第12話 のるかそるか、それは問題だ ④



 もう六月だというのに、いまだに私には仕事がない。そんな毎日にも、さすがに慣れてきている。平和が一番。


「松島先生さ、傘、持ってきた?」


 堀川先生が、チョコレート置き場から一掴みチョコレートを持ってきて、机に置いてくれた。え、いらないですけど・・・。


「いいえ、え? 雨降ってます?」


「うん、ザンザン降り」


 堀川先生は、私の机の上にあるチョコレートを、どんどん個包装をむいて、どんどん口に入れていく。え、堀川先生が食べるんだったの?


「どうしよう、傘、持ってきてない」


「ま、いいんじゃない、地下鉄の駅まで走れば」


「先生は持っているんですか?」


「持ってないよ。冬じゃないし、いいかと思って」


 なんて人だ。この外見と中身のギャップについていけない。


 どーーーーーーーん!!!!!


「お、近くに落ちたね」


「カミナリです?」


「どこに落ちたかな」


 嬉しそうに窓に近寄っていく堀川先生を見ながら、私はゾッとした。


 私はカミナリが大嫌いだ。もし自分に落ちたらと思うと、もう怖くて、おちおち外を歩けない。


「堀川先生、そろそろ打ち合わせ、始まるよー」


 どこかからか、声がして、堀川先生が窓から離れた。


「じゃ、ちょっと行ってくるわ。松島先生は、もう時間だから、帰っていいからね。お疲れさまー」


 どーーーーーーん!!!!


 ま、また落ちた!


 私が恐怖に固まっていると、若い保健師さんに声をかけられた。名前、分からないんだけど。


「あれ、松島先生、帰らないんですか?」


「あ、いや」


「今日、堀川先生は、会議でしょ。もう帰っていいんじゃないですか?」


「う、うん・・・」


「もしかして、雷が怖いんじゃないですよね?」


「え、そ、そんな訳ないじゃん」


「そうですよねー? じゃ、お疲れさまですー」


 彼女はさっさと帰って行った。あ、用意いいな、傘持ってる・・・。


 帰らなきゃ、変に思われるよね、あー、帰らないといけないよね・・・。


 何か、正当な理由で残れるといいんだけど。


 そもそも仕事のない新人医師に、正当な理由なんかありそうもない。


 それに、時間が経てばカミナリが止むか、って考えると、それも期待できそうにない。


 諦めて、帰ろ。


 正面玄関にたどり着くまでに、三回、空が光ったのを見た。


 地下鉄の駅まで、走れば一分くらい。


 大丈夫、私の近くに落ちる可能性はゼロだよ。


「あら、松島先生、お帰りですか?」


 ・・・タイミング悪いなあ・・・。


「草尾さん、お疲れ様です」


 相変わらず、ニコニコ、本当に癒される。何で、こんなにほんわかしているんだこの人は。・・・カワイイ・・・。


「先生、傘は?」


「持ってないです」


「じゃあ、一緒に帰りましょう?」


「え」


「かなり降ってますよ、駅まで一緒に行きましょうよ」


「いや、走れば、すぐそこだし」


「どうして? あ、こんなおばさんと相合い傘じゃ、イヤかしら」


「・・・じゃ、お願いします」


 この人、本当に、何も気付いていないよね?


「先生は、おうちはどこ?」


 なぜ、私の個人情報を聞き出そうとするの?


「えっと、あの、なんて言ったら良いんですかね、中央保健所とここの中間地点、的な」


「若松公園のあたり?」


「それよりは、ここ寄り、です」


「あの、タワーマンションが並んでいるあたりかな」


「そう、です」


 なぜ、そんな詳しく特定しようとする?


「そう、じゃあ、逆方向ね、地下鉄」


 ああ、良かった。一緒に帰るとか、ホント、無理だから。


 喋っているうちに、無事に駅に着いた。そういえば、カミナリのことはすっかり忘れていた。


「じゃあ、今度また、お茶でもしましょうね?」


「あ、はい・・・」


 もう、何だかよく分からなくなってきたぞ。


「では、松島先生、ごきげんよう」


 ・・・ごきげんよう?!


「お疲れ様です・・・」


 ああ、とても疲れた。


 ふと気付くと、指先がすごく冷たい。緊張しすぎだわ、私。


 ・・・もう、辞めたいな・・・。

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