The 35thゲーム 幕間Ⅱ

「なぁ、これも買おうぜ」

「どこから見付けてきたんですか、そんなもの……」


 都内はファッションデパート。

 フロアに様々なアパレルブランドが入る中、仲睦まじい夫婦の一人が喜々として提案する。


 生麻逸馬。30歳、新婚。

 好きなブランドはウニクロ。

 その手に持っていたのは、子供サイズのバニーガール衣装だった。


「何考えてるんですかいったい」

「いや、お前が選んだって言ったら、あいつ素直に着そうじゃん。そんでクッソ恥ずかしがりながら顔真っ赤にして、俺には見るなって喚くだろ絶対。それすげー良くね?」

「あなたと結婚したのは間違いだったかも知れません……」


 そんな逸馬に呆れ果て額に手を当てる車椅子の女性。


 生麻紗妃。26歳、新妻。

 好きなブランドは博多あまおう。

 ため息を吐きながらもバニーガールの衣装を確認して突き返す。

 母親として当然の判断と言えた。


 二人は数日後に控えた愛姫の十歳の誕生日のため、プレゼントを見繕っていた。

 紗妃の容態は安定しており、逸馬が休みを取って外出許可をもらったのだ。


「じゃあこっち買おうぜ」


 紗妃から承諾を得られないことを見越していた逸馬は、用意していた次なる衣装を広げて見せる。

 それは白と黒を基調にしたメイド服だった。

 フリフリと過剰な装飾が凝らされたものではなく、シックなロングスカートタイプである。


「またそんなものを……」

「まぁ待て、よく考えてみろよ。仕事で疲れて家に帰って、これ着たクソガキが迎えてくれたらどう思う?」


 何を馬鹿なことを、と思いながら一応逸馬の言う通りに想像してみる。

 まだ仕事をしていた頃、上手く接客をこなせないながらクタクタでアパートに帰ってきた時。

 玄関を開くと幼い愛姫が、少し照れながら「お、おかえりなさいませ……」と言って出迎えてくれる。

 たどたどしくもメイドの役に徹そうと敬語で話し、ところどころで間違えてお母さんと呼んでしまう。

 それはわりと真剣に、その日あった嫌なことも忘れられそうな光景だった。


「……良いかも知れません」

「だろ?」

「何だか、めちゃくちゃに抱きしめたい気持ちに駆られました」

「じゃあこれはどうだ」


 逸馬が次に手に取ったのは、ハロウィンを彷彿とさせる猫の耳が付いたカチューシャや尻尾の付いた服だった。

 愛姫がその衣装に包まれたところを想像して紗妃が即答する。


「絶対かわいいです」


 そして、次から次へと逸馬から提案される服の数々に、紗妃はその都度愛姫の姿を想像して徐々にトリップ気味になっていく。

 端的に言えば洗脳であった。

 逸馬が提案したからこそ偏見を持ってしまったが、子供に非日常的な服装を着せたり、何かの役を演じさせて喜ぶ、それはごくごく当たり前に親が持っている欲求だった。


「つまりクソガキは何を着ても?」

「かわいいです」

「じゃあこのバニーを着ても?」

「かわいいです」

「じゃあ買ってもいいよな?」

「ダメに決まってるでしょう」


 しかし幾ら想像の中で愛でることはあっても、現実に母親としての一線を越えることはなかった。


「確かにかわいいとは思いますが、流石に露出度が高すぎます」

「ちっ、誤魔化されねえか」

「私のこと何だと思ってるんですか?」

「騙されやすいガキ」

「もう知りません」


 そう言うと逸馬の元を離れ、一人で車椅子を転がしていく。

 逸馬が冗談で言っていることは分かっていたが、分かりやすく拗ねて茶番を演じるのが嫌いではなかった。

 ようは自覚がないものの、それは二人なりのイチャつきであった。


「冗談だって。お前にも何か買ってやるから」

「殆ど病室なんですから必要ありません。お金だってもったいないです」

「三人で出掛けるときに必要だろ。そこそこ稼げてるから安心して甘えとけって」

「別に今持ってる服で充分です」

「本当に変なところで頑固だな。愛姫だけじゃなくて、お前が色んな服着てるところも見たいって言ってんだよ」

「えっ」

「だってお前色々似合いそうじゃん。ガキっぽいけど顔はいいし、小さいけどスタイルいいし」

「ほ、本当ですか……?」


 照れ気味にほだされる紗妃を見て、逸馬は心底チョロいなと思った。

 もっとも、嘘は付いておらず元から紗妃の服もいくつか買おうと考えていた。

 紗妃が自前で持っている私服は、どれも変わり映えしない安物ばかりである。

 素材がいいのだから勿体ないという気持ちと、着飾った紗妃の姿が目の保養になりそうだという思いと、今まで殆どオシャレを出来なかったことへの穴埋めを逸馬はさせてやりたかった。


