泥棒市場と代筆屋 Ⅱ ―老鼠語と黒鎖―

 私の親友であるアリエッタは言う。


「人間が使う言葉の成り立ちには二つのタイプがあるのは知ってるね?」

「うん。〝自然言語〟と〝人工言語〟ね?」

「そう」


 アリエッタはカップの中の茶を一口飲むと再び語りだした。


「人間が歴史的背景や民族的な成り立ちを由来としてごく自然に生まれたのが自然言語だ。それに対して、組織的な必要性や社会事情により意図して生まれたのが人工言語」


 私は彼女に渡した文書に視線を向けながら。


「その文書の文字がそうなの?」

「ああ、そうさ。それもとびきり厄介なやつだ」


 彼女は一枚の紙とペンを取り出すとその上にある文字を書き始めた。


【老鼠語】


「〝ラオシュー〟って読む、ネズミの意味でね、物陰でネズミがこそこそチューチューと鳴き声をあげるように人目を避けて情報を伝えるために作られた言葉だ」

「情報伝達の暗号のための言語?」


 アリエッタは頷いた。


「そう。見た目は一見、アデア大陸の大半で公用語として用いられている漢語に大変よく似ているけど。よくよく見ると書き方が微妙に違う。一般的な漢語字と、老鼠語としての読み方や意味は全く違うんだ」


 そう言いながら彼女は文書を私へと返してくる。


「一般の人間に見られてもその意味は全くわからない。逆を言えばある特定の集団の身内の人間にしかその文字の本当の意味は伝わらない。そして、その文書を正しく読めるということ自体が、結社や組織の身内であることの証明になるって訳さ」

「つまり、これを用いている組織の数だけ、老鼠語が複数存在するってこと?」

「そういうこと。当然ながら門外不出であり、外部の人間が知ることは絶対に許されない。本来ならばこんな風に燃え残りで世の中に出てくること自体がありえないんだよ」


 私はこの文字に込められた〝厄介さ〟がいかに深刻なものなのかよくわかった。


「では、この文章から出所を探る事は無理ってこと?」

「そうれはどうかな? その老鼠語の種類にもよるね。我がフェンデリオルの東で国境を接しているフィッサール連邦、歴史の古い国で実に様々な秘密結社や同族組織が跋扈している。大半はそれぞれの老鼠語は秘伝として外部に明かしていないが、最近になりそのうちの一部が外部に流出し始めてる」


 彼女が言葉を慎重に選んでいるのがわかる。私は焦ることなく彼女の言葉を待った。


「ルスト、〝黒鎖ヘイスォ〟って連中知ってるかい?」


 やっぱり、それか。

 彼女の言葉に私ははっきりと頷いた。


「知ってるわ。この国で治安活動に関わっているならいやでも顔を合わせることになる連中よ」

「それなら話が早い。その老鼠語は黒鎖が情報伝達のために使っているものさ」

「情報伝達? 暗号伝文ってわけね?」

「そう言うこと。そもそも〝黒鎖〟は数百年以上前からアデア大陸の港湾地域で活動していた秘密結社だ」


 それは黒鎖と言う組織の由来についてだった。


「本来は港湾地区で働く肉体労働者の互助組織として生まれた組織だ。だが社会の変化とともに犯罪行為にも手を染めるようになる。そして彼らが扱うようになった商品はよりにもよって〝人間〟だった」


 私はあることを直感する。


「人間――、つまり奴隷?」

「その通り。フィッサールは身分制度が非常に厳格で、上から王族、貴族、軍属、一般市民と続く。そしてさらにその下にいるのが非人などとも呼ばれている奴隷階級だ」


 その言葉に私の部隊のある人物の顔が浮かんだ。


「知ってるわ。私の知り合いにフィッサール出身で元奴隷と言う人がいるから」


 アリエッタは驚いたような表情をしていた。


「元? すごいね、よく身分解放してもらえたものだ」

「かなり苦労したみたいだけどね」

「だろうね」


 彼女の話は続く。


「黒鎖はフィッサール国内、特にアデア大陸本土で活動していた。奴隷の売買、管理、処分、そして屠殺、さらには逃亡した奴隷の取り締まりも彼らの役目だった。彼らはフィッサールの民族社会において必要悪とされ続けてきた。彼らがいないとフィッサールの社会は成り立たなかったのさ」

「それが状況が変わってきたのね?」

「そうだ。きっかけはフィッサールの四つの連邦国家を収める4大皇帝が連名の国家勅令として発した『奴隷解放令』だ。世界中の様々な国において奴隷の保有を考え直そうという機運が高まってきたのを受けての決断だった」


 今の国際社会における状況の変化、それが全てのきっかけだった。

 それにしても、アリエッタの博識ぶりにはいつもながら舌を巻く。こういう社会の裏側の代書屋のようなことをしているが、一人で仕事をしているからこそ情報の重要性を肌で理解しているのだろう。


「何より、大事件が起きた」

「大事件って?」

「それはね、フィッサールの国家的英雄と言っても過言ではない大陸武術の覇者である〝龍の男〟の称号を持つ人物の国外逃亡さ」

「あ!」


 私は思わず声を上げた。どう考えてもパックさんのことだからだ。


「どうしたの? ルスト?」

「え? 自分の知ってる事件の事だったんで」

「知ってるんだ、龍の男の逸話」

「えぇ、奴隷階級なのにフィッサール連邦最高の武術の位を極めて。にも関わらず、身分開放が認められなかったために国外逃亡したって話でしょ?」

「そうそう、それ。自らの奴隷という身分が永遠に変わらないと悟った彼は、将来に絶望して国を捨てて失踪してしまったんだ」

「国家最高の武術家の実績を持ってしても駄目だなんておかしいよね」

「まったくだ。当然、奴隷階級の者たちにはさらなる絶望感が広がることになった。龍の男ですら無理なのか? ってね」


 知ってる。それはやっぱり、うちの部隊の武術家のパックさんの事だ。彼ほどの人物でも国の外に出なければ身分解放は果たせなかった。それほどまでに難しいのだ。


「そしてそれは、度重なり勃発する奴隷反乱をより加速させた。過酷な取り扱いに耐えかねて死を覚悟で暴動を起こすんだ。焼き討ち、略奪、破壊、農地放棄――、破滅を覚悟で破壊に走るんだよ。その度に甚大な経済的被害が出る」


 人として生きたい。しかしそれはかなわない。ならば、いっそ――と言うわけだ。

 その出来事が引き起こした結果を彼女は口にした。


「そして皇帝たちは議論を重ねた末にやっと認識したのさ。『今の世の中に奴隷はいらない』ってね」


 一気に話して彼女はカップの中の茶をすすった。カップの中を飲み干し、喉を潤してさらなる話を続ける。


「ところがこれに困り果てたのが黒鎖だ。自分たちにとって最大の利益になっていた奴隷が社会から姿を消すんだ。このままでは組織は成り立たない。そこで彼らは考えたのさ。〝祖国を捨てて海外に出よう〟ってね」

「組織存続のための海外進出?!」

「そういうこと。そして一番簡単に来れるのが我がフェンデリオルだったってわけさ。今ではフェンデリオルだけでなく北のジジスティカン、南のパルフィア、そして、ヘルンハイトと様々な国にその手を伸ばしている。その黒鎖の組織の中で情報伝達手段として用いられるのが、あんたが持ってきたその文書ってわけさ」

 

 なんとも迷惑極まりない話だ。大人しく組織を解散させていれば良いものを。

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