第6話 突然の一報

5月に入り少し汗ばむ日が続いた。

日々の仕事に追われながらも月詠さんと過ごしたあの日がまだ鮮明に僕の胸に焼き付いていて僕の背中を押してくれる。


―頑張れと…―


大切な誰かの存在がこんなに心強く僕を生かせてくれる。

月詠さんとのやり取りに胸を踊らせ、

月詠さんを想う毎日が続いた…。


そんな僕の気持ちとはうらはらに5月も終わりに差し掛かった頃、月詠さんの投稿がとまった…。

既読のつかないLINEメッセージ…。

なぜか胸のあたりのモヤモヤが色濃く僕の不安を大きくした。

「大丈夫。きっとまた笑顔で戻ってきてくれる…」

僕は何度も自分に言い聞かせ月詠さんの無事を祈った。


月詠さんの帰りをただひたすら待ちわび元気な姿を強く願っていたある日…

一本の電話がかかってきた。

珍しく仕事が順調に進み早く帰宅できそうなそんな日だった。

取引先からの帰り道、突然その電話は鳴った…。

「え!!月詠さん?」

月詠さんのLINEからの電話だった。

僕は慌てて通話ボタンを押した。

「もしもし…。」


「もしもし…海翔さんの携帯でよろしかったでしょうか?」

…あの日の月詠さんの声とは違う聞き慣れない女の人の声だった。

「突然の電話申し訳ありません、千鶴の身内の者ですが…。」

どくん…大きな音を立てて僕の心臓は揺れた。

冷静さを失わないよう丁寧に話し出すその声の端々はしばしにただ事ではない緊張感が漂っていた。

僕はにじんでくる汗で携帯を落とさないよう強く握り締め直し電話の声に耳を傾けた。


「千鶴が…。」


目の前の世界が一瞬にして影を落とした。

頭のなかの思考回路がうまく繋がらず話の半分も入ってこなかったが、月詠さんの容態と月詠さんのいる病院だけは何とか記憶に残すことができた。

僕は会社へ連絡しそのまま駅まで走り一番早い電車に飛び乗った。

電車のなかの雑音も窓を流れていく景色も何もかもが異世界のことのように僕の周りだけが無だった…。

音もなく色もなく何もない世界で僕はただひたすら月詠さんのいる町の駅に到着するのを待った。

早く着いてほしい…でもその反面現実を受け入れられる準備なんて何一つできていなかった。

ただ、月詠さんがあの日のように笑顔で僕を見つけてくれる…そんなはかない希望だけが今の僕を突き動かしていた。


駅に着くと電車を降りそのままタクシーに乗り換えた。

行き先だけを告げ僕は窓のほうを向き黙り込んだ。

僕の心があの日とはまったく別の世界に来たかのような錯覚すら感じる…そんな景色が目の前をただ通り過ぎていくだけだった。


病院の玄関近くでタクシーを降りた。

はやる気持ちはあったが一歩を踏み出すのにとても勇気がいった。

僕は少し震える足で玄関の自動ドアを抜けた。

少し混乱する頭でも何とか記憶をたどり、電話で聞いた月詠さんの病棟へと向かった。

エレベーターを降り少し進むとナースステーションが見えてきたが、慌ただしく動き回る看護師さんに声をかけるのを躊躇ためらい僕はその前を素通りして病棟奥へ進んでいった。

