The 31stゲーム おっさんと思春期②

「どうしたんだいあんた? そんな難しい顔して?」

「……なんでもねーよ」

「今日、愛姫ちゃんは?」

「部活。なんか陸上の最後の大会が近いんだと」

「へー、大変だねぇ」


 俺が出してやった茶を飲みながら、お袋がのほほんとした調子で言った。

 男手一人ということを心配してだろう、お袋はたまにこうして様子を見に来る。

 大体は部屋を細かいところまで掃除をして、愛姫がいるときは料理や家事などを教え、あっさりと帰っていく。俺が仕事のときには顔を合わせないこともあるぐらいだ。

 

「しかし掃除もよく行き届いてるね。私がやること殆どないじゃないか。本当によく出来た娘だよ」

「……あぁ、まったくな」


 俺は皮肉交じりにそう口にした。

 最近じゃ愛姫がほぼ完璧に家事をこなしているため、お袋は様子を見に来ても世間話をして帰っていくだけなので本当に様子見だ。

 愛姫は確かによく出来たやつだとは思う。

 だけど俺は、別にそんなことを求めちゃいねぇんだよ。

 今求めてることは、そんなことなんかじゃねぇんだ。


「それであんたはあんたで、本当に昔っから分かりやすいね」

「あ?」

「その顔の原因は、愛姫ちゃんだろ?」

「けっ」

 

 見透かされたことがバツが悪くて、肯定するのが癪で、舌打ちすることで返した。


「上手く行ってないのかい? まぁ思春期の女の子だもんね」

「あいつの場合そんな可愛らしいもんじゃねえよ」

「男には分からないもんよ。愚痴ぐらいなら聞いてあげるよ?」


 お袋がやれやれと言った調子で俺に柔らかい視線を投げる。

 誰だよお前。数年前までそんなキャラじゃなかっただろ。


 ただ俺も俺で、お袋の前でキャラを維持出来ないぐらいには追い詰められていたらしい。

 

「……愛姫が、な」

「うん」

「なに考えてるのか、分からねえんだ」


 俺はポツリポツリと躊躇いながら、それでも少しずつあったことを口にしていた。

 会話が少なくなっていたこと。

 手がかからなくなって、逆に何をしてやったらいいか分からなかったこと。

 距離が離れていくようで、どうしたらいいか分からないこと。

 喧嘩したこと。

「父親じゃない」と言われて、そしてそれがすげーきつかったこと。


 思えば、こんな風に愛姫のことを人に話すのは久しぶりだったかも知れない。

 最後の方は堰≪せき≫を切ったように「訳分かんねぇよ」と自分の内にあるものを吐き出していた。

 けれど、俺のこんな話しを聞くのは初めてなはずなのに、本気で悩んでいるのに、お袋は先ほどと同じように笑ってみせた。


「なにニヤニヤしてんだよ」

「いや、不思議なもんだなと思ってねぇ」

「なにがだよ?」

「息子のこういう姿を見るってのがさ」

「はっ、情けないってか? 中学生一人相手に振り回されて、狼狽えて、みっともないってか?」

「ははは、違うよ。あれだけ適当だったお前が、こんなに子供のことで真剣に悩んでるところを見ると感慨深くてね。ちゃんと、父親してるじゃないか」

「……どこが父親だよ。俺は普通の親がしてるみたいにしっかりできねえ。あいつのことがまるで分からねえ。自分がいつまで経っても変わらないガキみてぇだ」

「馬鹿だね、そういうもんだよ。親だって、子供と同じく不器用に悩むのさ。上手くなんて出来なくて、分からないから手探りで、だけど大切だから探すんだ」

 

 お袋が茶を飲みながらしみじみと言う。

 まるで何かを懐かしむように。

  

「歩み寄れないとき、お互いにこっちに来いって言い合ったところで、いつまで経っても距離は縮まらないよ。だからまずはあんたが歩み切ってやんな。そして、もし間違ってるようなら手を引いてやるんだ」

「……歩み切るって、突き放されたらどうすりゃいいんだ。逃げられたときはどうすればいい?」

「それはあんたが自分で考えるんだね。私が答えたんじゃ意味がないんだから」

「分かんねぇよ」


 自分で考えなきゃならないってのは分かる。

 けど、どうしたらいいかは分からねぇ。何が問題なのかすら分からないんだから。

 

 そうこうしているうちにお袋が帰り支度を始めた。

 思えば結構な時間話して、気付けば帰りの電車の時間になっていた。


「一つ私が言えることは、あんたもいつか、不思議だって言った今の私の気持ちが分かる時が来るよ。だって、今のあんたは昔の私やお父さんと同じなんだから。だから、きっと大丈夫だよ」

「なんだよそれ……」


 俺はお袋や親父みたいに正しくねぇよ。そんな立派な親として育てられてる自信がない。

 最近のあいつの態度を見てると、本当に俺が引き取ったことが正しかったのか分からなくなるんだ。

 本当はあいつがもっと幸せになれる道があったんじゃないのかって。

 俺なんかじゃない方が良かったのかも知れないって。


 俺がくすぶった調子で俯いてると、立ち上がったお袋が最後に一言だけ声をかけた。


「ま、精々頑張んな」

 

 余裕たっぷりな顔で笑いやがって。

 自分でもガキ臭くて笑うしかねぇよ。



 ※ ※ ※



 結局あれ以来、気不味くなった俺と愛姫は一切話さなかった。

 ただいまも、おかえりも、いただきますも、ご馳走様も、悪かったも、言い過ぎたも、仲直りしようも、言えなかったし、言われなかった。

 俺から折れればいいのに、それがどうしても出来なかった。

 心底自分がガキだなと思った。


 もし俺から謝ったら、そんなにショックじゃなかったって思われるみたいで嫌だったんだ。

 馬鹿みたいな話だ。

 俺は中学生のあいつに、どれだけ自分が傷付いたか分かってほしがってんだ。

 こんないい歳したおっさんなのに。

 あいつの肉親ですらないくせに。

 家の中の空気が重くて、それから俺は家に帰る時間が日増しに遅くなっていった。


 酔っ払って帰ると、愛姫のドアの隙間から漏れる光でまだ起きてることを確認する。

 毎日、そのドアの前で立ち止まって、右手の甲をそのドアに向ける。

 でも結局なにも出来ず、なにも言えない日々が続いた。


 リビングに入ると、どれだけ遅い帰りでも必ずテーブルにはラップをした夕飯が置いてある。

 それがどうしようもなく癪≪かん≫に障った。

 義理でやってくれてんのかって思うと、叫び出したくなるほど苛立った。

 もしも俺を思いやってくれてるなら、なんであんなことを言ったんだって、もう少し心を開いてくれてもいいんじゃないかって、堪らない気持ちになる。


 俺は別に飯を作ってほしいわけじゃない。

 家事をやってくれて便利に思ってるわけじゃない。

 そんなことよりも、俺に色んなことを話してほしかった。

 本当にガキみたいだけど、あいつと以前のように仲良くしたかった。ただそれだけなんだ。

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