The 5thバトル ~夏と幼女と水風船②~

 二発の弾を持ち、二人は互いに所定の位置につく。

 公園の中央に位置する、大型のバス二台分はあろうかという巨大なアスレチック風の遊具。

 各所が樹脂で作られた丸太状の材料で組まれており、幅広の滑り台も併設されていて死角が多い。

 スタート位置ではお互いの姿すら見えなかった。


「くくく、思い上がったお子様が。小学生時代に手榴弾のいっちゃんと呼ばれた実力を見せてやる。見たところ初めてのようだが、水風船競技の奥は深く、高度な戦略が重要に、あっ……」


 逸馬がしたり顔で呟いてると、山なりに飛んできた水風船がすぐ側に落ち、水しぶきが靴と裾を濡らした。

 少し離れた遊具の隙間から、投げ終えた愛姫の姿が見える。

 なに一人でブツブツ言ってるんだろう気持ち悪い、そんな表情だった。


「テメェ、なにしやがんだクソガキ!!」

「そ、そういう勝負だって言ってたじゃない!」

「どんな悪役だって人が話してるときは攻撃してこねぇだろ!!」

 

 逆上した逸馬が鬼の形相で追い掛け回し、愛姫がキャーキャー言いながら逃げる。

 しかし遊具を上手く使い、潜ったり登ったりする愛姫を相手に逸馬は捉えきれずにいた。


「くそ、風船のせいで全力で走れねぇし駆け登れねぇ。つーか、スーツに革靴とかハンデありすぎだろ!」


 確かに割れたり落としかねない水風船を両手に持っての運動はかなり難易度が高い。

 その上、平地ではなくこの公園は遊具による障害物や死角、起伏に富み、ただでさえ小回りの利く愛姫が有利に思えた。


「どうしたのよロリコン! さっきから一回も投げてないじゃない!!」


 姿は見えないものの、反対側から勝ち誇るような愛姫の声が響く。

 その声から当たりを付けたのか、ここでやっと逸馬が腕を振りかぶった。

 大ぶりな水風船を力いっぱい投擲する。

 狙いは姿の見えない愛姫ではなく、その真上に位置する木の枝だった。


「きゃあ!!」


 枝に上手いこと当たった風船が弾け、愛姫の頭上に水しぶきが降り注ぐ。

 こういった死角が多い場所では、立体的な攻撃が非常に有効と言えた。


「なっにすんのよこのロリコン!!」

「さっきお前もそういう勝負だって言ったじゃねーか!」


 今度は愛姫が激昂し逸馬を追い回す。

 それもそのはず、二人共勝負を始める前段階で何故か自分が勝つと確信しており、相手が濡れたらいい気味だぐらいにしか思っていなかったのだ。

 自分が濡れることは想定しておらず、まったくと言っていいほど覚悟がなかった。


「喰らいやがれ!」

「ぅわっ!!」


 間近に水飲み場が迫った逸馬が、残りの一つを投げつける。

 しかしその狙いは愛姫ではなく、大雑把に愛姫の足元を狙ったものだった。

 足止めだ。

 走りながら後方に投げても、どうせ当たりはしない。

 それなら、勢いよく手前の足元に叩きつけて、一瞬でも動きを止めさせる方が効果的だと考えた。 

 ここで逸馬、僅かな間を作ることにより無事水風船を補充。

 二人は距離を空けて、水飲み場を挟み対峙した。


「てめぇ、このくそ暑い中走らせるんじゃねぇよ」

「そんなに暑いんだったらおとなしく当たりなさいよ。冷たくしてあげる」


 先ほどの逸馬の攻撃で背中が濡れてしまった愛姫が、肩で息をしながら水風船を構える。

 一方の逸馬も、両手に弾を掴み待ち構えた。

 ……が、二人とも膠着。

 当然と言えば当然である。

 この勝負は、弾が先に尽きた方が圧倒的に不利。

 補充するためには水飲み場へ取りに行く必要があり、その間は完全に無防備となる。


「早く投げなさいよ」

「は? お前が先に投げろよ」

「あんたの方が一つ多いでしょ。それともなに? 怖いの?」

「お前こそビビッてんじゃねぇよ。当てる自信がないのか?」


 睨み合いを続ける二人の頭上を、真夏の太陽がジリジリと照らす。

 耐えかねたのか、先に動いたのは逸馬の方だった。

 左手に持った風船を山なりに高く放り投げる。


「なによ、当てる気あ……っ」

「馬鹿が!!」

「くぅっ!」


 高めに投げられた風船に気が取られた愛姫を、逸馬の本命の弾が襲う。

 しかし愛姫は横っ飛びに間一髪これを回避。

 だが、逸馬にはさらにもう一手あった。

 右手に同時に隠し持っていたピンポン玉サイズの極小弾である。

 体勢の崩れた愛姫にそれをすぐさま投げつけた。


「きゃっ! ……ってなによ、割れないじゃないこれ」


 その弾は愛姫の身体を捉えた。が、不発。

 小さく素早く投げやすい分、膨張率に余裕のあるその水風船が割れることはなかった。

 手持ちを失った逸馬が水飲み場へと駆ける。

 その隙を愛姫は見失わなかった。


「うっわ、冷っってぇ!!」

「あははは、ばーかばーか!」


 直撃こそしなかったものの、愛姫が力いっぱい投げたその弾は水飲み場に当たって派手に弾け、逸馬の腹部を大きく濡らした。

 そして愛姫は高笑いしながら逸馬の視界から姿を消す。


「クソガキが……!! 調子に乗りやがって!」


 ダメージを負った逸馬は水風船を両手に掴み、そのまま水飲み場を陣取った。

 愛姫の残弾が尽きたのは視認済みである。

 正直反則に近いポジショニング。

 相手が弾を残していれば格好の的だが、手ぶらの相手にこの布陣はまさに鉄壁。難攻不落なのは言うまでもない。


「さっさと出て来いクソガキ! 降参するかびしょ濡れになるか選ばせてやる!!」


 逸馬が声高に叫ぶ。

 確かに状況はほぼ詰んでいた。

 残弾がなく補充も出来ない愛姫。いくらでもその場で弾を補充して投げ尽くせる逸馬。

 現状愛姫より濡れてはいるが、圧倒的に逸馬に有利な状況だ。

 しかし、いついかなるときであっても、油断というものは命取りになる。

 

