第3話 穂村鐘太と三田紅理子

「穂村パイセン、またこっぴどくやられたッスね」


 氷室の辛辣な批評を受けた後。島の空いていた席に移動してプリントアウトした作品を読み直していると、一年の三田さんだ紅理子くりこが話しかけてきた。


 一年生で固まって島の少し離れた一角に陣取っていたのだが、ポニーテールを揺らしながら俺の隣までやってくる。


「事実だから、仕方ないよ」


 氷室は間違ったことは言わない。そこは信頼しているからな。


「穂村パイセンのそういう潔いところ、悪くないッスよ」


 何か企んでいそうな笑みを赤いアンダーリムのフレームに縁取られた瞳に浮かべ、空いていた隣席に座る。


「でも、いっつも同じようなこと言われてません? 一年のときはどうだったんスか?」

「最初は、『小説』とさえ認めてもらえなかったな」

「おおっと! そんな底辺からのスタートだったんスね」


 大袈裟に三田は驚きつつ、哀しい事実を追認させてくれる。


 底辺。


 その通りだ。あれは、正直キツかった。


 当時は氷室がどういう人間か解っていなかったから、それなりの自信を持って書いた小説を「これが小説? 設定資料じゃないの?」なんて言われて腹も立った。


 だが、指摘を踏まえて自作を読み直した結果、怒りは収まった。確かにあれは小説じゃなかった。書いた時は舞い上がっていたが、少し冷静になって読めば説明ばかりの設定の羅列だということが自覚できた。『設定資料集』という評価は言い得て妙だとまで思った。


「そこから、浮上してきてはいるんだ」


 氷室のお陰で、と続けたいところだが、やめておく。今は応接セットで黙々とキーボードを叩いている本人に聞かれるのは気恥ずかしいからな。


「でも、今伸び悩んでるんスよね? 少なくとも、あたしが入部してから二ヶ月ほど、ずっと同じことを言われてるように思うんスよ。端的に言うと『キャラが書けてない』って」

「まぁ、そうだな。他の奴らにも同じことを言われ続けてるから、間違いはないだろう。なんだったら、またこれも読んで見てもらえるか?」


 見直していた束を差し出すと、


「是非是非!」


 気軽に受け取って、三田はパラパラと目を通し始める。


 俺は、『氷室を笑顔にする』という目的を抱いて以来、酷評にめげず積極的に彼女に作品を読んでもらっている。


 だが、別に氷室にだけ読んでもらっているわけではなく、文芸部の活動の一環で他の部員にも読んでもらっている。


 氷室の印象が強くて気を使われているのか、他の部員からはあまり欠点を指摘するような感想はもらえないが、それでもキャラについてだけは指摘を受けることが多い。三田にも入部してからこれまで何作か読んでもらったことがあるが「他の方々と同じ指摘になってしまうのが恐縮なんスけど、問題はキャラ、ッスねぇ」と言っていたのを思い出す。


