The 10thバトル ~バーと後輩とモテない女~

「先輩、二軒目行きましょー、二軒目!!」

「嫌だよ、面倒臭ぇ」


 新宿は歌舞伎町。

 後輩が大口の契約を取ってきたので、気まぐれで飲みに連れてきてやったらこれだよ。

 慣れないことはするもんじゃねぇな。


「なーんでっすか!! いいじゃないっすか、先輩が飲み連れてってくれるなんて珍しいし、たまには親睦深めましょうよー」

「お前入社してからずっと俺の下でやってるだろ。今さら親睦もくそもあるか」


 一応肩書き上、俺には部下みたいなものが何人かいる。

 といっても、そいつらの成績が直接俺の給与や評価に関係することはなく、あくまでサポートや新人の教育ぐらいしか行わない。

 主任とは名前ばかりのもので、課内の班分けでどの班にも一人は設置される役職だ。

 他の営業と違うところなんて、雀の涙程度の主任手当が出る程度だった。


「というわけで、今さらお前に二軒目まで奢ってやる甲斐性は俺にはないんだっての」

「それじゃ二軒目は自分出しますから! 明日休みだしいいじゃないっすか。それともなんすか! 予定でもあるんすか!? 彼女でも出来たんすか!?」

「いねーよ。本当面倒臭ぇなお前は」


 とはいえ、先輩先輩と慕ってくるこいつのことを悪くは思ってない。

 勢いもあるし要領もいいから仕事でも見所のあるやつだ。

 確かまだ24だったか。俺にはこんな可愛げはなかったな。

 

「いらっしゃいませー」


 結局俺は押しに負けて二軒目に行くことになった。

 後輩がよく行くバーらしいが、店内はわりと騒がしく落ち着いた雰囲気はあまりない。

 カウンターに座ると愛想のいい女の子がおしぼりを差し出してくれた。


「今日は一人じゃないんですね」

「この人俺の先輩! 冴えないおっさんに見えるけど昔はすごかったんだって」

「誰が冴えないおっさんだ」

「だって俺、部長から聞いて知ってるんすよ。先輩、昔はうちの課でトップの売上叩いてたこともあったって。なんで今はそんなにやる気ないんすか」

「やる気がないんじゃなくて無理すんのやめただけだよ。俺は本来こういうやつなの」


 確かに当時はあくせく仕事してたっけな。

 ただ、仕事でやっかみ受けたり足引っ張られたり、おまけに彼女にはろくでもない振られ方されたけど。

 それでも無理して必死こいてたが、気負い過ぎてたって気付かされたんだっけ。

 まぁ若かったよな。

 隣の後輩と違って俺に可愛げがなかったのも悪いんだろうけど。


 つかこいつ、先輩の俺のことそっちのけで店の子と話してるけど、多分この子に気があるな。こういう馬鹿なところが憎めないんだけど、自分から誘っておいていい根性してやがる。

 カウンターには三人ほど店員がいて、誰もが客と話し込んでいる。どうやら店の空気や店員との会話を楽しむタイプの店らしい。

 後ろにはテーブル席もあるので、落ち着いて飲みたい客はそちらに座るのだろう。

 初めての店だったのでグラスを片手に何気なく店内を見渡し、そして振り向いた後に軽く吹き出した。


「どうしたんすか先輩?」

「い、いや、なんでもない」


 店に入ったときは気付かなかったが、真後ろに座っているカップルの片割れには見覚えがあった。

 距離が近く、否応なしに意識がそちらに傾くため会話が耳に入ってくる。


「そういうことなら、付き合うっていうのはちょっと難しいかな」

「……でも、私のこと好きだって」

「それはあくまでも君の事情を知らなかったからでしょ。いきなりそんなこと聞かされて、しかも将来を真剣に考えてほしいっていうのはちょっと、なんて言ったらいいんだろ、俺には荷が重いよ」


