The 36thゲーム 最後の勝負
随分と懐かしい夢を見ていた気がする。
もう十数年も前の頃のことだ。
紗妃が笑っていて、俺はそれが嬉しくて、馬鹿みたいに二人ではしゃいで。
若かったなって、あの頃と同じように思わずニヤケ面になってしまう。
久しぶりにあいつの顔を見て思ったことは、意外と記憶は色褪せないものなんだなってことだ。
鮮明に思い出せて、まだまだイケるじゃねぇかって自分の脳みそを少しばかり見直した。
あるいはこんな日だからこそ会わせてくれたんだろうかって、机に置いてあった小さな写真立てを見て思った。
「さ、行くか」
ベッドから出て準備をすると、その紗妃が写った写真立てをポケットにしまい込んで家を出た。
無人の部屋に「行ってきます」と声をかける。
随分と前に送り出してくれるやつなんていなくなったのに、何故だか今日はそう言いたくなった。
外に出ると最近は雨続きだったっていうのにカラッと晴れていて、あいつの運の強さに関心する。
目的地に向かいながらも、俺はどことなく今日という日に現実味がなかった。
式場に着くと、館内は人でごった返していた。
目覚ましがなる前に起きた分、思っていたよりかなり早く着いた。
流石にまだうちの式の招待客はいないだろうと思ったが、中には見知った顔をチラホラ見かけて軽く挨拶をする。
俺は親族用の受付を済ませると、スタッフに言われた通り衣装室へと向かった。
部屋に入った途端、パリッとした服のねーちゃんが元気良く挨拶してくる。
「お待ちしておりました。衣装を用意しておりますのでこちらへどうぞ!」
こういうところのスタッフって本当にプロ意識高いよな。
晴れの日にケチが付かないようにってことなんだろうけど、嫌なことあった日とか疲れてる時でも変わらない対応してるのか思うと頭が下がる気持ちだ。
「着替え終わったら控室にご案内致しますのでお声がけ下さい」
俺は貸衣装を受け取ると慣れない正装へと着替える。
鏡を見て、顔から下と上が釣り合ってないなと我ながらに笑いが漏れた。
同時に似合ってないということ以前に衣装自体にも疑問を感じる。
「わぁ! とても良くお似合いですよ!」
「いや、これなんか前に選んだのと違うと思うんだけど……」
「さ、こちらで新婦様がお待ちしておりますのでどうぞ!」
めっちゃグイグイ引っ張ってくなこの人。
今にして思えば若い子の笑顔って最強の営業ツールな気がするわ。有無を言わさない勢いがあるもん。
衣装室から直結した控室をノックして、スタッフがゆっくりと扉を開ける。
こういう扉一つ取っても派手な装飾が凝らされていて、至るところが非日常的だ。
俺は何だか場違いなんじゃないかと言う気に駆られて、衣装を纏った自分を再確認する。
扉が開いた先にいる相手に、こんなかしこまった姿を見られるのが照れ臭かったんだ。
「なぁ、この服なんか変じゃねえか? 普通新婦の父親って言ったらモーニングコート……」
言い訳染みたセリフを吐きながら顔を上げると、本日の主役が目に入ってきた。
「あら、早かったじゃない」
「……」
その純白の衣装に包まれた姿を見て、思わず言葉が止まる。
繊細なレース、床まで伸びて波紋のように広がるトレーン、衣装から覗ける白い肩、そして、幼い顔立ちなのに意思の強そうな面差し。
様々な意匠が凝られた部屋の中であっても、その立ち姿が何よりも鮮やかに見えた。
文句なしに主役も主役だと思った。
そして、変な話だが俺はそのとき初めて実感したんだ。
こいつは本当に嫁に行っちまうんだなって。
――そう、今日は愛姫の結婚式だった。
「あんたのことだからもっとギリギリに来るかと思ってたのに」
「……おう」
「なに今更見惚れてんのよ。……あぁ、そういえば衣装合わせのときは小夏と春香だけで逸馬は見てなかったもんね」
「そうだな」
「で、何か一言ないの?」
「やるじゃん」
その一言で「なにそれ」と愛姫が可笑しそうに笑った。
