第14話 フェアであるためには?

「さすがにここまで劇的な変化があると、何かきっかけがあったのだと思うけれど、土曜に紅理子ちゃんと何をしていたのか教えてもらってもいいかしら?」


 珍しく、氷室が踏みこんでくる。別にいかがわしいことじゃないのはわかってくれているのだから、素直に伝えても問題ないだろう。


「テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム、略してTRPGを遊ばせてもらったんだが、氷室は知っているか?」

「遊んだことはないけれど、知識としては知っているわ。アナログゲームよね。紙と鉛筆とサイコロで人間が頑張ってイベントや戦闘を成立させてたっていうRPGの原点。今ではRPGと言えばコンピュータゲームの方が先にくるけれど、確かこっちが先だったはず」


 俺よりも沢山の幅広いジャンルの本を読んでいるだけあって、知っていたようだ。平坦に答えられた内容は、概ね紅理子ちゃんの説明と同じだった。


「そう、それだ。見方を変えると、キャラクターを創ってそのキャラクターとしての行動を考えながら進めるゲームだった。与えられた状況にもとづく即興劇のようなものだが、『こういう風にしよう!』と思ってもサイコロの目によって思った通りの行動をさせてもらえなかったりするところが劇との大きな違いだな。結果的に、複数の人間が生み出したキャラクターによって紡がれる、その場限りの不確定な物語ができあがる。ガチガチに固めて書く俺の創作と真逆のベクトルの体験をして、色々と吹っ切れた、という感じかな」

「……そう。わたしからは得られないものを、三田さんから得たのね」

「それは、その通りだが」


 どうにも引っかかりのある言いようだった。


「いいのよ。指摘までで助言はしないのがわたしのスタンスなのだから。他に頼れる人がいるのなら、頼ることを妨げる権利はわたしにはないわ」


 変わらず淡々と無感情な言葉だが、卑屈になっているように感じられる言い回しだな。


「それでも、氷室が手厳しく指摘してくれたからこそ、紅理子ちゃんが俺を誘ってくれた面もあるからな。回り回って氷室のお陰でもあるよ」


 フォローしておいた方がいいだろうと思ったのだが、


「そう言ってわたしを立ててくれるのは嬉しいけれど、新入生でまだ二ヶ月少しのつきあいの人と休日に二人でおでかけして一皮剥けて名前で呼びあうぐらいの信頼関係を結んでいるにも関わらず、一年以上のつきあいのわたしとの間には、そこまでの信頼関係はなかったのかしら?」


 氷室の卑屈さは取れない。


「何を言ってるんだ? 俺は、氷室を誰より信頼しているからこそ、こうして書き上げたものを真っ先に持ってきたんじゃないか。今日は朝からずっと氷室に読んでもらうことだけを楽しみにしながら授業を乗り切ったと言っても過言じゃない」


 少々いらだちが声にも出てしまったかもしれないが、本当に急にこんな風に信頼を疑われるようなことを言われるとは意味がわからない。


 氷室はまったく感情が顔に出ないため、言葉の内容から感情を読み取るしかない。今の彼女の言葉は、意味はわかっても感情が伝わってこない。会話で叙述トリックを仕掛けられているような心持ちになってくる。


 とはいえ、彼女の地の文、じゃなかった、言葉に嘘はない。そこのフェアネスは崩さない。それぐらいには信頼しているということなのだが、どうやったら伝わるんだ?


「誰より信頼しているということは、三田さんよりも信頼しているということで間違いないかしら?」


 言葉尻をとらえるようなことを言われたが、言葉には責任を持つ。


「もちろんだ。紅理子ちゃんより、氷室を信頼している」


 事実だからこそ、明確に答える。


「そう。なら、最低限三田さんと同じように、わたしに対しても信頼を行動で示して欲しいの」

「紅理子ちゃんと同じように?」

「そう、それよ」

「それ……ん? もしかして、その……」


 少し気持ちの整理がいる。


「同じようにということは、氷室のことも、名前で呼べということか? その、なんというか、、えっと、だな。その、この、あ~、そういうことかと、いうことで……」


 紅理子ちゃんの場合は『本名バレを防ぐ』という合理的な理由づけをすることができたので比較的すんなり呼べたのもあるが、今回はそういうのがないので中々踏ん切りがつかない。


「うん、そうだな。いや、そういうことだとは思うんだ。だから、その、つまりだな」


 やたら前置きが長くなってしまったが。


「雪花ちゃん、と呼べばいいのか?」


 どうにか言葉にすることができた。


「同学年でわたしの方が誕生日が早くてお姉さんなのだから『ちゃん』づけはないのじゃないかしら?」


 だが、即座に否定された。氷室は七月二十日生まれ、俺は一月十一日生まれ。半年差があるのだから、その言い分はわからないでもない。


「そうか、なら、えっと、あの、その……だな……雪花さん、で」


 今度は、それなりに大分早く口に出せたのだが。


「普段は名字呼び捨てなのに、『さん』づけにされると改まった感じがして、それはそれでむしろ距離が遠のいて信頼が損なわれた気がしないでもない」


 これもダメだった。


 ここまでの流れを総合すると。

 ハードルが少し高い気がするのだが、ダメだしの内容は筋が通っているし。

 それしかないのか?


