妙な前置きがあった。断筆、というのは、前に紅理子ちゃんが話していた、彼女が好きだったネット小説のことだろうか?
「とはいえ、読むペースも違うから二人で完全に同時というわけにはいかないわ。原稿をバラして、わたしが読んだページを紅理子ちゃんに回していく、そういう形でホンの少しわたしが先に読むことになるけど、いいかしら?」
「それでいいッス。そもそも、雪花パイセンの読書ペースにあたしは追いつけないッスから、その方が自分のペースで読めてありがたいくらいッスよ」
雪花が読むのが速いのは周囲で見ていればわかることだろう。同じ本を並んで読んでいると仮定して、雪花のペースでページをめくられては、ページの半分も読めないだろう。
基本、作品をぶっ叩かれてきた身としては、こうやって細やかに後輩を気づかう雪花の姿は新鮮だった。
「雪花が積極的に他の部員と関わろうとするのは、珍しいな」
なんだか微笑ましいものを見た気分で、思わず、そう口にしていた。
「機会がなかっただけよ。わたしも、この温かくも居心地のよい文芸部の一員だもの。二年生になって後輩ができて可愛いと思う気持ちはあるわよ。特に、紅理子ちゃんは入部当時から可愛い後輩と思っていたわ。最近まで、接する機会はなかったんだけれども」
何があったかは知らないが、何らかの機会に雪花と紅理子ちゃんは打ち解けたのか。部内で孤立しているように感じていたので、雪花の方からも他の部員を疎んでいるのではと思っていたのだが、思いこみはダメだな。
それなら、俺も文芸部員として同じように感じていることを発言しておこう。
「確かに、紅理子ちゃんは可愛い後輩だな」
色々お世話になっているしな。
「今のは、言う必要あったかしら?」
ダン、と原稿の束を立てて机に置いて、雪花が言う。
「え? どういう意味だ?」
言葉から雪花が何を考えているのか読めないが、もしかして気を悪くしているのか? いったいどうして? まったく理由が思い当たらない。
「あの、早く読ませてもらえないッスかね?」
俺が考えこんでしまい、雪花も無言で俺を見てじっとして膠着しかけたところに、横から紅理子ちゃんが口を挟んできた。なぜか、妙にニヤけている。
「そうだったわね。では、早速読みましょう、紅理子ちゃん」
雪花は何事もなかったかのように原稿の束のクリップを外し、一枚目を手にする。
「雪花パイセン、クリップをこっちへ。ばらけないようにあたしの方で受け取った原稿を綴じ直していくッス」
「ありがとう。紅理子ちゃんは本当に可愛いわね」
「えっと、ど、どういたしましてッス」
雪花の言葉に嘘はない。本当に紅理子ちゃんを可愛いと思っているのが伝わってきて、受け取った紅理子ちゃんの方が少々辟易としているようだ。
なのに、俺が同じことを言うと気を悪くしたようで、一体何がなんだかわからない。
ともあれ、微笑ましく読んでもらえるのなら、重畳だ。
俺は、いつものように持ってきた文庫本を読みながら自作を読み終えられるのを待つことにした。
雪花は黙々と読んでいるが、紅理子ちゃんの方は雪花のペースについていけず、
「うわ、知ってたッスけど、速いッス! えっと、机の上に裏返して重ねていってくださいッス!」
少々騒がしくしているが、それでも、しっかりと読んでくれているようだ。
評価を聞くのは読み終わってから。いつもと違う形で読まれているのが気にはなるが、あまりそちらは意識せず、読書に集中することにする。
そうして、小一時間ほどが過ぎて。
「え? 雪花パイセンもう読み終わったんスか?」
紅理子ちゃんの言葉で、俺は読書から意識を戻した。
「あたしも、急がないとッスね……」
そういう紅理子ちゃんの手元には、半分以上の未読原稿が残っていた。これが普通のペースだろう。
「焦らなくていいわよ。紅理子ちゃんが読み終わってから感想は伝えることにするから、ゆっくりして。その間に、鐘太には弾幕に挑んでもらうから」
「そうしていただけると助かるッス!」
俺の原稿を手にした紅理子ちゃんを横目に、雪花は脇にどけていたノートパソコンを手元に寄せ、自作のゲームを起動して俺の方へと向けた。
「最後の弾幕も完成したわ。この八つの弾幕を通してクリアすれば完全クリアよ」
いつものようにコントロールパッドを渡されて、俺は最後の弾幕に挑むことになった。
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