第5話 逢瀬

4月某日―とても良く晴れた気持ちのいい朝だった。

僕は緊張のあまり殆ど眠ることができずに若干ぼーっとした頭を熱いシャワーで目覚めさせ、身支度と本日のスケジュールに全精力を注いだ。

「やっぱり緊張するなぁ…」

左胸に当てた手が脈打つ鼓動と共に震えているのを感じる。

僕は熱いコーヒーとトーストで軽めの朝食を済ませ少し早めに家を出た。


今日の日のため、わざわざ実家へ帰り車を借りてきた。

普段、通勤も買い物も自転車か電車移動だったので車を運転するのは久しぶりだった。

ギアをいれる左手も、ハンドルを握る手もいつも以上に力がはいり少し汗ばんでいた。

はやる気持ちを抑え安全運転だけを心がけ目的地を目指した。

事前のやり取りで月詠さんの住所は聞いていた。

僕はカーナビにその住所を設定し車を走らせていた。

僕の住んでいる街から2つほど県をまたいだ所に月詠さんは住んでいた。


少しずつ近づくにつれ月詠さんに逢える嬉しさと恋しさの気持ちが大きくなる一方で僕を見てガッカリしないだろうか…という不安感も強くなっていた。


少しの休憩を挟みながら二時間半程で目的地へ辿たどり着いた。

「約束の時間までまだ少しあるな…」

僕は待ち合わせ場所から程近いコンビニの駐車場でひと息つくことにした。

月詠さんの最近のツイートを読み返しながらシートにもたれ掛かり静かに目を閉じた…。


―ピンコーン…。

LINEの通知の音で目を覚ました。

「は!ヤバイ寝てしまってた…」

僕は慌ててLINEをひらいた。


「到着しました。カイトさんはもう着いていらっしゃいますか?」


「ごめんなさい…今、近くのコンビニにいます。すぐ向かいます。」


約束の時間を20分ほど過ぎていた。

僕は慌てて車を走らせた。

待ち合わせ場所には5分もかからず辿たどり着いた。

図書館や体育館などがある町の複合施設の駐車場だ。

目印になりやすいからと月詠さんが指定してくれた場所だった。

車を停め少し辺りを見渡してみると少し離れた所にある銀杏いちょうの木の下にそれらしき女性が立っていた。

線の細い華奢きゃしゃな体つきは遠目からでもよく分かる…。

風になびく髪を軽く手で押さえ視線を右から左へと移すその所作しょさがあまりにも綺麗でしばし見とれてしまっていた…。

彼女の視線がこちらを向き、僕の姿を捉えたタイミングで僕は月詠さんのもとへ駆け寄って行った。

緊張気味に視線を交わし合い、

「あ…初めまして…。」

僕らは初めて直接言葉を交わした。


透き通るほど白い彼女の肌に少し驚いてしまったが…月詠さんはとても綺麗な人だった。

僕は尚更緊張してしまいうまく言葉が出てこなかったが、何とか車までエスコートすることができた。

「今日はわざわざ遠くから来て頂き本当にありがとうございます。」

彼女の声もまた透明感があり耳にとても優しく響いてくる素敵な声だった。

何を話したかも忘れてしまう程、左側を駆けめぐる血流の速さで体温が上昇し水蒸気でゆらゆらと揺れる蜃気楼しんきろうのような夢見心地ゆめみここちのひとときだった。

彼女の話す言葉もはにかんで笑う横顔もとても愛おしく感じた。

僕らはしばし他愛のない話に花を咲かせながら目に入る景色もオーディオから流れてくるラジオのBGMも二人の空間を満たす演出かのような心地よいドライブを楽しんだ。


目的地に着くと車を駐車場へ停め外へ出た。

まだほんの少し冷たさを含んだ4月の風は心地よく頬をかすめていって少しだけ僕の緊張を和らげた。

花見シーズンを少し過ぎたとはいえまだちらほら人手も見えるここは月詠さんお薦めの地元民穴場スポットらしい。

山の上にあるせいかまだまだ見頃な桜が綺麗な景色を織り成していた。

「わぁ…。」

隣を歩く月詠さんから思わず出たであろう感嘆かんたんの声が微かに聞こえてきた。

僕は彼女のほうへゆっくり視線を移した。

桜にみとれ少し頬をあからめて微笑むその横顔に僕の心は一瞬でとりこになった。

目を反らすことができない程、彼女は美しかった。

僕は今までの人生でこれほどまでに心を奪われたことはなかった。

何よりも月詠さんといるこの空間が僕へのご褒美のように、ゆっくり流れる時間に酔いしれた。

桜よりも月詠さんにみとれていた僕のほうへふいに月詠さんが顔を向けた。