「ただ、派手過ぎるのはやめとけよ。お前、キャバ嬢のときのドレスとか全然似合ってなかったからな」

「男の人ってああいう恰好好きじゃないんですか?」

「けばい化粧もあったせいだろうけど、大学デビュー失敗しましたみたいな背伸び感あったわ」

「私もう26なんですけど」

「歳と似合うかは別なんだって。系統的にお前は清楚系かカワイイ系だろ」

「でもそれじゃ大人っぽくないじゃないですか」

「なんで大人の女=セクシーみたいになるんだよ。小学生かお前は」


 そのまま逸馬と紗妃は、くだらない問答を繰り返しながら店を見て回った。

 ショップ店員に勧められた服を紗妃が試着すると逸馬がもてはやす。

 なんだかんだと言いながら、紗妃は満更でもないむず痒い気持ちだった。


「に、似合うでしょうか?」

「おー、イケてるじゃん。お前やっぱガーリー、って言うんだっけ? そういう感じの服の方が似合うよ。あざといあざとい」

「それ、本当に褒めてるんですか?」

「褒めてるって。お前、俺が見た女の中で一番かわいいぞ」

「……」


 試着ブースのヘリに掴まり立ちしている紗妃が無言で俯いて赤面する。

 普段口の悪い逸馬だが、紗妃が直球の言葉に弱いことを知っているので時々褒め殺して反応を楽しんでいるのだった。


「つ、次のに着替えますね」

「着替え大丈夫そうか?」

「少しなら一人でも歩けますし、あと何着かなら平気です」

「そっか。気に入ったのあったらちゃんと言えよ」


 紗妃も徐々に気遅れがほぐれ、次第に自分と愛姫の買い物を楽しめるようになっていた。

 むしろ、こんな風に誰かとはしゃぎながら服を選ぶのは初めての経験で、反応が薄いながらも紗妃は内心浮かれていた。

 その光景はありふれた恋人同士のやり取りのようで、見る者さえ微笑ましい気持ちにさせるようだった。


「あ……」

「どうした?」

「これ、愛姫に似合いそうだと思って」


 シックな衣装に包まれた小さなマネキンの前で二人が足を止めた。

 普段着というよりはフォーマルな服を取り扱うブランドだった。


「お呼ばれ用って感じだな。確かに一着持ってた方がいいか」

「でもさっきので最後だって」

「色んなジャンルあった方があいつも喜ぶだろ。すみませーん、これってサイズありますか?」


 逸馬が躊躇なく店員を呼んで在庫を確認してもらう。

 買い物に関して逸馬は思い切りの良いタイプだった。


「それじゃ一式プレゼント用で。あ、あとこれもまとめてもらってもいいっすか?」


 そのまま図々しくも、他の店で買った服も含めてプレゼント用の包装まで頼む。

 しかしその気風の良さは店員から受けが良く、快く承諾してもらえた。

 同じ営業職ということもあり、互いが互いに呼吸を合わせるため自然と会話も弾む。


「随分買われましたねー。全部お子さんにですか?」

「えぇ、週末誕生日なんです」

「こんなに色々もらったら絶対大喜びですよ」

「そうだといいんですけど、なかなか素直じゃないやつなんで」


 会計を済ませ包んでもらっている服はそこそこの枚数があった。

 上着を含めアウター、ボトムス、シューズと、着回しが効くように複数紗妃に選ばせたのだ。

 ただの誕生日プレゼントにはどう考えても多く、紗妃は会計を終えるごとにお礼を言いっぱなしだったが、これは逸馬なりに自分との勝負を果たし続ける愛姫への労いでもあった。

 母親の前で努めている笑顔ではなく、ありのままの無邪気な笑顔が見たかったのだ。


「おーい、終わったぞー」


 特Lサイズのプレゼント用ボックスを抱えながら逸馬が戻ると、紗妃が壁にかけられた服の一つを見ていた。

 逸馬に気付くと、誤魔化すようにパッと視線を外す。


「なんだ、それ欲しいのか?」

「い、いえ! 大丈夫です! さっき買ってもらったやつだけで大丈夫ですから!」

「結局お前には一着しか買ってないんだから遠慮するなよ」

「本当に大丈夫です! それにこれ、どこか出かけるにしてもあまり着そうにないですし」

「ふーん」


 そう言いながら先ほどまで紗妃が眺めていた服を見る。

 淡い青色のワンピースで、確かに普段使いに向かないパーティードレスのようなデザインだった。


「さっき逸馬さんが仕事で着てたドレスは似合わないって言ってたから、こういうのならいいのかなって」

「うん、似合うんじゃねぇの? せっかくだから買おうぜ」

「ダメですよ! ただでさえ今日はたくさん買い物したんですから」

「まぁ確かに景気良く買ったな」

「本当にもう充分すぎるぐらい嬉しいですから、今日は帰りましょう」


 逸馬の気が変わらないよう、エレベーターの方へとせかせかした調子で紗妃が車椅子を漕いだ。

 紗妃からすれば、結婚しているとはいえ治療費から生活費まで出してもらっている心苦しさがあった。

 そのため、滅多なことでは使いそうにないおめかし用の服を買ってもらうなど持ってのほかだった。


 逸馬は後ろ髪をひかれていたが、これ以上は紗妃自身が申し訳なく思ってしまうのが分かっていたので大人しく建物を後にした。

 変に押し付け過ぎるより、楽しい買い物で終わらせたかったのだ。


 帰り道はバスを使うことなく、紗妃の車椅子を押しながらのんびりと歩く。

 途中で愛姫と行った店や神社も通りかかり、こんなことがあった、あんなことがあったと二人で笑いながら話した。

 そして、病院に帰る一本道の途中、一際思い出深い公園の前で逸馬が足を止めた。


「そういえば、お前とここ来るのは初めてか。この公園だよ、あいつとしょっちゅう勝負してたの」

「そうなんですね」

「ちょうど去年の今頃か。打ち合わせ前に時間潰して煙草吸ってたら喧嘩売られてな。まさかあのクソガキとこんな風になるなんて夢にも思ってなかったわ」

「あ……」

「どうした?」

「……多分それ、愛姫の誕生日の次の日だと思います」


 逸馬の話を聞いて、紗妃は去年のことに思い当たった。

 当時の紗妃は時間も金銭にも余裕がなく、夜の仕事で寝不足だったため昼の仕事でミスをしてしまった。

 その後処理に追われて仕事は長引き、予約していた愛姫の誕生日ケーキを受け取れず帰りも遅くなった。

 急いでアパートに帰って待っていたのは、買い置きしてあった菓子パンで夕飯を済ませ、薄暗い部屋でふて寝している愛姫の姿だった。

 紗妃が必死に謝ってせめて料理を作ろうとしても、「気にしなくて大丈夫だよ」と、「お母さんも疲れてるでしょ」と弱々しい笑顔で返される。

 悔やんでも悔やみきれない苦い記憶であった。


「本当に、逸馬さんに叱られた通りなんです。私は本当に出来ることが少なくて、頭も良くなくて、あの子には寂しい思いばかりさせてきてしまいました」

「否定はしねえよ。ただ、お前なりにずっと必死で大切に思ってたんだろ? じゃなきゃ、あいつがあそこまでお前を慕ってるはずがない」

「それを言い訳に許されることじゃないです。結局私は愛姫の強さに甘えて、目の前のことより先のことばかり考えてしまっていたんですから」

「……」


 逸馬が何か気遣おうとして、しかし口ごもる。

 その反省と後悔は、紗妃自身が大切に思っているものだと分かったからだ。

 過去を憂いて打ちひしがれるのではなく、今ある自分の気持ちが正しいのだと思うために必要なものだからだ。


「私、気付いたんです。もしあのまま私が好きじゃない誰かと結婚したとして、その人に愛姫を任せられるとしても、あの日と同じように愛姫には寂しい思いをずっとさせたままになってしまったんだろうって」


