二.薪水の労は誰かを救う

翌日-


「あー・・…いけない、忘れちゃったなァ…」

ひかりはカバンの中をゴソゴソしながら呟いた。


「何か忘れたの?」

隣の席の竜輝がひかりの顔を覗く。


「あぁ…家の鍵…」

ひかりが苦笑いしながら言う。


「家の鍵??」

竜輝がキョトンとしながらひかりを見た。


「うちね、両親共働きで帰り遅い日が多いから、私達兄妹弟一人ずつ鍵持ってるんだぁ…。今日は私が夕食当番で早めに帰らないと行けないんだけど…。お兄ちゃんはバイトだし、弟は園芸委員だって言うから…」

ひかりは腕組みをしながら考える。


「そうなんだ…」

竜輝はキョトンとしながらひかりを見つめた。


「うん…よし、連絡しよ」

ひかりは思いついたようにスマホを取り出すと誰かにメッセージを打ち始めた。


竜輝は不思議そうにひかりを見つめた。


--


春日亀かすがめッ!複素数をz=1+3iにした時のA(z)の点はどこになる?」


ひかりの兄である一匡の教室では数学の授業中であった。

数学教師は、同じクラスの春日亀かすがめ 誠二郎せいじろうを当てていた。

誠二郎は眼鏡をかけており、地味で大人しそうな風貌をしていた。

誠二郎は前から三列目の真ん中ぐらいの席に座っていた。

ちなみに、一匡の席は入り口側の一番後ろ端の席である。


「・・x軸が…1で…y軸が…3…」

誠二郎が小さめの声で答えていると、一匡とは反対側にいる一番後ろ端の席の一人の男子生徒が声を上げた。


「春日亀ーッ!聞こえねぇー」


この第一声を皮切りにその男子生徒の友人達も野次を飛ばし笑い始めた。


「ちゃんと喋れよー春日亀ぇー」


「何言ってるか分かりませーん」


誠二郎は黙って俯いてる。


野次を飛ばしている男子生徒達は、数学教師の制止も聞かずに笑いとばし続けている。

周りの生徒達はまたかとばかりにため息吐く者もいれば、俯いたり天を仰ぐ者もいた。

授業中に誠二郎が先生に当てられる度に起こるこの野次現象に、周りの生徒達はうんざりしていた。


「おめぇら、耳悪いんじゃねーの?」


すると、一匡が声を上げた。


野次を飛ばし誠二郎を揶揄っていた男子生徒達や他のクラスメイト達は、驚いた表情で一斉に一匡の方を見た。

誠二郎は驚いて顔を上げる。


「X軸が1でY軸が3…って、俺が聞こえてんのに何でおめぇらが聞こえねぇんだよ。そもそもおめぇら、端から聞く気ねぇだろ」

一匡は冷めた表情で第一声に野次を飛ばした男子生徒を見た。


「なっ…」

その男子生徒は苦虫を噛み潰したような表情で一匡を睨む。


「こっちはおめぇらのくだらねー野次聞く為に授業受けに来てんじゃねぇんだよ。金と時間を無駄使いさせんな」

一匡は騒いでいた男子生徒達をギロリと睨みつけた。


誠二郎は驚いて思わず一番後ろの席に座る一匡を見た。

一匡は堂々とした佇まいで座っている。


「・・・っっ」

男子生徒達は何も言い返せずばつが悪そうにした。


すると、ここぞとばかりに他の生徒達がその男子生徒達に言い始めた。


「そうよそうよ!浦嶋くんの言う通りよッ!前から思ってたけどアンタ達の野次ほんとウザイからッ!!」


「春日亀くんの言ってる事私も聞こえてたー」


「授業止められんのマジで迷惑だから辞めてほしい」


「・・・・っ」

野次を飛ばしていた男子生徒達は気まずそうにそれぞれ俯いた。


誠二郎は目を丸くし呆然としながら周りの様子に耳を傾けていた。


すると数学教師は静かに口を開く。


「そう言う事だから、お前らも授業の単位が欲しかったらこれからは大人しくするんだぞ」


数学教師は野次を飛ばしていた男子生徒達をジロリと見回した。


「…っっ」

その男子生徒達は皆俯いた。

第一声の野次を飛ばした男子生徒は一人両手に握り拳を作り、悔しさを滲ませていた。


--


休み時間-


「アイツ…ちょっと女子に人気があるからって調子乗りやがって…」


