3
話を整理してみた。
人魚の社会も人間の社会も機構として大きな違いはないらしい。当然、金を稼がねば生きていけない。彼女はその仕事としてニンゲン回収をやっているらしく、水死体の遺品を貴重な品として売り捌いたり、死体自体を研究者やモノ好きに売ったりしているらしい。依頼を受けて、生きてるヒトも標的にするとかしないとか。その話を聞いた時に青ざめている私を見て笑っていたので、冗談かもしれない。それにしてはやけに人と話慣れた様子なのには目を瞑る。
どうやら波にさらわれた私を助けてくれたのは彼女のようだ。
「しんでる かと おもった」
……とのことだ。私がまだ生きていることを悟った彼女は、この身体を陸まであげてくれたのだ。私は無事に一命を取り留め、こうやって談笑しながら生命の危機に震えている。歯がカチカチ鳴っている。
「さむい ですか?」
「ああ、うん、そーっすね……水着だと流石にね……」
考えてみれば私は水着ひとつで漂流しているのだ。
「あとで なにか もってくる たえてて ください」
ええ、耐えますとも。生きられるならなんでも。家が恋しいが、背に腹はというか、何事も命にはかえられぬ。生意気を言って殺されたくはない。
「タベモノ も もってくる」
「あ、お構いなく……」
やけに面倒見がいい。ありがたい事だが、事情を知った身としては不気味ですらある。なにか裏があるのか、こんな可愛らしい子にそんな疑念を持つ私こそ汚らわしい人なのか。
「うごいたら ダメ ですよ ケガ ひどい」
「ケガ?」
彼女が懐中電灯の光を私の下半身に向けた。文章に起こすことすらはばかられるグロテスクな左脚に挨拶をする。海藻のようなものが巻き付けられていて、それなりの応急処置をしてくれたことは見て取れた。おかげで痛みもない。それは嘘で、気づいた瞬間からめちゃくちゃ痛い。
「ケガ なかったら アシ とってた」
それはつまり、売り物にならないということか。
「ケガ も カオ も アナタ こううん です」
「命拾いした……って事であってる?」
「なおる まで セワ する」
それはつまり、売り物にしてやるということか。
「え、えっと……もっと穏便な方法は……」
そんな話をしている間にも、空が白んできた。私が目を覚ましたのは随分夜も深い時間だったらしい。彼女もその事に気づいたようで、器用に魚の下半身を動かして海の方に進んでいく。え、私、置いてけぼり?
「タイヨウ あぶない」
「え、あ、私はどうすれば……」
「ヨル まで まってて」
「できるだけ早く来てね……?」
流石にそれは心細い。いくら相手が私を殺そうとしたって、今の命綱は彼女しかいないのだ。逃げ出そうにもこの脚では不可能だし、それなら和解の方向の方が望みがある。仕方があるまい、何事も。未来に思いを馳せてため息をつく私を尻目に、彼女はぽんと手を打った。
「かして あげます さむさ しのげる」
布地が風を受けてばさっと音を立てる。私の膝元には、先程まで彼女が着ていたはずのレインコートのようななにかがかかっていた。思わず上げた視線の先に、美しい背中。白くて滑らかな、シミとは無縁の肌。スリムな体つきと、程よく浮き出た肩甲骨。恐らく地毛なのであろう、幻想的なすみれ色のセミロング。
「さようなら」
振り返った彼女の顔には、相変わらず無骨なガスマスク。その顔もみたい。見たいのに、彼女はざぶんと海に飛び込んでしまった。浅瀬なのにあんな飛び込み方ができるのかと不思議に思ったが、人魚という存在を前にしてしまっては些細な疑問だった。
急に静かになり、再び波の音が私を包む。さて、これからどうしようか。貰ったレインコートを羽織りながら思案する。私、生きて帰れるのかな。すん、と鼻を鳴らしてみると、石鹸のような香りが私の肺を満たした。海から来たのに、あの子はこんな香りなんだ。
「……本当に何も着ないんだなぁ」
去り際に振り返った彼女の胸部を思い出す。そこにあったものは自分にもあるのだけど、それとこれとは全くもって事情が違うのである。
これが、私と彼女の邂逅だった。
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