第9話 「好き」と言われては動揺せずにはいられない

 他の人はまだ残って駄弁っているが、遅くならない内にと俺と三田は先に帰らされた。


「まだ明るいっスね」


 時刻は十九時を回っていたが、外にはまだ日の光が残っている。


「夏至に向かってるからな。六月の夜は長い」

「そうッスよね」


 駅へと向かう道すがら、他愛ない話でワンクッション置いてから、三田にどうしても伝えておかないといけないことがあった。


「三田、今日は本当にありがとう」


 歩きながらなので頭を下げられないが、深々と下げたい気持ちだった。


「さて、何に対する感謝ッスかね?」


 三田は小柄なので、並んで歩く俺の顔を見上げながら恍けた声で言う。


「俺に新鮮な気持ちでTRPGを体験させてくれたことに、だな」


 まったくなかった視点の物語の作り方。


 もしも事前に聞いていたらTRPGについて調べただろう。歴史と原点、主要なゲームの内容と遊び方ぐらいは最低限知識として入れておくのがいつもの感覚だ。そこまでやっておけば、自分流のTRPGの解釈をした上で今日の場に臨んだだろう。


 でも、そうなると今日の体験は『答えあわせ』になってしまっただろう。


 TRPGをプレイすることが『自分の解釈が正しいのか先人に問うて確認する』場になっていたことが容易に想像できる。そうなると、ただただ『知識』としてTRPGを消化して『体験』として残らなかったのは間違いない。


「そういう表現をするってことは、事前に情報を与えなかったあたしの判断は間違ってなかったってことッスね」


 誇らしげに笑いながら、三田。


「その通りだ。感謝してるよ」


 いくら感謝してもしきれないくらいに。


「しかし、まだ入部して二ヶ月ほどの人間に解るほど、俺の性格ってわかりやすいのか?」


 これが氷室だったら「そりゃそうだ」と思うのだが、三田はこの春の新入生だ。


「こと創作というものを通して関わる場合は、期間は関係ないッスよ。穂村パイセンの小説、入部直後に二本、で、先日一本の計三本を読ませてもらったッス。それだけ読めば、作者の為人は見えてくるもんスよ」


 そういうものか。


「で、その三本は全然異なる題材でしたッスけど、なんというか、どれも書き方が同じというか、情報が先行してる感じだったんスよね」

「そう……かもな」


 かつて氷室にも「大分小説の体は整ってきたけど、見方を変えるとこれは穂村君の調査レポートみたいね」というようなことも言われたことがあったのを思い出す。


 今の三田の「情報が先行している」というのは同種の指摘だろう。


 創作には多かれ少なかれ作者の視点は入りこんでしまうものだが、俺は特に多い、というところか。


「なんというか、『きっちりしてる』んスよ、パイセンの書くものは。しっかり取材して正確に描写して、登場人物は嘘をつかず間違えない。間違えるのは物語上に設定された正しい間違いのみ、っていう感じッスね」

「中々手厳しいが……思い当たることばかりで返す言葉もないな」

「ここで意地を張らずに後輩の言葉を素直に受け入れられるパイセンの潔さは、美徳だと思うッスよ」


 どちらが先輩かわからない優しい表情を三田は浮かべていた。


「で、そんなパイセンの作品の書き方って、TRPGの対極にあるんスよね。何せ、TRPGには主に『サイコロ』というランダム性がついて回る以上、『絶対』はないんス。大筋は決まっているけど、過程は常に変わるッス。今日も、あのメンバーだからあの物語になったッスけど、他の人たちが違うキャラクターで遊べばまったく違う物語が生まれるはずッス。一期一会の物語がTRPGの醍醐味ッスから」


 だからこそ、今日の俺は驚きっぱなしだった。


「入部してすぐにパイセンの作品を読ませてもらったときから、TRPGを勧めてみたいとは思ってたんスよ。でも、いきなり誘うのもどうかと思って控えてたんス。でも、二ヶ月経って同じところをウロウロしてるのがもどかしくなったんスよね。ちょうど誕生日を迎えて玄米テーブルスペースにも行けるようになったし、いい機会だと思い切って誘ったのがこないだの部活ッスね」


 俺の作品の欠点を見つけて、ずっと対策を考えてくれていて、こうして誘ってくれたという。


 その効果は絶大だった。感謝するばかりだ。


 だからこそ、気になることもある。


「どうして俺にここまでしてくれたんだ?」


 尋ねてみれば。


「好きだからッスよ」


 なんの衒いもなく、三田は言った。俺の顔を見上げる赤いアンダーリムに縁取られた瞳は、真剣な色を湛えていた。


「え、いや、それ、は、え?」


 意味のない言葉しか出てこない。


 正直、そういう予測がなかったわけではないが、それでも、こうストレートに言われるとなんというかどう応じていいのかがまったく解らないというかなんというか顔が熱いというかなんというかどうしていいんだというか語彙力が衰えているぞ?