まるでポストカードにでも出来ちまいそうな見た目なのに、あまりに普段通りに笑うもんだから少しだけ緊張が解けた気がした。
「それで途中になっちまったけど俺の衣装変じゃないか? 前に選んだやつと違うんだけど」
「そりゃそうよ。それ新郎用の衣装だもん」
「は? なんでだよ」
「逸馬、今の私のこと見て何か思わない?」
「……? まぁ、花嫁だなって」
「そうじゃなくて、私、あの頃のお母さんそっくりでしょ?」
そう年甲斐もなく悪戯っぽい表情で問いかけてくる。
今朝夢で見た紗妃の顔を思い浮かべ、目の前の愛姫に重ねてみた。
「あー、確かに似てるな」
「でしょ?」
「でも、紗妃はもうちょっと胸がでか」
「それ以上言ったらぶっ飛ばすわよ」
なんなら紗妃からもあの世から石を投げられそうだ。
何から何までそっくりってわけじゃないが、紗妃の歳に近づいた愛姫は、言われて見れば生き写しだった。
性格と印象が違うから普段は意識したことがなかったが。
「というか、それがどうしたんだよ」
「せっかくだから、あんたとお母さんの結婚写真撮らせてあげようと思ってね」
「はぁ? 結婚だったらとっくにしてるだろ」
「そうじゃなくて、あのとき結婚式なんて出来なかったでしょ。だから私がお母さんの代わりやってあげる」
そう言って愛姫が目配せすると、先ほどの姉ちゃんとガチっぽいカメラマンが壁沿いに控えていた。
なるほど、そういうことか。
先ほどの案内役の姉ちゃんの強引さに合点がいく。
「別にいいよそんなもん。お前はお前だろ」
「つまらないこと言うわね。せっかく手配したんだから乗ってきなさいよ」
「歳の差ありすぎるし、紗妃だとは思えないだろ」
「お母さんのことだから、きっと生きてたら見た目もあんまり変わってないって」
「お前の母親バンパイアか何かなの?」
渋る俺を写真映えしそうなアンティーク調の壁や調度品が置かれた一角へと引っ張っていく。
多分控え室とは言っても、撮影を撮ることも多い部屋なんだろう。
窓もステンドグラスみたいな感じだし、金かかってるわ。
「ん、んん……」
咳払いした愛姫が、あまり乗り気じゃない俺に腕を組んで見上げてくる。
「ほら逸馬さん、せっかくですし照れてないで撮りましょう?」
「…………紗妃、お前の娘な、お前が思っている以上に馬鹿に育ったぞ」
「それじゃ逸馬さんに似ちゃったんですね」
「マジか」
間接的に愛姫のことを煽ったのだが、いつもの調子で言い返してはこなかった。
それどころか、毒を吐きつつも紗妃が言いそうなことを言ってきやがる。
こいつ割とマジで作り込んできたな。普段の生意気なクソガキ感も上手いこと隠してやがる。
「……はぁ。で、結婚写真だって? なんでそんなもん撮ろうと思った?」
「本当のお母さんじゃないけど、ウエディングドレスのお母さんを逸馬に見てもらいたいと思って。こういう写真があったら想像しやすいでしょう?」
いつもより柔らかい表情で紗妃を模した愛姫がそう言う。
確かにあいつと式を挙げたらこんな感じだったのかも知れない。
「仕方ないから一枚だけ付き合ってやるよ」
「ん、んぅ……。それじゃ、ふざけたりしないでちゃんとカメラ向いて下さいね」
ノリノリで成り切ってやがるなこいつ。
今の様子録画して、十年後ぐらいに悶えさせてやりたいわ。
まぁ、ついほだされた以上、俺も人のこと言えないけど。
「じゃあ撮りますよー」
カメラマンがそう言うと、構えたカメラのストロボが光った。
一枚だって言ってるのに、その後も愛姫が椅子に座ったり、ガラス窓を背景にしたり、色々立ち位置やらポーズの支持を出された。
結局十数カット撮られた俺は、式も始まっていないってのにドッと疲れた。
「はい、お疲れ様でしたー」
一通り撮り終えると、カメラの小さな画面越しに写真を見せてくれる。
どうやら簡易的な前撮りというものらしく、挙式を挙げる前に新郎新婦は同じように写真を撮るとのことだった。
「俺の場合軽いコスプレ撮影じゃねえか。しかもこの後、お前が旦那と同じ写真撮ったら寝取られたみたいになるし」
