エピソード1-9 再会と疑惑

「アンーーッ!?」


 振り向いたルクソニアが目にしたもの、それはーー握りこぶし大の透明なバリアを腹に直撃させ、艶やかな黒髪のポニーテールを揺らしながら反対側へと弾き飛ばされていくアンの姿だった。


 スカートをふわりとなびかせながら、アンは尻から地面に着地する。


 ニブく重たい音が、森のなかに響いた。


 ドスン!


 その瞬間、アンが悲痛な叫びをあげた。

木々に止まっていた鳥たちが音に驚き、ちりじりに空へ飛び立っていく。


「アン!! 大丈夫!?」


 ルクソニアは慌てて、アンの元へと駆け寄った。


 アンは地べたに座り、お腹と尻を押さえながらプルプルと小刻みに震えて悶絶している。


 その姿を見て、ルクソニアは半泣きになりながら彼女の腕に抱きついた。


「本当にごめんなさい、アン。

 魔獣だと思って、ついバリアをはってしまったの……!」


 ルクソニアは、今にも泣き出しそうな顔で言った。


「……お嬢様……あなたも私の事を、ゴリラ扱い、するんですか……?」


 苦痛から額に汗を浮かべつつ、アンはひきつった笑顔でルクソニアに聞いた。


「えっ? ゴリラ?

 魔獣扱いはしてしまったけれど……」


「魔獣扱い……!」


 アンに、衝撃が走る。

「アン……?」


 ルクソニアは不思議そうに目をパチパチさせて、アンを見つめた。


 アンは、胸に手をあて、瞳を潤ませながら訴えた。


「今朝お嬢様の姿がないと気づいてから、私、お嬢様の安否が心配で、それはもう身を粉にして一日中方々を駆けずり回って探していたんですよ……!


 それなのに……ゴリラを通り越して魔獣扱いなんて……ひどいと思いませんか……?」


 ルクソニアも瞳を潤ませた。


「ごめんなさい、アン……。

 ついさっき魔獣のワンちゃんに襲われたから、またそうだと思ってしまったの」


 うつむくルクソニア。


 アンはルクソニアの肩をガシッとつかむと、青い顔をして聞いた。


「魔獣に襲われたんですか!?」


 アンの勢いに押されながら、ルクソニアはぎこちない仕草で頷く。


 アンは頭に手をおき、意識が遠のきそうになるのをなんとかこらえた。


「アン……大丈夫?」

 心配げに見つめるルクソニアに、アンは、安心させるために微笑んだ。ルクソニアの頭を優しく撫でながら尋ねる。


「怪我は……どこか痛いところとか、ありませんか?」


 ルクソニアは首を横に振ると、満面の笑顔を作った。


「大丈夫よ、アン。

 怪我をする前に、ヨド・・が全部倒してくれたもの!」


「全部……?