「ぐっはぁ!!! ……な、なんだとぉ!!」

「ばーか!」


 逸馬、まさかの被弾。

 物陰を移動しながら背後に回った愛姫が、その無防備な背中を襲った。

 そして一言だけ罵倒してすぐさま姿を消す。

 まさにヒットアンドアウェイ。

 さながら逸馬は、ゲリラ戦に持ち込まれたような気分になった。


「くっ、隠し弾か。初心者の分際で味な真似をっ……!!」


 そう、愛姫は最初に逸馬に追い回され振り切った際、走りながらもしっかりと弾を補充していた。

 しかし二つ持ってでは走りにくかったことも手伝って、念のために弾を遊具の影に隠していたのである。

 愛姫は、もしも大災害が起きて食べるものがなくなったらと、お菓子を一袋大事に隠しておく程度には無駄に用心深いタイプの子供だった。

 なお、その非常食が使われるような有事が生涯起こらないことを彼女は知らない。


「さっき俺があいつを見失ったときか。だが、あの一瞬じゃさすがに二つも三つも仕込めてはないだろ」


 そう呟きながらも、逸馬は周囲の警戒を怠らない。

 実際に逸馬の予想は当たっている。

 愛姫の小さな手では一度に複数の風船は持てないし、何よりそんな時間の余裕はなかった。

 慢心から被弾を許したものの、未だに戦局は逸馬が圧倒的に有利である。

 辺りを見渡し、耳を澄ませ、いつでも投げつけられる準備を整える。

 緊張感に包まれた、二人以外が存在しない公園。

 今度は打って変わって、野生動物を狙う密林の狩人のような気持ちで逸馬は気配を探った。


「……………………そこか!!」


 ガサっという、極々僅かな葉の擦れる音。

 木々や植栽の生い茂ったしげみへと、逸馬が振り返ると同時に風船を投げる。

 そこからほんの少し離れた場所から、愛姫が逸馬の側面に回り込むよう姿をあらわした。


「ハッハー! 俺の勝ちだ!!」


 そう叫びながら、次弾を投げ付ける。

 しかし、それを躱しながら愛姫が腕を振りかぶった。


「なっ!!」


 隠し弾などなく、間違いなく水風船はもう持っていない。

 その予想外の動きに逸馬が驚愕の表情を浮かべ、そして愛姫は腕を振り切る。

 次の瞬間、複数の破裂音と共に、逸馬の全身はびしょ濡れとなった。


「は、はぁああああああああああ!?」

「ふふっ、私の勝ちね!!」


 水飲み場の上に置かれた水風船が全て割れたことを確認すると、愛姫がしてやったりと言った満面の笑みで逸馬に近付いた。

 最後に愛姫が投げたもの。

 それは水風船ではなく、指先程度の複数の小石だった。


「てめぇ、反則だろ!! っていうかちょっと俺にも当たったぞ!!」

「ちっちゃいのばっかり選んだから別にそんなに痛くなかったでしょ。それに、あんただって木に当てたり地面に当てたりして風船割ってたじゃない。逆にしただけよ」 

「だからって人が近くにいるのに砂利を投げる奴がいるか!」


 愛姫が放った小石の散弾は、水飲み場の上の風船をことごとく割り切った。

