The 11thバトル ~ロリコンと覗き①~

「さっさとこの公園から出ていきなさいよ」


 都内北公園。

 敷地の中央に巨大なアスレチック遊具が鎮座し、俺はその影に身を潜めていた。


「私たちがこれから使うから、あんたみたいなのがいると邪魔だし、てんしょん下がるんだよね。というか公園に一人でいるとか寂しくないの?」


 遊具の隙間から様子を伺うと、そこには数人の小学生がいた。

 女子が三人、男子が二人。

 そのうちの一人を取り囲むようにして、他の子供が責め立てている。

 そして、責められてるその子供は、よく知った顔だった。


「さっきから黙ってないで何とか言いなさいよ生麻さん」

「この子、私たちが何か聞くといつも黙っちゃうし、日本語分からないんじゃない?」


 黙って俯く女児は、俺といつも勝負をしているあのクソガキだった。

 たまたま仕事の予定が変わり、もしかしているかと思って公園に立ち寄ったのだが、とんだ場面に出くわしてしまった。

 言い合うような声に思わず隠れて近づいたが、その空気からどういう状況なのかを察するには十分だった。

 会話の内容から、どうやら相手はクラスメイトらしい。

 生意気とか通り越して、引っ叩きたくなるぐらい調子に乗った少女二人が主に責め立てている。ただ、内容は難癖に近くて、クソガキが具体的に何かをやらかしてしまったということではないようだ。


「ていうか、その服、夏休み入る前も着てなかった? 同じのばっかでほんとダッサ」

「その時から洗ってないんじゃない? きたなーい。なんか臭ってくるんですけど」

「……ちゃんと、……洗って」

「えー!? 聞こえないんですけどー!! もっと大きな声でしゃべってくれますぅ?」


 途切れ途切れに反論しようとしたクソガキに、少女が威圧するような大声で訊ねる。

 いつもと違って、完全に委縮していることが見て取れた。

 同時に、こいつがクラスでどんな立ち位置なのかも、分かってしまった。


「ねぇねぇ聞いてるー? ちゃんとしゃべれないならさぁ、臭いし邪魔だからさっさと消えてくれない? いるだけで気持ち悪いんだよねぇ」

「……私は、ここで」

「だーかーらー、ボソボソなに言ってるか聞こえないんだけどぉ!」


 聞いていて、どうしようもなく苛付いた。

 最近の小学生ってこんなにも底意地が悪いやつがいるのか。

 何に影響されたんだか、相手の上に立っていたぶることが偉いのだと勘違いしているような、そんな雰囲気さえ感じた。

 同時に、どうしてクソガキが反論しないのかも歯痒かった。

 いつもの生意気さはどこ行ったんだ。

 いつもはもっと物怖じせず、快活で、小賢しいぐらい頭も回るのに、なんでそんな奴らに言われっぱなしなんだ。

 

「おい生麻、どうせお前遊ぶ相手もいないんだろ? だったら俺たちの仲間に入れてやるよ」

「えー、私たち生麻さんと一緒なんて嫌なんですけどー」

「そうそう、勝手に決めないでよ」


 随分と上からの誘いだが、黙って見ていた男子の誘いで少しだけ流れが変わるのかと思った。

 しかし、難色を示す女子二人と同じく、クソガキはその誘いを端的に蹴った。


「私は、いい……」

「……は?」


 遊具越しの隙間からでさえ、空気がさらに悪くなったことが分かる。

 誘った男子はもちろん、否定的だった女子さえその返答に不機嫌な表情を浮かべた。


「いいってなに? なに調子乗ってんの? お前みたいなやつこっちが誘ってやってんだけど」

「だから、仲間とか、なりたくない」


 クソガキの一言で男子が顔を歪める。

 そりゃあれだけ上から目線で誘って断られたら、自分たちを否定されてるようなものだしプライドも傷付くだろう。

 

