四.スター誕生

チュン…チュン…


"AM5:00"


「・・スー…ハー…」


ひかりは、今日も近くの"竜の宮公園"にて深呼吸をした。


太陽が地上に顔を出したばかりの早朝の空気は澄んでおり、辺りはまだ静かで心地良い。


ひかりは準備運動をし始める。


トコトコトコ…


すると、ひかりの方へ誰かが歩いてくる足音がした。


"珍しいな…この時間に人がいるの。あ、紗輝ちゃんかな?"

ひかりはそう思いながら、足音の方を見た。


なんとそこにいたのは、竜輝であった。


「あれぇッ!!おはよう…。乙辺くん、どうしたの!?」

ひかりは驚き、目を丸くしながら竜輝を見る。


「うす…。俺も…身体鍛えることにした…」

竜輝は顔を赤くしながらポツリと呟く。


竜輝の顔が朝日に照らされて赤くなっているのか、ひかりには分からなかったが、照れくさそうにしている竜輝の様子をひかりは何だか微笑ましく思った。


「そっか!じゃあ、一緒に走ろう!」

ひかりは笑顔で言った。


竜輝はひかりの明るい表情に見惚れた。

朝日に照らされながら弾けるような笑顔を見せるひかりは、とても眩しかった。


「おぅ…」

竜輝は小さく笑みを溢しながら静かに返事した。


早起きは三文の徳ということわざがあるが、竜輝にとっては、三文どころか…三両…それ以上の徳があると思う竜輝であった。


「そうそう、クッキーごちそうさま!すっごく美味しくてビックリした。うちの家族の手が止まらなくなっちゃって大変だったよー」

ひかりは軽く走りながら笑顔で話す。


「…そんな大袈裟な…」

竜輝は照れながら言う。


「いや本当に!!あのお兄ちゃんでさえずっと食べてたんだからッ!いい加減止めたけどね」

ひかりは苦笑いする。


「え…。そうなんだ…良かった」

竜輝は驚くと、安堵した表情を見せる。


「乙辺くんの作ったクッキーすごく美味しいんだからさ、もっと自信持って世に出した方が良いよ!たまにしか作らないなんて、勿体ないと思うなー」

ひかりは笑顔で竜輝を見た。


「・・っっ!」

竜輝は初めてかけられる言葉に驚きながらひかりを見る。


ひかりは微笑みながら竜輝を見ていた。


「・・あり…がとう…」

竜輝はポツリと言った。


ひかりは驚いて竜輝を見た後、ニッコリ笑った。


竜輝は新しい感覚を覚えていた。

自分の全てを受け入れて貰えることが、こんなにも心地良く嬉しいものなのかと。

竜輝は今まで自分が没頭出来る趣味を、家族以外の人間には話したり披露したりする事がなかった。

それは竜輝が小さい頃に、友達からバカにされたり否定された事があったからである。


"男なのにお菓子作りなんて女っぽい"

"竜輝くんがお菓子作りなんて似合わない"

"お菓子作りするのは女の子の役なんだよッ"


竜輝が周りから何気なくかけられた言葉達は、小さいながらも強く印象に残り、それ以来菓子作りが好きな事をあまり人には言わなかった。


"どうせバカにされて嫌な思いするなら最初から言わない方が良い"


そう思っていた。


だが、ひかりがハンバーグを作ってくれたあの日の夜、妹の紗輝が竜輝に言ったのだ。


「こんなに美味しいハンバーグ作ってくれたんだから、兄さんもお礼にクッキー焼いてあげなよ。美味しいものには美味しいもので返さないと!あのハンバーグにお返し出来るのは、兄さんのクッキーしかないッ!!」

紗輝がそう言うと、母の瀬津子と父の航多郎も紗輝に賛同した。


竜輝は家族の押しに負け、クッキーを焼いてひかりに渡す事にしたのだった。


すると、今までの周りとは違う意外な反応を見せるひかりに、竜輝は拍子抜けし新しい風に吹かれたような感覚になった。


"この人だったら、自分を認めてくれるかもしれない"

"この人だったら、自分を隠さなくても受け入れてくれるかもしれない"