 これだけの人間に指摘されるのだ。


 氷室個人の感覚ではなく俺の思いこみでもなく、今の俺の弱点はキャラクターなのだろう。


 果たして、


「最初の方しか読めてないッスけど、やっぱり今度もキャラ、ッスねぇ」


 というのが三田の感想だった。


 ただ、彼女の言葉はそこで終わらなかった。


 俺の原稿をパラパラと見つつ、レンズの奥の瞳に少し思案の色を浮かべ。


 一つ、深呼吸して。


「うん、だったら、あたしとつきあってみないッスか?」


 突然発した三田の言葉に、ガタリ、という音が文芸部室に重なった。どうも、島に座る他の面子が、一斉に椅子をこちらへ向けた音のようだ。


「きゅ、急に、何を、言い出すんだ?」


 俺としても、いきなりの言葉に面喰らう。


「あぁ、今のは誤解を招く表現ッスね」


 少々白々しく、悪戯っぽい表情で三田は言って。


「そういう意味じゃないッス。穂村パイセンに紹介したいところがあるんスよ。そこへつきあって欲しいってことで。皆さんもお騒がせして申し訳ないッス」


 淡々と訂正し、方々に頭を下げる。それで、この場は収まった。


 俺は正直、まだドキドキしていたりもするが、一つ深呼吸して平静を装おう。


「少々作為を感じるが、ラブコメなんかで定番の誤解を招く言い回しだったってことか。リアルに経験するとは思わなかったな」


 少々わざとらしく理屈をつけて内心の動揺を隠す。


「事実は小説より奇なり、ッス。事実として経験するのも大事ッスよ」


 なんだか含蓄あるようなないようなことを言う三田。


「とにかく、次の土曜空けといてくださいッス。詳細は後ほど連絡するんで……あ、連絡先交換させて欲しいッス!」

「ああ」


 と言われるがままQRコードを表示して、メッセージアプリ上で互いの連絡先を登録しあう。

 三田のアイコンはサイコロ、か? 六の目を表示した二つのサイコロが並んだ絵だった。


「うわぁ、アイコン、すごい本棚ッスね! これ、先輩の部屋ですか?」


 俺のアイコンを見た三田の反応は、まぁ、順当だろう。

 みっしり本の詰まった天井まで届く高さの大きな本棚の写真が俺のアイコンだった。


「いや、俺の部屋じゃない。店の写真だ。家は古本屋でな。そこの本棚だ」


 蔵書は稀覯本や専門書からライトノベルまで。雑多な本を扱っている町の古本屋である。その中で、俺が最も好きなジャンルであるミステリ小説を集めた一角の写真をアイコンにしているのだ。


 こうしてアイコンにしておくと本好きの人なら高確率で興味を持って反応してくれる。その流れで買いに来てもらえたら、という家業の宣伝目的も少々あるのは否定しない。


「へぇ、そうなんスか。またいずれ寄らせてもらうッスよ!」


 と、社交辞令かもしれないが、こう言ってもらえれば宣伝目的は果たせている、か。


「ともあれ、穂村パイセンの連絡先ゲットッス!」


 俺のアイコンが映るスマホを眺めてことさら嬉しそうにしているが、ここで下手に反応するとよけいな誤解を招きそうなのでスルーすることにする。


 俺が今度はスンとしているのを見て、


「穂村パイセンのそういう計算高いところも、作風に影響してるのかも知れないッスね」


 なんだか見透かすようなことを言って、


「途中までしか読めてないんでこれ、このまま読ませてもらっていいッスか?」


 手に持ったままだった俺の原稿を示す。


「ああ。読んでもらえるなら、持って行ってくれていい」

「はい。せっかくなので最後まで読ませてもらうッス!」


 三田は俺の原稿を持って元々いた場所へと戻り、真剣に読み始める。


 ふと、視線を感じた。


 見れば、応接セットの方からこちらを見る氷室と目があった。


 相変わらず何を考えているのか解らない目だ。すぐに目を伏せてしまったが、氷室も定番の勘違いをしたのだろうか? そういう野次馬根性があるタイプには思えないが……と。詮索はやめておこう。


 あれこれ理由を探ってしまうのは、ミステリを読んで育った影響の悪い癖だ。


 三田に原稿を渡してしまっているが、指摘されたことについて考えることはできる。自作について反省してノートにまとめて時間を過ごすことにした。


 集中していると、時間が経つのは早い。部活の時間が終わろうかという頃、三田が俺のところに再びやってきた。


「ギリギリ部活の時間内で最後まで読めたッス!」


 ということだ。そうして、原稿を返してくれながら、


「筋立てとかはいいんすけど、やっぱり、キャラッスね。動きが作為的なんスよ」


 氷室と同じような感想を告げる。


「ありがとう」


 わざわざ最後まで読んで感想も伝えてくれた後輩には、しっかり感謝を示さないとな。


「どういたしましてッス!」


 にこやかな笑みを浮かべて三田は応じ。


「あ、週末の件はまた連絡するッスね!」


 そう言って席に戻り、荷物を纏め始める。

 俺も原稿を鞄にしまい、帰り支度を始めることにした。


 なんだかこちらをうかがうような視線を、応接セットから感じながら。

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