 残っていたのは取り回しの悪いパンパンに膨れた大きめの風船ばかりだったので、小粒とはいえゴツゴツとした小石の刺激でそれらは簡単に割れた。

 特に、愛姫が勢いで作った小玉スイカほどの特大風船が中央に鎮座していたが、その威力は凄まじく、他の風船の破裂を巻き込んで大きな水しぶきになった。

  

「いいわけしちゃって見ぐるしいわね。大人しく負けを認めなさいよ」

「ぐっ……!! 確かに初心者の分際で頭を捻ったのは褒めてやる」


 逸馬は苦し紛れで反則だと言ったが、何かを使って残弾の風船を割ってしまうという作戦は逸馬が子供の頃にも存在した。

 遠くからパチンコ玉を使って狙撃するなど、当時では高等テクニックの一つとして数えられるほどだった。


「だがな、それでお前の勝ちってわけにはならないぞ」

「ふん、そんなこと言ってもあんたずぶぬれじゃない。それなのに負けてないって言うの?」

「あぁ、確かに俺の方が濡れてる。全身びっしょりだ。しかしな、この勝負の勝敗は、相手を如何に濡らすかじゃなく、どれだけ多く水風船を相手に当てたかで決まるんだ。最初に説明したけど忘れてただろ」

「わ、忘れてないわよ……」

「お前のことだから、少し濡らしてやればムキになって俺を濡らすことに気を取られると思ったぜ」

「そんなことないもん!」


 否定しながらも愛姫の表情が僅かに怯んだ。

 自分が風船をいくつ当てて、いくつ当たったか思い出そうとしてるようだった。


「お前が俺に水風船を直撃させたのは、背後からの一発のみ。で、お前が当たったのは何回だ?」

「えっと…………、あっ! 私もあの割れなかったのが一回だけじゃない!!」

「そう、一回ずつだ」

「じゃあ引き分けってこと? ふふふっ、引き分けなのにそんなに濡れちゃってバカみたい! あんたの負けみたいなもんじゃない!」

「はっはっはっ、本当にな、馬鹿みたいだよな。だけど俺の勝ちだとしたら?」

「なに言ってんの? あんたさっき引き分けって言ったでしょ?」

「現時点ではな。お前さ、このゲームがどうやったら終わりかちゃんと説明聞いてたか?」

「……たしか、風船が全部割れてなくなったら」

「本当に全部割れたか?」

「え?」


 そう言われ、愛姫がキョトンとした表情を浮かべる。

 そして、逸馬の「ほれ」という声と共に、愛姫の起伏の少ない薄い胸に、ポヨンとした柔いものが当たった。

 軽く跳ねて足元に落ちたそれを、逸馬が踏み潰す。

 小さな破裂音と共に、地面に僅かばかりの水が広がった。


「はい、俺の勝ちー」

「え、えぇ!? だって、もう風船は全部……」

「お前に投げて割れなかったやつだよ。お前が隠れてるうちに地面に落ちてたの回収しといたんだわ」


 そう、不発に終わったピンポン玉サイズの極小弾。

 逸馬は割れずに転がっていたそれを、念のため拾ってポケットに収めていた。


「でもさっきは引き分けだって……」

「勝負は全部の風船が割れるまでって言っただろ。だから、現時点では引き分けって言ったんだよ。分かったか? 俺が勝ってお前は負けたんだよ。ははは、ダッセー!! ドヤ顔で勝ち誇っちゃって恥ずかしー!!」