竜輝はひかりに対し、そんな思いが溢れていた。

今まで竜輝は、ひかりみたいな女性に出会った事がなかった。

こんな女性もいるのだという事実に、竜輝は改めて気づかされたのだ。

海が広いように世界も広いのだと。


そして竜輝は、改めて思っていた。


"こんな貴重な人、のがしたくない"…と。


ひかりにいつどうやって自身のこの想いを告げたら良いものかと、秘かに悩んでいる若き青年、竜輝なのであった…。


だが、竜輝はまだ知らなかった。


恋愛には、多様な形をした図形が存在することに。


竜輝の恋愛事情もまた、前途多難であった…。


--


キーンコーンカーンコーン…


「なあ、浦嶋さんってもしかして英語得意?」


その日の休み時間、竜輝の友人である真夏斗がひかりに声をかけた。


「え…うん。得意な方だよ」

ひかりは目を丸くさせながら真夏斗を見た。


隣りでは、竜輝が真夏斗とひかりのやり取りを気にして耳を傾けている。


「やっぱり!さっきの英語の授業、スラスラ答えてたからさ」

真夏斗が笑顔でひかりを見る。


「あぁ分かっちゃった?実は今日の授業の所は一番得意なとこだったんだァ」

ひかりは嬉しそうに応える。


「・・・」

竜輝は、嬉しそうな笑顔を他人に向けているひかりに何だかモヤッとする。


「へぇー!じゃあ今日の放課後、図書室で教えてくれない?俺、今日やった所が苦手でさ」

真夏斗がサラリとひかりを誘う。


「そうなんだ。いいよー、私が役に立てるかどうか分からないけど」

ひかりもサラリと応える。


竜輝はすかさず口を開いた。


「俺も…」


ひかりと真夏斗だけでなく、近くにいた凰太と万莉華も驚きながら竜輝を見た。


「俺も…勉強する…」

竜輝は狼狽えながら顔を背け呟いた。


「じゃあ皆でしよっか!」

ひかりは気持ちの良いくらいの笑顔で言う。


「う…うん、そうだな…」

真夏斗は苦笑いしながら言う。

そしてチラッと竜輝を見た。

赤くなった顔を隠している竜輝に、真夏斗は確信した。

間違いなく竜輝と恋のライバルである事に。

真夏斗は複雑に思いながらも、一方では竜輝に対して感心していた。


"竜輝がここまで行動的なのは初めてだな…"


知り合ってから今までずっと女嫌いであった竜輝が、女性に対して初めて見せる表情に、竜輝が本気でひかりに恋をしているのだと、改めて真夏斗は思った。

そしてそんな親友と恋のライバルになっている事に、真夏斗も内心戸惑っていた。


「・・・」

二人の友人の姿を、もう一人の友人である凰太は、じっと見つめていた。


--


休み時間-


ひかりが廊下を歩いていると、ひかりの足元に一枚のプリントが落ちて来た。


そのプリントは、廊下の掲示板に貼られていたのがどうやら剥がれしまったようだった。


ひかりはそのプリントを拾った。


"放送部員ピンチヒッター1名、急募!!"


それは目立つ大きな文字でプリントに書かれていた。

放送部員に欠員が出た為に、一時的に急遽募集しているという内容であった。


「・・・」

ひかりは一通りプリントに目を通すと、掲示板に貼り直した。


「浦嶋ちゃん、何してんの?」

そこへ竜輝の友人、凰太が声をかけて来た。


「え…あぁ、このプリント剥がれちゃってたから貼り直してた」

ひかりが笑いながら言う。


「放送部に興味あるの?」

凰太がひかりの顔を覗く。


「え!いやいや、そういうわけじゃないんだけどね…放送部って何するのかなー?って単純に思ってただけ」

ひかりが苦笑いする。


「ふーん。俺の兄ちゃん、ここの卒業生で放送部だったんだけど…主に昼休みに曲流したり、文化祭の時にアナウンスしたりとかしてたな」

凰太が思い出すように遠くを見ながら言う。


「へぇー!城坂くんお兄ちゃんいたんだ!そんな大役こなしてたなんてすごいね!」

ひかりが目を丸くしながら言う。


「いやいや、そんなに大層なものじゃないけどな」

凰太が照れ笑いする。


「でも全校生徒が聞くわけでしょ?凄い仕事だよね」

ひかりが感心している。


凰太はそんなひかりを見ながらフッと笑顔になる。


「浦嶋ちゃんもやってみたらいいのに」

凰太は微笑みながらひかりを見る。


「いやいやいや、むりむりむり!生放送とか原稿読んだりするのなんて、私絶対にガッチガチになっちゃう…」

ひかりは慌てながらたじろぐ。


「フハハッ!そうなの?いつもの浦嶋ちゃんだったら出来そうなのに。ビシバシ言ってるじゃんッ」

凰太は笑顔でひかりを見る。


「普段のやつは原稿があるわけじゃないし、勢いに任せて行き当たりばったり言ってるだけだからね…」

ひかりは苦笑いする。


「俺はそっちの方がすげぇと思うけどな」

凰太は笑いながら言う。


「そおかな?自然と口からポロッと出ちゃうだけだよ」

ひかりはそう言うと、凰太と共に笑った。



「・・・」


凰太とひかりの仲良さげな様子をたまたま通りかかった竜輝が見ていた。

竜輝はまたしてもモヤッとした気持ちになった。

最近、頻繁に起こるこのモヤッとする感情に竜輝自身も初めての事だった為、内心戸惑っていた。


--


「浦嶋くん、えっと…その…ぼ、僕達…」

誠二郎は顔を赤くしながら一匡に言う。


「あー、はいはい。めでたくくっついたわけね、お二人さん」

一匡がニヤッとして目の前の二人を見た。


それは誠二郎と千華子であった。


放課後の図書室で、三人は座りながら話していた。


「あの…その節は本当にありがとうございました!」

千華子も深々と一匡に頭を下げた。


「今鶴さんから聞いて僕も驚いたよ。僕達二人して、浦嶋くんにお世話になってたんだね。本当にありがとう。いつか必ず恩返しをするよ」

誠二郎は照れながら一匡を見る。


「いやいや春日亀、恩返しなんていいよ…鶴じゃねぇんだし」

一匡が苦笑いする。


「じゃあ私が恩返しする!今鶴だからッ!」

千華子が真っ直ぐ手を上げながら勢い良く言った。


「・・・っ」

誠二郎と一匡が目を丸くしながら千華子を見た。


「ゴホン…」

図書室にいる教師が意味ありげな咳払いをする。


「・・・」

千華子は恥ずかしくなり俯いた。


誠二郎と一匡はそんな千華子を見て笑った。


「あ、あの…今日はごめんね。勉強する予定だったよね。私まで…ついて来ちゃって…」

千華子がチラッと一匡を見た。


「いいよ別に。皆ですりゃあ良いじゃん、勉強」

一匡はクールに言う。


誠二郎と千華子は一匡の優しさにほっこりとなりながら一匡を見つめた。


しばらく三人は勉強していると、誠二郎がポツリと言った。


「浦嶋くんって…最強だね」


「え?何が?」

一匡はキョトンとする。


千華子も誠二郎を見る。


「だって、見た目のかっこよさだけじゃなくて中身も強くてかっこいいし、優しいし…」

誠二郎は優しい眼差しで一匡を見た。


千華子は誠二郎の言葉を聞いて微笑みながら一匡に目を移す。


「・・・っっ、そんなイケメンな声で言うなよ…何か照れるわ…」

一匡は若干赤くなった顔を背けながら言う。


誠二郎と千華子は狼狽える一匡を微笑ましく思った。


すると、一匡達の隣りの席に数人の生徒達がやって来た。


「あれ、お兄ちゃん」


そのグループはひかり達であった。

その中には、ひかりと距離感の近い男子生徒の竜輝がいた。


「・・・っ」

一匡は内心ムカッとした。


ひかりと一緒にいた万莉華は、一匡が一緒にいる女子生徒を見るなり、いつぞやの朝に一匡と二人で話していた女子であることに気がついた。


「・・・っ」

万莉華は内心モヤッとした。


「えっと…そちらはお兄ちゃんのお友達?」

ひかりは誠二郎達と一匡を交互に見ながら言った。


「あぁ、俺のダチの春日亀。で、その隣りは春日亀の彼女の今鶴」

一匡がサラリと誠二郎達を紹介する。


誠二郎と千華子はペコリと会釈した。


ひかり達も会釈する。


誠二郎は一匡が"俺のダチ"と言った事に嬉しさが込み上げ、顔がニヤける。


"春日亀の彼女"

