The 32ndゲーム おっさんと思春期③

 そんな日々が続いてたある日、一本の電話が入った。

 愛姫の担任からだ。


「それで生麻さん、愛姫ちゃんの進路のことなんですが……」


 挨拶や前置きもそこそこに、女性教諭が深刻そうな声色で本題を切り出してきた。

 愛姫とのわだかまりがありながらも、人伝てとはいえ、俺はあいつの希望がどんなものなのかやっと知れることが少し嬉しかった。

 あいつは嫌がるかも知れないが、意地でもあいつの将来に協力してやろうと思った。

 担任の様子から、なかなか難しい道を行こうとしてるのは予想出来るが。


「進学はせずに、そのまま仕事に就くというのは本当ですか?」

「――え?」


 それは、俺の中にあったどの選択肢とも違っていて、思わず間の抜けた声が出た。

 

「お仕事でお父様はいらっしゃいませんでしたけど、先日の三者面談で愛姫ちゃん本人がそう言っていたんです。お父様にも同意を得ているからと。ただ、少し様子がおかしくて……」

「……いえ、初耳です」

「そう、ですよね。愛姫ちゃんとよく話し合って頂けますか? お仕事で忙しいようでしたら、違う日程でいつでも時間は合わせますので、後日改めて三人で面談を行えればと」

「ええ、ありがとうございます。またこちらからご連絡させて頂きます」


 通話を切ってから、リビングで少し考え込んだ。

 愛姫が何をしたいのかさっぱり分からない。

 進路を話したがらないのは俺への反発と嫌悪と、それ以外に一般家庭じゃ反対されるような夢を持っているからだと思っていた。

 それは例えばスポーツ選手だとか、芸能人だとか、アーティスト関係や、専門職関係、ある程度普通と違った内容であることは想定していた。

 ただそれでもあいつが決めたことであれば、厳しさを説明はすれど否定はしないし、本気なのであれば全力で協力するつもりでいた。

 だけど、これは違うだろ。


 進学せずに働く? 来年やっと十五になるガキが?

 それはいくらあいつが本気だろうが、どんな理由があろうが、否定せざるを得ない内容だった。

 頭の中を整理し終えた俺は、愛姫の部屋の前に立った。

 そして、今日は躊躇うことなく扉をノックする。


「………………なに?」


 大分間が空いてドア越しに返事があった。

 さすがに同じ家の中で居留守までは使われないらしい。


「話したいことがあんだけど。さっき、お前の担任から電話かかってきたんだ」

「……それで?」

「高校行かずに働くって本気か?」

「そうよ」

「高校行きながらじゃ難しい職にでも就きたいのか?」

「別に」

「はぁ? じゃあなんで就職するつもりなんだよ?」

「あんたには関係ないでしょ」


 その突き放した物言いがカッとさせた。

 こんな大事なことなのに、ドア越しで顔も合わさずに答える態度にも腹が立った。

 確認も取らずに扉を力の限り開ける。

 思春期のこいつのために鍵を付けていたが、かかっていなかったらしくドアが壁に叩き付けられて物凄い音がなった。


「いい加減にしとけよお前」


 部屋に入ると、愛姫は特に動じた様子もなくベッドに腰をかけていた。

 派手な音に怯みもせず、俺の目を睨むように見詰め返してくる。

 まるで元から戦うことを覚悟していたかのような、譲らないという意思を感じた。


「もっと静かに開けてよ。壁に穴空いちゃったじゃない」

「そんなことどうでもいい。それよりさっきの言葉、どういう意味だ?」

「どういうって?」

「関係ないってなんだよ? ふざけんのも大概にしろよクソガキ」

「ふざけてなんかないわよ。私、中学校卒業したら仕事始めてこの家から出てくから」

「はぁ!?」

「だからあんたには関係ないでしょ。少し調べたけど、中卒でも住み込みで働けるようなところあるみたいだし、卒業と同時に出ていくから安心して」

「ガキが馬鹿言ってんじゃねぇぞ! 世の中舐めてんのかお前!! そんなこと許可出来るはずねぇだろうが!!」

「許可なんかいらないわよ。私が勝手に出て行くんだから。それに、お母さんは16才から働いてたんだから、別に変なことじゃないでしょ」

「なっ……」


 思わず絶句した。

 頭の良いこいつが、ここまで何も分かっていないとは思わなかった。

 確かに紗妃は施設を飛び出して、十六にはこいつを育てながら働いていたかも知れない。

 でもそれは、想像も出来ない多大な苦労と時間とを引き換えにしてだ。

 そして何より、紗妃は、そんな自分と同じような苦労をしてほしくないから、あんなに必死になっていたんだ。

 愛姫には自分とは違い、普通の道を選んでほしかったんだ。


「……お前ぐらいのガキが一人で生きてくのが、どれだけ大変か分かってんのか?」

「分かってるわよ。お母さんは、一人で生きていくどころか私まで育ててくれたんだから」

「分かってねぇよ。お前は何にも分かってない」

「なにがそんなに気に入らないのよ。私の勝手でしょ。そのうち出て行くんだからあんたには関係ないじゃない。それとも、それまで私がいるのが気に入らないなら今すぐ出ていこうか?」

「そういうこと言ってんじゃねぇだろ……」


 俺には分かる。もし頭に血が上ったまま反射的に出て行けなんて言ったら、こいつは本当に出て行ってしまう。

 そしてきっと、頑なに帰らず、自分を傷付けても、汚れても、苦しみながらでも一人で生きていってしまう。

 絶対に二度と帰ってこない。そんな甘い奴じゃない。


 くそったれ。訳が分からなすぎて泣きそうだ。何考えてんだ本当に。

 なんでだ? なんで何も伝わらねぇんだ?

 俺はただ、こいつを大事にしたいって、紗妃の代わりに幸せにしてやりたいって、ただそれだけなのに、なんでそれっぽっちのことが伝わらないんだ。


 歯痒さから思わず愛姫の肩に手をかける。

 目が合うと、まるで威嚇する小動物のように拒絶を瞳に映していた。


「俺はな! お前の母親の代わりに、お前を真っ当に育てる義務があるんだよ!! ちゃんと最後まで育ててやりたいんだよ! それぐらい分かれよ!」

「そんなの誰も頼んでない!! お母さんはもういないし、そんな義務なんか存在しない!! 最後っていうなら、中学の卒業が最後でいい!!」


 俺が訴えた分と同じだけの声量で怒鳴り返された。

 そして、肩にかけた手を弾かれる。

 それは久しぶりに見る愛姫の激情だった。

 だから、一時の気の迷いとか、俺への反発心とか、何かに影響を受けたとか、そういうものではなく、本気で言ってるのだと理解出来た。


「……分かったよ」


 ただ、本気だと分かったからこそ、感情をぶつけてきたからこそ、もう一度真正面からぶち当たってやろうと思えた。

 そうだ、いつだって相手に要求する物が違えば、俺たちはぶつかってきたんだ。

 こいつが躱すことなく言い返してくれるなら、張り合ってくれるのなら、どこまでだって粘ってやる。

 俺はため息を付くと、口を引き結んで顔を上げた。

 

「表に出ろよクソガキ」

「……なんでよ?」

「――勝負だ」


 上等だよクソガキが。

 今回だけは絶対に負けてやらねえ。

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