病室が曖昧で思い出せない…。

僕は、月詠さんに会いたい…でも怖い…僕なんかが行ってもいいのだろうか…色んな感情が心のなかで渦巻いて歩みが止まり途方に暮れかけていたその時、


「もしかして…海翔さん…ですか?」


ふいに後ろから声がした。

振り向くと華奢な体つきや顔の輪郭などがどことなく月詠さんに似ているとても綺麗な女の人がこちらへ向かっていた。

「あ…はい…あの…もしかして電話の…。」

僕はたどたどしい言葉でそう返事をするのが精一杯だった。

「来て下さったんですね!初めまして千鶴の姉です。衝動的にあなたにお電話をしてしまい申し訳ありませんでした。」

女性が深々と頭を下げた。

「いいえ!呼んでくれて感謝してます。どうか頭をあげて下さい。」

「病室が分からないのではないかと…少し様子を伺いに…会えて良かったです。」

僕はりんとした強さで気丈に振る舞うお姉さんの姿に一縷いちるの望みを託し、促されるまま月詠さんの病室へと入って行った。

真っ白な世界の中央に様々な管に繋がれて横たわる女性が目にはいってきた…。

目を閉じたまま微かに聞こえるだけの浅い呼吸の音…。

月詠さんだ…。

僕の胸は張り裂けそうだった。

ただ月詠さんを見つめ、

時間が止まってしまったかのように僕はその場を一歩も動けずにいた…。


ベッドの横に少し憔悴しょうすいした感じの…多分月詠さんのご両親だろう…少し戸惑いを見せる彼等に月詠さんのお姉さんは軽く事情を話し少しの間、席を外してほしいと頼んでいた。

ご両親は僕に軽く会釈をし、僕もそれに答えて彼等は病室を後にした。


「どうぞ…千鶴の側にきてやって下さいますか。」

優しく促されるままに月詠さんの枕元へ行き、そっと手をとった。


何か握られている…?


そう思っていると…

「あなたからのプレゼントみたいですね。どうしても側に置いておきたいと…。」

お姉さんが応えてくれた。

僕があの日贈った桜の髪飾りだった…。

僕は静かに月詠さんの手を握った。

あたたかい…。

あの日繋いだあの感触と何も変わらない…。


「千鶴は…今夜がもう…先ほど鎮静剤で…。」

お姉さんは月詠さんの病気のこと、僕とのやり取りも月詠さんから聞いていたこと…月詠さんの想いなどを…静かに話してくれた。

僕はこみ上げてくる涙を必死にとどめ月詠さんへ語りかけた。


「月詠さん、会いに来ました。

新緑の散歩でも…紫陽花や花火大会でもなく…ましてや月を見ながらお酒を飲む…そんな約束の日では…ありませんが…あなたに…会いたくて…来てしまいました…。」

いつの間にか涙が頬を伝っていた。

「月詠さんと出逢い、月詠さんは…僕の世界を変えてくれた…僕の世界に…いろをくれた…。

あなたと見たい景色が…まだ沢山…あなたとの約束も…あなたの夢も…もっと叶えてあげたい…

一緒に未来を…生きたい…。」

かすれる声で想いのたけを月詠さんへ伝えた。

月詠さんの指が微かに動いた気がした…。

うっすらと涙を浮かべ苦しみの色が消えたように穏やかに眠る月詠さんの呼吸が今にも消え入りそうだった…。

壊れないように握った手に少しだけ力を入れた。

「月詠さん…逝かないで…。」

どうか、月詠さんを連れていかないで下さい…

僕は心のなかで何度も叫んだ。

「つく…千鶴さん…千鶴さん…!」

月詠さんにつけられた心電図のモニターのアラーム音が鳴り響いた。

お姉さんが廊下で待つ両親を呼びに行き戻ってくると月詠さんのベッドを囲み涙を流し口々に千鶴さんの名前を呼んだ。

僕はその場を少し離れた。

同時に病室のドアから医師と看護師が数名入ってきて病室内が少し慌ただしくなった。

その波に逆らうかのように僕は直視できない現実とこの場にとどまれない衝動で静かに病室を出た。

溢れ出る涙を拭いゆっくり歩き出した瞬間、病室のドアが開きお姉さんが顔を出し僕に言いそびれた事をいくつか話してくれた。

月詠さんにTwitterを薦めたのはお姉さんだったことや写真のいくつかは病室で待つ月詠さんの為に撮ってあげてたものだったこと…

そして月詠さんの気持ちを後押ししたのも自分だったと…

お姉さん達は月詠さんの長くない人生の最期さいごの心の準備ができていて少しでも月詠さんの願いを叶えてあげたいと僕とのやり取りを楽しそうにしていた姿を静かに見守っていたと…。

結果、僕に辛い思いをさせてしまったと何度も頭を下げられた…。

「僕は…千鶴さんと少しの間でも時間を共有できたこと…幸せに思っています。」

そう伝え僕も深く頭を下げその場を後にした。


「海翔さん、来てくれて本当にありがとう。」

僕は振り返り少し会釈してまた歩き出した。

病室のドアが閉まる音と共にお姉さんの泣き声が響いてきた…。

僕は振り返ることなく消灯をとっくに過ぎて少し薄暗くなった病院の廊下を音をなるべくたてないように足早に玄関へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る