「なんなのあんた! 私は嫌だけど、せっかく誘ってあげたのに断るとかなくない? 何様なの?」

「私はただ……」

「変なおじさんぐらいしか遊ぶ人いないくせに!」


 瞬間ドキリとした。

 変なおじさんというのが、誰を指しているのか心当たりがあったからだ。


「おじさんってなんだよ?」

「何回か見たことあるのよ。生麻さんが大人の人とこの公園で遊んだりしてるの。お父さんってほどじゃなくて、なんかスーツ着たおじさん」

「えー、なんかそれって……、なぁ?」

「うん、きもい」


 口々に言われた言葉に衝撃を覚え、同時にその認識に愕然とする。

 自分では気付かなかったが、確かにその通りだと納得してしまった。

 女子小学生が一対一で大人と遊んでるのは、確かに異質に映るんだ。社会的にそうであることは十分分かるが、それ以上に、同年代の子供から見たら変な奴に見えるんだ。

 それは、こいつらが嫌な子供だということ以上に、普通の感性だと思った。


「えー、生麻さんなんでそんな人と遊んでるの? というかなにしてるの?」

「変なおっさんといつも遊んでるとかおかしいだろ。俺なら小遣いでももらわないと嫌だわ」

「え、もしかしてえんこーってやつ? 友達いないからってそんな人とよく一緒にいられるね。生麻さんこわーい」


 もっともな感想と疑問だった。

 小学生女児とサラリーマンが公園で駆け回ってたら、大人から見れば軽く通報もんだ。

 そして、おかしく見えるのは子供の目線からでも同じで、きっと理解し難くて、知らないおっさんなんて忌避の対象だろう。

 ようは、俺はクソガキにとって、冗談でも物の例えでもなく、文字通り害悪な存在だったんだ。言われてる通り菓子だとか、物だとかで釣ってただけで。


 なおも続いている罵倒や嘲笑の声が、一つ一つ重くのしかかる。

 クソガキに対して、罪悪感というか、申し訳ないって気持ちが大きく膨れていった。

 俺なんかといたせいで、あいつは今馬鹿にされて辛い思いをしている。

 しかも余計クソガキの状況を悪くしちまうから、助けに出てやることも出来ない。


 こいつらからしたら、俺を本気でどうこう思っているというより、クソガキを責める材料にさえなれば何でもいいのかも知れない。

 けれど、確かに俺といることはダシにされてもしょうがないことだった。

 何もすることも出来ず、昼間っから公園で小学生を覗き見ることしか出来ないとか、ガキどもに言われている通り、俺は本当にどうしようもない大人だった。


「それでー、私が見た時も生麻さんと本気で遊んでて、本当にきもかったー」

「つか、昼間から公園にいるとか、リストラってやつじゃね? 駄目人間ってやつじゃん」

「生麻さんそんなおじさんと一緒に遊ぶなんてよく我慢できるねー。あ、そっか、他に遊んでくれる友達いないんだっけ。それともやっぱりお金もらってるとかー?」

「そいつも子供しか遊ぶ相手いなかったりしてな」


 その一言でガキどもがゲラゲラと笑い合った。まるで上手いことを言ったみたいに心底おかしそうな調子で。

 きっと、内容より嗜虐心が満たされてるんだろう。

 だけれどそのゲスな笑い声は、不意に放たれたクソガキの怒鳴り声によって切り裂かれた。


「ロリコンはすごいんだから!!」


 沈黙を破ったその声は公園に響き渡るほどで、面を食らったように他のガキ共が呆気に取られる。

 そう言う俺も突然のことで、一瞬何が起きたのかとポカンとしてしまった。

 静まり返ったその場で、クソガキだけが口を開く。


「確かに、仕事はまじめにしないし、何回言っても公園でタバコ吸うし、変態で、大人なのに馬鹿みたいなことするけど」


 先ほどまでの委縮した様子と違って、クソガキが通る声で続ける。


「だけど、ロリコンはすごいんだから!! 射的だって得意だし、お母さんのこと運んでくれるぐらい力もあるし、私が知らないことも教えてくれて……。とにかく、色んなこと出来るし、色んなこと知ってるし、悪いやつじゃないんだから! だから、あいつを馬鹿にするな!!」


 そう必死な表情で啖呵を切ったクソガキが、肩で息をする。

 それは、嘘とか、俺といることへの言い訳とか、咄嗟に出た反論なんかじゃなくて、確かな熱量を持った本心に聞こえた。


 ……訳が分からなかった。

 なんであいつ、自分のことじゃなくて、俺のことで怒鳴ってんだよ。

 訳分かんねぇよ。

 いつも悪態しか付いてこなかったのに、なんでそんなに、本気で怒ってんだよ。


「な、なに急にキレてんの? 引くんだけど」


 言われたガキどもが正気を取り戻したのか、少し気圧された様子ながら、それでもまた嘲笑し始めた。

 俺は何故だか分からないけれど、咄嗟に腰が浮いた。思わず飛び出してしまいそうになった。

 けれど、その行動は突然かけられた小さな声に制止された。


「こんなところでなにしてるんですか?」


 驚いて振り向くと、クソガキと同じぐらいの背丈の小さな女の子が立っていた。

 黒髪で眼鏡をかけた、利口そうで落ち着いた雰囲気のある、そして見覚えのある顔だった。


「お前、祭りのときの……」

「春香です。……あぁ、またやってるんですね、あの子たち」


 遊具の隙間から状況を察すると、呆れたように言い捨てた。


「よく愛姫の家のこと悪く言ったり、クラスでも他の子が話しかけれないようにしてるんですよ。馬鹿みたい。母子家庭の子も、お金がない家も、水商売やってるお母さんも他にもいっぱいいるのに」


