第16話 消えてしまった物語

「っと、感謝いただいたところで、少しあたしの話におつきあい願えるッスかね」

「それは、もちろん構わんが」


 カチカチカチッターン。


 未だ響くひ……雪花の打鍵音をまぎらわそうという会話だ。紅理子ちゃんの方から話があるというのなら是非もない。


「さすがにずっと読みながらも失礼なんで、これは一旦しまうッス。あ、遠慮なくお借りして家で読ませてもらうッスね」


 紅理子ちゃんは俺の原稿を丁寧に鞄にしまい。


「鐘太パイセンは、ネット小説って読まれるッスか?」

「いや、読まんな。家が古書店というのもあるが、基本、紙の本しか読まない。いきなり話の腰を折ってすまんが」

「いえいえ、読まないなら読まないでいいんス。要はさっきの話をしていて、あたしが中学のときに好きで読んでたネット小説を思い出したんでその話をしたかったってだけッス。『スペシャルな物語を、君へ』って小説なんスけどね」


 カチカチカチカチッッッタターーーーーン。


 一際大きな打鍵音が響く中、紅理子ちゃんは語り始めた。


「大筋は、ゲーム一筋で本はまったく読まないヒロインに惚れた文学少年が、ノベルゲームなら読んでもらえると信じてプログラミングを勉強して自作のノベルゲームでヒロインに想いを伝えようとする物語ッス」

「なんとも迂遠な話だが、面白そうな題材ではあるな」

「面白かったッスよ。専門用語が登場するのにそれを感じさせずに上手く物語に絡めてて気にならないんスよね。キャラクターもすごく生き生きしてたッス」


 本当に好きな作品なのか、アンダーリムの奥の瞳はキラキラとしている。


「えっと、それで、鐘太パイセンはノベルゲームはわかるッスか?」

「ああ。いくつかプレイしたこともある」

「なら話は早いッスね。この小説、ネット小説であることを利用して、ときどき二話同時に更新して次に読む話を選択するってことがあったんスよ。つまり、分岐ッス」

「ん? そうなると、小説というかノベルゲームそのものじゃないのか?」


 分岐を選んで物語の展開が変わって違う結末へ向かうなら、もうそれはノベルゲームだろう。


「いえいえ、単純に二話のどちらを先に読むかってだけの選択ッス」

「それだと選択しても、結局は同じ……じゃ、ない、な」


 思い直す。


「読む順番が違うと情報が開示される順番が変わってくる。そうすると、まったく同じ話を読んでも持っている情報が違うことで印象を変えることができる」

「そういうことッス。ノベルゲームを題材にしてるから、物語の構造にもノベルゲームっぽいのを入れたって感じッスね。シンプルながら面白いギミックだったッス。小説投稿サイトでもそれなりに受けて、良好な順位まで行ったんスけど」


 そこで、表情に翳りが出て。


「連載三ヶ月目ぐらいで、ようやく主人公のノベルゲームが完成していよいよヒロインにプレイしてもらおう! っていいところで、消えたッス」

「消えた?」


 ちょっと衝撃的な言葉だった。


「はい。ネット小説の怖いところッスね。小説の投稿サイトでトップまではいかなくとも、それなりの順位になったんスよ。そうして多くの人の目に触れれば、それだけ変な人の目にも止まるわけで。やたらと作中のあら探しをする人が出てきたんスよね。たとえばさっきの二話同時公開による分岐が『●●って作品で似たような演出があった。これはパクリだ!』みたいな感じッスかねぇ」

「ああ、なるほど」


 世の中には、人気作を叩かずにはいられない人種はいるからな。


「作者は理不尽な指摘に対してすべて筋の通った反論をしてたんスけど、それがまた相手の神経を逆なでしたというか。反論のあら探しを無理矢理して反論の反論をするような形で絡まれて、そうして引き出された作者の不用意な発言を面白がった無関係な人も適当なことを言い始めて、局地的な炎上みたいになったんス」