 じっと俺に向けられていた真剣が瞳が、フッと笑みに戻り。


「あ、誤解を招く表現だったッスね」


 三田はわざとらしく前置いて。


「好きっていうのは、『穂村パイセンの書いた小説が好き』ってことッスよ」

「またラブコメの定番の誤解を招く表現の実演、か」

「そんなとこッスね」


 悪びれない後輩には少々思うところもある。さっき俺をじっと見つめていたのは、俺が慌てふためく様を楽しんでいたんじゃないかとも邪推してしまう。


 それでも、だ。


 自作を好きと言われたら帳消しだ。


 なんというか、自身に対する告白じゃなくても相当に照れくさいぞ、これは。動揺が別方向になっただけで、正直、未だに落ち着かない。心臓の鼓動がおかしい気さえする。


「とはいえ、好きなのは物語の構成とかギミックとか題材とか語り口とかそういうところで、キャラクターは全然足りないというか、正直、誰にも感情移入はできないんスよ」

「そ、そうか」


 しっかりとダメだしされて、浮かれていた気持ちは一気に落ち着いた。


「だからこそ、パイセンがTRPGを通して弱点を克服してキャラクターもよくなれば、もっと好きになれると思うんスよ! あ、もちろんパイセンの小説のことッスよ?」


 今度は先に訂正を交えつつ、嬉しいことを言ってくれる。


「そうだな。今日の経験は、間違いなく俺の創作にとって大きな糧となったよ。なんというか……」


 少し考えて、一言にまとめると。


「キャラクターにあわせて物語を変えても、いいんだな」


 端的には、それだけのことだった。サイコロが支配するTRPGの物語の不確定性は、俺の弱点の対策にピッタリとはまっていたのである。


「改めて、本当にありがとう」

「そんな改まらなくていいッスよ。あたしとしては、未経験の人がTRPGを体験して楽しんでもらえたことが嬉しいッスから。これでフィフティ・フィフティ。フェアッスよ」

「そう言ってもらえるのはありがたいが、申しわけなくもあるな……」

「じゃあ、そんな律儀なパイセンの気持ちを楽にするため、一つお願いしてもいいッスか?」

「ああ、俺にできることなら、なんなりと」


 三田は、何か企んでそうな顔で見上げてきて。


「今後は、あたしのことは『紅理子ちゃん』と呼んでもらえると嬉しいッス! あたしも『鐘太パイセン』って呼ぶッスから」

「いや、それは……」

「どうしたんスか? 『俺にできることなら、なんなりと』と言ったじゃないッスか?」

「そうだが……」


 なんだろう、あの場だからよかったのだが、名前で呼びあうというのは、正直照れくさすぎる。


「仕方ないッスね。それなら理由づけをするッス。今後、今日のような場でお互いうっかり本名で呼ばないために、名前で呼びあうってことでどうッスか?」


 確かに、それはそれで合理的だ。普段からそう呼んでおけば、今後ハンドルネームが必要なところでの本名バレのリスクを大幅に軽減できる。


 だが。


「休日に二人でどこかに言って、次の部活では名前で呼びあうというのは、どうにも抵抗があるというか……」

「そうッスねぇ、氷室パイセンにあらぬ誤解を受けるかもしれないッスね」


 流れるような三田の言葉に、


「そうなんだ。そこはどうにかした……い、いや、氷室だけでなく他の部員にもあらぬ誤解を受けるのはよろしくないというかなんというか」


 迂闊にも認めてしまい、取り繕うにもしどろもどろになってしまった。


 今の流れなら「どうしてここで、氷室が出てくる?」と返すべきところだが、どうして俺はすんなり認めてしまったんだ? これでは俺が氷室を意識しているみたいではないか氷室は大切でかけがえのない部活の仲間だそれ以上でもそれ以下でもない。


 脳内で早口に理屈をつけて気持ちを整理したところで。


「っと、今のはちょっとレギュレーション違反ッスね! 聞かなかったことにしてもらえるとありがたいッス!」


 慌てた様子で三田は発言の取り消しを求めてきた。


 いや、それよりも。


「レギュレーション?」


 なんだかおかしな言葉が気になったのだが。


「いえいえ、こっちの話ッスから、パイセンは気にしなくていいんス!」


 三田は、開いた両手を顔の前で振って、大袈裟に否定のリアクションをしながら誤魔化そうとする。この様子だと聞き出すのは骨だろう。それに、三田には沢山の恩がある。


「わかった。そこは聞かないでおくよ」


 無理に聞き出すのはやめておこう。


「ありがとうございまス……」


 心底ホッとしたように、三田は胸に手をやっていた。思わずそちらを見そうになって慌てて目を泳がせたところで、改めて上目遣いに見上げてくる視線とぶつかり、そこで視線が固定された。


「えっと、話が逸れちゃったんで戻すッスけど。その、なんというか、正直に言うと、今日『紅理子ちゃん』と呼ばれるのが悪くなかったというか、心地良かったというか、そういう感じなんで。できたら普段もそう呼んでもらえると嬉しいというかなんというか……」


 今度は殊勝な感じで、お願いされてしまった。


 こうなるとお手上げだ。そもそも「俺にできることなら、なんなりと」という言質もとられている。


 そうだな。うっかり本名を呼ぶと問題だしな。


 なんとか、さきほどの三田の合理的な理屈を元に自分の中で折りあいをつけ。


「これからは、三田のことは『紅理子ちゃん』と呼ばせてもらうよ」


 お願いを聞き入れることにした。


 kurikoちゃんとハンドルネームならともかく、本名の紅理子ちゃんは、今こうして呼んだだけで照れくさい。それでも、じきに慣れるだろう。きっと。恐らく。


 俺の葛藤を余所に、紅理子ちゃんはパァっと笑顔を咲かせ。


「はい! 改めてよろしくお願いするッスね、鐘太パイセン」


 と応じたのだった。

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