エピソード2-20 応接室での出来事

 一方その頃、応接室では。ジュドーとリーゼンベルクが、コーヒーを片手に和やかに話していた。


「では面談の件、一度持ち帰らせてもらってから、日程のすりあわせをしましょう。ここからだと最短、明明後日しあさってくらいには話を通しておけますが、どうです?」


 ジュドーの質問にリーゼンベルクは頷いた。


「ああ、それでいい。よろしく頼むぜぇ?

 右腕さんよォ」


「ではそのように、赤の王子うちの大将にも伝えておきます」


 そう言ってジュドーが席を立とうとした瞬間、応接室のドアをノックする音が聞こえた。


「入れェ」


 リーゼンベルクの一声で扉が開き、ルクソニアとエドガーが応接室に入ってくる。


 不格好にでこぼこしたクッキーが並べてある皿を手に応接室に入ってきたエドガーは、応接室の中央に置いてあるテーブルに、その皿を置くと言った。


「特訓の成果っす!」


「いきなりなんでェ、やぶからぼうに」


 呆れた顔で言うリーゼンベルクを前に、ルクソニアがどや顔で言った。


「クッキーを作ったの、一緒に食べましょう?」


「クッキー……」とジュドーが目を点にし、皿の中身を見て言うと、「クッキーだなァ」と、それに答える形でリーゼンベルクが返した。


 リーゼンベルクは皿からひとつ、クッキーを手に取ると物珍しげにしげしげと眺める。


「クッキーにしちゃあ、随分と歪だなァ?」


「両手で挟むようにして、パンってして作ったの!」


 得意気に言うルクソニアに、ジュドーが突っ込んだ。


「ご令嬢、ずいぶん豪快なクッキーの作り方をしたんだな……。普通は延べ棒で生地を伸ばして、クッキー型でくりぬいて作るもんなんじゃあないのか?」


「それだと特訓にならないもの!」


 ジュドーが目を丸くして言った。


「特訓って、魔法のか?」


「そうよ、まだ表面は凸凹してるけど、バリアに穴が開かなくなったわ!」


 ふんすと鼻息荒く言うルクソニアに、リーゼンベルクが面白くなさそうに言う。


「近々危機が迫るからどうとか言ってたあれかァ?

 なァに心配しねぇでも、娘の一人や二人、俺らが守ってやるって言ってるのによォ」


「それじゃダメだってヨドが言ってたわ!

 それにわたしだって、自分の身ぐらい自分で守れるようになりたいしっ」


 握りこぶしを両手に作り、熱心に訴えるルクソニアの頭を、リーゼンベルクはくしゃくしゃと撫でた。


「もう、そうやってパパはすぐ甘やかすんだからっ! 私もう5歳なのよ、お姉さんなんだからっ!」


「まだまだちんまい。」


 リーゼンベルクは、ルクソニアの頭をさらに激しく撫で回す。それを見て、エドガーも口を挟んだ。


「そうですよ、お嬢様。

 俺らをもっと頼ってほしいっす。

 まだまだレディと言うにはちんまいんだし」


 にししと笑うエドガーに、ルクソニアはふくれる。ルクソニアの頭を撫でる手を振り払うと、リーゼンベルクの前に仁王立ちになって言った。


「わたし、お姉さんだもん!

 立派なレディなのよ?」


「立派なレディは、一人で森になんか入らねぇもんだがな。そう思うよなぁ、エドガー」


 リーゼンベルクとアイコンタクトをとったエドガーは、ニヤリと笑いながら言った。


「そうっすねぇ。本物のレディは無謀な行動はとらないはずなんで、まだまだお嬢様はお子様っすねぇ」


 ニヤリと笑うエドガーに、ルクソニアは更にふくれるのだった。そんなルクソニアを見て、ジュドーが言う。


「まあ、まだ5歳だ。

 甘えられるうちが華だと思って、大人に頼ってうまく生きていくのも処世術だと思うぞ、ご令嬢」


 そんなジュドーをまっすぐに見て言う、ルクソニア。


「いつまでも子供扱いは嫌なの!」


「そういうセリフは、せめてあと5年経ってから言ってほしいっすねぇ。旦那さまもそう思うでしょ?」


「まあなァ。自分の実力を過信するのはよくないぜェ、ルクソニア。分をわきまえろ」


 ルクソニアはしゅんと肩を落とした。


「まあまあ、ご令嬢。今はまだ不自由でも、成長したら嫌でも自由になる時がくる。その時まで、その心意気はとっておいたらどうだ。ほら、せっかく持ってきてくれたクッキーも暗い顔してちゃ不味くなるぞ?」


