第13話 氷室雪花はご機嫌斜めかもしれない

「氷室、今日も読んで欲しいんだが」

「……」


 応接セットへ向かい原稿を差し出すのだが、反応がない。


 カチカチカチ、と軽快なキータッチ、いや、少しいつもより打鍵が強いか?


「氷室」

「……」


 もう一度声をかけるが無言。代わりに、カチカチカチッターンと一際強い打鍵音が響く。


「えっと、氷室?」

「……」


 恐る恐る、もう一度声をかける。

 無言と打鍵音がしばし響き。


「こんなところへ来ていていいのかしら?」


 ようやく返ってきた言葉がそれだった。視線は、未だパソコンの画面に向いている。


「こんなところも何も、俺は氷室に読んで欲しくて持ってきたんだが」

「三田さんに読んでもらえばいいんじゃないかしら?」

「どうしてそこで紅理子ちゃんが出てくる?」


 さっぱり解らない。


「入部して二ヶ月と少しの女子と名前で呼びあって一皮剥けただなんて……穂村君がそんな破廉恥な人だとは思わなかったわ」


 なんだかとんでもないことを言われた気がするが、言葉だけとらえればそういう解釈も成り立たないではない。


 というか、今気づいたけど、紅理子ちゃん、ラブコメ定番の誤解を招く言い回し、わざとやってないか?


「氷室、それは誤解だ」

「……」


 再び、氷室はキーを叩き始める。激しかった打鍵音が、段々と静かになっていく。

 最後に、タン、と軽い音を響かせ。


「……」


 しばし、無言の時間が過ぎ。


「穂村君がそう言うなら、信じるわ」


 やっとパソコンから顔を上げて、そう言ってくれた。


 無表情なので、よくわからない。


「そうよね。沢山読ませてもらった作品を通して穂村君の為人は分かっているつもり。検討の結果、そんなすぐに異性とあれこれできたりする甲斐性なしだということは間違いないと確信できたから、安心して」


 なんだか情けないことを確信できたと断言されてしまった気がするが、


「事実だから、否定はしない」

「事実を素直に認めるフェアなところは穂村君のよいところなんだけれど」


 淡々としていて真意がまったく読めないのだが、氷室にしては珍しい何か思うところのありそうな歯切れの悪い言葉だった。


 いぶかしくはあったが、


「それより、わたしに作品を読ませてくれるんでしょう?」


 と言われては是非もない。無視されたのは初めてだったのでビクビクしていてたりもしたので、ホッとしつつ原稿を氷室へ手渡した。


「では、読ませてもらうわね」


 ノートパソコンを閉じ、紙束を手に読み始める。


 俺は、原稿と一緒に用意していた文庫本を出して読み始める。向かいあって読書している状況は、これはこれで文芸部らしいかもしれない。


 最初の頃は、読んでもらっている間、氷室のわずかな笑みも見逃すまいとじっと見ていたのだが、


「あんまり見つめないでね。熱が出て沸騰したりはしないけど気になるから。そうね、好きな本でも読んでいてもらえるとありがたいわ」


 と言われたのだ。


 見ていて飽きない容姿なのでついついガン見していたのだが、だからといって女子の姿を無遠慮に見るのは失礼な行為だ。素直に受け入れ、以来、俺は好きな本を読んで氷室の読了を待つことにしていた。


 用紙がめくられる音がするだけの、静かな時間。


 背後の他の部員の存在は忘れて氷室の感想を待つこの時間は、怖くもあり楽しみでもあり。

 文芸部の活動として、非常に充実した時間だった。特に今日は、今までとは違うと明確に思える小説を持ってきたのだ。怖さも楽しみもいつもより大きい。


 氷室はそれなりに読むのが速い。文庫本一冊程度の長編であれば、小一時間ほどで読み終わる。


 今回の原稿も、それぐらいの時間で最後の一枚を読み終え。

 原稿の束を机上でトントンしながら揃え、丁寧にクリップで留め直す。


「驚いたわ。今までとは全然違うわね」


 表情に変化はないが、彼女は嘘はつかない。驚いたというなら驚いたのだ。


「先週読ませてもらったのとはまったく違って、キャラクターがちゃんとその世界に生きている感じがしてきたわ」


 思わず、拳を握って小さくガッツポーズ。


「ただ、同じ物語の焼き直しであるのも原因だとは思うけれど、物語はとっちらかってるわね。今度はキャラクターに流されているというか。さすがにこれであっさりわたしが笑顔になったりすることはないわ」


 笑顔にできなかったことは見ればわかるが、言葉にして念を押すのは彼女なりの俺への戒めか。


「とはいえ、これまで突き進んでいた間違った方向から、転換できているのは感じたわ。ようやく、ね」

「そうか、ようやく、か」


 これまでは、ずっと「まだまだ」だったのだ。

 前進していると言えるだろう。


 俺は、その言葉を、噛み締めた。

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