エピソード1-10 それぞれの言い分
一方その頃、丘の上にある古城の庭では、お団子頭のメイド・メアリが転移ゲートを使い、全身ずぶ濡れの状態で戻って来た。
ゲートから出てきた彼女を見た瞬間、エドガーはキョトンとした顔で悪気なく彼女に疑問をぶつけてしまう。
「お帰りっす。
……なんかすごく濡れてません?」
それを聞いた瞬間、メアリが叫んだ。
「あーっもうーっ!
指示通り東の滝へ行ったら、なんかよくわからない大きな魚みたいなヤツに、いきなり水をバッシャーンってかけられたんですよ!
バッシャーンって!
なんなんですかあれ! なんなんですかあれ!?」
ぷくーっと頬を膨らませてエドガーにつめよるメアリ。不満げな顔でエドガーを睨み付けている。
状況を把握したエドガーはめんどくさそうにため息をつくと、ガシガシと頭をかいた。
「あー……。それ、ギャタピーっすわ」
「ギャタピー!?
ギャタピーってあの、たまーに食卓に登場する白っぽい魚のことですか!?」
メアリが興奮してエドガーの上着をつかみ、自分の方へと力任せに引き寄せた。エドガーはバランスを崩し前のめりの体制になってしまい、息がかかるくらいの至近距離に彼女の顔がくる格好になってしまう。童貞のエドガーは少し気まずそうに視線を外へとそらしながら、メアリに説明した。
「魚じゃなくて、魚っぽい見た目の、食べられるように品種改良した食用の中型魔獣っす。水をかけたのは多分、滝の主として育ててるヤツっすね。名前はアンドレア……」
「名前なんてどーでもいいです!!
って言うか、あの魚、魔獣だったんですか!?
普通に美味しくいただいちゃってたじゃないですか~!
あんな厳つい顔の魔獣だってわかってたら、食べなかったのに~!」
エドガーのうっすい胸板をポカポカと殴る、メアリ。
「特に問題もなく美味しくいただいちゃってたんなら、俺、責められるいわれはないと思うんすけど……」
されるがままになりながらも、とりあえず反論だけはしてみるエドガー。
「私っ、可愛くなりたいから、可愛いものしか口にしないって決めてるんです~!
あの魚もどきは、全然可愛くないじゃないですか~! バカー!」
それを聞いた瞬間、エドガーは遠い目をして思った。
可愛くなりたいから、可愛いものしか口にしないって、なんだ……?と。
ポカポカと胸板を殴られながらも、エドガーは空へと視線を移した。
「……食事の基本は、バランスよく栄養を取ることと、口に入れても問題ない安全性が大事だと、俺は思うっすよ?」
どこまでも続く青い空を見上げながら、遠い目をして、穏やかにメアリを諭すエドガー。
どうせ叩くなら、肩を叩いてくれたらいいのに……と頭の隅で思いながら、エドガーはメアリが飽きるのを待った。
3分後。
「はあっ、はあっ。
なんだか少しだけスッキリしました!」
やり遂げた感満載の爽やかな笑顔で、額の汗を拭うメアリ。
「それは良かった。
今度叩くときは肩にしてほしいっすね」
にっこり笑っていうエドガーに、メアリが曇りなき眼で言った。
「え? 嫌です。」
エドガーの笑顔が崩れた。
「言い切ったな……?
一応俺は直属ではないにしろ、君たちの上司に当たる立場の人間なんすよ?
アンさんといい君といい、気軽に俺をサンドバッグ扱いしすぎっす!
もっとこう、敬いの精神をもって接してほしいっすね! じょ・う・し・なんだし!」
メアリが、ビシッと手を上げて聞いた。
「はい! 敬いの心って、なんですか!」
エドガーは菩薩のような笑顔を浮かべて言った。
「俺をサンドバッグにしないという、清い心がけのことです。」
メアリが、眉をハの字にして言った。
「エドガー先生~、いい大人なんだから無理難題押し付けないでくださいよお~!」
握りこぶしをぶんぶん振りながら、メアリは言う。
それをみて、エドガーは悟りの境地を開いた。言っても無駄なことには、労力は使わない主義である。
「ーーところで。
まあ十中八九ギャタピーだったとは思うんすけど、念のため。
結果はどうだったんすか?」
光のない目で、メアリが答えた。
「お察しの通り、水をバシャバシャぶっかけてくる巨大魚以外、いませんでした。」
「だろうね。」
メアリから視線を外したエドガーは、少し離れた位置にある縮小ゲートから武骨な手で作られたピースサインがブンブン振られていることに気づき、ゲートの幅を広げた。
ゲートの中から出てきたのは、筋肉もりもりな庭師・ハイドだ。なぜか全身粘液まみれになっており、心なしか表情も暗い。粘液にまみれた彼はエドガーの姿を確認すると、叫んだ。
「この外道が!」
「なんなんすか、いきなり!」
ハイドの唐突な暴言に、エドガーは反射的にツッコミを入れた。理不尽な言動には抗議する男である。
「文句のひとつくらい言わせろ!
