第32話 八窪隼人①

ピピピッピピピッピピカチッ


「ん、ぅんん~ん・・・っと」


 目覚まし時計を止めて布団から体を起こす。


(まだ違和感があるなぁ...)


桜城高校に通い始めてもうすぐ一か月が経とうとしている頃。まだどことなくホテルに泊まってる気分になってしまう自分がいた。


「おはよう、隼人クン。今日もいい天気だよ」

「おはよう、ミリアーノ。いつも早いね」


 そう言ってソーサーにカップを置きニコリとほほ笑むのは同じ寮室になった春野ミリアーノ君。父親がイタリア人、母親が日本人のハーフらしく母親は世界にも名を連ねる自動車企業『ライフ』の社長を務めているそうだ。


 将来母親の後を継ぎたいと自己紹介で語っていたのは記憶に残っている。その為彼の机には自動車関連の本は勿論、経営学から人心掌握なんて本まで置いてある。


「今日の4限目に体育があるから体操服を忘れないようにね」

「うん。昨日の夜に準備してあるから大丈夫だよ」

「おっといらぬ世話だったかな?」

「そんなことないよ。教えてくれてありがとう」


 そんな彼だけど社長息子だとかお金持ちだとかで偉ぶる素振りを全く見せない。僕を友達だと言ってくれるし冗談も言い合えるくらい気さくな性格をしている。


 僕はベットから降りて洗面台で顔を洗う。軽く寝癖を直して部屋に戻ると淹れたてのコーヒーがスティックシュガーとミルクと共に置かれていた。


 これはミリアーノがいつもしてくれる。初めは少し戸惑ったけど、彼の厚意に甘えちゃって今ではちょっとした雑談タイムになっていた。


「うん。美味しい。昨日とは違うコーヒーなのかな?苦みが少ないと思ったんだけど」

「正解だよ。今日のはまろやかな風味を持つ一杯にしてみたんだ。隼人はこちらの方が好みだと思ったのだけれど、どうかな?」

「確かにこのコーヒーは今までで一番飲みやすかったよ」

「ならよかった。本当はもっと本格的に豆から選別して隼人にもコーヒーの魅力を知って欲しいんだけどね」

「まだまだブラックは苦手だけど、その目論見は半分以上達成してるよ。もう毎朝の楽しみになってるから」

「そう言ってくれると僕も嬉しいね」


 初めの一口二口はブラックで、そしてその後にミルクと砂糖を少し足す。毎日飲ませてもらっているからかこの苦さも少し慣れてきたかも?


