勇者と魔王
***
それが思っていた以上に呆気なくスルリと抜けたのはいいものの、勢いをつけていた私の体はふわりと宙を舞う。
バランスを崩した私は、見事に頭からドンッと地面に叩きつけられた。
電流が走ったような痺れとこれまでの過去の映像が混じり合いながら頭に流れ込み、私は反射的に大きな声で叫んだ。
「だあああっ!思い出したーー!!」
ぱっと目を開ければそこに広がるのはクリスタルで出来た洞窟、クリアノアゼーツ洞窟の眩いクリスタル達が私を見て笑っているように輝いた。
私の声を聞いて駆け寄ってきた足音の存在達のことに気がついて、ぶつけた後頭部を擦りながらゆっくりと起き上がる。
「アイリーン?!大丈夫?!」
「聖剣を抜いたと思えば、勢い良く後ろに反り返るもんだからコケるとは思っていたが……盛大にやったな」
私の隣にやって来たのは、尖った耳が特徴的な美しいエルフの少女スコーリアと、獣人と呼ばれる人狼一族の若長でもあるジュゼンが心配そうな目を向けていた。
アイリーン・ルーディアス、それが“今”の私の名前。
国王直属の親衛隊隊長の父バハーゼルと、神殿に遣える聖女の母レチェナの間に生まれ、幼い頃から武術を叩き込まれながら育ち、十九年という年月を生きてきた。
昔からよく分からない単語を口にすることがあったと、周りの大人達からも言われていて自分の中にも何かの違和感はあった。
だけどそれが何なのかの検討がつかないまま、十二の時に賢者の導きによって私は勇者に任命され近いうちに復活すると恐れられた魔王との戦いに備えるべく力を付けた。
力を付けていく上で良き仲間と巡り会い、共に魔王討伐を目指す事となりパーティを組んだのは二年前。
徐々に増え始めた魔物の討伐をしながら平和を保っていたが、遂に魔王城が出現し魔王が復活したことがこの世界に知れ渡った。
そして今、魔王を討伐するために必要不可欠になる聖剣をこの神聖な地、シェンバルヒ聖堂の地下に眠るクリアノアゼーツ洞窟へと訪れた。
私の手に握られた光り輝く剣は、魔王の闇を唯一切り裂くことの出来る力が込められた剣。
歴代の勇者達もこの聖剣を使って魔王と戦い、悲劇を生み出すことなく平和を勝ち取ったと言われている。
貴重な聖剣を抜くという緊張感しか感じられない中、気持ちを固めてクリスタルに守られる聖剣を力強く抜いた、そして勢い余ってすってんころりん。
……よし、これまでの記憶もちゃんとある。
胸に手を添えて自分の鼓動が確かに動いていることを確認して、一つ息を吐き出した。
「心配かけちゃってごめん。勢い余っちゃった」
「大丈夫ならいいんだけど……それにしても思い出したって、何を?」
スコーリアの純粋無垢な瞳に真実を覗かれそうになるのが怖くて、私は無理やり笑って何でもないと答えた。
こんなタイミングで前世の記憶を思い出すなんて……間が悪いというかなんと言うか。
私は元カレと別れた直後、トラックに轢かれてそのまま死んで、神様と名乗るおじいちゃんに事細かに説明を受けて……それで今こうして第二の人生を送っている。
これが第二の人生といっていいのかはよく分からないけれど、私は私だ。
性格は昔の自分と同じ部分は少し……いや、ほぼ一緒か。
顔だって鏡で見る姿に既視感があったのも、同じような顔の作りをしていたせいだったのかとようやく理解出来た。
転生しても尚昔の自分を引き継ぐって、ちょっとおかしな話じゃない?まあ、いいか。
さて、ここで前世の記憶を取り戻したなんてことを言ったら二人の混乱を招くだけだ。ここは黙っていつか打ち解けるその日が来たら笑い話として聞いてもらおうかな。
手にした聖剣が自分の手に馴染むのが分かり、立ち上がった次いでに少々剣を振るう。
私がこの剣を必要とするように聖剣も私が現れるのを、ここでずっと待ちわびていたのだろう。