道具なしで崖を登らされた挙げ句、やっと目的地にたどり着いたと思ったら、でけぇナメクジの巣で大変だったんだからな!
あいつら執拗に俺を追いかけ回してきて、めんたま狙って粘液飛ばしてくんだぞ!
こっちの身にもなれ!」
エドガーに向かって涙目で叫ぶ、筋肉もりもりな庭師・ハイド。日に焼けた肌も、綺麗に短く切り揃えられた金髪も、粘液でベトベトになっている。
「うひゃー!
私、そっちの担当じゃなくて良かった~!」
ハイドの心のシャウトを聞き、メアリは空気を読まずに無邪気な感想を言う。
エドガーは盛大にため息をつくと、心底面倒臭そうに言った。
「俺、言ったっすよ?
適材適所に配置したって。」
「なんで俺の適所が、ナメクジの巣なんだよ……!」
エドガーは少し考えた後、言った。
「……もしかして、虫系、ダメだったんすか?」
「虫は平気だよ!
だけどな、全長1メートル大のナメクジの群れは普通にキモいんだよ!」
「あれはナメクジじゃなくて、魔獣っすよ。
シトリンって言う種類の。
動きが鈍くて攻撃手段を持たない魔獣なんで、基本的に外敵が少ない高い所に巣を作る習性があるっす。
粘液で敵の目潰しをし、その隙に粘液を使って地表を滑って逃げる、臆病で無害なヤツっすよ。
ちなみにその身体中にまとわりついてる粘液はただネバネバしているだけで、人体には無害なんで、安心してほしいっす」
「そんなことが聞きたかった訳じゃねぇよ……!」
筋肉もりもりな庭師・ハイドが、全力でエドガーにツッコミを入れた。なかなかの迫力である。
「じゃあハイドさんは、何が聞きたかったんすか?」
「崖の上で、ナメクジの粘液ぶっかけられながら思ったんだけどよォ。
冷静になって考えてみりゃあ、5歳児がわざわざ崖を登ってナメクジと戯れるかって話だよ。普通に考えてあり得ねぇだろ。
普段体動かしてる俺ですらキツイ崖を!
子供が!
登りきれる訳ねェんだよ!」
おおーっと関心した声をあげながら、その場で拍手をするメアリ。
「いや、拍手をする意味がわからないっす。そこは登る前に気づくっしょ。
俺だって別に、お嬢様が自力で崖登りしたとは思ってないっすよ」
「えっ! じゃあ嫌がらせで崖登りさせたんですか!?」
メアリが、口元に手を当てて叫んだ。
「こらそこ。
イタズラに俺の印象を悪くすんの、卑怯っすよ」
「じゃあ、故意ならいいんですか?」
曇りなき眼差しで、お団子頭のメイドがエドガーをみつめる。
エドガーは眼鏡を光らせ、中指で位置を調整しながらそれに返答した。
「故意なら減給するまでっす」
「鬼~! エドガー先生の、鬼~!」
握りこぶしをぶんぶん振りながら、メアリが抗議するのを、鼻で笑いつつあしらうエドガー。そんなエドガーに、ハイドが真剣な面持ちで聞いた。
「じゃあどういうつもりで俺をあそこへ行かせたんだよ、エドガー先生ぇ?」
ハイドとメアリの視線が、エドガーに集中した。
「少なくとも嫌がらせではないことを、先に伝えておくっすね。
ハイドさんにあの場所の確認を頼んだのは、生身で崖を登れそうなのがあなたくらいだったからっす。
流石にアンさん達には崖登りさせられないっすからね、男の仕事っすよ。
で、なんでここを確認してもらったかってのは、シトリンの習性のひとつに、同じ大きさの物体を仲間だと思って巣に持ち帰る習性があるからっす。
滅多に崖下へは降りてこないんすけど、万が一お嬢様が森でシトリンと遭遇したら、お嬢様を仲間だと思って巣にお持ち帰りする可能性があったんで、まあ、念のための確認として動いてもらったっす。
何度も言うっすけど今回指定した場所に関しては、あくまでも無駄足前提の確認作業になるんで、クレームは受け付けないっすよ?」
言い終わるとエドガーは、にっこりと笑った。
ハイドとメアリが、それをみて言葉をつまらせる。
「じゃあこの話は、これで終わりってことで。
あ、念のため確認しとくっすけど、シトリンの巣にはお嬢様はいなかった、ってことでいいんすよね?」
ハイドが、やつれた顔で頷いた。
「右も左も前も後ろも巨大ナメクジにふさがれた揚げ句、空からも巨大ナメクジが降ってきやがったが、そこに巨大ナメクジ以外の生物の姿はなかったぜ……?
巨大ナメクジの粘液責めにはあったがな……」
ハイドはは、両手で顔をおおい、うなだれた。
メアリが無言でハイドの肩にポンと手をおき、なぐさめる。
「あっ」
エドガーがそれをみて、つい声をあげてしまう。
「もー、今度はなんですか?
