7
チラチラ、とテントの中を懐中電灯の光が駆ける。跳ね起きて外を覗くと、今にも海に飛び込もうとする人魚さんの姿があった。
「やあ、待ってたよ!」
彼女は肩を震わせて、私を振り返る。
「ねてる から かえる ところ だった」
危ない危ない。彼女との会話がなければ、私は何を楽しみに生きていけばいいんだ。
「ごめんごめん、人魚さんがいないと暇でさ」
「Ара…… ийсеру оток оw уи」
「なんて?」
返事のかわりに、彼女は打ち寄せる波の中に腰を下ろした。私もそこまでえっちらおっちら歩いて、着せてもらった服を汚さぬようにしゃがみこむ。右足への負担が思っていたより多いが、彼女との会話を思えば必要経費だ。
「今日も何か持ってきてくれたの?」
「アナタ に つかう カネ ない」
「あ……ご迷惑をおかけしております」
気まずい。言わば私はヒモなのだ。私が退屈を謳歌している時間にも彼女はせっせと水死体を集めているのだと思うと、なんとも申し訳ない気持ちになる。
「だいじょうぶ カラダ で かえして もらいます」
「ええっ!? 人魚さんのエッチ!」
思えば人魚さんにはレズ疑惑があったではないか。きゃっ、と自分を守る姿勢を見せてから彼女の顔色を伺ったら、無機質なガスマスクが不思議そうに首を傾げていた。そこで冷静になり、彼女の言うカラダというのが私の脚のことだと気付いて少し凹んだ。
「ニホンゴ ベンキョウ します」
「ああ、ごめんね」
どうやら「エッチ!」がわからなかったらしい。わからなくてよかった。
「ワタシ も アナタ と はなし したい から」
「あら……嬉しいことを言う」
「だから キョウ も きました」
本当に嬉しいことを言う子だ。人魚というのは口が上手い生物なのだろうか。顔がいいと言われたことを思い出して、つい口元が緩んだ。
「Нозиес нинукак аг иемнох одекад」
「……? じゃあ、お喋りしましょうか」
私だってあなたのこと知りたいもの。そのために質問もたくさん用意したんだから。
「日本語は難しくない?」
「ワタシ の コトバ そこそこ にてる」
日本語に似た言語だなんて、世界にあったのか。
「お仕事は順調?」
「すこし きびしい です」
たしかに水死体なんてゴロゴロ転がってたら困る。生身の人間など余計にだ。ひょっとしたら、私も行方不明だと報道されてたりするのかもしれない。
「そのマスクは苦しくないの?」
「クウキ より いい」
人魚に肺はないのだろうか。せっかくいい声だし、髪も身体も綺麗だったし、顔が見たくないと言えば嘘になる。
「人魚さんの顔、見てみたいのになぁ」
すぐ言葉にしちゃうのが私の悪い癖だ。
「それ は むずかしい」
「きっと美人さんだね」
「どう でしょう」
「照れ屋さんだ」
美人さんと言ったけど、言動は可愛い系のそれだ。言葉はカタコトなせいもあるかもしれないが。彼女が人間で、もっと普通の出会いだったらよかったのに……と思ったり思わなかったりしているうちに、今度は彼女から質問が飛んできた。
「アナタ も オンナ が すき?」
ズバリ。デリカシーがないというか、対人スキルが低いというか。私は全く気にしないからいいものの、この調子じゃナンパもままならないだろう。私はナンパなんてしたことないけど。
「うん、女の子も好き。男の子も好きだけどね。どっちもいけるんだ。人魚さんは?」
「ワタシ は オンナ だけ」
やはり、人間で言うところのレズビアンなのだ。彼女も私もマイノリティだと思うと、少々運命めいたものを感じる。なんだかおとぎ話みたいだ。人魚を目の前にして今さらそんな感想を抱くのは変かもしれないが。
「ニンギョ の オトコ は みにくい」
「そうなの? イケメンいないの?」
彼女が心底つまらなさそうに海水をすくって海に投げた。「醜い」だけでは、人魚の男がみんなブサイクなのか内面的に汚いという話なのか判断しにくいが、掘り下げるのはやめにした。男と揉めた過去から女しかいけないようになってしまったクチだったら私はどう反応していいかわからない。
「じゃあじゃあ、人魚さんはどんな子がタイプなのー?」
「タイプ……?」
「えっと、なんだろうな、どういう子が好き?」
ふむ、と彼女は腕を組んだ。身振り手振りの表現は海面の上でも下でも変わらないというのが不思議だ。しばらく悩みこんで、彼女はその美しい声を絞り出す。
「……かんがえて おきます」
「そっか! 私のタイプはね、女の子だと……」
そんな他愛もない話は空が白むまで続いた。私は終始笑っていたし、彼女もガスマスクの下で同じ顔をしていたと信じたい。日が出てしまうから彼女は帰った。また夜になったら来てね、と手を振った。聞こえてたらいいな。
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