泥棒市場と代筆屋 Ⅰ ―代筆屋アリエッタ―
仲間と離れて単独行動に入る。
私は、首都オルレアの中でも、少しいかがわしい連中の集まりやすい商業地区の片隅に足を踏み入れた。
――泥棒市場――
そう呼ばれる場所で、中古品や古物の売買で盛り上がっているエリアだ。
美術品、衣料品、アクセサリー、家具、古書、武器、その他様々な品々が軒を並べている。
広い道路の左右に店が並び、日よけのテントが広げられている。固定の店舗を持っている商人もいれば、露店に布を敷きその上に品物を広げている流しの行商人もいる。
その中に女性向けのペンダントやイヤリングを並べている若い男性が居る。彼が私に声をかけてきた。
「お嬢さん、見ていかない?」
私もチラリと視線を向ける。彼が並べている品物は手入れが行き届いていて、使われている宝石やビジューもとても綺麗に輝いている。
でも、
「ごめんねちょっと行くところがあるから」
私はやんわりと断わった。
ルビーなどは本物とは微妙に輝きが違う。ガラス玉に加工を施したものだろう。素人は騙せるか、悪いけど私はこういうのは散々見なれている。
「後でまた寄るわ」
私は世辞を言ってその場を後にした。
こういう場所ではスリや窃盗、盗品の売買なども横行しやすい。黒い制服を身につけた軍警察の警らの人間が行き来し、私の視界の片隅で一人のスリ師を捕まえたところだった。
「ご苦労様です」
彼らとすれ違いぎわに労いの言葉をかける。私が誰であるのか、すぐに察したのだろう。軽く敬礼をして彼らとすれ違う。
そこからさらに歩き古書や古い時代の巻物文献を取り扱っているエリアに来る。歴史の古い店が多く、一つ一つの店は間口が狭いものの、展示されている品物は店の奥の奥までぎっしりと詰まっている。
そういった店のあいだにある脇路地をさらに入っていく。
ここまで来ると客足は少なくなり、周囲にいるのは学者関係か訳ありの人物だけになる。
そして、脇路地を一番深いところまで行ったところに小さな看板をつけた扉がある。
【代書、翻訳、承ります】
そう記されているだけで店の名前も住人の名前もない。だが私はそこを勝手知ったる風に中へと入っていく。
――カラン――
扉につけられた小さな鐘が来客を知らせる。
「いらっしゃい」
店の奥から少し年かさの行った女性の声がした。
店の中には足の踏み場もないくらいにうず高く木箱が積まれている。木箱の中には古書や文献がいっぱい。周囲の壁にも本棚があり、そこにも大量の本が並んでいる。
店の一番奥に大柄な机がある。そこだけ綺麗に整理されていて店主の居場所となっていた。
そこに少し傷んだ赤髪の長髪の痩せたシルエットの女性が椅子に腰掛けている。
着ているのはビロード地の濃紺のワンピースドレスで、目元には丸いレンズのトンボ眼鏡。
手にしているのは革張りの恐ろしく古い時代の古文書だ。
彼女は古文書から視線を離さずにさらに答える。
「何の用? 代書? 翻訳?」
事務的な答え方に私は苦笑いしながら言った。
「相変わらずねアリエッタ」
私の声に来客者が誰であるのか気づいたのだろう。古文書を閉じて顔を上げた。
「ルスト?」
「お久しぶり」
「本当に久しぶりね。ここ最近、顔見なかったけど元気だった?」
「ええ、色々と任務をこなしながら楽しくやってるわ」
「そりゃいい。忙しいことはいいことさ」
私はこの店に来る道すがらで買った、砂糖のたっぷりかかった菓子パンを彼女へと差し出す。
「これお土産」
「悪いね。でもちょうど良かった、まだ朝飯食ってないんだよ」
「相変わらずね。食事を後回しにするのは」
「学者の性ってやつだよ。自分が何か夢中になれるものがあると生理現象すらめんどくさくなるからね」
「お風呂とかちゃんと入ってるの?」
「もちろんそこまでは手は抜いてないよ。何しろこれでも客商売だから、臭いのは一番敬遠されるからね」
そう言いながら彼女はにこやかに微笑んだ。椅子から立ち上がると店の奥の簡易的な炊事場へと向かう。
「待ってて、今お茶入れるから」
「ありがとう」
私は彼女が戻ってくるのをじっと待った。
――アリエッタ・ビーンゼルガー――
元々はこの国の最高学府であるドーンフラウ大学で言語学者をしていた才女だった。だが現在ではご覧のとおりのありさまだ。
これには理由があるのだが。
温かい湯気の立ち上る陶器のカップを二つ手にして、彼女が戻ってくる。机を間に挟んで向かい合わせに座る。彼女からカップを受け取って黒茶を一口味わうと彼女との会話が始まった。
「それで? 何の用? あたしでないと分からない事?」
「察しがいいわね。その通りよ、あなたに見てもらいたいものがあるの」
そう言いながら私は懐から革製のケースに入った一通の燃えかけの書類を取り出した。
「これよ。この文章が一体何なのか? 取っ掛かりだけでも知りたいの」
「えー? なに? 面倒くさいものじゃないでしょうね?」
基本的に彼女は面倒くさがり屋だ。自分の守備範囲の外の事は一切興味がない。着る物もいつ見ても代わり映えしない。頬っておくと何時までも同じものを着るタイプの人間だ。
私が出した書類に目を通すと、彼女の表情が見る見る間に険しくなる。
長い沈黙の間、何度もその書類に視線を走らせていたが、大きく息を吸い込んで深い溜息を吐いた。
「はぁあああ……、あんたってどうしてこういう面倒なのを拾ってくるのよ」
そう言いながら自分の額に手を当てると、自分の髪を掻きむしっていた。
「これとびきり厄介なやつじゃん!」
彼女の反応に戸惑いつつも私は尋ねる。
「どういうこと?」
私の問いかけに彼女は冷静な面持ちで言った。
「これは〝人工言語〟だよ」
「人工言語?」
問い返す私に彼女は頷いた。
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