第3話 初日の恥はかき捨て ③
四月中旬の某日。
いよいよゴールデンウィークが近づき、何となくそわそわしてしまうのは新人医師とて同じ。
ああ、今年は救外当番もなし、もちろん、日当直もなし。全部マルマルっと休めるなんて、夢のようだ。
「高瀬先生、この『よろしいか決裁』って、何ですかね?」
そして、私の席は、何とも夢のような場所にある。
左は高瀬先生、右は斎藤先生、向かい側は歯科衛生士の林さん。もう目の保養し放題だ。ま、ほとんど林さんは自席にいないけど。
彼女は保育園や幼稚園、小学校へ歯科指導に出掛けて、多くの子ども達の歯を守る活動をしている。
あんな可愛い歯科衛生士さんが歯磨き指導してくれるなら、虫歯なんかになりようがないよねー。
「よろしいかケッサイ? 何のこと?」
高瀬先生は、相変わらずゆったりと首を傾げた。
この人は本当にどこまでもまったりゆったりしている。よくこのスピードで、この時代を生き抜いてきたな、と毎日感心してしまう。
「いや、さっき机の上に、このチラシが置いてあったんですよ」
「チラシ?」
「医師会の研修会」
高瀬先生にみせる。彼女は関心なさそうにちらっと見て、また首を傾げた。
「行くんですか?」
「行かなくてもいいんですかね?」
テーマは予防接種の総論のようだけど。聞きに行ったほうがいいのかと思っていたけれど。
私は、振り返って、青山先生に声をかけた。
青山先生は高瀬先生と背中合わせに座って、結核患者のカルテに何かを一生懸命書き込んでいる。
「青山先生、今、ちょっといいですか」
彼女は中央区の医務主査という役名の雑用係をしている。要するに新人医師のお世話係だ。
「先生、この研修会って行ったほうがいいんですかね? 行くなら決裁とれって、さっき課長さんに言われたんですけど」
青山先生は、手を止めて振り返ってチラシを手に取った。
色気しかない大作りな顔も、グラマラスすぎるスタイルも、保健所より高級クラブの方が絶対似合う。
密かについた渾名はマダム、らしいが、まあ、まさにそんな医師だ。
・・・しかし、彼女は私の大学の大先輩でもある。私としてはとてもマダム呼ばわりなど出来そうにない。
「ああ、それ。興味あるなら、行けば? 子どもの予防接種の相談電話とか受けた時、役立つし。でも、松島先生は無理じゃない? その日、藤野区に挨拶に行くでしょ? 所長とさ」
ああ、そして青山先生は、口を開くと一気にマダム感が失われ、ただの女医に成り下がってしまう。
なんか、色気がない喋り方なんだよなー、何かこう、乾燥しているというか。もっと美人らしく喋ってくれないかな。
「ちょっと! 松島先生、聞いてんの」
「あ、ああ、はい、了解です!」
「聞いてなかったね?」
「・・・多分」
「あ、ちょうどいいわ、高瀬先生も聞いて。あとで斎藤先生にも言わなきゃなんだけど」
そう言えば、斎藤先生、今日姿見てないけど、どこ行ったのかな。
「松島先生! 聞いて」
「あ、は、すみません」
「大丈夫かな、この人」
「松島先生は、ちょっと上の空くらいがちょうどいいんですよ」
高瀬先生、それはもしかしなくても悪口かな?
「ま、いいわ。で、二人の今後の予定だけど、今週の金曜に松島先生、来週の火曜に高瀬先生、それぞれ研修先に挨拶に行くことになってるから、予定しておいて。休む予定はないよね?」
「大丈夫です」
「・・・大丈夫だと思います」
「何、松島先生、都合悪いの?」
「いや、緊張してきて」
「何をアホな」
青山先生は苦笑い、高瀬先生も私を労わるように微笑んでいるけれど、いやいや、本当に緊張してきているんですよ、マジで。
実は私、超絶人見知りなんですって、いやホント!
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