『赤と緑が恋をスル』

N(えぬ)

赤いきつねは緑のたぬきに……

「僕の部屋に来る?」

 バイトの帰りに『あの子』より先にビルの外に出て、僕は少しすました顔でガードレールに腰掛け『寒くなんてありませんよ』という風を装い、そして偶然にそこにいて君が来るのを見かけたという顔をして言った。君は僕が話しかける前から、僕を見つけて目が笑っていて、ビルの守衛所を抜けて真っ直ぐ僕の所へ歩いて来た。

「いきなり部屋に誘うのは、大胆じゃない?行ったげてもいいけど」

「来る?……でも何もナイヨ」

「お話をすればいいじゃない?」

「そうか。それは僕としても、頑張り甲斐がある。どのくらい飽きずに保たせられるか」

「それは、お互い様ね」

 歩き出した二人に、ビルの間を吹き抜けるビルの風は容赦が無い。コートの襟から風が忍び込み、裾が翻る。二人とも風に縮こまり体を寄せ合ってバス停まで歩き出した。こう寒いと、寒くないフリなんてしていられない。二人とも同時に「寒いっ!」と声が出た。そのことばが二人とも本当に同時で、低音と高音のハーモニーを作るようだったので、それがおかしくて笑った。寒さの中で笑った白い息がホッホッホと連発銃のように口から出てすぐに消えた。



 僕がいきなり自分の部屋に彼女を誘った理由は、まずひとつは冗談だったからだ。あまり品のいい冗談ではなかったと今でも思うけれど、彼女は僕の冗談を受け入れて見せた。確かめてはいないが、彼女が僕の提案を受け入れて見せたのも、彼女なりの冗談だったのかもしれない。いずれにしても彼女は僕に悪い印象は持っていなくて、いきなり僕の部屋を訪れるという大胆な行為に出ても、僕が常識をわきまえた紳士的態度で応じてくれることを予想したからだったに違いない。だからこそ僕は、彼女の要求に応える重責を担うことが出来る。


 アパートの僕の部屋に入ると君は、通された部屋をそれとなく一通り見回してさらに、「見てもいい?」といって冷蔵庫をのドアを開いた。そして、「ほんとに何もないのねぇ」といって笑った。僕は「正直者だろう?」というと君は、「冷蔵庫に何かあったとしても、それを使っておいしいものが作れるわけじゃ無いけどね」と、また笑いながら、「コンビニにでも寄るべきだった。お腹が空いた」と言った。

 僕はキッチンの脇の段ボールの箱を覗いて見た。『赤いきつね』と『緑のたぬき』が一つずつあった。

「これならある」というと、彼女はパッと目見開き唇を小さく突き出して見せた。

「好きな方を選んでいいよ」と僕が言うと。

「あなたが選べばいいじゃない。私が残った方をもらうから」

「一応僕の公平という気遣いなんだよ」

「気にしなくていいのよ。だって、ここはあなたの部屋だし、カップ麺はあなたの所有物よ」

「じゃあ……」と言って僕が『赤いきつね』を取ったので彼女は自動的に『緑のたぬき』になった。


 やかんでお湯を沸かす間に、それぞれ「きつねとたぬき」の蓋を開けた。僕は割り箸を2膳、キッチンの棚から取って来て彼女に渡した。

 お湯が沸くには、まだ少し時間があると思った。

「大切なことを確認しておきたいんだけど」

「大切なこと?その確認は、食事の後でゆっくりしてはいけないの?」

「その方がいいかな」と僕は、彼女に問いかけるのと同時に自分に言った。


 チンチンに沸いたお湯を『緑のたぬき』から『赤いきつね』と順に注いだ。湯気が立ち上って、部屋の空気が急にしっとりと柔らかくなったのを感じた。それを見た彼女がひらめきを口にした。

「寒い方がきっと、ずっとおいしいわ。そう思わない?」と僕に提案して、同意を得ないまま彼女は部屋の窓を左右に全開にした。外の冷たい空気が一気に流れ込んで来て、僕らは震え上がった。「うぅふっ。さむい!」と二人してつぶやいた。

「コートが必要だわっ!」

 彼女は部屋の隅のハンガーから自分のコートを取り、並んで掛けられていた僕のコートも取ってくれた。僕らは寒くなった部屋でコートを羽織り膝を抱えてローテーブルの前に座り、あと3分ほどを待った。この3分はとても長かった。

 部屋の隅にある時計の示す針の動きを3分数え終わると、君はすぐに行動に移した。僕も負けじと後に続いた。

「おぉ!ほら、おいしそうじゃない!?」

 彼女の『緑のたぬき』は、蓋を開け放たれて、もうもうと湯気を立ち上らせた。僕の『赤いきつねも』負けじと湯気を上げる。そして僕らは競うように割り箸を手に取る。

 彼女は『緑のたぬき』に、ふぅふぅぅと吹いてカップにそっと口をつけると、

「外は寒い!あったかいものはおいしい!」といって、もう一度汁を飲んだ。僕は目の前に上がる湯気の隙間から横目で彼女の顔を見た。僕の鼻腔を出汁の香りが抜けて行く。僕は言った。

「チクショーっ、寒すぎてウメーぇ!」

 外の冷気の中に白い湯気と二人の吐息がいつまでも飛び交っていた。

 二人並んでこうして感じているものが何であるのかをもう確認する必要はなかった。

『赤いきつね』と『緑のたぬきは』は、そっとひとつになった。

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『赤と緑が恋をスル』 N(えぬ) @enu2020

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