「別にコスプレでもいいじゃない。それに、式で着るドレスとかヘアセットはこれと別だからきっと今と雰囲気違うわよ」
「わざわざこのためだけに借りたのか?」
「衣装合わせの時にこれもいいなーって思ったけど、私よりお母さんの方が似合いそうだと思って今回のこと思い付いたの。普段と違って、お母さんみたいな落ち着いた雰囲気もやってみたかったし」
女って本能的に実はコスプレ好きだよな。建前さえあれば色んな可愛い格好するのはやぶさかではない的な。
こいつがガキの頃、やっぱり適当にそそのかしてバニーとかメイドとか着せとくべきだったか。
それこそ披露宴でその写真流してやれば、大勢の前で悶絶するこいつが拝めたのに。
「それではお二人ともこちらで挙式用の衣装に着替えて下さい。お時間も押してますのでお早めにお願いします」
スタッフに促されるまま俺たちは先ほどの衣装室へと向かった。
想定外のことで少しバタバタとしたが本番はこれからだ。
式のリハーサルも、披露宴のスピーチもあるし気合入れていかねえと。
「しかし、本当にあんた誰とも結婚しなかったわね」
ドレスのトレーンを持ち上げて歩きながら、隣の愛姫が今更なことを言ってきた。
そんなに俺に再婚してもらいたかったんだろうか。
「俺はこれでいいんだよ。相手がいるから幸せってもんでもないだろ」
「まあね。でも、あんた負けたからには分かってるでしょうね? ちゃんと披露宴であんたのための枠取ってるんだから」
「ふっ、半年前からきっちり仕上げてきたからな。あまりのクオリティに吠え面かくなよ」
愛姫がまだ高校生だった頃に賭けたくだらない勝負のため、俺はしっかりと準備を進めていた。
こんなおっさんが披露宴で出し物するんだ、半端な出来じゃいい笑いものにされちまうしこいつにも恥をかかせちまう。
「へぇ、大した自信じゃない」
「お前との勝負の罰ゲームもこれが最後だろうからな」
名残惜しくもあるが、実際に愛姫が大きくなるにつれて、俺たちの勝負の回数は減っていった。
最後に勝負をしたのはこいつが家を出る前日の飲み比べで、翌日は二人揃って二日酔いで引っ越し作業をしたもんだ。
「……最後ね」
そう呟くと愛姫が立ち止まった。
そして、裾を手放して両肘を抱えると、先ほど紗妃に扮していたときとは似ても似つかない雰囲気で言い放つ。
「逸馬、勝負よ!」
「は? こんなタイミングでかよ?」
「なに、嫌なの?」
「別にいいけど、どんなだよ?」
少し考え込むように口元に手を当てると、思い付いたように顔を上げた。
その顔は、これから式を挙げるとは思えないほどふてぶてしく、これから結婚すると思えないほどガキっぽくて、懐かしくも憎らしい悪巧みを思い付いた顔だった。
「この結婚式の間、あんたが泣いたら負けってのはどう?」
……おい、なんだその死ぬほど俺に不利な勝負は。
なんだったら、最初にドレス姿見た時点で負けそうだったぞ。
「なによ、ダメなの? そういえばあんた結構泣き虫だしね? 逸馬くんはー、負けるのが分かってるからこの勝負受けられないんですかー?」
「くっ、このガキ……」
「私が結婚しちゃうのが寂しくて我慢できないでちゅもんねー?」
「上等だよ! 表情筋死んでんのかってぐらい無表情付き通してやらぁ!」
「あはは、それは無理でしょ。じゃあ笑っちゃダメも追」
「ごめん、言い過ぎたわ。泣きだけでお願いします」
まぁ、それだけでもサラサラ勝てる気はしないが。
というか結婚式に縛りプレイとか何の耐久だよ。普通に式に集中させてくれよ。
俺達らしいといえば俺達らしいかも知れないけど。
ただ、きっと俺とこいつの勝負も正真正銘これが最後だろう。
そう考えると感慨深いもんがある。
いいぜ、付き合ってやるよクソガキ。
最後に俺の負けっぷり、きっちり拝ませてやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます