11
飛び起きた。睡眠が浅いのか、近頃飛び起きてばかりだ。なんだかものすごくいい夢を見ていた気がする。ものすごいいい夢を見ていた上で、ものすごくいいところで打ち切られた気がする。このもどかしさで、久しく触れていないスマートフォンと鬱陶しい動画広告のことを思い出した。妙にしんみりしてしまった。
外は真っ暗で、ランプをつけると私の周辺だけが浮いて見えて孤独感が増した。人魚さんはまだ来ていないらしい。
彼女が来たのはそこから数十分もしないうちだった。インク溜まりのような海からぬるりとガスマスクの人影が出てくるのは軽くホラーで、そういえば彼女が海から出てくるのを見るのははじめてだと気付いた。
「こんばんは、人魚さん」
「こんばんは キョウ は おきてました?」
「ついさっきね」
そんな会話を交わし、二人で定位置につく。
「アシ グアイ どうです?」
「薬のおかげで痛くないよ、今日も陸の方探検してた」
「ハッケン ありました?」
「そりゃもう! 待ってて、持ってくる」
テントから果物を持ち出してきて、ランプの光が当たる場所に置いてみせる。てらてらと人工的な光を柔らかに反射する。
「フルーツ見つけたの。美味しいんだ」
私が得意げに鼻を鳴らすも、彼女は首を傾げる。
「……フルーツ?」
そうか、海中ではフルーツという概念がないのかもしれない。もしくは上手く翻訳できていないか。私のお腹の具合も悪くないことだし、説明するよりも食べてもらった方が早い。
「そのまま齧れるよ、いかが?」
答えは聞かずに、ひとつ握って手袋に押し付ける。彼女は困惑した様子でそれを受け取り、興味深そうに眺めていた。彼女を見ていると、案外表情というのはなくても感情は読み取れるものなんだなと感心する。
「……ワタシ コレ とれない」
自分の頬を指さす彼女は心底残念そうに見える。いや、私がそう思いたいだけかもしれない。心底残念なのは私の方だ。
「空気って人魚さんにとってそんなに害なの?」
「しらない すこし は へいき かも」
「じゃあ、サッととってガブッと食べれば」
「わからない すこし でも ダメ かも」
無理は言うまい。残念だけど仕方ない。
「……じゃあ たべて きます」
……食べてくる?
彼女は果物を大事そうに持ったまま海に飛び込み、すぐに私から見えない所に行ってしまった。すこし経ってから、ざぱんっ、と水しぶきを散らしながら浮上して、その丸い両目の窓越しに私を見据えた。
「ИЙсио!」
よくわからないが、なんかいい感じだ。もうひとつ手渡すと、嬉々として彼女は水の中に潜っていった。
なるほど、空気がない水中でマスクを外して食べているんだ。納得しつつ、水中での彼女の様子を想像する。どんな顔の子が、どんな表情であの実を食べているのだろうか。ガスマスクに隠してしまっている瞳を輝かせているのだったら私はとても嬉しい。
ああ、彼女の顔が見てみたい。
そして、ふと思い出す。さっきまで見てた夢は、彼女が素顔を見せてくれるという夢だった気がする。今にもガスマスクを取るぞというところで目が覚めたのだ。夢の中に出てくるくらい彼女に夢中になっていることを自覚して、私は頬を染めるでも顔を隠すでもなく、口元をにやけさせた。
ざぱんっ。
「おいしい とても おいしい です」
気に入ってくれたらしい。浮上するなり私に嬉々として報告してくれる彼女に、私もつい頬が緩む。
「こんな おいしい モノ ひさびさ」
生活が苦しいのだろうか。まだまだ果物は実っていたし、好きなだけ食べてと土産として手渡す。彼女は嬉しそうに受け取って、レインコートのあちらこちらにしまった。
「人魚さんもやっぱり美味しいものは好き?」
「すき です どうして?」
「いやぁ、人魚さんのお知り合いがカロリーメイトだけ詰めてきたものだから、人魚ってあんまり食に興味がないのかなって」
「アイツ は ヘン そのうち しぬ」
言葉が物騒で短絡的だが、要は偏食家ということだろう。たしかにカロリーメイトは美味しいが本人もこのような生活をしていると考えたらそれは変態としか例えようがない。
「お知り合いって、具体的には人魚さんとどんな関係の人なの? お友達? 恋人とか?」
「トリヒキ アイテ そもそも オトコ」
つまり人魚さんの恋愛対象にはなり得ないということか。妙に安心して、ほっと胸を撫で下ろす。私は何をしているんだろうと思いつつも、別にそういうはぐれ者同士だからいいかとも思う。
「オトコ やっぱり ヘン」
「それは偏見な気もするけど……」
「そもそも ニンゲン に なりたい というのが ヘン」
「そう? 人間、悪くないよ」
「……アナタ と はなす まえ の ヘンケン だった かも」
私という人間と交流を持ってみて考え方が変わったということだろうか。確かに、私もここ数日で人魚というものに対しての考え方が随分変わった。この人魚さんだったら、王子様を刺すどころか売り物にすらしてしまいそうだ。そもそも船から海に投げ出された時点で助けてあげるのだろうか。
でも、私は助けてもらった。
人魚さんとて、残虐なことをしているわけではない。狩人のようなものだし、基本的には死体を相手にしている点では人間が動物に対してする狩りよりも人道的なのかもしれない。いや、人間がする狩りを残酷なことだと言う意図はまるでないのだけれど。
「ニンゲン は ニンギョ きらい だと おもって いました」
「どうして?」
人魚といえばみんなが憧れるファンタジーだと思うのだが。
「みんな ワタシ みて さけぶ」
……確かに、実際に目にしたら悲鳴をあげたくはなるだろう。ましてやガスマスクを被っているのだ。もはやそれがただの人間だとしても驚く。そういえば私は悲鳴を上げられなかったのだ。かわりに海水を吐いていた数日前の自分に感謝をする。
「ワタシ はなす アイテ すくない から はなして みたかった」
私の視線が勝手に彼女の顔に釘付けにされる。表情なんてわかりもしないのに、私は泣きそうになった。こんな時、どうすればいいんだっけ。
「人魚さん、ハグする?」
「ハグ…… ベンキョウ して おきます」
「なんで? 今日じゃダメ?」
「あした いそがしい もう いかなくては」
人魚さんのケチ、別れ際にハグぐらいしていってくれていいのに。
「じゃあ、また来てね」
「うん それでは」
ざぶん。静かになったインク溜まりを見ながら、私は空気を抱きしめた。なんとも言えず虚しくなって、適当な捨て台詞を吐き散らしながらテントに戻った。
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