エドガー先生!」
そう言ってメアリがハイドの肩から手を離した瞬間、ふたりの間を繋ぐように、ねばつく粘液がデローンと糸をひいた。
メアリが、無言でねばつく糸を切ろうとぶんぶん上下に手を振るが、いっこうに切れる気配がない。
「エドガー先生ぇ~……」
自力ではどうしようもないと悟ったお団子頭のメイド・メアリは、涙目でエドガーに助けを求めた。右手からネバネバした糸をたなびかせながら、エドガーに駆け寄るメアリ。
「ちょっ、こっち来ないでほしいっす!」
慌てるエドガー。
何もない地面につまづく、メアリ。メアリに押し倒されるエドガー。ヌメヌメの右手が、エドガーの顔面に不時着した。
ヌメェ……
「oh ……」
エドガーは白目を剥き、悟りを開いた。
「あいたたたた~」
メアリがエドガーの上からのっそりと起き上がり、ヌメヌメの右手をエドガーの顔面から離した。手と眼鏡の間に、キラキラと光るネバネバの橋ができる。
「おぅ……」
メアリがネバネバを見て言った。
「絶望したいのはこっちっすよ。
はやく俺の上から降りてほしいっす」
メアリは、無言でエドガーの顔面にヌメヌメの右手をお見舞いした。
「おい、二人とも大丈夫か!?」
筋肉もりもりな庭師が二人に駆け寄り、声をかける。
「見てわからないっすか?
大惨事っすよ……」
エドガーは再び、悟りを開いた。
そんな中メアリはふと、縮小ゲートから華奢な白い手がピースサインをして振られている事に気づく。
「あ、ゲートから手が生えてますよ、エドガー先生。多分アンさんだと思います!」
顔面にヌメヌメのアイアンクローをお見舞いされたまま、エドガーはなんとなくゲートがあるであろう方向にぷるぷる震える手を伸ばす。縮小されたゲートの幅が広がり、人一人出られる大きさになると、そこからポニーテールを揺らしてアンが飛び出してきた。
「エドガー先生、大変です!
お嬢様が……あ?」
泣きぼくろが印象的なメイドはゲートから出た瞬間、動きが止まった。
転移ゲートから出てきたアンが見たもの、それはーー
全身ずぶ濡れでエドガーを地面に押し倒しアイアンクローをかましているメアリと、彼女に押し倒され眼鏡をヌメヌメにされているエドガー、そしてそんな二人に寄り添うように側にいる全身粘液濡れのハイドの姿であった。
「あの……、ちょっと私、審議のために一旦森に戻ってもいいかしら……?」
ゲートの中に再び入ろうとするアンだったが、入る前にゲードがパァンと弾けて消えた。
アンが、物言いたげにエドガーを見て言った。
「ゲートが消えましたわ。
戻してください、エドガー先生」
エドガーはメアリのアイアンクローを顔面に受けたまま言った。
「一人だけここから逃げるの、ズルいっすよアンさん。」
アンがエドガーを見て、小さく舌打ちをする。
「舌打ち、聞こえてますよ。
視界が遮られてるので、音がよく聞こえるっす」
「うふふ。エドガー先生、きっとそれは気のせいです」
泣きぼくろが印象的なメイドのアンが、黒い微笑みを浮かべる。
「それよりもエドガー先生。
先程と同じ場所に、転移ゲート、出していただけないかしら」
「その前におたくの部下、しつけてもらっていいっすか?
俺いますっごく可哀想なことになってるんですけど。」
エドガーはメアリに地面に押し倒されアイアンクローを受けながらも、両手を大きく横に動かしながら彼女を指差し、自身の悲痛な現状をアンに訴えた。
「しょうがないわね。
何があったのかは知らないけれど、エドガー先生から降りてあげて」
「はぁい」
メアリはしぶしぶエドガーの顔面から手を離し、立ち上がった。
エドガーの眼鏡とメアリの右手に、粘液の糸がびろーんとのびる。
「エドガー先生、大丈夫か?」
ハイドが、顔面をヌメヌメにしながら地面に仰向けになって倒れているエドガーの上半身を起こした。ーー粘液で全身をねばつかせたままで。
「あ、はい。どうも……って、あ!」
エドガーは右半身に嫌なぬめりを感じ、叫んだ。
それは筋肉もりもりな庭師・ハイドがみせた、善意の行動だった。
そう、善意なのである。
その結果エドガーは、顔面だけでなく右半身もヌメヌメになってしまったのだった。
「あの……助けてもらってあれなんすけど……。二人とも……俺から一旦離れてほしいーっす!」
エドガーの悲痛な叫びが、城の庭にこだまする。
エドガーに怒られ、しょんもりしながら、ハイドとメアリが、エドガーから距離をとった。
エドガーから面白いほどに、ヌメヌメとした糸がのびる。
それを見て、泣きぼくろが印象的なメイドが顔を歪めて言った。
「うわぁ……。エドガー先生……ヌメヌメのところ申し訳ないのだけれど。
うちの品性を疑われかねない状況なので、一度森に戻って地ならししておきたいんで、転移ゲート、出していただけませんか?」
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