「これで全ての準備は整ったわね」
二人に向き直って三人同時に一つ首を縦に振った。
「魔王を討伐してこの世界に平和を」
「そして光の加護を」
私達三人でこの世界の平和と命を守るために。
決意を固めた私達は顔を見合わせて、笑顔を零したその時だった。
ゴゴゴ……と地響きの低い唸り声がこだまし、クリスタルの欠片が落ちてくる。
「なっ何……?!」
「洞窟が崩れる!ちっ……転移魔法を発動する!二人共俺の傍へ!」
地面に描かれた魔法陣に包まれるようにして、一瞬だけ体が灼熱の炎に包まれたかのように熱くなるけれど、すぐに収まって王国の聖堂に立っていた。
騎士たちが慌てて走り回っている中、一人の騎士が私達の帰還に気づき現状を報告した。
「アイリーン殿……!魔王城が王都上空に出現!結界を魔導師たちによって張らせてある状態ですっ」
「魔王城が……?!」
聖堂の窓から外を見れば、騎士が言うように王都を覆い被さるように魔王城が浮かんでいた。
どうやら私達が留守の間を狙って攻めてきたのだろう。
生憎だけど……こちらも準備は整ったのよ。
「アイリーン」
「父上!」
聞きなれた凛とした父の声に振り返ると、指揮を取る父が急ぎ足で近づいてくるや否や私の肩を掴んだ。
「この国の事は私に任せろ。お前は己の使命を果たす……いいな」
「はい。そのつもりです。父上、国のことは頼みました!――行くよ!」
スコーリアとジュゼンに合図を送り、聖堂の外へと飛び出すと結界の外には魔物が戦闘準備を整え始めている。
王都は混乱に包まれ悲鳴があちらこちらから聞こえてくる。
――皆が魔の手が迫り……震え、泣き、怯えている。
罪のない人々を傷つけるなんて、絶対に許さないんだから。
「これが俺たちの最後の戦いになる。生きてここに戻ろう」
「もちろんです」
「頼りにしてるわよ、二人とも」
ジュゼンの空間転移魔法により王都に張られた結界の外へと出ると、そこからは魔王城目掛けて剣を振るった。
これまで戦ってきた魔物達よりも知能が高く、しぶとい敵に苦戦しながらも私達は力を合わせ敵を薙ぎ払い続けた。
魔王の右手となる魔王軍四天王の二人が私達の前に立ち塞がり、行く手を阻む。
「っ……!」
「アイリーン!ここは俺たちに任せて先に行け!」
「でも!」
「甘く見ないでくださいよ。私達だって貴女の隣で貴女を支えてきた強い仲間なんですからね?」
「お前が魔王の息を止めろ!それがお前に課せられた使命だろ!勇者アイリーン!!」
「っ……!分かった!負けたら承知しないからね!」
頼れる二人の行動が無意味にならないように、敵の攻撃を躱しながら魔王城の最上部……魔王城の大広間の扉の前へと遂にたどり着く。
邪気や殺気が入り乱れた空間にいるだけでも今にも足が竦みそうになるのを、自分を鼓舞しその扉を勢いよく開けた。
渦巻く魔力に思わず目を細めると、立ち込める黒い霧の中にその男の影が動いた。
「魔王スレーン……今ここであんたを討つ!」
聖剣で霧を切り裂くと、少し長めの黒髪がチラリと見えた。
そしてようやく対面し……長い年月を掛けてこの男の命を断つためにどれだけの時間を費やしたのかを一瞬にして忘れそうになる。
「待っていたぞ、勇者」
その声は少し癖が違うとは言えども馴染みがある声で、不覚にも聞いていて心地がいいと感じてしまう。
綺麗な澄んだ瞳も雪のように白い肌も、額に生えた二本の角も……全ては違うのに、どこか懐かしい面影がある。
魔王スレーンも、怪しげな笑みを向けきていたはずなのに、私の顔を見るや否や一歩後ろへと後ずさった。
「……」
「……」
「……」
「……」
お互い沈黙が続き、下から上までじっくりと眺め合う。
どこからどう見てもそうなんだよな〜瓜二つなんてことあるのかな〜。
って、いやいやいや!!!ちょっと待ってよ!!
