5
退屈のあまり、私は浜辺で眠りこけていたらしい。暗い空の下、人型の影が寝起きの私の間抜け顔を覗き込む。
「ИЙсамукат……」
「なんて?」
「アナタ は つよい です」
言葉の意味を勝手に汲み取り、適切な言葉に直してみる。強い。したたか。図太い。たくましい? 能天気!
「そうでしょ?」
ガスマスクが横に傾く。首を傾げる彼女の上に漫画のようなぐるぐるマークが見えた気がした。その後、首をぶるぶる横に振る。「私がしっかりしてあげなくちゃ」みたいな顔しやがって。ガスマスクしか見えないけど。
「タベモノ ひつよう あります?」
「是非! お腹ぺこぺこなの」
彼女はクーラーボックスを思わせる物体を私の前に置いた。ずん、と砂浜に沈み込む。蓋を開けると、中にはてらてらとした黄色い紙の箱と飲水であろうペットボトルが大量に詰まっていた。黄色いパッケージに強烈な既視感を覚える。
「……カロリーメイト?」
「たしか そんな なまえ」
なぜカロリーメイト? 問うてみると、「地上の知り合いに調達を頼んだらこうなった」という旨の返事が得られた。聞きたいことは山ほどあるが、ひとまずその知り合いさんがチーズ味ではなくメープル味を選んだことに関して小一時間問いただしい。というかもう少し味の種類を増やしてくれてもいいではないか。なぜ一種類にしたんだ。
「ニンゲン これ たべれば げんき に なる」
「あながち間違いじゃないけどこの与え方は間違ってるよ多分」
「……いらない?」
「いえ頂きます」
ひもじくて仕方なかった私は、ペットボトルを一本枯らしてカロリーメイトを二箱食べた。私がもそもそとバランス栄養食を貪るのを、人魚さんは興味深そうに眺めていた。貴重なニンゲンの食事シーンということだろうか。
「あと これ あげます」
食料ケースと似たようなケースが大なり小なり並べられる。中身は着替えだったり、テントだったり。私がこの浜辺で暮らしていく為に必要なもろもろだった。
「これ、相当高かったんじゃない?」
「カネ たくさん はらわなきゃ」
「えええ、ごめんなさい私のために」
「だいじょうぶ です アナタ の アシ で はらう」
おお、さらっと物騒なことを言う。
「ニンゲン の アシ カネ に なる」
なんでも、人間の身体で脚が一番高値で取引されるのだとか。人魚さんの下半身をみて納得した。たしかに、人間の上半身はあまり希少価値が見出せそうにない。
「人間の脚を取引してどうするの? 観賞用?」
雪山のコテージに飾ってある鹿の頭のように人間の下半身が壁にかけられているのを想像した。脚はいいとして、性器はどうするのだろう。男性のそれもぷらぷらさせておくのだろうか。人魚からしてみたらそれも面白いのかもしれない。
しかし、回答は想像していたのとは全く違った。
「カラダ に つける」
身体につける?
「ニンギョ が ニンゲン に なる」
そんな童話の人魚姫みたいな。
しかし、話を聞けば童話で魔女が声と引き換えに魔法や薬の力で脚をくれるのとは全く事情が違うようだ。水死体から人間の脚を手に入れてきて移植手術を施すらしい。肌組織なども人間のものと換装して地上で生活したがる人魚が多いのだとか。
ただ、それも容易ではないらしい。人間の死体は本来、我々で言うところの行政に依頼して処分するものらしいし、それを民間の個人が勝手に行ったとなれば当然違法である。移植手術も違法。実は、こうして人間と人魚で言葉を交わすのも違法らしい。故に、彼女は自身を「はぐれ者」と呼んだのだろう。
それでも、彼女はそれで生活できている。信頼できる卸先がいるそうで、その相手が手術もできる闇医者なのだとか。他には、人間になって地上に出た知人にもある程度協力してもらうとか。彼女が人間の言葉を喋れるのはそういう理由らしいし、今日私のための品々を調達してくれたのもその人らしい。
「それで、私の脚を売るの?」
「キレイ で わかい オンナ の アシ たかい」
「売るのね?」
「ワタシ は シゴト だから いきます」
「ちょっと、答えてよ」
「また あした」
ざぶん。私はため息をつきながら、新しくカロリーメイトの箱を開けた。
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