 ジュドーの励ましを聞き、気を持ち直したルクソニアは言った。


「そうね、折角クッキー作ったんだもの。美味しく食べないと勿体ないわよね!」


 言ってルクソニアは空いてるソファに腰を下ろした。それを見て、エドガーもルクソニアの向かいの席に座る。


「アンさん。

 紅茶ふたつお願いするっす!」


 応接室の隅で控えていたアンに声をかけるエドガー。アンは張り付いた笑顔を向けて、言った。


「畏まりましたわ、エドガー先生。少しお時間いただきますね」


「なる早で頼むっす!

 クッキーパサパサしてるんで」


 笑顔でそれに答えるエドガー。アンは、エドガーに軽く舌打ちをしたあと、部屋を出ていった。


 それが合図となり、それぞれがクッキーを手にとり、食べ始める。


 ごりっ


 ルクソニアの口の中から、嫌な音がなった。


「いっひゃーい……」


 口許を押さえ、目には涙をためるルクソニア。


「どうしたっすか? お嬢様」


 心配そうにおろおろするエドガーに、ルクソニアが口をもごもごさせながら言った。


「歯がぐらぐらしてるの、動くたびに、とっても痛いのよ……!」


「どこっすか? 見せてほしいっす!」


 ルクソニアは口の中に残っていたクッキーを飲み込むと、エドガーに口を開けて見せた。


「こぉこぉのふぁがぐらぐらするのよ!」


 ルクソニアは指でぐらぐらする歯を動かした。


「乳歯っすね。歯が生え変わろうとしてるんっすよ。気になるなら力業で抜いてみてもいいっすよ」


 ルクソニアは両手で口を押さえた。


「ご令嬢。

 ぐらぐらが気になるなら、一気に抜くのも手だぞ。どれ、俺が抜いてやろうか」


 言ってジュドーは、ルクソニアのアゴに手を当てくいっと上を向かせた。


「痛いのは嫌なのよ! 大丈夫だから!」


 涙目で必死で断るルクソニアに、ジュドーは笑った。


「なに、痛いようにはしないさ。魔法を使うからな」


「魔法で? そんなことできるの?」


「出来るさ。俺の魔法は風を操る魔法だからな。乳歯を風で浮かせてしゅぽん! と抜くことぐらい造作もない」


 ルクソニアは少し悩んだあと、上目使いでジュドーに聞いた。


「本当に痛くないの?」


「痛かったとしても一瞬さ。

 うちの息子でもう何度も確かめてる」


「……。だったらお願いしてもいい?」


「ああいいぜ、任せときな。

 じゃあ口を開けて……」


 ルクソニアは恐る恐るジュドーに向かって口を開けた。


 ジュドーは右手でアゴを持ち、指輪をつけた左手でぐらぐらしている歯に触れようと口の中に指をいれる。


 その瞬間、ルクソニアの口の中が淡く光った。


「な、なんだ!?」


 慌てて口の中から指を抜くジュドー。


「今、何が起こった……?」


 ジュドーは状況を確かめるため、恐る恐る再び指をいれた。


 再び、口の中が淡く光る。


 ジュドーは無言で指を引き抜くと、しげしげとルクソニアの口の中を覗いた。


「どうしたの?」


 ルクソニアはこてんと首をかしげる。


 ジュドーは少し言いにくそうに事態を説明した。


「ご令嬢。指をいれると口の中が光るんだが。」


「どういうこと?」


 目をぱちくりさせるルクソニア。状況を見守っていたエドガーが言った。


「口の中に、何かできてるんすかね?

