第35話 小波津ゆきの①


「おっ。小波津さん、滝島さん。また明日ね~」

「はい。田中君もお気をつけて~」

「・・せわしない奴だな」

「何か急ぎのご予定でもあったんでしょうか? あ、それと廊下を走ってはダメですよ~」

「いや言うの遅いでしょ」


 教室からそうろっと出てきた田中君が挨拶を残し駆けていく。その後ろ姿を学生寮の同室であり同クラスの友達、滝島璃緒たきしま りおさんと見送りながら話の続きを再開した。


「さて、璃緒さん。今日のアルバイトはお休みでしたよね?」

「はぁ・・はいはい、分かってる分かってる。味見役でしょ?」

「ピンポーン♪その通り! よろしくお願いしますね? 今回はさわらを使ったお吸い物なんですけど、どうしても納得のいく味にならなくて困っているんです」


 渋々といった様子の璃緒さんですけど、ちゃんと約束を覚えていてくれたようで一安心ですね♪ と、言ったものの璃緒さんが約束を破るなんて疑っていませんよ?


「前の時もそうだったけど、小波津の料理は十分美味しいからね?」

「でもでも~、璃緒さんのお陰でもっと美味しくなりましたよ?」


 私は茶道部と料理研究部の二つの部活に所属していて、時折こうやって璃緒さんに味見をお願いしています。


 璃緒さんの味覚って凄いんですよ? この前だってお塩の味比べで全問正解していましたし、素人には判別が付きにくいお茶の僅かな違いも当てて見せました。

 これが天性の才なんだって納得しちゃいましたもん。


――聞いたか?今朝男子寮で...

――聞いた聞いた。何か1組の春野と2組の秋原が揉めたらしいな。


 そうしてのんびりと部室に向かう途中、他クラスの男子生徒二人の会話が耳に入ってきました。


「・・どうやら今朝の一件は広がっているようですね」


 その内容は休み時間に和歌奈ちゃんが教えてくれた話。


「食堂であの御曹司様が――って話かい? 聞けば関係の無い喧嘩に首を突っ込んだんだろ?余計なことするからだね」

「もう。そんな風に言っちゃ春野君が報われないじゃないですか。彼のとった行動、私は立派だと思います」


 喧嘩を治める為に仲裁に入るなんて中々できることじゃない。その喧嘩が自分と全く関係が無いのであれば尚更です。


「何だっていいよ。あたしたちに迷惑をかけなければね」


 もうこの話題に興味が無い璃緒さんは小さな欠伸を一つする。


 むぅ、クラスメイトが困っているのに全く...。


 私の抗議の視線もなんのその。璃緒さんはすたすたと前を歩いていく。ほんとうは優しいのに、どうしてそうツンツンしちゃうんでしょうか?


「おい、ちょっといいか?」

「・・・何?」

 

 そんな璃緒さんに置いて行かれないように駆け足で追いついた時でした。前をふさぐように名前も知らない男子生徒が話しかけてきました。


 彼は不躾にもジロジロと私たちを見やると薄ら笑いを浮かべ、そんな彼の視線から私を守るように璃緒さんが体をずらします。


「お前ら1組だろ?今教室に田中太郎ってやついるか?」

「田中ならさっきさっさと帰ってったよ」

「本当だな?」

「嘘だと思うなら確認すればいいでしょ。てか邪魔なんだけど」


 不機嫌さを隠しもしない璃緒さんの返事。彼の失礼な態度には私も思うところがあります。まるでこちらを品定めするかのような品位の無い視線。


 璃緒さんの口調もいつにも増して強くなっています。


 ただこういった方は得てして他人に反抗されるのを嫌う。特に見下している相手にはそれが顕著に表れ、案の定口元をヒクつかせた男子生徒は無言で携帯を操作した後、璃緒さんを睨んだ。


「・・・随分と生意気だな?」

「は?邪魔だから邪魔だって言ってんの。用が済んだんならそこどいて」

「り、璃緒さん、その辺りにしときましょう。ね?」


 現状の売り言葉に買い言葉な流れはよくありません。このままだと更なる口論に発展すると察した私は璃緒さんの腕を軽く引っ張る。

 そんな私をちらりと見た璃緒さんはややバツが悪そうにそっぽを向いた。


「ふん。行くよ」


 どうやらちゃんと冷静になってもらえたみたいで、腕を掴む私の手を逆に引っ張り、男子生徒の横を通り過ぎようとしました。


「おい、話はまだ終わってないぜ?」


 しかし相手の溜飲りゅういんは下がってはいなかった。

 伸ばされた手は真っすぐに璃緒さんへ向かい――『パシンッ』――と、軽い音と共に彼の手を璃緒さんは弾きました。


「気安く触るんじゃないよ」

「なっ・・てめぇ――ッ」

「チッ!」

「・・・ッ」ビクッ


 一驚し、目を丸くするもすぐに怒りの表情へと変わった彼は勢いよく腕を振り上げる。その力の向かう矛先は間違いなく璃緒さん。

 私はその向けられた悪意に対し、ただ体を硬くするしかできなかった。


「そこ(ガッ)ばでだ!!」

「っ!?」


 何かを捉えた鈍い音と見知らぬ声にいつの間にか閉じてしまっていた目を恐る恐る開ける。


 そこには私たちを庇うように立つ誰かの背中。そんな第三者の登場に驚いたのは私だけではありません。暴力を行使した男子生徒も戸惑い数歩離れ、璃緒さんも固まっていました。


 私たち三人の視線を集めるその人物は腕を組み、何故か何度も頷くと男子生徒を真っすぐ見据えました。


「うむ。なかなかいい拳だ。しかしその力を向ける相手は選ばねばならんぞ!」

「だ、誰だよお前!」


 その明敏でしっかりとした声には確かな圧が籠っており、明らかに男子生徒は怯んでいました。


「私か?私の名は清修院一せいしゅういん はじめ。生徒会会長に就いている者だ。以後よろしく頼む!」

「生徒会会長が何でこんなとこにいんだよ!!?」

「?? 何を驚くことがある。桜城高校の生徒である以上、私がどこにいようとも不思議ではあるまい?」

「かいちょ~、いきなりいなくならんでくださいよ~」

「おお、望。すまんすまん。む? さっきの彼はどこに行った?」

「あんたがよそ見した途端こそこそと逃げてったよ」


 階段を踏み外していたところを見ると随分と慌てていたようでしたね。それはそうと助かりました。


「清修院生徒会長、この度は助けていただきありがとうございました。ほら、璃緒さんも」

「・・別に助けなんていらなかった」

「もう、何でそうなるんですか~」

「いやなに、怪我がなくて何よりだ。後日あの男子生徒には生徒会から罰を与えておこう」

「かいちょ~。いい笑顔のところ申し訳ないっすけど、鼻血出てますよ~」

「何?」

「あ、大変。ティッシュ。これ使ってください」

「おお、助かる」


 そう言って私から受け取ったティッシュを鼻に詰め込んだ清修院生徒会長は恐らく同じ生徒会役員の男子生徒と共に去って行った。


「見ていて気持ちのいい、それでいて頼りになりそうな方でしたね」


 生徒会長があのような真っすぐな方で安心です。


「はぁ。何か疲れた。今日はもう帰っていい?」

「ダメです~。それに元はと言えば璃緒さんが―――」


 確かにびっくりもしましたし、気疲れも感じますが、約束は約束です!

 それに疲れたのなら尚更美味しいものを食べたらいいんです!


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