「……」


 その、なんだ。


「……」


 いや、答えは分かってるんだが。


「……」


 そうだな。気持ちを落ち着けるために、頭の中でノックスの十戒を暗唱しよう。


 一つ、犯人は物語の早い段階に登場していないといけない。

 一つ、神秘や超自然的な作用は除外されるべきである。

 一つ、秘密の部屋や抜け道を登場させるなら一つだけにすること。

 一つ、未知の毒薬や長い説明が必要となる器具を用いてはいけない。

 一つ、物語に中国人超常的な力を持つ者を登場させてはいけない。

 一つ、偶然や説明のつかない直感が探偵の助けとなってはいけない。

「一つ、探偵自身が犯人であってはいけない」

「一つ、探偵は読者が十分に検証できない手がかりを根拠にしてはならない」

「一つ、ワトソン役は隠さず思考を提示せねばならず、その知性はほんのわずかに想定読者より下回るべきである」

「一つ、双子や一人二役は読者がその存在を十分に認知できない限りは登場させるべきではない」

「なぜ突然ミステリを書く上での古典的方針となるノックスの十戒を暗唱し始めたのかしら?」

「それは、『ヴァン・ダインの二十則』の方は覚え切れていないから……」


 いや、そこじゃないだろう。


「どうして、俺の心の声がわかった?」

「後半は口に出ていたわ。咄嗟に『ノックスの十戒』は暗唱できるけれどもミステリ好きを別に自認していないところのわたしが暗唱可能な『ヴァン・ダインの二十則』の方は覚え切れていないというところに可愛げのあるミステリ好きは結構だけれども、一方でわたしへの信頼は示されていないわ」


 もしかして、お怒りなのであろうか? 見た目はまったく変わらず口調も平板ながら、言葉の上では皮肉や苛立ちを示されているとも受け取れる。何気にミステリネタでマウント取ってきてるし。


 とはいえ、信頼を示せと言われてノックスの十戒を暗唱されたら怒るのも当然だ。自分でもわけがわからない。だが、そのぐらいに混乱するていどに。


 今、求められていることは。

 俺の中では非常に勇気のいることなのだ。


 ともあれ。


 脱線してツッコミを入れられたことで心の準備ができたというか、落ち着いたというか。

 最後に、深呼吸をして。

 覚悟を決めて、口にしようとして。

 もう一度、深呼吸。

 念のため、もう一度。

 そして、ようやく。


「雪花、と呼べばいいのか?」


 なんだか顔が熱い気がするが、仕方あるまい。

 まさか、氷室をこんな風に呼ぶ日が来るなどとは夢にも思っていなかったのだから。

 とはいえ、一方でとても心地良い気もするのはなぜなのか?


「よろしい」


 淡々と、氷室、じゃなかった、雪花の、声音に高低のない平坦な肯定の返事。


「では、フェアネスを重視するミステリを愛するあなたに敬意を示して、わたしもフェアに鐘太と呼ばせてもらうわ」

「お、おおぅ」


 なんだか、ちょっと変な声が出てしまった。

 名前を呼び捨てにされるなら、呼び捨てにする。


 フェアだ。

 筋は通っている。


 なんだか異常に体温が上がっている気がするが、これはひむ……雪花なりの、フェアネスを重んじた行動。信頼の証だ。


 ならば、動揺している場合ではないだろう。


「ちょっと話が横道にそれてしまったけれど、鐘太が書いてきた小説がようやく方向転換ができたと言っても、鐘太にはまだまだ足りないところが多いわ。今からいつも通りにそれを鐘太に指摘するので、鐘太は気持ちを切り替えてよく聞いていてね」


 向こうは名前の通りまったく熱を感じさせない表情と声なので、現状をどう受け止めているのかわからないが、いつもと変わらぬ淡々とした口調で閑話休題を告げてきた。


 そうだったな、本題は、そこだ。

 あくまで、同じところをグルグル回っていた状態からようやく抜け出せただけなのだ。


「了解だ。手加減なしで頼む」


 と言ったのだが、なぜかこちらをじっとみて雪花は制止している。


 何か、足りないのか?


 そういえば、これからの指摘内容をよく聞いておけという強調だろうが、先のひ……雪花の言葉に俺の名前が出てきた回数が多かった気がするな。


 こちらもフェアであれということか。

 流石に、連呼はできないが。


「よろしくお願いする、雪花」


 ぐらいなら、話の流れとして自然だろう。


「よろしい」


 正解だったようだ。


「そうね、今回の鐘太の作品は、キャラはよくなったのだけれど……」


 そうして、いつも通りの雪花の評が始まる。


 キャラクターを前面に出したことで、今度は物語がとっちらかってしまったことが浮き彫りにされていく。あちらを立てればこちらが立たず。まだまだ雪花のお眼鏡には叶わないようだ。


 指摘を真摯に受け止めて、雪花を笑顔にすべく努力を続けていかないとな。

 それが、信頼に応えることになるだろう。


 結果として沢山の宿題が出たが、とても充実した時間だった。

 俺の作品を読んでもらったなら、彼女の作品にも触れるのが筋。


「わたしの特殊文芸の方も、少しだけ新しいのができたから、プレイしてもらえるかしら」


 わからないなりに、弾幕にも取り組む。

 もちろん、一分と持たずゲームオーバーになってしまったが。


「そうね。鐘太は週末は忙しくて弾幕について調べられていなかったのだから、仕方ないわね」


 俺の結果を見て、そんなことを言う。


「別にいいのよ。鐘太は初心者だもの。でもね、クリアできなくてもいいとは言ったけれど。それでも、もう少し弾幕シューティングと向きあって腕を上げてもらえると、嬉しいわ」


 やはり感情の読めない口調だが、それでも「嬉しい」というからには嬉しいのだろう。少し頑張ってみようか、という気になる。


 こうして、俺たち二人の時は終わり、俺は応接セットを離れて島の席へと戻った。

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