 別れ話、いや、単純に女が振られたようだった。

 重いのはこちらの頭だ。こんな場面に出くわすとか勘弁してくれ。


「それじゃ俺はこれで。また店には飲みに行くよ」


 男はそう言うと、会計を済ませて先に店を出て行ってしまった。

 女の方だけが取り残され、背後から暗い空気が漂ってくる。なんというか、恐ろしく気まずくて居づらい。俺も早々に店を出たくなる気持ちに駆られた。


「せんぱーい、さっきから固まってどうしたんすか? なんか悩み事ですかー? 良かったら俺が相談に乗りますよ」

「いや、ちょっと頭痛がな」

「なんすかー、そうやって口実付けて帰るつもりでしょ? そうは行きま……ってあれ?」


 俺に絡みながら、視界の端で後ろの席を捉えたのか、後輩が振り向く。

 そこには俯いたまま固まった辛気臭い女が座っていた。


「んー、なんか見たことある気が……」

「気のせいだろ」

「あー! あれだ! この前会社で飲み行ったときに先輩がお持ち帰りした子じゃないっすか!」

「人聞き悪いこと言ってんじゃねぇぞお前」


 こいつ、結構泥酔してたはずなのに覚えてやがったか。

 そう、後ろの席で男に振られていた女は、紛れもなく俺が以前家まで送って行ったクソガキの母親だった。

 後輩が喜々として俺に肩を組みながら耳元で囁く。


「チャンスじゃないっすか先輩!」

「は? 何がだよ?」

「男が先に帰ったみたいですし、雰囲気的に多分あれ振られたんすよ。ここで付け込まないでどこで付け込むんすか」

「そう思うならお前が慰めてこい」

「いやー、確かに可愛い子ですけど、俺こっちのお店の子狙ってるんで無理っす! それにあの子見て下さいよ。超落ち込んでますよ。可哀想と思わないんすか? 一回お持ち帰りしただけで後は知ったこっちゃないってことっすか? そりゃないですよ先輩」