 いやな流れだが、これはネット小説に限らずSNSなんかでもよくある話だろう。


「その結果、作者は断筆を宣言して翌日には作品ごとそのサイトから消えてしまったんスよ」

「なんというか、哀しい事件だな」

「はい。本当に哀しかったッス。すごく続きが気になるところで消えたッスからね。いきなり消えて最初は驚いて、事実に気づいたときには泣いたッスね、盛大に」


 消えて泣いてもらえる物語、か。それはそれで、羨ましいと思ってしまうのは、書くものの業か。


「どうせなら、最後まで読んで笑って終わりたかったんス。作者に言葉が届くなら、続きを書いて欲しいッスねぇ」


 しみじみと、それでいて通るしっかりとした声で紅理子ちゃん。


「とはいえ、作者の発言も不用意だったんスけどね。あれがなければ、って今も思うッスよ」


 悔しそうに、続ける。


「粘着してる人の反論にもならない反論に応じるのが不毛になってきたところで、それまでは論理的に反論していた作者が『いい大人が中学生にいいがかりを繰り返して恥ずかしくないですか?』って感情的に反論しちゃったんスよね。『プログラミングだけでなく周辺技術の専門知識も豊富じゃなきゃ書けない小説』というのが読者の共通見解だったんで、恐らくはその道のプロが書いてるんだろうと読者の多くが思ってたんス。あたしもそうだったッス。で、そんな人が中学生を名乗るとは作者も追い詰められてるなぁ、って心配はしてたんスよ」


 相手の感情に訴える手としては自身が弱者であることを示すのは悪い手ではないが、確かに、ここまでの話を聞く限り説得力がないな。


「その中学生発言が面白おかしく叩くネタになってしまったんスよね。それまで叩いてなかった人も、面白がって作者に叩きコメントを送るようになって」


 誰かが叩いている人なら叩いてもいいと勝手に免罪符にする人間もよくいるな。ありそうな話だ。


「連日の中身のない叩きコメントにうんざりした作者は、遂に論理的な反駁を諦めて『ここまで言葉が通じないのは自分が未熟だからです。こんな人間には小説を書く資格はありません。断筆します』って宣言して、翌日本当に断筆して作品ごとネット上から消えたって顛末ッス」

「それは、ちょっとカッコいいな」


 思わず口を衝いて出た本音に、紅理子ちゃんは微妙な表情を浮かべていた。


「いや、『潔い発言』って意味でそう感じる鐘太パイセンの心理はわからないでもないッスけど、その発言の結果に泣かされた身としては複雑なものがあるッスね」


 ちょっと不用意だったか。だが、趣味で小説を書くものとして、そこまで言葉にこだわれるのは尊敬に値すると思うのだ。


 少し、興味が湧いてくる。


「その『スペシャルな物語を、君へ』って作品、もう読むことはできないのか?」

「残念ながら、ネット上からは完全に消えてるッスね。その消えっぷりからも、やっぱりプロだったんだろうって言われてるッスね。何せ、削除後にアップロードサイトに上げられたものまで根刮ぎ消したらしいッスから。そこまでされると、手元にデータを持ってる人も不用意にアップしたら訴えられるんじゃないかって萎縮して、出回らなくなったッス」

「本当に徹底してるな」

「そうなんスよ。こんなことならダウンロードしとけばよかったって思うんスけど、断筆宣言翌日ッスからね。多くの読者が間にあわなかったッス。最近また読み直したいと思って探してみたりもしたんスけど、三年前に完全に消えて音沙汰のない作品ッスからね。検索しても何も引っかからなくなってたッス」


 どうにも、手に入らないものに興味を持たされたような形だが。


「なんというか、さっきの分岐の話で『スペシャルな物語を、君へ』のことを思いだしたんで、あわよくば先輩に興味を持ってもらって手に入らないもどかしさを共有してもらえたらなぁ、とお話しした次第ッスけど、うまくいったみたいッスね」


 悪びれずににこやかな紅理子ちゃん。彼女の策略だったのか、気持ちをまぎらわせる諧謔か?


 そこはわからないが。


「いや、ないものねだりしても仕方ない。悪いが俺はその作品のことは忘れることにするよ。それよりも新しい話を考えないといけないからな。紅理子ちゃんのお陰で壁を越えられたんだ。このまま突き進んで、ひ……雪花を笑顔にする作品を書かないといけないからな」


 紅理子ちゃんは、少し残念そうな表情を浮かべていたがすぐに笑顔になって。


「そうッスね。ちょっと悪戯が過ぎたッスね。鐘太パイセンが目的を見失わなくてよかったッスよ。あたしも、これを読ませてもらったらまた感想をお伝えさせてもらうッス!」


 鞄を持って元いた席へと戻っていく。


 紅理子ちゃんとの会話が終わり、静かになった文芸部室。


 いつの間にか雪花の打鍵音は軽快な心地良い調べになって、耳にはつかなくなっていた。

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