マスターシーン③ 紅理子の苦悩

 鐘太を送った後。


「鐘太パイセンの作品に貢献できるのはいいッスけどねぇ」


 帰宅し食事も風呂も済ませた紅理子は、パジャマ姿でベッドの上に仰向けになって寛ぎながら、今日の車内でのできごとを反芻していた。


「もっと切羽詰まってから、それとなく母さんの卓に誘って紹介する計画だったんスけどねぇ」


 紅理子は勢いで動いているようで、計画性の高い人間だ。勢いで動きがちな母親が反面教師だというのは、それは置いておいて。


 そんな母が、自分を介さず鐘太に出会ってしまったことで、鐘太と母親の距離が想定より近いのである。元々の計画では自分を挟んでやりとりしてもらうつもりが、既に連絡先の交換を済ませてしまっている。こうなると、母親は勝手に鐘太にあれこれ世話を焼くだろう。他ならぬ娘として、断言できる。


「間違いなくいい影響はあると思うんスけど、自分の意図の外で母さんが想像以上に深く関わるのは、複雑なものがあるッスね」


 鐘太の作品が好きだというのは掛け値なしの紅理子の本音である。鐘太は、TRPGを知っただけで致命的だった弱点をあっさり克服した実績がある。今回、『誰かのために書く』ということを意識したら、どんなものを書き上げてくるのか?


 すごくワクワクしているのだが。


 できあがった作品がいいものであればあるほど、母親のドヤ顔が浮かんでしまうと予想されるのが、さっきから引っかかっているところだ。


 とはいえ、鐘太が雪花のために書くには母親の力が不可欠なことは承知していたこと。そこは諦めるしかないだろう。


 何より。


「こうして好きな作家の次回作を待てるというのは、ありがたいことッスからね」


 枕元のスマホを手に取り、大切に読んできて昨日読み返し終わった『スペシャルな物語を、君へ』を開く。


 自分の口調に影響を与える程度に好きな作品だ。

 改めて読んでも、読む順番で印象を変えるギミックも含め、物語の流れが好みだった。

 また、徹底的にゲームしかしないヒロインである冬乃先輩が、どこか母親と被って親近感を覚えていたことも思い出した。


 格闘ゲームもアクションゲームもシューティングゲームもアドベンチャーゲームもロールプレイングゲームも、なんでもやるキャラだ。母親も、メインはシューティングゲームだが、デジタルゲーム全般強い。父親の影響でTRPGと出会ってからはアナログゲームの方に比重を移しているが、それでも、家庭用ゲーム機を一通り揃えて暇があれば様々なゲームでトンデモないスコアをたたき出してネットのランキングを賑わせているのは、日常的に目にしている。

 この作品のヒロインも、ネットのランキングで上位に入ってはQTF(『キュートな冬乃』の略)というプレイヤー名をエントリーするキャラだった。


 物語の序盤は、文学少年の主人公が自分の書いた小説で先輩への想いを伝えようとする流れだった。タイトルにも合致しているので、そういう作品だと思って読んでいた。


 だから、第四話の時点で小説が書き上がったときには、いよいよか! とワクワクしたものだった。


 なのに、彼が書き上げた小説を読んでもらおうとしても「活字を読む暇があるならゲームをする」とヒロインが頑として読むことを拒んだのだ。


 盛り上げて落として、主人公と共に読者としても凹み、冬乃先輩へ怒りを覚えたりもした。いや、当時、ヒロインに通じるものを感じていた母親にキツく当たって「反抗期ねぇ」とあしらわれたのを思い出したが、それはいい。


