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 人魚というのは私が想像していたものよりずっと不気味な格好をしているようだ。レインコートのフードを深々と被り、顔にはガスマスク。手には手袋と、ヒトの肌の露出はゼロ。貝殻のビキニなんてとんでもない。


「人魚さんってみんなそんな格好なんですか?」


「クウキ は あつい から」


 なるほど。思わず手を打つ。水中で生活する人魚にとって、空気に満ちた地上は過酷な環境なのか。水から挙げられてぴちぴちと跳ねている魚を想像して、ふむふむと頷く。当然ながら正確にはガスマスクやレインコートではなく、私たちで言うところの極地用装備らしい。


「水の中では脱ぐんですか?」


「なに も きない」


 それはまた極端な。それはなんというか、大変スケベではないか。見てみたい。


「へぇ、見てみたいです」


 思わず本音が漏れた。慌てて口を塞ぐ。これは「あ、これ言っちゃダメなんだっけ」の方のモーションだ。


「……オンナ なのに? めずらしい」


「あは、あはは、えっと、人魚さんの顔の方ですよ」


 わかりやすい誤魔化しだが、この子は理解できないと願おう。そこまで日本語が達者ではないはず。いや、達者であってくれた方がありがたいのだけれど。


「なるほど もしや ワタシ と おなじ かと」


 同じ? この子の言うことはよくわからない。いや、人魚の言うことがよくわかる方が変か。そもそも、なんで自然と談笑してるんだ。なんでもいいか、という変な諦めがあった。生きてるんだし、なんでもいい。現状よりも、何が「同じ」なのかが気になった。


「ワタシ オンナ が すき」


 ……。


 唐突なのだが、私の話をしておこう。まあ、なんというか、私はいわゆるLGBTQのBに値する人間なのだ。それも、どちらかといえば女の子が好きな方の。私自身は身も心も女性なのだが、恋愛対象というか、性愛の対象はそういった範囲にある。


「……人魚さんも、マイノリティ?」


「まいのりてー? コトバ しらない」


「ええと、なんというか……」


 マイノリティってどういう言葉にすればいいんだろうか。もはやそれが固有名詞のようになっていて、別の言葉に置き換えるのが難しい。頭に浮かぶ言葉たちは、人間社会で口にしようものならTwitterで晒しあげられ正義の鉄槌でリンチ、挙句の果てに私の身はミンチというのが容易に想像できるものばかりだった。しかし、語彙の少なさは今更どうしようもない。


「……はぐれ者?」


 私の言葉を聞いて、ガスマスクの奥で「ぷっ」と鳴った。それを皮切りに、広い海に高笑いが響き渡る。笑い方はヒトも人魚も一緒なんだ、と妙に感心する。


「ハグレモノ! あってる あってます」


 気を悪くしたわけではないらしい。つい、口元が緩む。おかしくて仕方ないというように笑い、その膝を叩いていた。魚類を思わせる下半身の中腹を「膝」と呼ぶのかは知らないけれど。ひとしきり笑って、彼女は咳払いをした。


「ジコショーカイ ワタシ ハグレモノ」


 そう言われるとどういう反応をしていいのかわからない。とりあえず苦笑いだけしておく。


「ニンゲン あつめて さばいて ハンバイ する まいのりてー」


 ……そう言われるとどういう反応をしていいのかわからない。とりあえず苦笑いだけしておく。


「アナタ カオ が いい だから ころさない」


 そう言われるとどういう反応をしていいのかわからない。とりあえず頬を掻いておいた。

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