「私、ここの桜が大好きなんです。海翔さんと一緒に見ることができて本当に嬉しいです。」

心なしか、はしゃいでも見えるその姿がとてと可愛らしく僕は自然と笑顔になっていた。

「本当に綺麗です。月詠さんがいると更に絵になります。」

僕は指でフレームを作りそこから月詠さんと桜を覗き込むポーズをして見せた。

「ふふふ…。」

「はは…。」

二人は同時に笑い出した。

なんてこと無い日常のひとコマのようなこの時間も二人にとってはかけがえのない大切な一頁になっていた。


―時間よ止まれ―


心の底から願うほど愛おしいひとときだった。


ふと風が桜の間を吹き抜けた。

「あ…」

桜の花びらがひらひらと舞い踊り月詠さんの髪にとまった。

緊張で震え出しそうな手を気づかれないように努めて平静を装い僕はそっと彼女の髪から花びらをすくい上げた。

「髪に…。」

僕はそう言葉を絞り出し月詠さんの手のひらに花びらを置いた。

月詠さんは少し照れた表情で、

「ありがとうございます。可愛い花びら。」

そう言ってハンカチの間に大切そうに花びらをしまった。


―初めて月詠さんに触れた。


波打つ鼓動が僕を急かすように僕は勇気を振り絞り左手をそっと彼女の右手の前に差し出した。

「少し歩きませんか?」

「…はい。」

少し照れた月詠さんはそっと優しく僕の手を握り返してくれた。

僕の左手はその瞬間とても大切な何かを手に入れた特別なものとなった。

月詠さんの優しい気持ちが僕の体に入り込み血液に乗って循環し僕の心は温かい気持ちで満たされた。


どのくらい歩いたか…。

本当はそんな時間は経ってはなかったけど

歩幅を合わせて歩く二つの足跡、寄り添う影…そして繋がれた手に永遠の瞬間ときを感じながら僕らは少しの談笑と共にピンク色に染まったこの世界を楽しんだ。


「少し休憩を…。」

僕らは空いているベンチに並んで座り月詠さん手作りのクッキーとミルクティーをご馳走になった。

「幸せだなぁ…」

思わず声に出してしまいそうなつぶやきを慌てて飲み込み代わりに僕のできる最大限の笑顔を作り

「ありがとう。ご馳走さまでした。」

そう言うのが精一杯だった。

少し頬をサクラ色に染め微笑み返してくれる月詠さんにまた心を射ぬかれた。


僕らはもう少しだけ散策を楽しんでから車へ戻った。

お昼を少し過ぎたあたりだった。

ドライブをしながらご飯やさんを探し月詠さんの地元の名物が食べれらるというお店で遅めの昼食をとった。

幼少期の頃の話、学生時代の思い出、お互いのツイートの話題など…話下手な僕だったが月詠さんを笑顔にしたくて僕は一生懸命がんばった。


楽しい時間はあっという間だ。

お店を出て車に乗り込み、月詠さんの体調のこともあるので僕はそのまま月詠さんを送ることにした。

途中で見つけた小さな雑貨屋に寄り、遠慮する月詠さんをよそに今日のお礼として桜の髪飾りをプレゼントした。

僕のささやかな気持ちであり今日という日の記念にどうしても贈りたかった。

月詠さんは申し訳なさそうな顔をしたが少し笑顔をのぞかせて受け取ってくれたその姿は一生忘れないだろう。

僕の宝物がまた一つ増えた。

色んな初めてを彼女は僕にくれた。

僕は二人の時間を止めたくなくて月詠さんと色々な約束をかわした。


―新緑の季節にまたゆっくり散歩でもしませんか。

―そうだ!梅雨の合間に紫陽花を見に行きましょう。

―夏には夜空に咲く花火を一緒に見ましょう。

―秋のお月見にはお酒を飲んで語り合いましょう…。


月詠さんは僕の話を静かに微笑みながら聞いてくれた。

ずっと続く約束を胸に僕らの今日は終わった。

僕は帰宅すると今日撮った写真を投稿した。


桜の樹とその下に寄り添う影二つ

―やっと出逢えた…

 今年の桜は今までで一番綺麗な桜でした


月詠さんも投稿していた。

―とても温かい優しさに触れた今年の桜

 淡いピンク色の可愛らしい花びら達が

 はらはらと舞い散る様に想いを馳せ

 願いを込めました


僕の願いはただ一つ…。

月詠さんと少しでも長く人生を共にしたい…。

僕はそんなことを思いながら眠りについた。

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