32「刑事の矜持」

   ■■■21時過ぎ / 神戸・三宮の旅館にて■■■




 私――警視庁刑事部捜査第4課の警部・頼朝よりとも頼子よりこは恐慌のただ中に居た。


「駄目ね、ちっとも電話に出ない……ッ!」


 スマホの終話ボタンを押す。思わず舌打ちしそうになるのを、必死に飲み込んだ。

 自制せねば。この場には、不安で押し潰されそうになっている子供たちがたくさんいて、彼ら彼女らが、大人の――私の一挙手一投足を、不安げな眼差しで見詰めているのだ。


 それにしても、かるたくんを取り逃がしてしまったのは痛手だった。


 今この場には、霊視が可能な『専門家』は居ない。『専門家』たちは人数が少ない上にみな常に多忙で、先行き不透明な現場に長時間繋ぎとめておくのは難しい。

 なればこそ、かるたくんの『左目』を期待していたわけだけど……私が言動を誤った所為でかるたくんを混乱させ、この場から立ち去らせてしまった。


 ――力づくでも、繋ぎとめるべきだった。


『ホシカリさん』なる悪霊がこの『呪い』の元凶である可能性が濃厚な現状、かるたくんに憑りついていると思しきその悪霊をいの一番に霊視し得るかるたくんを手元に置いておくのは必須も必須。

 いくらあの子が錯乱していたとしても、抵抗したとしても、暴力に訴えてでも拘束すべきだった。

 それが出来なかったのは――警察官として唾棄すべき事であるが――私情が邪魔したのだろう、と思う。だけど。5年の月日が、私に非合理的な選択を取らせてしまう。

 5年。十代半ばの彼からすれば――二十代後半の私からしても――けして短くはない期間。

 それだけの間、私はかるたくんと交流を深めてきた。彼は自分に自信がない分、他人に対して誠実で、切実だった。『頼々子さん』と呼んで私を慕ってくれる彼の事が、弟みたいで可愛かった。


 だけど、頼子。頼朝頼子!

 今の貴女は、数十人の命を預かる警官なのよ!?


「な、な、何か、何か映える物は――ぎゃっ」


 旅館のロビーでは、女子生徒の一人がスマホを翳して右往左往していたかと思えばすっ転び、


「あぁ……あぁぁ……死ぬんだ。みんな、スターハンターの呪いで死ぬんだぁああ!!」


 また別の女子生徒が、頭を抱えて泣きわめいている。

 女子はみな、そんな有様だ。男子にしたって、みな恐怖に震えている。みな、悪意なんて持っていない、純真な子供たちのように見える。

 かるたくんはそんな彼らの事をメールで、ひどく悪し様に書いていたけれど……私の目から見る限り、彼らはこんな異常事態の只中にあるにしては、極めて理性的だ。少なくとも、自暴自棄になって暴れ出すような子は居ない。

 かるたくんの、クラスに対する認識にバイアスが掛かっていたんだろう……あるいは『ホシカリさん』に憑りつかれた事で、思考の指向性を捻じ曲げられている可能性もある。


「ね、ねぇ刑事さん……アタシたち、大丈夫だよね? 死なずに済むのよね!?」


 女子生徒の一人、びっくりするほど美人でスタイルの良い子が、私に縋り付いてきた。


「大丈夫よ」私は努めて笑顔を見せる。その子の肩を抱こうとしたけれど、手が震えていて、出来なかった。「……だから今は、とにかくたくさん呟いて、相互にいいねをしてあげて」


 ここに来るのに先立って、子供たちの寿命を少しでも延ばす為の手段を講じてきた。警視庁内におけるあらゆる伝手を使って数十人、この子たちのTwittooをいいねしてくれる人員を確保してきたのだ。協力者たちは今も、この子たちの呟きに対して必死になっていいねを付けてくれているはず。

 ……けれど、それも万能ではない。

 何故なら、協力者たちには、自分たちのいいねが子供たちの寿命に直結する事を伝えていないからだ。伝えられるわけがない。


 そもそも捜査4課には、扱う事件の性質上、極めて高い機密性が求められる。オカルトめいた事件・事象が実在していて、それを大真面目に扱う組織が存在するだなんて世間に知られてしまっては、大騒ぎになる。

 だから捜査4課には事務方の手伝いがほとんど居ない。居るのは自ら事件を担当する刑事ばかりで、そんな刑事たちはみな、案件を多数抱えている。心霊現象に脅かされているのは、死に瀕しているのは、何もこの子たちだけではないのだ。

 すると自然、いいねに協力してくれる人たちは、捜査4課の本当の姿を知らない他部署の人間ばかりになる。そんな彼ら彼女らに、『呪いは実在します。そして、あなたがいいねを付けなかったら、この子たちは死にます』なんて言える?


 Twittoo社にも、警視庁の方からこの子たちのツイートに数千、数万のいいねを付けるように要請してもらっている。が、捜査4課の事を明かす為には政府の許可が必要で、諸々の手続きが一昼夜の内に終わるとは到底思えない。


 ――だから、返すがえすもかるたくんを取り逃がすべきではなかった。


 これ以降、この子たちが一人でも死んだら、それは全て私の責任ね……と、陰鬱な気持ちになりながらもかるたくんに電話を掛け続け、夜通し警視庁に応援を呼び、各警察署にかるたくんの捜索依頼を出し続け――――……






 精も魂も尽き果てかけた、朝6時前に。






 ――ムーッムムッ


 不意に、スマホが、震えた。


「――――ッ!?」


 子供たちがめいめい泣いたり喚いたり疲れ果てて眠ったりしている中、私はスマホに飛びつく。


 メールの着信。

 果たして送信者は――…


「――かるたくんッ!?」

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