 紗妃は想像する。

 愛姫を託すための手段として好きではない誰かと結婚し、その相手に尽くす未来を。

 或いは、貧しくても、自分と同じ境遇になったとしても、残された時間を愛姫と全力で向き合った未来を。

 今となっては、後者の方が遺せる物が多いのだと心から思うことが出来る。


「だから私、今すごく幸せです。夢みたいです。こんな日が来るなんて思ってませんでした」


 紗妃が左手に付けた指輪を眺めて穏やかに微笑む。

 愛姫と向き合うだけでなく、心から想える人と一緒になれるなんて想像すら出来なかった。


「去年の誕生日の次の日、私は愛姫にどう接したらいいか分からなかったんです。でも、帰ったら愛姫が妙にムッしてたんです。何かを思い出すようにしたと思ったら地団駄踏むみたいな感じで。でも、見ていて嫌な感じはしなくて、楽しそうですらあって、私に気遣った笑顔なんかよりよっぽど笑ってるみたいに見えたんです」

 

 紗妃が後ろで話を聞いていた逸馬を振り返って見上げる。

 その瞳は親愛を映していた。


「謎が解けました。あなただったんですね」

「ハッハッハッ、そうだ、犯人は俺だ! ガキの喧嘩買うような奴でがっかりしたか?」

「いいえ、大好きです」


 紗妃が笑いながら続ける。


「あなたが好きです。愛姫とあなたが大好きです。本当に幸せなんです」


 先ほどの買い物と違い、今度は逸馬が顔を赤らめて口ごもる。

 もっとも、紗妃にはからかうような意図はなく本心からだった。


「だから、愛姫に言ってあげて下さい。ちゃんと笑っていいんだよって」

「……気付いてたのか?」

「分かりますよ、母親なんですから」


 紗妃は二人の勝負のことは未だに何も知らない。

 けれど、愛姫が自分のために無理をしてでも笑っていることには気付いていた。

 同時に、心から楽しんだり喜んでしまうことに引け目を感じていることも。


「きっと私から言っても、あの子はそんなことないって強がって、取り繕っちゃうと思うんです。けど、逸馬さんからならきっと、同じ目線で対等に受け取ってくれると思うんです」

「ガキと同レベルってことかよ」

「そうですね、そうかも知れません」


 そう言いながら紗妃が無邪気に笑った。

 それを受けて、後ろから手を回した逸馬がマフラーのように緩くチョークスリーパーをかける。

 二人ともしばらくそうしながらケラケラと笑い合った。

 それは二人なりにではなく、誰がどう見てもイチャついてるようにしか見えなかった。


 やがて、手を離した逸馬に対して、わざとらしく紗妃がコホンと咳払いする。

 そして車椅子にかけていた手提げを取ると立ち上がった。


「そ、それでですね、逸馬さん」

「ん? 急にどうした?」

「これ、もらってください」

「なんだよこれ」

「こんなことぐらいしか出来ないですけど」


 手提げから出して差し出したのは、茶色い不織布のラッピング袋だった。

 逸馬が不可解に思いながら、口を閉じている赤いリボンをほどく。


「凝ったものは作れなかったんですけど、病室でも湯煎なら出来たんで、そのなんて言うか……」


 そこには、クリアフィルムに包まれた小さなトリュフが幾つか敷き詰められていた。

 その形はどれもハートを模している。


「ほ、本命です」

「……」


 先ほどまで臆面もなく気持ちを告げていた紗妃が、照れを隠すように逸馬から視線を外して俯く。

 それを見て逸馬が口元を手で覆った。

 口角が上がり過ぎて見せられる顔じゃなかったからだ。


 そんな逸馬の様子には気付かず、紗妃が俯いたまま言葉を続ける。

 自分の服の裾を握り、手には力が入っていた。


「その、私は何も出来ないし、もしかしたら与えられるだけで何も返せないのかも知れません」

「……それで?」

「それでも、私はあなたにとって誇れる存在でいたいです。どんな未来が待っていたって、あなたと愛姫の気持ちに応えられるよう、私が私に胸を張れるよう、これから先ずっと強く笑っていたい。だから、支えてくれますか?」


 それを聞いた逸馬が今度は隠さずに満面の笑みを浮かべると、紗妃の脇に手を差し込んで持ち上げた。


「支えるどころか持ち上げてやるよ! お前は世界一格好良い母親で、世界一可愛い嫁だってな!!」

 

 そのまま戸惑って慌てる紗妃をグルグルと回す。

 それは、もはや完全なるバカップルのそれだった。

 



 翌月の14日、紗妃の病室に青い一輪の花と、同じ色をしたワンピースが届いた。

 それを見た紗妃が、意外にキザですよね、と幸せそうに微笑んだ。

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