万莉華は女性の正体を知り安堵すると、思わず呟いた。


「よかった…」


すると、その場にいる皆は一斉に万莉華を見た。


「・・っっ!!あ…いや、席が空いてて…良かったな…って…」

万莉華は顔を赤くし狼狽えながら言う。


「だね!」

ひかりは笑顔で返す。


すると、一匡は微笑みながら万莉華を見ていた。


ドキッ…

一匡と目が合った万莉華は顔を赤くし俯いた。


竜輝は不思議そうな顔で万莉華を見つめる。


「・・んで、コイツは俺の妹」

一匡は誠二郎と千華子にひかりを紹介した。


「どうも、兄がいつもお世話になってます。妹のひかりです。よろしくお願いします」

ひかりは誠二郎と千華子にしっかりとした挨拶をする。


「いやこちらこそ、浦嶋くんにはとてもお世話になってるよ」

誠二郎が穏やかな笑みを浮かべながら言う。

千華子も大きく頷いている。


「・・・っ」

ひかりは目を丸くして誠二郎を見た。


誠二郎は続けて笑顔で言った。


「よろしくね」


「・・・はい」

ひかりは目を丸くしながら、じーっと誠二郎を見た。


そんなひかりの様子に一匡や竜輝達も目を丸くしながら見る。


「・・・?」

誠二郎もひかりに見つめられ狼狽える。


「声…。素敵な声してますね」

ひかりは誠二郎をまじまじと見ながら言った。


竜輝や真夏斗、凰太は驚いたようにひかりを見る。


「!!」

誠二郎の彼女である千華子は驚き、目を輝かせながらひかりを見た。


「え…」

誠二郎は顔を赤くし呆然とひかりを見る。


「だろぉ?俺は最初から気づいてたんだぜ?」

一匡が得意げに言う。


「そ、そう…かな…」

誠二郎は照れながら俯く。


「ハイッ!」

すると、ひかりが真っ直ぐ手を挙げた。


その場にいた皆は、ギョッとしながらひかりを見る。


「あの…えーっと…ちょっと…このセリフを…言ってみてもらえませんか…?」

ひかりが珍しくモジモジしながら言う。


「・・っっ」

そんなひかりの姿に竜輝達は胸をキュンッとさせる。


「え…な、何…?」

誠二郎はたじろぎながらひかりを見る。


ひかりは小さくコホンッと喉を整えると、眉間に皺を寄せながら言った。


「飛ばねぇ亀は、ただの亀だ」


「…っっ!!」

その場にいた皆、目を丸くしてひかりを見た。


ひかりが言ったセリフは、かの有名なスタジオザブリ作品のアニメ「藍色の亀」の主人公ペルコ・ラッソが言っている有名なセリフであった。


「お願いします…」

ひかりは真剣な表情で真っ直ぐ誠二郎を見ながら言う。


実はザブリアニメ好きである兄の一匡も、ひかりの言葉を聞くと期待の眼差しで誠二郎を見た。


「えぇっ!!…っっ…」

誠二郎は驚き慄いた。


一匡とひかりは、輝かしい眼差しを誠二郎に向けている。


「・・・っ」


誠二郎は、意を決して姿勢を正すとコホンッ…と喉を整えた。


そして言った。


「飛ばねぇ亀は、ただの亀だ」


すると一匡やひかり、千華子や竜輝達は皆、一斉に歓声を上げた。


「すげーッ!マジやべーッ!カッケーッ!」

一匡は興奮しながら言う。


ひかりは両手で顔を隠し、キャーキャー言っている。


竜輝や真夏斗と凰太、万莉華も驚きの表情で誠二郎を見ながら感心した。


そして、隣りにいた千華子は…泣いていた。


誠二郎はギョッとしながら千華子を見た。


「ハイッ!」

すると今度は、一匡が手を挙げた。


皆一斉に一匡を見る。


「見ろ、人が天かすのようだッ!…って言ってみて」

一匡は真剣な顔で誠二郎に言う。


こちらもまた、スタジオザブリ作品のアニメで有名な「海底の城リュウグ」のラスボス、モスカのセリフであった。


「うっ…。えっと…」


誠二郎はたじろぐが、一匡に恩返しをすべく意を決して言った。


「見ろ、人が天かすのようだッ!」


「すげーッ!!やべーッ!!カッケーッ!」

一匡は嬉しそうに言う。

ひかり達も歓声を上げ拍手する。


誠二郎は、予想外な周りの反応に驚き戸惑った。


千華子は、依然隣りで泣いている…。


すると、スーッと静かに真っ直ぐ手を挙げている青年がいた。


それは、竜輝であった。


皆一斉に驚きながら竜輝を見た。


「あの…ザブリの名作、"目をこらせば"でウミネコの人形…ベロンが言ってた名ゼリフ…」

竜輝が照れながら静かに言う。


するとすかさず、ひかりが言った。


「あぁッ!えっと…"遠いものは怪獣に、近いものは蟻に見えるだけのこと…"ってやつね!」


ひかりが目を見開きながら言う。


竜輝はコクリと頷いた。


「・・・」

兄の一匡は思った。


"アイツ…なかなか良いセリフをチョイスするじゃねぇか…"