 お前こそなんでこんなところに、という疑問よりも、聞かされた内容が気になった。


「なんであいつらはクソガキに対してそんなことしてんだ? 他の子が話しかけられないようにって、どうやってだよ?」

「簡単ですよ、あの子たちは隣のクラスじゃ目立つ子達ですから。愛姫が貧乏だって、親が男とばっかりいるって、悪く言って騒ぎ立てればいいだけです。あいつは悪く言われるやつなんだって、自分たちはあいつを嫌ってるんだって、周りにそう示すだけで話しかけ辛くなるんです。よくある子供っぽい省きとかイジメです」


 そう淡々と説明する春香は、紛れもなくそこにいるガキどもと同じ年頃の見た目をしている。

 ただ、周りを子供っぽいと言っても許されるほどに、自然体で大人びて見えた。


「あの男の子たち、多分愛姫のこと好きなんですよ。あの子、隣のクラスでは一番可愛いですし。それで、女子の方はそれが気に入らないんです。だから意識して、放っておけなくて、あんなことを繰り返してるんです。私は転校してきたから前のことはあまり知りませんけど、小夏はいまいち分かってなかったみたいなので、多分三年生のクラス替えがあった後からじゃないですか?」

「……くだらねぇな」

「そうですね。でも小学生わたしたちってそういうものなんです。ちょっとしたことや、ちょっとしたきっかけが、とても大きなことなんです。中には、ああやってイジメをする子も受ける子もいます。それを大人には言いにくいですし、気付いてくれません」


 その物言いから、見た目通り相当頭がいいんだろうと分かった。

 クソガキも小賢しいという意味で四年生にしては頭が回る方だと思ったが、およそ言動や落ち着き方が同学年のそれと思えない。

 その空気のせいで思わず素直に訊ねてしまう。どうすれば正しいのかを。


「だったらあれは、大人おれが助けてやった方がいいのか?」

「あなたはやめた方がいいと思います」

「やっぱりか?」

「えぇ。この場は良くても、子供同士の問題に大人が入ってくるとか悪化しかしません。私は平気ですけど、大人って眼の上のたんこぶって感じなんです。同じ目線じゃない人がなにを言っても、ただ邪魔臭いなとか、何も分かってないくせにとしか思いません」

「この場は良くても、後でどうなるか分からないってことか。それに、今あいつが馬鹿にされてるのは俺のせいでもあるしな」

「……? そういえば今日は珍しく愛姫が言い返してるみたいですね」

「俺みたいなキモイおっさんと遊んでたことを馬鹿にされたんだよ」

「あぁ、そういう……」


 ともあれ、あの状況を放っておくってのは流石に耐え難い。

 未だにクソガキは多人数を相手に一人で声を張り上げている。

 そのあまりに不利な状況が、けれど必死に抗う姿が、健気な様子が、なんだか居た堪れなくて、居てもたってもいられなくて胸を打つ。

 いっそのこと覆面でもして乗り込んでやろうか。

 ただでさえ怪しいおっさんと思われてるんだ、いっそのこと本当に変質者になるのも悪くない。


「なにしてるんですか?」


 ゴソゴソとカバンを漁る俺に、春香が不可解そうに声をかけてくる。


「いや、ビニール袋に穴でも開ければ覆面になるかなって」

「そんなことしてどうするんです?」

「通りすがりの危ない人間として乱入しようかと」


 いきなりビニール袋被った大人がブツブツ言いながら近づいてきて、突然ダッシュしてきたら流石ににビビるだろ。大人でも全力でその場から逃げるわ。


「捕まりますよ?」

「あぁいいよ。どうせもうこの公園には来ないつもりだから」


 春香が心底呆れたような顔で深いため息をつく。

 馬鹿な大人だと思われたんだろう。正解だ。

 何せそんなくだらない方法しか思いつかない上に、今までクソガキと一緒にいることがあいつにとって良くないことだと気付きもしなかったんだから。


「そんな頭の悪いことしなくても平気ですよ」

「なにが平気なんだよ? あれ放っておけってのか?」

「あなたと同じく、馬鹿なお節介がそろそろ来るからです」


 どういう意味か分からなかった。 

 しかし次の瞬間、遊具越しに黄色い悲鳴が上がる。


「きゃあああっ!! な、なに!?」

「つ、冷てっ!」


 そちらを覗き見ると、クソガキを除く他のガキどもがびしょ濡れになっていた。

 そして、俺たちが潜んでいるアスレチック遊具の真上から声が響く。


「くだらねぇことしてんじゃねーぞテメェら!!」


 声と共に、ダンッという地面を叩く衝撃がすぐ目の前に走った。

 遊具の隙間から覗ける、小さな背格好、ツンツンとした黒髪に、如何にも生意気そうな声。

 やたらでかい水鉄砲を肩に乗せたそいつは、先日の祭りで会った秋人とかいう悪ガキだった。

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