 

 びしょ濡れでせせら笑う逸馬と、あまり濡れてはいないが顔を歪め悔しそうに歯噛みする愛姫。


「ぐ、ぐぐぐっ」

「ふは、くはははははっ! あーっはっはっはっはっ!! いいぞ、その顔だ! この負け犬のクソガキめが!! 俺の勝ちだ!! うはは、はーっはっはっはぁっ!! …………はー、ははは、この後会社戻らなきゃならねーのにどうすんだよこれ……」


 ひとしきり笑い終えて我に返ったのか、目の前の現実に逸馬が乾いた笑いを漏らした。

 勝負には勝ったが、引き換えに負ったダメージは相応に重かった。

 あまりにマジなトーンで逸馬が呟くため、愛姫も冷静になり若干引いていた。

 都心の真ん中で、雨でもないのにずぶ濡れの社会人。しかも仕事中。

 取り返しが付かない感がすごかった。


「だ、大丈夫なのあんた……?」

「あぁ、うん、多分。暑いし、すぐ乾くだろ……。それに勝負での結果だし」

「え、えっと、ハンカチ使う?」

 

 愛姫が珍しく逸馬に気を使う。

 逸馬のやっちまった感が凄まじく、根の優しい愛姫はちょっと心配になってしまったのだ。

 さらに勝負とはいえ、自分の攻撃によるものだったので罪悪感もあった。


「いや、いいよ。ハンカチぐらいじゃどうにもならないだろうし、なんか悪いし。あー、お日様、あったけーなぁ……」


 ベンチに座り込みながら、半ば現実逃避気味に逸馬が呟く。

 全身が濡れた状態ではさすがに肌が冷え、真夏の日光が心地よくさえあった。

 逸馬から間を空け、ちょこんと愛姫もベンチの端に座る。

 二人共先ほどまでと違い、濡れたせいで汗はそんなにかいておらず、苦痛ではなかった。

 ジリジリと地面を照らす太陽。

 公園を包む夏の空気とセミの声。

 そして木漏れ日の射すベンチに座る幼女とおっさん。


「……なぁお前さ、夏休みの間ってどうすんの?」

「どうするって?」

「いや、学校もないだろうけど、一人でこの公園にいんのかなって」

「……」


 愛姫が言葉に詰まって俯く。


「あ、いや、なんとなく聞いただけで」

「夏休みは忙しいの」

「え?」

「宿題もあるし、友達とも遊ぶし、お祭りに行って、プールにも出かけて、お母さんに映画とか海とか遊園地にも連れていってもらって、それで……」

「それで?」

「とにかく、忙しいからこんな公園に来る時間なんてない。だからあんたも来るのやめなよ」

「お、おう」


 少し強めの語調で言われ、思わず逸馬がたじろぐ。

 二人の間にやや気まずい沈黙が流れた。

 数分後、沈黙を破ったのは逸馬だった。


「さてと」

「行くの?」

「いや、このままじゃさすがに戻れねぇよ。喫茶店でマスターにタオル貸してもらうわ」

「そう」

「お前も来るか?」

「え、なんで?」

「お前今日午前授業だったんだろ? 飯食ってないんじゃないのか?」

「そ、それは……。でも私今日は勝負に負けたし! どうせ食べさせてくれる代わりに何かしろっていうんでしょ?」

「ちげーよ。俺は腹減ってないし、タオルまで借りるのにコーヒー1杯じゃ申し訳ないだろ。別にいらないんだったらいいよ。それじゃあな」


 そうぶっきらぼうに言い残して逸馬が公園の入口へと歩いて行く。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


 そう言いながら、喫茶店に向かう逸馬に愛姫が着いていった。

 店に入ると、びしょ濡れの二人をいつもの店主が柔和な笑顔で迎え入れてくれた。

 プールの後のような程よい疲労感の中、いつものように言い合いながら二人は軽食を取った。


 しかし結局、逸馬の服が乾き切ることはなく、会社に帰ると「そんなに汗だくになるほど頑張ってきたのか。珍しいな松井」、そう上司に言われた。

 言うまでもなく皮肉である。

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