第3話

6月27日。梅雨真っ盛りの今日。

外出する際は傘が手放せない、傘が身体の一部になってしまいそうだ。今日の仕事は休みなので一週間ぶりに新宿の紀伊國屋に来ている。ピンク色の傘を傘立ての中に入れて店内に入る。

 ズラッと並んだ本を見ると、ドーパミンがドバドバ出て「ああ、生きててよかったな……」って気分になるから好きだ。

どんなに今がみすぼらしくても、ここにいればワタシは無敵。

どんな敵にだって勝てる気がする。

 一通り店内を見渡しながら歩く、お目当ての本は特にない。

ワタシが本を買う基準としては、表紙を見てビビッと来たり、気になるあらすじを見つけると直ぐに身体が動いて買ってしまう。

そのお陰で積み本が増える一方だ。

 いつもなら立ち寄らない参考書のコーナーに行くと、見覚えのある顔がそこにいた。

それは数日前店に来た関西人だった。何かの本を真剣に読んでいる。

目を凝らすと「演技のメソッド」というタイトルの本だった。

ゆっくりと近付くけれど、全然気付く素振りさえ見せない。それが無性に腹が立ったのでワタシはワッ! と声を上げた。


「な、なんや! びっくりするやないか! って……君はこの前の店員さんやないか」


彼は身体を仰け反らして驚いていた。その様子があまりにも可笑しくてお腹を抱えて笑ってしまった。


「君なぁ………人を勝手に驚かして笑うなんて失礼ちゃいまっか」


「ああ、ごめんなさい。あなたの様子があまりにも可笑しくて……」


思い出すと、また笑いがこみ上げで来た。人目を気にせず笑ったのはいつぶりだろうか。


「……………君、そんな顔も出来るんやな」


彼は、仔馬を世話するような瞳をワタシに向けた。

仕返し出来たと思ったら逆にやり返された。煮えたぎらない気分……。

彼は、読んでいた本を元の場所に戻して「ほな……」と言い立ち去ろうとした。

 ワタシは無意識に彼の服の袖を引っ張っていた。


「あ、えっと、ちょっとお話でもしない?」 


 彼は驚いていたが、ゆっくりうなずいた。

何故そんな事を言ったのか自分でも分からない。ただ、この人に夢の話をしてみたいと無意識的に思っていたら心の声が漏れ出ていた。

横断歩道を渡って少し歩いたところチェーン店のにコーヒーショップに入った。

店内は、平日と雨が重なって人はまばらだった。

席は窓側が空いていたのでそこに座った。直ぐに店員さんが来たので、ワタシはカプチーノ彼はブラックコーヒーを注文した。

 窓を叩きつける雨は止む気配を見せない。


「雨、強いなぁ……」

「梅雨ですもんねぇ………」


 雨自体は嫌いじゃないけど、雨を見てみんながみんなため息を吐く光景はあまり好きではない。

トランプのジョーカーって感じがして雨が可哀想。


「杜若」


 雨について想いを馳せていると、彼は窓の景色を見ながらひとりごちた。


「えっ?」

「この前買った花の名前。あれから帰って調べてん。花言葉もついでに調べたけどボクには似合わん言葉やな」


彼は自嘲気味に笑った。


「あ、そういえばボクの名前言ってなかったな。ボクの名前はイサガミアキラよろしく!」


「ワタシは、モリモトナツミです。よろしくお願いします」


軽く頭を下げた。


「そんなかしこまらんでええって。タメでいこ! タメで」


「う、うん……」


 テンションたっかいなぁ………なんか帰りたくなってきた………でも誘ったのはワタシなんだから、切り込んでいかないと……!

鼻から空気を吸い込んで、自身の夢を話そうとする。


「お待たせしました。こちらカプチーノとブラックコーヒーです。ごゆっくりどうぞ」


 店員さんは伝票を裏返してテーブルの上に置いて戻って行く。

うーーん、バッドタイミング………。

これもう帰っていいかな……。


「はぁーーー、雨の日はあったかいコーヒーに限るな……で、さっきなんか話そうとしてたけどなんなん?」


「あ、えっと、その……ワタシの夢の話をしようかと……」


 カプチーノの泡はとぐろを巻いている。

イサガミさんの表情は見えなかったが息を吸う音だけは鮮明に聞こえた。


「少し長いけど、聞いてくれる?」


 今度はイサガミさんの顔を捉えて言った。イセガミさんはゆっくり首肯した。

手をギュッと握りしめた爪が掌に食い込んだ。

ここに来ても、まだ迷ってる。

本当にこの人に言っていいのか。

いや、この人しかいない。あの日ワタシにあそこまで夢を語ってくれた人はこの人が初めてだ。皆んなワタシを壊れそうな硝子を触れるみたいに言葉を選んで話す。

だけど、目の前にいるこの人は違う、言葉なんて選ばず全部ぶつけてきた。

ワタシにはそれが必要だったんだ。それが欲しかったんだ。

息を吸い、ワタシは言葉を紡ぐ。


「ワタシに夢はないと言っていたけど、本当は昔は持ってた。文字を紡ぎ出す仕事。小説家って夢が。ワタシにとって本は救いで、本だけがワタシの唯一無二の世界だった。でも世界はそう単純じゃなかった。ワタシは好きを嫌いにして夢なんて持ってない普通の女の子を演じてた。でも過去はいつまで経っても追いかけてくる。貴方と出会ったのも過去から逃げるなって神様からのお告げなのかもね……あの日、貴方が店に現れてからずっと夢について考えてた。ワタシは夢をどうしたいのかって諦めたままにするのか、歩き出すのか」


「……答えは決まったん?」


「ええ、ワタシはあの日諦めた夢をもう一度追いかけてみようと思う」


言えた。ずっとしこりのように残っていた感情を、時間を。ようやく取り戻せた。

 彼は柔和な笑みを浮かべ、「そうか……」と言った。


「夢追い人同士頑張ろうな! あ、そうそうついでにメアドも教えとくわ」


ポケットからスマートフォンを取り出して、メアドの画面を見せてくる。

ワタシはそれを打ち込み空メールで送った。


「お、届いたわ!あんがとさん」


「……メッセージアプリとか使わないの?」


 イサガミさんのメールを登録しながら呟く。


「あー、色々億劫やろあれ。邪魔くさいしやってないねん。メールでのやり取りが一番楽やわ」

「メッセージアプリの方が楽だと思うんだけど……イサガミさんって変わってるね」


「イサガミ、なんて他人行者な言い方やめてやアキラって呼んでや。ボクもナツミって呼ぶわ」


ニカっと歯を見せて来た。

お世辞にも綺麗とは言えない歯並びだった。


「うん、じゃあ……アキラ! お互い夢に向かって頑張ろうね!」

「おう! 負けへんで〜〜!!」


アキラは拳を上に突き上げた。……この人は周りの目とか気にならないんだろうか。

雨は降り続いてるけど、曇っていた心は少し晴れ間が見えた。

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