一匡達は期待の眼差しで誠二郎を見た。


「・・っっ」

誠二郎はたじろぎながらも静かに気持ちを整えた。


「遠いものは怪獣に、近いものは蟻に見えるだけのこと…」


誠二郎はイケメンボイスで言った。


「キャーッ!!かっこいいーッ」

ひかりは両手で顔を覆う。


竜輝も目を輝かせながら誠二郎を見ている。

一匡達も歓声を上げた。


「そ、そんなに…?」

誠二郎はおどおどしながら千華子を見た。


「っ!!」


千華子は静かに大号泣していた。


「い、今鶴さん…」

誠二郎はたじろいだ。


「ハイッハイッ!」

今度は真夏斗が手を挙げた。


その場にいた仲間達は皆、期待の眼差しで真夏斗を見た。


「スラムフィッシングの青木剛の名ゼリフ、"長靴を制するものは、釣りを制する…"ってやつをお願いしますッ」

真夏斗は目を輝かせながら誠二郎に言った。


皆、真剣な顔で誠二郎を見る。


「・・っっ。じゃあ…」

誠二郎は深呼吸をした。


「長靴を制するものは、釣りを制する」

誠二郎は落ち着いた口調で言った。


「やばい…泣きそう…」

真夏斗は感動している。


「くぅーッ!これ、七央樹にも聞かせてやりてぇなァ」

一匡が目頭を押さえる。


「ほんとほんと!七央樹が聞いたら絶対泣くねッ!七央樹、スラムフィッシング大好きだもんッ」

ひかりは興奮しながら言った。


「あいつ、スラムフィッシング見てバスケやり出したようなもんだからなッ」

一匡も穏やかな表情で言う。


そう、弟の七央樹はアニメ「スラムフィッシング」で釣り好きの主人公、青木剛の友人である楓木葉道(かえでぎ はみち)がやっていたバスケに影響を受け、バスケを始めたのだった。


