第3章 逸馬と愛姫

The 30thゲーム おっさんと思春期

 愛姫の様子がおかしくなったのは中学も半ばを過ぎた頃からだった。

 それまで割と円満だと思っていた俺への態度が素っ気なくなっていき、家の中での言葉は徐々に少なくなっていった。

 中学三年生にもなると、まともな会話らしい会話もなくなった。

 一緒に住んで大分経つというのに昔以上に距離感が離れていくようで、俺はジワジワと神経をすり減らしていた。


 やっぱり思春期ってやつだろうか。

 ただでさえ愛姫は気難しくて、しかも両親を失っている。

 そして、一緒に住んでるのがこんなロリコンのおっさんだ。

 ……冷静に考えると、年頃の多感な女子中学生にはかなりきつい。

 しかし、話をしようにも会話が続かないし、距離を縮めようにも突き放される。


 どうしようかと考えた挙句、書店で“思春期の子供との接し方”という本を買うぐらいに俺は迷走していた。

 もっとも愛姫はそんなマニュアルが通じるような生易しい存在ではない。

 書いてあったことを一通り試してみたが、「きもい」とばっさり斬り捨てられてしまう始末だった。


 中学に入ってからの愛姫は、まだあどけなさを残すもののどんどん大人びていった。

 端々に見え隠れする刺々しい態度はそのままだけど、友達とも上手くやっているようで、部活にも入って帰りも遅くなった。

 自立していくかのように自分の時間が増え、元からの生真面目さも手伝ってか、成績は優秀、スポーツも申し分なく、品行方正で驚くほど手のかからない。

 容姿は以前から整っていたけれど、最近では少女としての可愛らしさだけでなく、時折ハッとさせられるほど美人に見えるときがある。


 子供と大人の間で移ろい行く時期なんだろうか。

 俺にはそんな期間はなくて、ガキのまま気付けば大人になっちまった気がするけど、愛姫はその変化が顕著に見て取れる気がした。

 なんだかよく分からないけど、寂しいような、それでいて嬉しいような、複雑な気持ちだった。


「ただいまー」

「…………おかえり」


 仕事から帰りリビングのドアを開くと、夕飯を作っていた愛姫が小さく返事を返した。

 態度は素っ気ないのに、家事をしっかりこなす辺りこいつらしい。

 二人で交互に行っていた料理勝負は、中学に入った辺りで勝負にならなくなったのでもっぱら愛姫が行っていた。

 それどころか、今や掃除炊事洗濯といった家事全般を一手に引き受けている。

 もっと自分のために時間を使えと前にも言ったことがあるが、俺がやろうとすると「余計なことしないで」と怒るのだ。意味が分からない。


「うまそうな匂いだな。今日は何作ってんだ?」

「……もうすぐ出来るから待ってて」


 目も合わさず、質問にも答えず、端的にそう告げる。

 いったい俺の何がそんなに気に入らないのか。

 出来るだけフレンドリーに接そうとしてんのに。

 いや、でもあれか、そういう馴れ馴れしいのがむしろうざったいのか。


 俺は言われるまま、スーツをハンガーにかけるとソファに座ってテレビを付け大人しく待った。

 しばらくすると、愛姫がテーブルの上に料理を運んでくる。


「へー、親子丼か。うまそうじゃん」

「……いただきます」

「あ、はい、いただきます」


 基本的に料理の買い物も愛姫が学校帰りに行う。

 当然俺が食費を出しているのだが、良く出来たやつでセールや特売日などをきちんと抑えているようだ。

 人一人増えたってのに、ここ数年では外食ばかりの独身時代よりも食費が浮いてるぐらいだった。

 今日は卵と鶏肉が安かったのかも知れない。

 

「うん、美味しいわ。お前本当に料理上手くなったな。最初の方は俺といい勝負だったのに、今じゃ俺のお袋より上手いんじゃねぇの?」

「黙って食べてよ」

「あ、はい、すみません」


 褒めたのに邪険にされ、そのまま愛姫は一言もしゃべらず親子丼を黙々と食い始めた。

 テレビで流れているバラエティー番組とリビングを包む空気の差が重い。

 飯を食う音と、芸人の馬鹿みたいに陽気な話し声だけが響く。

 せめて飯時ぐらい、和気あいあいとしていたいんだけどな。

 