 その……ヨド、さんが、ですか……?」


 周囲を見渡すと、口から泡を吹いて倒れているウォーウルフの死体が多数転がっていた。


 生半端な腕では、こんなことは出来ない。


 アンの表情に、緊張が走る。


 ルクソニアは無邪気に言った。


「そう、ヨドよ!」


 鼻息荒く、得意気な笑みを浮かべるルクソニア。


 少し離れた位置から二人のようすを窺っていたヨドは、アンと目が合うとふわりと微笑んだ。


「私はヨド。以後お見知りおきを」


 日の光に照らされ、キラキラと光る銀髪。


 白い肌に映える、虹色に輝く瞳。


 ヨドが佇んでいる場所が、まるで切り取ったかのようにぼんやりと光って見える。それほどまでに、ヨドは神々しいオーラを放っていた。


 そんな彼と目があったアンは、一瞬、意識を手放した。


「アン……?」


 目をぱちくりさせ、アンの顔を覗き込むルクソニア。


 その呼び掛けで正気に戻った彼女は、ヨドには聞こえないように、こそっとルクソニアに耳打ちした。


「お嬢様……あの森の妖精みたいな殿方は、一体……?」


「ヨドよ?」


 ルクソニアはくもりなき眼差しでアンをみた。


「……それは先程、お聞きしましたわ。

 私が気になっているのは、どのような立場の方なのかということです」


 ルクソニアはくもりなき眼差しをそらさずにアンをみている。


「青の王子の陣営の人だって、言っていたわ。王立選で、パパに協力をしてほしいそうよ」


 ルクソニアの言葉を聞いた瞬間、アンの頭に、ある言葉が浮かんだ。


 ーー例えば、なんすけど。


 ……青の王子の陣営……とかだと、うちみたいな辺境貴族の支持でも、喉から手が出るほどほしいんじゃないっすかね。ーーそれこそ、誘拐を企ててでも・・・・・・・・


 エドガーの言葉がアンの頭のなかで、何度もリピートされていく。


 仮定の話・・・・だった事が、にわかに信憑性をおびてきた。


 アンは、ごくりと唾を飲み込んだ。


「ーーお嬢様。

 今から何点か、確認してもよろしいでしょうか」


 アンは、緊張した空気を放ちながら言った。彼女の変化に気づいたルクソニアが、眉毛をハの字にしてポツリとつぶやく。


「アン、とってもこわいお顔をしているわ。

 ……わたし、怒られちゃうの?」


 おずおずと窺うように、アンの顔をみるルクソニア。


 アンは、穏やかな微笑みを浮かべて聞いた。


「私に怒られるようなことを、お嬢様は何かなさったんですか?」


 ルクソニアの顔から、汗がぶわっと吹き出した。


 笑顔の圧力に耐えかねたルクソニアは、背後に控えていたヨドへと、助けを求める様に視線を送る。それに気づいたヨドは、困ったような微笑みをルクソニアに向けた。


「お嬢様、どうしてヨド様の方を見るんですか? 今、お話をしているのは私ですよね。

 きちんと顔をみて、お話をしませんか?」


 アンの笑顔の圧力が増した。それに比例して、ルクソニアの汗の量も増える。ルクソニアは、恐る恐るアンの方へと向き直った。青ざめた顔で視線を落とし、ぎゅっと目をつぶる。


 これは、ルクソニアが叱られると確信した時に・・・・・・・・・・・見せる仕草だ。


 その様子を見て、アンはなんとなく状況を把握した。


 仮定を確信に変えるべく、極めて穏やかな声色でルクソニアに質問をする。


「お嬢様。

 ヨド様とはどこでお知り合いになられたのか、私に教えていただけませんか?」


 穏やかに微笑む、アン。


 ルクソニアは上目遣いでアンをみると、小さな声でそれに答えた。


「……怒らないって約束してくれる?」


 潤んだ瞳で、泣きぼくろが印象的なメイドの瞳をみつめるルクソニア。


 穏やかな微笑みを浮かべ、アンが確信を持って言った。


「ーー私に怒られるようなことを、お嬢様はなさったんですね?」


 ルクソニアは左右に視線を泳がせたあと、再び背後に控えているヨドへと、救いを求めて視線を送った。ルクソニアの視線に気づいたヨドは、静かに首を左右に振る。


 それをみたルクソニアはしゅんと肩を落とし、アンの方へと向き直ると、ポツリと小さな声で言った。


「わたし……森の外へ行きたかったの、ひとりで。

 ヨドとは森の中で出会って、お友だちになったのよ」


「……」

 

 アンは少し考えたあと、スカートの裾を軽く持ち上げ、ヨドに向かって深々と丁寧に頭を下げた。


「ーーヨド様。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません。私はメイドのアンと申します。お嬢様の話を聞く限り、ヨド様には大変お世話になったご様子。