「ゴホンッ…んんッ!」


すると、眼鏡をギラつかせた怖そうな女性教師が威圧感を伴いながらこちらを見ていた。


「・・・すみません…」

ひかり達はペコリと頭を下げた。


「・・あ!」

ひかりは何かを思い出したように突然声を上げた。


すると、ひかりは凰太と目が合い二人同時に口を開いた。


「放送部!」


その場にいた皆はキョトンとする。


「・・っっ」

竜輝は、凰太と目を合わせながら笑顔で言うひかりにまたもやモヤッとした。


「期間限定の放送部員、一人募集って貼り紙があったんですよ!春日亀先輩、やってみたらどうですか??絶対向いてると思いますよ!」


ひかりは力強い眼差しで誠二郎を見た。


凰太も続けて言う。


「ほんとほんと!先輩の声が放送で流れたらマジで皆聞き入りますよッ」


「えぇ…っっ…」

誠二郎は人生で初めて、自身の声についてたくさん褒められ狼狽える。


「良いじゃんッ、やってみれば。言ったろ?お前、良い声してんだからもっと自信持てって。そう思ってんの、俺だけじゃねぇじゃん」

一匡は優しい眼差しで誠二郎を見た。


「浦嶋くん…」

誠二郎は呆然と一匡を見た。


「絶対に良いと思うッ!!今こそ春日亀くんの声の良さをもっと広く知ってもらいたいッ!」

誠二郎の横にいた千華子は、目を潤ませながらギュッと両手で誠二郎の手を握りしめながら力説した。


「…っっ!!」

誠二郎は顔を真っ赤にさせながら狼狽えた。


「・・み、皆が…そう言うなら…じゃあ…やってみようかな…」

誠二郎はポツリと恥ずかしそうに呟いた。


「わーい!やったァ!」

ひかり達は大喜びした。


「・・・っ」

誠二郎は眼鏡をクイッと上げながら、照れてニヤけてしまいそうになる自分の顔を誤魔化した。


「ゴホンッ!!」


すると、またもや怖そうな女性教師が眼鏡をギラギラさせ威圧感を伴いながらこちらを見ていた。


「・・・・」


ひかり達は瞬時に黙り、静かに頭を下げた。


--


「何か今日ろくに勉強出来なかったね…ごめんね…」

ひかりは真夏斗達に苦笑いしながら謝る。


「良いよ、また今度改めてやれば良いし!それに楽しかったし!」

真夏斗は笑顔で言う。


「本当、最高だったッ」

凰太も笑いながら言う。


「じゃあなーッ!」

「また明日ーッ!」


ひかり達は、真夏斗と凰太の二人と門の前で別れ、ひかりと竜輝、万莉華は三人で帰路に就いた。


「勉強出来なかったけど、最高だったねー」

ひかりは笑顔で話す。


「うん…楽しかった」

万莉華は、一匡を思い浮かべながら笑みを溢す。


「乙辺くんがリクエストしたセリフ、私も好きだよッ!あのセリフ良いよね!」

ひかりは笑顔で竜輝を見る。


ドキッ…

"好きだよッ!"

ひかりの何気なく発した言葉が竜輝の胸を貫通する。


「…っ」

竜輝は顔を赤くさせながら狼狽える。


「乙辺くんもザブリ作品のアニメ好きだったんだね!私も好きッ!うちの家族皆好きだよーッ」

ひかりは笑顔で話す。


「…っっ」

ひかりの"好き"という言葉の連発により、竜輝の心臓は震度8ぐらいを観測していた…。


--


「あ、浦嶋くん…」

紗輝が帰路に就いていると、目の前を歩く七央樹に気づき声をかけた。


七央樹は驚いて振り返る。


「あぁ!乙辺さん。家こっち?」

七央樹は驚いたように紗輝を見た。


「うん…」

紗輝は照れながら頷く。


「そうなんだッ。じゃあ途中まで一緒に帰るか」

七央樹はサラリと言う。


「え!あ…うん…」

紗輝は顔を赤くさせながら七央樹の隣を歩いた。


「そう言えばさ、亀美也から聞いたんだけど、乙辺さんってバスケ部のマネージャーやりたかったんだって?」

七央樹は紗輝の顔を覗く。


「え!あぁ…そんな時もあった…かな…」

紗輝は辿々しく応える。


「過去形かぁ…何だ残念だなー。乙辺さんだったら頼りになりそうだったのに」

七央樹は空を見上げながら言う。


「え…」

紗輝は驚いたように七央樹を見た。


「何てったって…俺の恩人だからな、乙辺さんは」

七央樹はそう言うと、ニカッと笑いながら紗輝を見た。


「・・・っっ!」

七央樹の弾ける笑顔が紗輝の胸を貫通する。


すると、徐に紗輝は口を開く。


「そういえばこの前…浦嶋くんのお姉さん、体育館でシュート決めてたね。ひかりさんって、かっこいいね。憧れる…」

紗輝は恥ずかしそうに言った。


紗輝の言葉を聞き、七央樹は顔を赤くさせ、照れながら口を開いた。


「何か…身内が褒められるのって…照れるな。でも…嬉しいわ」


七央樹は笑顔で紗輝を見た。


紗輝も照れながら微笑んだ。


「俺の姉ちゃんと兄ちゃんって、自分で言うのもなんだけど…カッケェんだよ。ピンチの時とか何だかんだ言って助けてくれたり、守ってくれるんだ…。俺はまだまだあの二人には追いつけねぇよ。だから…俺も乙辺さんと同じ。憧れてんだ」