 お嬢様、ちょっと口の中、見せてほしいっす」


「いいわよ。これでいい?」


 ルクソニアはエドガーに向かって、パカッと口を開けた。エドガーが、恐る恐る、ルクソニアの口の中を見た。特に変わったところはないようだ。エドガーは少し考えたあと、ルクソニアの口の中に指をいれてみた。


「……何も起きないっすね」


 口の中から指を抜くと、エドガーはジュドーがはめている指輪に目をやった。


「その指輪……、もしかして魔石で出来てませんか?」


「ん? これか?

 確かに魔石が埋め込まれているが、それがどうした」


「もしかして魔石が口の中に反応して、淡く光ったとかそういうのじゃないっすか?」


「でも、息子たちの歯を抜いてきた経験から言わせてもらうと、魔石が乳歯に反応したことなんて一度もないぞ」


「だったら舌に反応してるのかも知れないっすね。もう一度指を近づけてもらえないっすか? お嬢様は少しはしたないですが、舌をベーっと出してもらって……」


 エドガーが全部言い終わる前に、リーゼンベルクが待ったをかけた。


「もうよせ、エドガーよ。

 みっともねえったらねぇぜ」


「いやでも旦那様。お嬢様の口の中が淡く光ってるんすよ? 気になりません?」


 エドガーの疑問の声を吹き飛ばすように、リーゼンベルクは声を張り上げて否定した。


「気にならねぇなあ!

 まーったく気にならねえ!」


「ええー」


 リーゼンベルクの強固な態度に、エドガーが間抜けな声をあげた。


「エドガーよ、この事はこれでしめえだ。

 ルクソニアの歯が気になるなら、あとで俺がひっこぬいてやらあな」


 リーゼンベルクの頑なな態度に、ジュドーも困惑したように疑問を投げる。


「急にどうしたんです?

 リーゼンベルク殿」


「どうもしねぇ。ただ娘の口の中を大の大人がよってたかっていじくり回すのが気に入らねえだけだ」


 ジュドーはしばしリーゼンベルクを見つめたあと、大人しく引き下がった。


「……。わかりました。じゃあ、ご令嬢の口の中が光る話はここでなしにしましょう」


「えー!

 俺、気になってたまらないんすけど、この話。……お預けっすか?」


 眉をハの字にして言うエドガーに、リーゼンベルクがたしなめる。


「お預けだあ、エドガー。

 ちゃんと飼い犬なら待てをしな」


 エドガーは盛大なため息をはくと言った。


「こーなると、旦那様は頑固になるんすよねぇ。……わかりましたよ、諦めるっす」


「ええー。わたしはとっても気になるのにー!」


 引き下がらないルクソニアに、リーゼンベルクが怒鳴る。


「だったらずっと気にしとけぇい!」


「パパひどい!」


 ルクソニアはショックを受ける。その様子を見て、ジュドーが口を開いた。


「そういえば赤の王子うちの大将も、口の中が光るんですよ、さっきみたいに淡く……」


「赤の王子が?」と、キョトンとした顔でジュドーを見る、エドガー。


「なんでも、王族はみんなそうらしいんですが、生まれた時に舌に魔法で刺青ーー魔章紋ましょうもんを彫るんだそうです。

 将来首をはねられたときに、本物かどうか区別をつけるために、そういう印をつけ始めたとかなんとか」


「へぇー、そりゃあ酔狂なこったなぁ。

 だがうちには関係ねぇ話だ」


「ではなぜ、ご令嬢の口の中が淡く光るんです?」


 逃げるリーゼンベルクに、ジュドーが追い討ちをかける。


「ルクソニアの口の中が光るのは、昔、魔章紋ましょうもんを彫る入れ墨のインクを誤飲したから光るんだよォ、ほんのりとな」


 ジュドーは、リーゼンベルクをまっすぐに見て聞いた。


「誤飲……ですか?」


「そー、誤飲だ。だからもう、そんな物騒な話は、ガキの前でするんじゃねぇ。怯えてるじゃねえか」


 ルクソニアは強がった。


「怯えてないわ!