 その後、主人公は考えに考えて『ノベルゲームで想いを伝える』という奇策に走りプログラミングの猛勉強を始めることになり、そこからが本編の開始という仕掛けだった。


 そういう経緯があって、ようやくノベルゲームを完成させたところで断筆されたのだから、読者としてはトンデモないお預け状態である。


 別の目的があったとはいえ、読み返してみたら続きを読みたい気持ちが増幅されてしまったのは、誤算だった。


 だが、


「鐘太パイセンの作品がこの作品の続きに繋がるかは、今は根拠のないまったくの妄想でしかないッスけど……可能性は0じゃないッスよね」


 紅理子には、文芸部に入ってからずっと抱いている一つの疑念があった。

 確認手段がないために、保留していた疑念だ。

 なのに、先週突然、確認手段が手に入ってしまった。

 一週間かけてじっくり読んだ。

 内容を楽しみつつも、確認の観点で読めば読むほど、そうとしか思えなくなった。

 奇妙な符合があるのだ。


「プログラミングがテーマなのは、別に珍しくもないッスね」


 そういう作品は商業でもネット小説でも沢山ある。今日日、プログラミングは身近なテーマと言ってもいいだろう。


 でも、この表現は一般的なのだろうか? と思う点がある。


 最初に、嵩都高校文芸部に入って耳にした、一般的には耳にしない言葉がある。


 氷室雪花が文芸と言い張っている『特殊文芸』だ。『特殊』は、英語で『スペシャル』とも訳せる。


 『スペシャルな物語』は、『特殊文芸』に通じるものがないだろうか?

 先入観に基づく強引な解釈と言われれば、そんな気もする。その程度の符合だ。


 とはいえ、そういう符合を連想させる何かがあった気がしていたのだ。それを確かめたくて最初から読み返した。


 結果、その何かを見つけることができた。


 断筆直前の第三十五話、先輩への想いをこめたノベルゲームを完成させ、描かれなかったクライマックスへ向かうという場面で、主人公のかけるは、こんな台詞を口にしている。


「この特殊な文芸で、冬乃パイセンに想いを伝えるッスよ……」


 ぼんやりとこの台詞が頭に残っていたから、『スペシャルな物語』を『特殊文芸』に繋げて考えたのだと思う。


 とはいえこれも偶然の可能性はある。状況を考えれば、作家志望の少年が小説を読んでもらえなくて必死に創ったノベルゲームをして『特殊な文芸』と表現することは、言葉の意味を考えれば自然な表現と言えなくもないだろう。もしも、連載が続いていて、特殊文芸という言葉が頻出していればもう少し可能性は上がったのだろうが、『特殊な文芸』という表現はここだけだった。


 だから、まだ確証には至れない。

 妄想の域だ。


 だが、それだけではなかった。高校生になった今になって読み返したことで他にも妙な符合が見えてきたのだ。


「この街の描写、学校の近所ッスよねぇ」


 作中に登場する高校の最寄り駅は、嵩都高校の最寄り駅としか思えない。地名は架空のものになっているが、ホームの数や駅舎の描写、近辺の店の情報などが、完全に一致している。


 その上。


「舞台の高校も、どう読んでも嵩都高校なんスよね」


 中学生の頃は気づくはずもないが、外観の描写も教室や設備の配置も完全に一致しているのだ。もちろん、学校の間取りはどこも似たり寄ったりのところもあるだろう。偶然の一致の可能性もないとは言えないが。


 一つ一つは微妙な符合だが、そこそこの数の符合がある。


 だけど。


「仮説が正しければ、この作品を中学生が書いてたってことになるッスけど、その根拠になりそうな情報は中学生では書けないってことになるんスよねぇ」


 紅理子が知らなかった以上、今、高校生の人間が三年前に嵩都高校を詳細に知っているのはおかしいということになる。現在なら通学路として取材はしやすいだろうが、中学時代はそうはいかないはずだ。


 いや、それは短絡的か。


「そっか、兄弟姉妹や身近な人間が嵩都高校生なら、可能性はあるッスね」


 現地取材を自分でする必要はない。資料があれば、書けるだろう。


 それでも、どれもこれもそれっぽいが確証がないというモヤモヤする符合ばかりなのだ。


「この符合から立てた仮説が正しければ、鐘太パイセンの小説を切っかけに続きを書く気になってくれる可能性は、0じゃない……と思いたい」


 結局は、すべてが妄想の域を出ないものばかり。希望的観測でしかない。


 それでも、続きが読みたくて読みたくて仕方なくさせられた上に、こうして謎に悶々とさせられ続けるのは、辛い。


「鐘太パイセンには相談できないッスからねぇ」


 これは自分の問題だから、自分でなんとかするしかないのだ。


「こうなったら、直接聞いてみるしかないッスね」


 難しそうだが、それしかないだろう。

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