七央樹は気の抜けた表情をしながら言うと、笑みを溢した。


優しい表情で話す七央樹の横顔に見惚れながら、紗輝は思わず呟いた。


「浦嶋くんも充分かっこいいよ…」


「え…」

七央樹は驚いて紗輝を見た。


「・・っ!!」

紗輝は七央樹と目が合うと我に返り、思わず声に出して言ってしまったことを自覚すると、急に恥ずかしくなり慌てて顔を逸らした。

紗輝の心臓が機械では測れないほどの大きな揺れを観測していた。


「・・・っ」

七央樹も照れながら前を向いた。

何だか得体の知れないドキドキ感と、嬉しさが沸き起こる七央樹青年であった…。


「あ!あの雲うまそうだな…」


「あ、あの看板美味しそう!」


七央樹と紗輝は、照れ隠しをするかのように、必死で美味しそうなものを探しながら歩くのであった。


--


ひかりと竜輝は、万莉華と別れると二人きりになった。


すると、竜輝は静かに口を開いた。


「・・浦嶋ってさ…すぐに人と仲良くなれるよな…」


「え…」


「もし…俺と万莉華が浦嶋とは別のクラスだったら、俺らはたぶん、喋ったりする仲になってないよな…。きっと浦嶋は、隣の席になった別の奴と仲良くなってたよな…」

竜輝は俯いている。


「うーん、それはどうかな?」


「え…」

竜輝はひかりの言葉に驚き、咄嗟にひかりを見た。

ひかりは空を見上げている。


すると、ひかりは口を開いた。


「私は、誰でも仲良くなるわけじゃないよ。乙辺くんだったから、仲良くなってるんだよ」

ひかりは優しい表情で竜輝を見た。


「浦嶋…」

竜輝は呆然とひかりを見つめた。


「それにー、例え乙辺くんが違うクラスだったとしても…きっと私から乙辺くんに話しかけてると思うなァ…」

ひかりは自身の顎を触りながら言う。


「・・っっ!」

竜輝は目を丸くしながらひかりを見る。


するとひかりは、両手で竜輝を指差しながら笑顔で言った。


「だって乙辺くんは…イケメンだし、友達思いで優しいし、何てたってスタジオザブリのアニメ好きだもんねッ!仲良くなれる気しかしないでしょ」


笑顔で話すひかりを竜輝は呆然と見つめた。


ひかりはさらに続ける。


「それに…私のこの卓越した触覚が、乙辺くんをキャッチしないわけないよー」


ひかりは自身の頭の上に両手で人差し指を立てると、竜輝の方に指先を向けた。

そして、ひかりはなぜか「ゆんゆんゆん…」と言っている。


「プハッ…」

そんなひかりを見た竜輝は思わず笑った。


ひかりも竜輝につられて笑う。


竜輝は、弾けるような笑顔で笑うひかりの横顔を見ると思わずひかりの手を掴んだ。


ひかりは驚いて竜輝を見た。


「あ、あの…さ…浦嶋…。俺…」

竜輝が俯きながら、ゆっくりと言葉を振り絞る。


「姉ちゃん?」


すると、ひかり達の後方から七央樹の声がした。


竜輝は慌ててひかりの手を離した。

ひかりも驚き七央樹を見る。


すると、七央樹の隣りには竜輝の妹である紗輝がいた。


七央樹はひかりの隣りにいる竜輝を見るなり、ハンバーグの男だと思いギロリと竜輝を見た。


すると、七央樹の横にいた紗輝が呟いた。


「兄さん…」


七央樹は紗輝の言葉に驚き、ギョッとしながら紗輝を見た。


紗輝は竜輝を見ている。


「え…兄妹…?」

七央樹は目を丸くしながら竜輝と紗輝を交互に見て言う。


「うん。私の兄さん。ひかりさんと同じクラスなんだよね」

紗輝は笑顔で言う。


「…っっ!!そ…そうなんだ…」

"確かに聞き覚えある苗字だとは思ってたけど…"

