第7話 最初で最後の告白

僕は病院を出るとうつ向いたまま重い足取りで歩き始めた。

雲が広がっている薄暗い夜道が僕の心をうつしているかのようだった。

暗いもやの中を一人無心で歩いていると、少しずつうっすらと辺りが明るく照らし出され僕の足元に影を作り出した。

僕はゆっくり視線を空へ移していくと雲の切れ間から少し欠け始めた月が顔を覗かせていた。


「月詠さんを連れて行ってしまった…」


優しく…美しく照らしている月詠さんが好きだと言っていた月を、僕はこの時ばかりは恨めしく思ってしまっていた…。


痛い…痛い…苦しい…胸の奥をえぐられるような鈍い痛み。

頬を伝う涙の冷たさ。

うまく呼吸ができない…。

僕は僕のなかで渦巻いている苦しみや哀しみ、

悔しさや痛みの思いを全て吐き出して叫んでしまいたい衝動をなんとかこらえていた。

覚悟はしていた…はずなのに…

こんな…こんなにも痛さを知るくらいなら…

この日々もこの想いも…全部…


―君と出逢わなければ―


そんな気持ちが胸を締め付けた。


最後に感じた月詠さんの手の温かさを包み込むようにぐっと手を握りしめ涙で霞む視界のなか家路を辿たどった。


翌日から梅雨入りした…。

月詠さんをうれい降り続く雨は、僕の心そのものだった。

僕は通夜にも葬式にも顔を出すことができなかった。

月詠さんのいなくなった世界を否定したくて必死に何も変わらない日常を生きようと仕事に没頭した。

TwitterをひらくこともLINEの月詠さんの名前を見ることもなく携帯をさわることさえ躊躇ためらう程の日々を過ごしていた。


梅雨が明けジリジリと焼ける暑さが訪れても

解放感で街も人も浮き足立っていても

僕の心は少しも晴れなかった。

何を見ても聞いてもまるでいろを失くしたこの世界は何一つ僕のこころに響かない。


ドォーン…

仕事の帰り道、打ち上げ花火が夜空を彩った。

「夏になったら一緒に花火を見ましょう」

そう交わした約束に月詠さんの姿を探し手を伸ばしても…その手が月詠さんに触れることはもう二度と無い…。


月詠さんに逢いたい…

そんな想いが頭をかすめては消えていく…

そんな毎日の繰り返しだった。



夏の終わり夕暮れ時、ひぐらしの声が響く頃、

僕の元に手紙が届いた。

綺麗な桜色をしたその封筒を郵便受けから取り出すと部屋のなかへ急いだ。

明かりに照らされ映し出された差出人の名前に覚えはなかったがなぜか僕の胸は軽く騒ぎ出していた。

丁寧に封を開けると中には2通の便箋が入っていた。

一つ目の便箋には封筒の差出人の名前が記してあったので先にそちらを読むことにした。


―拝啓

 突然のお手紙で申し訳ありません。

 千鶴の姉の静音しずねと申します。

 先日は突然のお呼びだしにも関わらず千鶴の最期さいご

 看取って頂き誠にありがとうございました。

 千鶴が穏やかに眠りゆく姿を見ることができ、

 海翔さんには本当に感謝しております。


 今日このようなお手紙を出させて頂いたのは先日、

 千鶴の遺品を整理していたところあの子の1番大切

 にしていた本の間に挟まれたあなた宛の手紙を見つ

 けたからです。

 海翔さんに出せずにあの子の心に閉まった想いを勝

 手に伝えることに随分悩みましたが、

 最後に残したあの子の気持ちを知って欲しく誠に勝

 手ながらお手紙を書かせて頂きました。

 海翔さんには随分お辛い経験をさせてしまったこと

 心から申し訳なく思っております。

 本当にごめんなさい。

 最後のままです。

 どうか千鶴の想いを読んでやって下さいませ。

 それではお体に気をつけて

 海翔さんのこれからの幸せを願っております。

                   敬具



僕の胸が熱くざわめき出した。

「すーっ」 !!

 ゲホッ ゲホッ

僕は呼吸をするのを忘れていたらしい。

急に吸い込んだ息でむせ返ってしまった。

「落ち着け、落ち着け!」

僕は何度も自分に言い聞かせ深呼吸をした。

震える手でもう一通の便箋を手に取り静かに…そしてとても慎重に手紙を開いた。

中に、一枚の写真が挟まっていた。

花瓶に飾られた綺麗な桜の花の横でとても無邪気に笑う女性…

髪には僕が贈った桜の髪留め…


月詠さんだー


久しぶりに見る月詠さんはやっぱりとても美しく、そしてとても可愛らしかった…。

込み上げてくる感情を何とか抑え、

僕は一度目を閉じもう一度深呼吸したあとでゆっくり目を開けた。



―親愛なる海翔様

 

 男の方にお手紙を書くのは初めてなので少し緊張し

 ております。

 こうして形に残るものを書くことに躊躇ためらいはありま

 したが、私を受け入れてくれた海翔さんにどうして

 も私の気持ちをお伝えしたく筆をとりました。

 先の長くない私は誰かと深く関わることをしないよ

 う心に決めておりました。

 しかし海翔さんと出逢い海翔さんの優しい言葉の

 数々に心惹かれ、もっと海翔さんを知りたいと思う

 ようになっておりました。

 短い人生でも恋を知ることができ本当に幸せでし

 た。

 海翔さんの毎日の投稿に同じ景色を共に見てるかの

 ように心弾ませておりました。

 海翔さんを想う毎日がこんなに充実していて、日々

 を楽しく過ごせたのは初めてでした。

 私のことを話した時に海翔さんが私から離れていく

 ことを覚悟しておりましたが、海翔さんはこんな私

 と共に寄り添って生きてくれると言って下さり本当

 に涙が出る程嬉しかったです。

 海翔さんが逢いに来て下さった時もとても緊張しま

 したが優しい海翔さんの温かさに触れ本当に…本当

 に素敵な想い出を作って頂き私の夢が一つ叶うこと

 ができました。

 本当に幸せな時間をありがとうございました。

 

 先立つことが分かっていながら海翔さんの優しさに

 甘えてしまったことお許し下さい。

 おそらく私は最初の私の投稿に対する海翔さんから

 の初めてのお言葉に恋に落ちてしまっていたと思い

 ます。

 本当に素敵な言葉を下さりありがとうございまし

 た。

 いつまでも大切に胸にしまっております。

 ずっと…直接は言えませんでしたが…

 

 私はあなたのことが大好きです。


 私のもう一つの願いはこの先私がいなくなったら

 海翔さんには本当に幸せな人生を歩んでいって欲し

 いということです。

 どうかこの願いが叶うように私は月となり見守るこ

 とができたらそれが私の幸せです。


 海翔さんに出逢えて本当に良かったです。

                

                 月詠

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