「ご馳走さん。美味かったよ」

「……ご馳走様」


 食べ終えると、愛姫が食器を下げて洗い物を始める。

 それぐらい俺がやると言ったこともあったが、やっぱりその際も怒られた。


「そういえばお前、そろそろ進路とか決めなきゃならないんじゃないのか? 学校で三者面談とかもあるだろ? 仕事空けるから前もって言ってくれよ」

「……」


 愛姫は答えない。

 洗い物の音で聞こえなかった、ってわけでもないだろう。少し大きめに声をかけたのだから。

 こいつの将来に関わることだし、さすがに俺は少しムッとした。


「なぁ、聞いてんのかよ?」

「……いい」

「は?」

「だから、来なくていい」

「何がだよ?」

「三者面談、来なくていい」


 俺はソファから立ち上がると、キッチンの隣まで行って愛姫を見下ろした。


「なに言ってんのお前?」

「別に、そのままの意味だよ。あんたは来なくていいから」

「どういうことだよ。自分で進路決めるから学費だけ出せってか? さすがに舐めすぎだろ」

「……」


 何も答えず、伏し目がちに食器を洗い続ける。

 なんだかその目は見覚えがある気がした。


「確かにお前はしっかりしてるし、勉強も出来るから大体の高校には行けるだろうよ。だけどな、相談ぐらいしてくれてもいいだろ。俺はお前の希望があるなら反対なんかしねえぞ」

「……」

「やりたいことがあるなら言えよ。行きたい学校があるなら私立だろうがなんだろうが行かせてやる。なりたいものがあるんだったら俺が協力してやる。だから、せめてそれを口にしてくれ」

「……」

「お前からしたら俺は駄目な大人だろうけどな、それでも一応俺はお前の保護者なんだよ。それでお前はまだガキなんだ。何かするには俺の許可や承諾が必要なんだ」

「……保護者ね」


 洗い物を終えた愛姫が、ここでやっと俺の顔を見て目を合わせる。

 意志の強さを現した、深く澄んでいる愛姫の瞳。

 怒りというか、威嚇してるみたいだ。何かに怯えてるみたいに。


 そこでふと気付いた。

 あぁ、そうか、どおりで見覚えがあるはずだ。

 この目は、出会ったばかりのこいつだ。

 公園で一人ぼっちでブランコを漕いでいたときと同じ目をしてやがるんだ。


「三者面談、確かにあるけど来なくていいから」

「お前な、俺の話聞いてたか?」

「しつこい」

「ちょっと待てよ」


 俺の制止も聞かず、そのままリビングを後にしようとする。

 そして、後ろも振り向かずこう言い捨てられた。


「来なくていい。だってあんた、私のお父さんってわけじゃないじゃん」

「——っ」


 思わず絶句した。

 立ち尽くした。

 急に黙り込んだことが気にかかったのか、愛姫が俺を一瞥したが、眉根を寄せて苦い顔をするとすぐにドアを閉めた。

 それは何だか強い拒絶のようで、俺は思わず叫んでしまった。


「勝手にしろよこのクソガキ!!」


 愛姫の自室のドアが閉まる音を聞いてから、俺は先ほどまで座っていたソファに仰向けに倒れ込んだ。

 思わず額に手をやり、眉間に力が入る。

 正直、傷付いた。

 いい歳して、まるで年頃のガキみてぇに、似合いもせず、傷付いた。

「父親じゃない」という言葉が胸にざっくり突き刺さって、深く深く心をえぐった。


 なんなんだよ。

 俺の何がそんなに気にいらねぇんだよ。

 確かに、仕事で帰りは遅いし、そんなに遊びにも連れてってやれないし、出かけたとしても母親はいなくて俺と二人だし、家事は出来ねぇし、性格ずぼらだし、ロリコンだし。

 でも、それでも。

 曲りなりにも、俺なりに、頑張ってきただろ?

 それがあいつには、これっぽっちも、ほんの少しも、響いてないってことかよ。

 何にも伝わってなかったってことかよ。


「ふざけんなよ。本当に、ふざけんな……」

 

 そう口に出しながらも、湧いてくるものは怒りなんかじゃなくて、どうしようもないぐらいの悲しさと寂しさだった。

 もしあいつが家にいなかったら、もし泣いて絵になるような歳だったら、格好悪く泣いちまってたかも知れない。

 情けなくてそんなこと出来やしないけど。


 さっきあいつが振り向いたとき、俺はどんな顔をしてたんだろう。

 傷付けられたのはこっちだってのに、なんであんな顔すんだよ。くそったれ。

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