「元カレかよ!」
「前世で付き合ってた彼女かよ!」
突っ込んだタイミングすらも被って声が反響し合う。
……これは一体どう言うこと?なんでここに?
頭が追いついてこないのは私だけじゃないようで、魔王も手で頭を押さえている。
「あの〜……魔王ですよね」
「はい。魔王です。それで?貴女は勇者ですか?」
「ご存知の通り、勇者アイリーンと申します」
「この度は、どうも。ようこそ魔王城へ」
「いや〜すごいお城ですね〜って、違ーーう!!!」
パニックになりすぎて考えることを止めようとしている!!それは不味いのよ!!
目の前にいるのは前世の元カレではなくて、魔王なのよ!!
なのになんでこんなに久々に会った感覚が抜けなくて、ちょっと探りを入れたくなってるのよ!!
「前世でもあんたって奴は私を裏切って!!この世界でも悪事を働こうって魂胆?どうかしてるわよ!!」
「裏切った?!それはそっちが変に勘違いしたせいだろ!」
「勘違いなんかしてないわよ!私見たのよ!!スマホに知らない女とのやり取りが表示されたのを、しっかりとこの目でね!」
“この前はありがとう。お陰で助かったよ。今度お礼しに家に遊びに行くから待っててね(ハート)” って表示されてあるのを、はっっっきりと見ました。
彼女がいる男に手を出すだけじゃなくて、家にも遊びに行く?しかもハートマークまで付けるなんて、バッカじゃないの?!
それにほいほい流されて私との連絡を怠ったのは紛れもなく、あんたでしょう!!
それを勘違いで一纏めにしようなんて甘い考えを転生した今も尚持ってるなんて、この魔王絶対に成敗してやんだから。
聖剣を構えて怒りを露わにしていると、落ち着けと言わんばかりの魔力で私の身動きを取れなくする。
「こっちが魔法専門外ってのを出しにしてくるとは、いい度胸じゃない」
「……そうでもしなきゃ今は話を聞いてくれないだろ」
「話も何もないでしょ!あんたと私はこれから命を掛けた勝敗を決める戦いをするのよ!!」
今更何を言ってるんだこの魔王は。
これまでどれだけのモンスター達が街に攻め入って来て、関係の無い人々の血が流れたのかを知らないとでも言うのだろうか。
「俺はそんなことしたくない」
「はあ?!」
「お願いだ、少し俺の話を聞いて欲しい」
真剣になると少しだけタレ眉になって下唇をきゅっと噛み締めるその姿は……やっぱり私の知っている、いや記憶にある彼の姿の面影が滲む。
反則よ、そんな顔されたら私だって口を閉ざしちゃうじゃない。
「あの日、アイリーンが……いや沙和子が突然別れを告げて、正直思い当たる節がなかった。きっと沙和子が勘違いしたのは、俺の姉とのチャットの話だったんだろ?」
「お姉……さん?」
「もう少しで結婚式を控えていてさ。実はその結婚式に沙和子も招待するつもりだったんだ。俺の決めた女性はこの人ですって皆にも紹介するために。だから色々と姉さんの準備を手伝ってたりもしたんだ」
知らない、前世では聞いたことの無い話だ。
そもそもそんな素振りを見せていなかったし、そんな招待するくらいだったら、前もって言っておいてくれれば良かったのに。
でもそれだけじゃない、私と連絡が急に取れなくなったりしたのもある。
嘘をついてる可能性だってあるんだから真に受けちゃダメだ。
「連絡の頻度が落ちたのは一体何よ。他の女が出来てそっちに時間割いてたんでしょ?」
「お前なあ!」
急に大きな声で怒られて、モンスター相手にも驚くことなんか少ないのにスレーンのその声にビクリと体が反応してしまう。
ズカズカとこちらに近づいてきたかと思えば、私の動きを止めていた魔法を解くとそのまま私のことを抱きしめてきた。
「なっなっ……!!!」
「どれだけ俺がお前のことを愛していたか、今ここで証明してやる」
困惑する私を放っておいて苦しくなるほど強く抱きしめたと思えば、今度は私の顎をくいっと持ち上げた。
そして唇に触れた温もりにスレーンの体を引き剥がそうともがくけれど、その力と反比例するように引き寄せられてしまう。
キス……それがこの世界ではどんな意味を持っているのか、あんたは知ってるの?