「そういえば隼人」

「何かな?」

「彼女とは最近どうだい?」

「急にどうしたのさ」

「いやなに。彼女、朝香美鈴君だったね。幼馴染と言っていたが好きなんだろう?しかし君たちのやり取りを見ていると、どうにも噛み合っていないように思えてね」

「あはは...。なんか恥ずかしいね」


 別に隠している訳じゃ無いからいいけど、確かに僕は幼馴染の美鈴が好きだ。それに僕の思い違いじゃ無ければ多分美鈴も僕と同じ気持ちだと思う。


「けど、そうだね。う~ん...」

「勿論話しにくいことだったら無理にとは言わないさ。馬に蹴られたくないしね」


 僕が少し悩む素振りを見せてしまったせいかミリアーノに気を使わせちゃった。


「大丈夫だよ。別に話しにくいって訳じゃ無いんだ。美鈴はかなりの照れ屋だから中々上手くいかないんだ」

「ふむ。その様子だと彼女の気持ちにも・・?」

「僕の勘違いじゃ無ければね。けど自信はあるよ。付き合いは誰よりも長いからさ」


 それこそ物心つく前からずっと一緒に育ってきたからね。美鈴のことは誰よりも知ってるよ。


「いつ気付いたの?」

「初日さ。あれだけ露骨な態度、恐らく気付いていないのは余程の鈍感な者か、本人だけだと思うよ」

「あはは。あれはあれで可愛いんだけどね」

「おかしいな。砂糖は入れて無いはずなんだが甘く感じるよ」

「偶には甘くしてみるのもいいかもね?」


 僕の切り返しにミリアーノは目を丸くしやれやれと首を振った。


「さて、そろそろ準備をして朝食に行こうか。忘れ物をしないようにね」

「そうだね。行こっか」


 ミリアーノのカップを受け取りシンクで洗う。美味しいコーヒーを淹れて貰ってるからね。パパっと洗い制服に着替え鞄と体操服の入った袋を持ち二人で部屋を後にした。




・ ・ ・ ・ ・




「ここってビュッフェ形式だけど毎日種類が豊富で凄いよね」

「そうだね。流石に全種類変わるわけでは無いけれど、寮生が飽きないよう良く工夫されている。週末に出る海外の朝食シリーズは楽しみにしているよ」

「あ~あれね。この前のあれ・・ブレイクファストブリト―だっけ?」

「惜しい。ブレックファストブリト—だね。アメリカなどの定番朝食だよ」

「そうそう。美味しかった~」


 ハッシュドポテトと卵、チーズをトルティーヤで巻いた料理。中身の内容は結構何でも大丈夫らしくカレー風味もあるそうな。


「お、隼人にミリアーノやん。おはようさん。隣ええ?」


 挨拶と共にやって来た健太君の手に持つトレーには結構な量の朝食が盛られている。


「おはよう健太君。勿論いいよ。ミリアーノもいいよね?」

「勿論さ。健太君おはよう。今日は少し寝坊したのかな?」


 健太君を見たミリアーノはそう言って自らの頭をちょんちょんと指さした後に懐から取り出した手鏡を渡した。


「おお、寝癖直っとらんかったか。しぶとい奴やで・・うし、これありがとさん」

「どういたしまして」


 寝癖を直した健太君は手鏡を返し食事を始めた。


「あれ?齊賀さいが君は?」

「ああ、あいつやったら・・ほら、あそこや」

「?」


 健太君の同室である伊津伏いつふせ齊賀君の姿が無かったから尋ねるとぶっきらぼうにある場所を指さした。その先にいたのは凄い真剣な様子でメニューを考える齊賀君の姿があった。


「昨日は野菜が少なめだった。なら今日取るべき栄養は...(ブツブツ)」


「成程、いつものね」

「せや」


 齊賀君は全国大会常連のテニス選手としてその界隈ではかなり有名人だ。そんな彼の性格はとても実直。アスリートとして食事もしっかりと気を付けているらしく、毎日の摂取カロリーと栄養素を書き記し自分できちんと組み立てている。その所為かこういったバイキング方式だと選ぶのに時間が掛かっちゃうのはご愛敬だと思う。


「毎日毎日、大したもんやでホンマ」

「プロを目指してるんだもんね」


 なんでも海外留学の経験もあるのだとか。と、ここでやっと吟味し終えたのか齊賀君がやって来た。


「遅くなって済まない」

「今日はとくに悩んどったな~」

「そうだな。やはりバイキングともなると目移りしてしまう分、計算が難しい」

「ウッキウキやん」


 どうやら真面目な彼なりにバイキングを楽しんでいるようだね。


 そんな時だった。



「痛っ!」



――ガチャン、パリンッ



 僕たちから少し離れた場所で何かが割れる音が食堂に響く。


「あ~あ~。折角の料理を落としてんじゃねえよ」

「きったねぇ。ちゃんと掃除しろよ~」

「なっ、そっちがぶつかって来たんだろ!?」

「おいおい。まさか俺の所為にするのか?ひどい話だ全く」


 そして続くように何やら言い争いの声が聞こえて来た。手を合わせたまま齊賀君が不機嫌さを隠しもせずに騒動を起こしている生徒たちを睨む。


「喧嘩かいな?」

「みたいだね」


 見ればそこには尻もちをついている生徒を見下ろす二人の生徒の姿があった。その見下ろす二人はへらへらとにやけていてあまりいい印象は得られなかった。


「どんな学校でもああいう輩はおるんやね~」

「ふむ。そんなことは無いと願いたいのだが、現に事が起こってしまっている以上否定は難しいね。さて、このまま見過ごすのは僕の性に合わない。間に入らさせてもらおうか。ふっ、どうやら彼も同じみたいだしね」


 いつの間にか席を立っていた齊賀君は既に掃除道具を取りに動き出していて、ミリアーノも争う三者へと向かって行く。


「物好きな奴らやな~って隼人、お前も行くんかいな?」

「うん。喧嘩は良くないからね」


 齊賀君もいるしミリアーノと二人でも大丈夫だと思うけど一応ね。


「・・・あ~もう!一人で飯食うても美味しないやんか!俺も行く!!」


 そう言って健太君も渋々といった体ながらも着いて来てくれるのだった。

 




「・・行ったか?」

「よし、行くぞ」


 そんな僕らをじっと見つめる視線に気づくことは無かった。

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