 ちょっとビックリしただけよ……!」


「だ、そうだ。いいからこの話はもうこれで終いだ。いいな?

 胸くそわりぃ話をしながらクッキーを食べるのもどうかと思うぜぇ?」


 リーゼンベルクがジュドーを睨み付けながら言う。何かを察したエドガーもそれに賛成した。


「確かに、何か食べてるときに話す内容じゃなかったっすね~!

 アンさん、早く戻ってこないっすかねぇ?

 口の中の水分が奪われてくんすけど~」


 その瞬間、部屋の扉が開き、アンが紅茶セットを乗せたワゴンを押して、部屋の中に入った。


 エドガーの真後ろの部屋の端に陣取ると、にっこり笑顔でアンは言う。


「お待たせしました、エドガー先生。

 今から舌が火傷しそうな位、あっつい紅茶、入れますわね」


「聞こえてたんすか、アンさん……」


 ひきつった笑顔で後ろを振り向くエドガー。


たまたま・・・・聞こえてしまいました。たまたまですよ、たまたま。」


 おほほと笑いながら紅茶をいれる、アン。


「ジュドー様も、コーヒー、おかわりいかがですか?」


 にっこり微笑むアンに圧され、ジュドーがカップを渡す。


「旦那様も」


 リーゼンベルクは一気にコーヒーをあおると、アンにカップを押し付けた。


「随分とピリピリした空気ですわね。

 お嬢様、何かあったのかしら?」


「あのね、アン。

 私の口の中が、光ったの!

 それでね、赤の王子さまも光るんだけど、王族はみんな光るんですって!

 だけどわたしの場合はインクを飲んだから光るってパパが言うのよ、わたしはインクなんか飲んだことないのに!」


 一瞬、場が凍った。


 アンは紅茶をルクソニアに渡しながら、勤めて穏やかな声色で言った。


「……インクの誤飲の件については、お嬢様がまだ歩けるかどうかの頃だったと思いますので、覚えてなくてもしょうがないかと思いますわ。

 さ、熱いので気を付けて飲んでくださいね」


「舌が火傷しちゃうくらい熱いの?」


 ルクソニアが恐る恐るカップを受け取り、テーブルに置く。


「お嬢様の分は、少し冷ましてからお渡ししているので大丈夫ですよ。

 熱いのはエドガー先生のだけです」


「なんだぁ、よかったあ!」


 盛大に安心するルクソニアに、エドガーがつっこんだ。


「いやいやいやいや。よくない、よくない!

 俺、可哀想っすよ、お嬢様!」


「そうかもしれないけど、いつものことだもの。エドガーが遅いって言ったからアンが怒ったのよ?

 まずはちゃんと謝ってから仲直りしたらどうかしら!」


 目をキラキラさせて言う5歳児に圧され、エドガーは目をぎゅっとつむり、熱々のカップを受け取りながらこう言った。


「なんか納得いかないっすけど……ごめんなさい、アンさん。

 仲直りしませんか……?」

 

 アンは、にっこり笑顔を作りながら言った。


「仲直りもなにも、私たち喧嘩なんかしてないでしょう? エドガー先生。

 わかったならその熱々の紅茶、冷めないうちに一気に飲み干してくださいませ」


「熱々の紅茶を一気に飲み干せって……ほらー、怒ってるじゃないっすかー!」

 

 アンは笑顔を崩さずに言った。


「いいえ、怒ってません。

 ほらエドガー先生、紅茶、冷めますわ?」


 エドガーは天に向かって叫ぶ。


「くそー、飲むまで許さないってかーっ!

 わかったっすよ、飲めばいいんでしょ飲めば!」


 エドガーはカップに口をつけ、そのまま勢いよく紅茶を口に流し込んだ。


「あっつー!」


 エドガーの声が応接室に響き渡る。

 こうしてエドガーは舌に火傷をおうのだった。


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