心に決めた相手にだけ全ての愛を捧げるその行為と、知っているの……?
「んっ……」
吐息が漏れて体に力が入らなくなっていくのが分かり、抵抗することをいつの間にか止めていた。
スレーンの唇が少し離れたと思えば再び私の唇を……甘く貪る。
私達の甘い蜜が混じりあってできた糸が、弧を描いて小さく光る。
彼の唇は私の唇だけでは飽き足らず、首筋へ、そして耳を小さく噛むと甘く囁いた。
「一度惚れた女を手放すとでも思ったのか?」
「まっ……て……」
「待たない。愛してるよ、アイリーン。この世界でも君は俺の大切な人だ」
なんで……こんなことっておかしいじゃない。
失恋してその日に命を絶った私は、この世界での使命と共に生きていくべきなのに。
大好きだった彼のせいで……その使命も果たせそうにない。
「スレーン……私……」
「君の早とちりな所は昔からだったろ?連絡が取れなくなったのはごめん、謝る。でもな、俺は君の笑顔がどうしても見たくて頑張ってたんだ」
頬を撫でるスレーンの手の温もりにじわりと涙が滲む。
「前世のような綺麗なものではないけど、どうか受け取って欲しい」
魔法で光の礫を生み出したかと思えば、出来上がったそれを私の左手の薬指に嵌めた。
「結婚指輪の資金を頑張って作ってたんだ」
「……」
「結局貯めてたお金も無駄に終わったけど。俺もアイリーンが事故死したショックで、意識が朦朧としてた所を通り魔に刺されて……今に至るんだ。もう二度と会えないとやさぐれてた俺はこの世界で魔王になって、悲しみを忘れようとしてた。それがこんな形でアイリーンに会えるなんて、贈り物を貰った気分だ」
「ごめんなさい……ごめんなさいっ」
私の勘違いでお互い命を落として、前世の世界での生活に幕を閉じてしまった。
全て全て……私が悪かったんだ。
「どうしてそんなに謝るんだよ」
「だって……私が勘違いしなかったら、前世の世界で一緒になれたのにっ……」
「何言ってるんだか。それが出来なかった分、神様がこうして俺たちを祝福してくれてるんだろ」
「え……?」
「勇者と魔王の戦いなんか今日ここで全て終わりにすればいい。そんな運命を辿るために俺達はここにいるんじゃない。アイリーン、一緒に生きよう」
再び唇を奪われて先程よりも強いキスに、混み上がった気持ちと一緒に涙が一つ流れた。
離れた温もりに我慢できなくなって、自らスレーンの首に抱きついて精一杯の気持ちを言葉にする。
「私も大好きだったの……ううん、今も大好きよ」
「ようやく素直になった」
意味ありげに微笑んだかと思えば、私から離れて身にまとっていたマントを脱ぎ捨てた。
そのまま足元に魔法陣を描くと、外にいる配下のモンスター達に攻撃を止めるように指示を出す。
そして……魔法を発動させると、そこには魔力も何も持たないスレーンがいた。
角も魔王の文様が刻まれた瞳も何も無い、一人の人間になっていた。
「これでこの世界に魔王はいなくなった。めでたしめでたし」
「そんな呆気なく戦いが終わってもいいの?」
「いいも何も、これは俺たちの物語だ。誰かに咎められる必要もないだろ?」
自信満々に言うスレーンが愛らしくて、思わず零れた笑みに私は流れのまま聖剣をその場に刺し、スレーンが来ていたマントを掛けた。
これで魔王と勇者の物語は終わった。
啀み合う必要も、憎しみ合う必要もどこにもない。
私はただ目の前にいる愛する人と、手を取って生きていく道を選びたい。
「じゃあ、帰ろう。私達が一緒に生きていく街に」
「だな」
スレーンの手を取って大広間を後にした私達を、取り残された聖剣とマントが静かに見送っていた。
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