第10話 人を笑顔にしたいのは

 商店街の外れにある達筆な屋号の記された扁額のかかった古書店。


 そこが俺の自宅である。


「おかえり」


 帰宅した俺を出迎えてくれるのは、肩までのボサボサの癖っ毛の三十代前半の女性。穂村ほむら琴子ことこ。現在の古書店店主であり、俺の保護者である。


「……ん? なんかいいことあった?」


 受けた衝撃が顔にも出ていたのかもしれない。


「ただいま。まぁ、いいことはあったかな」


「それは重畳。ま、話は後にして夕飯にしよう」


 ということで、


「へぇ、TRPGねぇ」


 夕食の席で俺の話を聞いた琴子さんは、なんだか懐かしそうな顔をしていた。


「もしかして、琴子さんやったことある?」


「学生時代にルールブックを読んだことはあるな。だが、遊ぶ機会には恵まれなかったね。ルールブックに遊んでくれる友達はついてこないんだ」


 ビールの缶を傾けながら、なんだかしみじみと語る琴子さん。


「だから、人を集めてお膳立てしてくれるなんて願ったり叶ったりなことだ。そこまでしてくれるなんて、本当、いい後輩じゃないか」


「そうだな。いい後輩なのは間違いない」


 自分の作品を好きでいてくれるなんていうのも、嬉しいことだ。


「でも、鐘太の本命じゃないんだよね、その子」


 ニマニマとしながら琴子さん。


「いや、氷室だってそういうんじゃないから」


「ん? 氷室さんのことなんてなんも言ってないんだけけども?」


 目を細めて意味ありげな視線。


「俺が琴子さんとの話で名前を出した女子は氷室しかいないんだから言われなくてもそういうことになるという簡単な消去法だよ」


 そうだ氷室を意識しているとすれば「あの無表情を笑顔にしたい」という意味でだ少し早口になった気もするが訂正は早いにしたことはないそれだけだ。


「はいはい、そういうことにしときましょうね」


 視線を外して再びビールの缶を傾ける。琴子さんがこのていどで酔わないことはわかっているので、素でからかっているのだろう。


「ま、あたしはあんたが楽しい高校生活を送って、笑顔で創作できてるってことが嬉しいからね。それで誰かを笑顔にできたら、もっと嬉しい。応援してるよ」


 何の応援かが曖昧な表現にしているのは罠な気がするが。


「そうだな。今日、いい刺激をもらえたから、頑張ってヒ……人を笑顔にできる作品がかけるように精進するよ」


 一瞬氷室といいかけたのはさっきのやりとりがあったからいい間違えたのだ俺は自分の書いた小説で人を笑顔にしたいその筆頭に氷室をあげているそれだけだ。


「そうね。かつて、あんたが物語に触れて笑顔を取り戻したように、人を、特に氷室さんを物語で笑顔にできたらいいね」


 琴子さんは食卓の奥に据えられた仏壇へと目を向ける。そこには、すでにあちら側にいった両親と祖父母の写真が飾られている。


 悲しみに囚われて笑顔を失い、物語に救われて笑顔を取り戻す。


 もうずっと昔のことだ。


 近くで見ていた琴子さんが知っているのは当然として、他の第三者にわざわざ語る必要なんてないこと。俺が物語への感謝を忘れないでいれば、それでいい。


 物語で誰かを笑顔にしたいという想いの根底にそんな過去が無関係とはいえないけれど、それはきっかけでしかないからな。


 試行錯誤を続けながら書くことが純粋に楽しい。


 物語を楽しんで書いて自分が笑顔になり。


 書いた物語を読んで誰かが笑顔になる。


 そんな作者と読者の Win-Win の関係が築けたらいいな、と思う。


 それだけだ。


 そこに、過去なんて必要ない。


「人を笑顔にするためにも、今日の刺激を活かして明日は一日書こうと思うよ」


「うんうん、いいんじゃない」


 返事がてら明日の予定を保護者に伝えたところで、食事を終える。


「ごちそうさま」


 まだ呑んでいる琴子さんを残し、俺は居間を出て二階の部屋に帰る。あとは風呂に入ってさっさと寝よう。


 万全の体調で、明日は書かねば。

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