「ぶっとばすぞ。送ってやっただけで何もしてねぇよ」

「だったらなおさら距離詰めるチャンスじゃないっすか! ほら、自分も頑張るんで先輩もそっち頑張って下さいよ!」


 肩のホールドを解いたと思ったら、今度は半ば強制的に席から立たされた。

 本当にいい度胸してやがる。


 心底辟易しながらテーブルの前に立つが、女は欠片もこちらに気付いてないようでピクリともしなかった。

 まぁ、聞きたいことも言いたいこともあったし、仕方なしに椅子を引いて腰を下ろす。

 カウンターから持ってきた自分のグラスを机の上に置くと、その音に反応してやっと彼女が顔を上げた。


「……何か御用ですか?」

「前に家まで送ってやったんだけどな、あれだけ酔っ払ってたら覚えちゃいないか」

「…………あ、もしかして先週のことですか? すみません、私あのときは記憶がおぼろげで。お世話になったみたいで助かりました。タクシー代出して頂いたんですよね?」

「そんなもん別にいいよ」


 財布を出してタクシー代を返してこようとするので断る。

 何というか、色々と意外だった。

 見た目以上に年齢が行っているのは知っていたが、思ったよりしっかりしている。


「あの、すみません、お礼はしたいんですけど、今一緒にお酒を付き合えるような気分じゃなくて」

「あぁ、悪いけど聞こえてたよ。さっきの男との会話」

「……そう、ですか。交際を断られるの、今年に入ってから8人目なんですよね。何が悪いんでしょう」

「……」


 前言撤回だ。大分やばい女らしい。

 そういえば祭りでクソガキが言われていたことを思い出した。母親がいつも違う男と一緒にいると。

 そして確かあいつは、それを言われて浮かない顔をしていた。


「あんたさ、男引っ掛けてる暇があるなら、もっと気にかけるべき奴がいるんじゃないのか?」

「なんのことですか?」

「あんたの娘のことだよ。今だって家に一人なんだろ?」

「……? なんであなたが愛姫のことを知ってるんですか?」

「そこも覚えてないのか。部屋まであんたのこと運んでやったんだから知ってるに決まってるだろ。それにあの家の近くの公園でたまに会うんだよ」

「公園?」


 その様子から、どうやらクソガキはこの女に俺のことを話していないのだと察した。

 まぁ当たり前か。あいつ俺のこと変態だの不審者だの言って良いイメージ持ってないだろうし、親に話すわけないわな。


 しかし、それとは別に妙な苛立ちが沸き上がってきた。

 クソガキが親に言ってないのは別にいい。けど、親が自分の娘の様子に欠片も気付いてないってのはどういうことだ。

 クソガキとの勝負で賭けた物は何も食い物だけじゃない。中にはエプロンだの縄跳びだの文房具だの、学校で必要なものも幾つかあった。

 そういった物が増えてるのに、自分じゃ買い与えてないはずなのに、気付きもしないってのはどういうことなんだ。


「北公園って近くにあるだろ。あそこでたまにあいつと遊んでやってんだ」

「そうなんですか。それはありがとうございます」

「……は?」

「どうしたんですか?」

「いやいや、冗談だろあんた? ありがとうございますってなんだよ?」

「すみません、間違えたみたいです。娘のために時間を取らせてしまってごめんなさい」


 本当に分からないらしく、やや困った顔をしながら頭を下げる。ふざけんな。


「だから違うだろ。普通、どこの誰とも分からない大人が自分の娘に会ってたら心配するもんじゃねぇのかよ」

「そういうことですか。でも愛姫はしっかりしてますから」

「マジでさっきからなに言ってんだあんた? まだガキだろ。親が側にいてやらなきゃならない歳だろ」

「そうかも知れません。けれど、私も色々あるので四六時中一緒というのは難しいんです」


 ……なんだこの女。マジでなんなんだ。

 すげぇ苛付く。

 あのクソガキの母親がこれ? 冗談だろ?


「一緒にいる時間を増やすことぐらい出来るだろ。なんで夜の仕事なんてやってんだよ? 母子家庭で大変ってのは分かるが、扶養手当だの補助だのあるんだから昼の仕事でもやってけるだろ」

「昼はパートをしています。でも、昼の仕事だけだと収入も厳しいですし、出会いとかもありませんから」

「……頭大丈夫か? 意味分かんねーんだけど」

「そのままの意味です。今じゃ出会いの場として水商売してる女の子は多いんですよ?」

「ふざけんなよ。てめーが男のケツ追っかけてる間に、あいつはどんな気持ちで家に一人でいると思ってんだ」

「何であなたにそんなこと言われなくちゃならないんですか? 事情も知らず人の家庭に口出しするのはやめてもらいたいんですけど」

「口出されるような生活させてっからだろうが! 親としての自覚あんのかよ」

「当たり前じゃないですか。だからこうして頑張ってるんです」

 

 俺がおっさんになったから話しが噛み合わないのか、或いはこの女の頭が湧いてるのか。

 ただ、どっちにしろ頭にきたし、すまし顔で反論してくるこのクソ女に余計腹が立った。


「店のアフターで男と飲みに来て振られることのどこら辺が頑張っ」

「はいはいはーい、ストップストップー! もー、どうしたんすか先輩? 他のお客さんもいるんすから勘弁して下さいよ」


 本格的な口論になりかけたところで後輩が割って入ってきた。

 気付かぬ内にかなり声のボリュームが上がっていたらしい。


「つか、先輩が怒るなんてレアっすね。取り合えずせっかくなんですから楽しく飲みましょうよー! ほらほら、先輩もそっちの子もこっちの席に来て!!」


 空気を察してか、後輩はおどけるような調子で陽気に促す。

 しかし、怒鳴りかけた俺と、何を言われるか察したクソ女はそれに乗ってやれるほど冷静じゃなかった。


「わりぃけど帰るわ。お前はそこの娘と飲んでけよ」


 財布から札を出してテーブルに置くと、そのまま席を立つ。

 表情こそ変わらないものの、そんな俺をクソ女は不満げに見つめ続けていた。

 

「けっ!」と舌打ちしながら、感情に任せて店を出る。

 背後から後輩の引き止める声が聞こえていたが、それを振り切って俺は家路に付いた。


 休み前に珍しく終電に間に合ったってのに、最悪な気分だった。

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