七央樹はなぜか複雑な心境になった。


「ひかりさんのハンバーグ、また食べたいって思った」

紗輝は満面の笑顔を七央樹に向け話す。


「ホントに?!じゃあまた作ってあげるね」

ひかりは笑顔で紗輝に言う。


「ありがとうございます…」

紗輝は嬉しそうに言う。


「・・・」

竜輝も静かに喜ぶ。


「…っっ」

七央樹は複雑であった。

七央樹の心では、紗輝には食べてもらいたいが、竜輝には食べさせたくないという…賛成派と反対派のおしくらまんじゅうが繰り広げられていた。


しばらく四人は歩くと、乙辺兄妹の家の前までたどり着いた。


「じゃあ、また明日」

ひかりが笑顔で言った。


七央樹がキョトンとしていると、紗輝が七央樹に言った。


「私達の家、ここなの」


「えっ!!近ッ!!」

七央樹は驚き慄く。


「でしょー?ご近所さんなんだよねー」

ひかりは笑顔で言う。


「じゃあ、また…」

竜輝はクールに言う。


「うん!またねーッ」

ひかりは笑顔で手を振る。


七央樹は、紗輝に小さく手を振ると竜輝に目を移しクールにペコリと軽く会釈した。


七央樹はひかりの後に続き帰って行く。


「・・・・」

竜輝と紗輝は、ひかりと七央樹の後ろ姿をそれぞれ呆然と見つめていた。


「あんた達、何見てんの?二人して…」

しばらくすると、竜輝と紗輝の母である瀬津子が二人に声をかけた。


「…っ!」

竜輝と紗輝は瀬津子の声に驚き我に返ると、二人は瀬津子に「なんでも…」と呟きながら、そそくさと家へと入って行った。


「・・・?」

瀬津子は不思議に思いながら、竜輝達が見ていた方向に目を移すと首を傾げながら家の中に入った。


--


その夜、浦嶋家では-


「なあ、あのハンバーグの奴とめちゃくちゃ近いじゃんッ!」

七央樹がひかりに詰め寄る。


「だろー?近すぎだよなッ」

一匡も七央樹に加勢する。


「でも紗輝ちゃんとも近いんだから良いじゃない。七央樹、仲良いんでしょ?紗輝ちゃんと」

ひかりはニヤリと七央樹を見る。


「そ…そんなんじゃねぇし…」

七央樹は若干顔を赤くさせながらたじろぐ。


「ハイハイ、今はねー」

ひかりはサラリと言う。


「だからぁー!俺の話は良いんだよッ」

七央樹が苛立つ。


「あっ。そう言えば!七央樹にも聞かせてあげたかったなーッ!」

ひかりは一匡の友人、誠二郎のイケメンボイスでの名ゼリフについて話をした。


「え、そんなに…?」

七央樹は半信半疑な様子でひかりを見る。


「マジもんだって!俺が発掘したんだぜッ」

一匡は意気揚々に言う。


「春日亀先輩、放送部やるって言ってたよね?だったら今度、放送で聞けるじゃんッ!すっごく良い声してんだからッ」

ひかりが目を輝かせながら言う。


「ふーん…」

七央樹は冷めた表情で言った。


「何ならまた今度、図書室で聞かせてもらえよ。スラムフィッシングの青木の名ゼリフ」

一匡がサラリと言う。


「あ、でも怒られないように程々にしとかないとだよッ!あの先生、怖そうだったし!」

ひかりが険しい顔をした。


「いや、そうでもねぇよ?」

一匡がケロリとしながら言う。


「?」

ひかりはキョトンとした。


「だって、俺らが帰る時にあの先生、春日亀にセリフのリクエストして来たし…」


「えぇっ!!」


--


一匡達が帰る間際の事…


「あのちょっと!」

眼鏡の女性教師が春日亀を呼び止めた。


"やば…さっきのやつ、怒られっかな…"

一匡が身構える。


「あのー・・…このセリフを言ってみてもらえないかしら…」

眼鏡の女性教師は恥ずかしそうに俯きながら誠二郎に言った。


「え」

誠二郎と一匡、千華子は驚きながら女性教師を見た。


「コホン…っっ」

女性教師は喉を整えた。

すると、女性教師はスイッチが入ったように凛々しい様子で言った。


「フィッシュと共にあらんことを…」


それは、有名なダズニーの「シーウォーズ」の名ゼリフであった。


「・・・っっ!!」

誠二郎や一匡、千華子は驚き目を丸くしながら女性教師を見る。


「お願い…」

女性教師は眼鏡をギラギラさせながら誠二郎を見る。


「・・っっ」

誠二郎はたじろぎながら一匡と千華子を見た。


二人は静かに頷いている。


「・・フィッシュと共にあらんことを…」


誠二郎はイケメンボイスで言った。


「ヒャッ!!最高ーッ!!素敵だわ…」

女性教師が頬に手を当てながら感動している。


一匡と千華子は頷きながら拍手していた。


「・・・っっ」

誠二郎はただ一人、戸惑っていた…。


--


「・・ってな事があったんだよ、あの後…」

一匡がひかりに一部始終説明した。


「えー!!ずるいーッ!!私も聞きたかったァッ!」

ひかりが悔しがる。


「春日亀のシーウォーズも最高だったぜッ!」

一匡は満足げに言う。


「そんなにかよ」

七央樹は一人冷めている。


「あんたも今に分かるわよッ!春日亀先輩の凄さをッ」

ひかりはビシッと七央樹を指差す。


この後、ひかりの言うとおり七央樹が誠二郎のファンになるまでには、そう時間はかからなかった…。


「・・なぁ、ひかり。お前、前みたいな奴と仲良くなるんじゃねぇぞ。どうせ裏切られて泣かされるのがオチなんだからな」

しばらくして、一匡が真面目な表情と口調でひかりに言う。


「そうだぞッ!前も近所で仲良かった奴だっただろッ。姉ちゃんがあんな思いすんのは二度とごめんだからな」

七央樹も険しい表情でひかりを見る。


「・・うん…分かってるよ。ちゃんと中身を見ながら、人付き合いするから…」

ひかりは俯きながら呟いた。


一匡と七央樹はそんなひかりを心配そうに見つめた…。

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