 城主に代わり、心より御礼申し上げます」


 ルクソニアはそれを見て、慌てて自分も真似をし、頭を下げた。


「わたしも改めてお礼をいうわ、ヨド。

 助けてくれて、本当にありがとう。

 あなたみたいな素敵な人とお友達になれたこと、とても幸運なことだと思っているわ」


 頭を下げる二人に、ヨドは穏やかな声で言った。


「私は、大したことをしたつもりはない。

 どうか二人とも、頭をあげてはくれないだろうか」


 二人が頭をあげると、少し困ったように微笑むヨドと目があった。


 ヨドの人となりを見極めるため、アンは穏やかな微笑みを浮かべたまま、さりげなく探りをいれる。


「それにしても、ヨド様はとてもお強いんですね。魔獣の群れを一網打尽になさるなんて、なかなか出来る事ではありませんわ。

 見たところ魔法を使った形跡もありませんし、なにか武術の心得でも……?」


 質問の意図を察したヨドは、ふわりと微笑みながら、短くそれに答えた。


「護身術として、多少武術のたしなみがある程度だ。大したことはない」


 それを聞いたルクソニアが、得意気な顔をして二人の会話に割り込んだ。


「ヨドはね、魔獣に効く毒を使ってワンちゃんを倒したのよ……!」


 ふんすと鼻息を荒くして言う、ルクソニア。


 アンは毒と言う言葉に内心動揺したが、それを悟られないよう穏やかな笑顔を顔に張り付けたまま、ヨドに聞いた。


「魔獣に効く毒、ですか?」


 ヨドも優しげな微笑みを浮かべながら、それに答えた。


「私は魔法が使えぬ身。

 森を抜けるにあたり、魔獣対策として特別に薬を調合し、持ち歩いていただけだ」


「なるほど、ヨド様はお薬にも造形が深くていらっしゃるのね」


 表面上はとても和やかな雰囲気で笑う、ヨドとアン。そんな二人の様子を見て、なんとか会話に割って入ろうとする、ルクソニア。


 森の中で、報われない三角関係が完成した。


「お二人とも、森の中を進むのは大変でしたでしょう?

 この先に、城の庭に出る転移ゲートがございますので、ご案内致しますわ」


 アンが先導し、3人は転移ゲートの入り口へと向かうことになった。


 ポニーテールを揺らしながら森の中を歩きつつ、アンが後ろを歩くヨドに向かって声をかけた。


「ヨド様はお嬢様の命の恩人。

 城に着きましたら、心を込めておもてなしいたしますね」


 アンの言葉に、ヨドの隣を歩いていたルクソニアが反応した。


「その事なのだけれど、ねえ、アン。

 折角だから、ヨドには泊まってもらったらどうかしらって、わたしは思っているの。


 それでね、夕食にはギャタピー(東の滝にいる魚のような魔獣)を出して欲しいの!」


 無邪気に笑いながら、本来食べる習慣のない魔獣を大切な客人の食卓に出せと言うルクソニアに、アンの笑顔がひきつった。


「お嬢様……食用に品種改良されているとはいえ、大切なお客様に魔獣をお出しするのは

 ちょっと……」


 アンの言葉に、しゅるしゅると元気をなくていくルクソニア。潤んだ瞳で、アンを見る。


「どうしても、ダメ?」


 アンは静かに、瞳を伏せた。


「……私は賛成いたしかねます」


 ルクソニアは不満げに頬を膨らませた。


「ギャタピー、焼いたら美味しいのに……。

 ヨドだって食べてみたいと思うでしょう?」


 ヨドは熱いまなざしで、ルクソニアを見つめた。


「ルクソニア嬢。

 過剰な好奇心は身を滅ぼす、というだろう?」


 ルクソニアは澄んだ瞳でヨドを見た。


「こわいの?」


「恐くはないさ」


 ヨドはルクソニアに、ふわりと微笑んでみせた。所詮、痩せ我慢である。


 それを察する事ができなかったルクソニアは、満面の笑顔でこう言った。


「じゃあ、今晩のディナーはギャタピー(魔獣)で決まりね!」


 ヨドの目が驚きで見開かれる。所詮、痩せ我慢だったのである。


「お、お嬢様……! 無理強いはいけませんよ!」


 アンが慌ててルクソニアをたしなめる。


 ルクソニアはキョトンとした顔でアンをみた。


「無理強いはしていないわよ、アン。

 ヨドも食べたいって言ってるわ」


 それを聞き、さりげなくヨドは抵抗の意思を見せる。


「食べたいとは言っていないぞ、ルクソニア嬢」


 ルクソニアは澄んだ瞳でヨドを見て言った。


「こわいの?」


「恐くはないさ」


 こうして、今晩のディナーが魔獣に決まった。

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