数学の時間に野次を飛ばし返り討ちにあった男子生徒三人が話していた。


「浦嶋の奴…痛い目見させてやる…」

一匡と同じ一番後ろで反対側の端に座っている野次第一声の男子生徒は、何やらポケットから取り出すと、それを見つめながら不敵な笑みを浮かべた。


--


一匡達のその日最後の授業は体育で、教室には誰もいなくなっていた。


授業もまもなく終わりそうな頃、ある男子生徒三人が一匡の机に来た。

それは、先程野次を飛ばした例の男子生徒三人であった。


「これが見つかちゃったらアイツも終わりだな…この高校、厳しいから停学どころじゃなくなるかもなァ」


そう言いながら、野次の第一声を飛ばした男子生徒は、ポケットからタバコの箱を取り出すと一匡の机に入れようとした。


ガラガラガラ…ピシャンッ!!


「…っっ!!?」


突然、一匡の席近くの扉が豪快に開いた。


「あれ…そこって…」


それは、一匡の妹、ひかりであった。

浦嶋兄妹弟は、教室の扉を豪快に開ける癖がある。


三人の男子生徒達は、驚き固まりながらひかりを見た。


ひかりは目を丸くさせながら男子生徒達を見ている。


一人の男子生徒が机に入れようとした物を慌てて自身のポケットに隠した。


ピクッ…

ひかりは片側の眉毛を微かに動かしその様子を見逃さなかった。


「失礼しまーす。そこってぇー、浦嶋一匡の机ですよねー?」

ひかりはお構いなしに堂々と一匡の机に近づく。


「…っっ」

男子生徒達はたじろぐ。


「やっぱこの席だ。こんなでっかい弁当箱引っかかってればすぐ分かる…(笑)」

ひかりはそう言いながら、一匡の机の中をゴソゴソ漁り始めた。


すると、男子生徒達はコソコソ話し始めた。

「なぁ…この美少女は誰なんだよ…」

「アイツの女か…?」

「チッ…ますます腹立つ…」


「兄がお世話になってますねぇ」


すると、ひかりが一匡の机を漁りながら言った。


「え…」

その男子生徒達はキョトンとしながらひかりを見た。


「あぁ私、浦嶋一匡の妹です。よろしくお願いします」

ひかりはそう言うとニッコリ笑顔を見せた。


「・・・っっ!!」

三人の野次男子達はひかりの笑顔に心を撃ち抜かれ呆然と見惚れていた。


「あなた達はお兄ちゃんのお友達ですかぁ?私、お兄ちゃんの友達は皆仲良くなるタイプなんですよー。夏は皆で海行ったりなんかして」


ひかりは話を続ける。


「一緒に行けたら良いですねぇ、海ッ!」

ひかりは満面の笑顔で男子生徒達を見た。


「…っっ!!・・ゴクリ…」

男子生徒達は皆、顔を赤くさせ何も言えずにただただひかりに見惚れてた。


三人の男子生徒達が呆然とひかりを見つめている中、ひかりはある物を探し続けていた。


「あれー?全然見当たらない…机の所にあるって言ってたのに…」

ひかりは眉間に皺を寄せながら机の裏など隈なく見回す。


「お前ら何やってんだ?俺の机で」


すると、一匡が戻って来た。


「・・・っっ!!」

男子生徒達は驚き慄く。


「お兄ちゃん、鍵見つからないんだけどー」

ひかりが一匡をジロリと見る。


すると一匡が突然弁当箱を取り出した。


「・・・ん?お兄ちゃん…まさかこれからお弁当食べるの?」

ひかりは目を丸くしながら一匡を見た。


パカッ…


一匡がお重のような弁当箱の蓋を開けると、何と言うことでしょう…そこには真ん中にひっそりと家の鍵が佇んでいたのでした。


「げっ!!ちょっ…お兄ちゃんッ!!何で食べ終わった弁当箱なんかに鍵入れてんのよッ!」

ひかりは顔を引き攣らせながら弁当箱の中の鍵を見た。


「ここだったら盗まれる心配ねぇだろ?今の世の中、物騒だからなッ」

一匡はそう言うとひかりに、おかずを取れと言わんばかりに鍵の入った弁当箱を差し出した。


「えっ!!ヤダッ!持ちたくないッ!!洗わないと汚いじゃんッ」

ひかりは一匡に抗議する。


「弁当箱なら大丈夫だ。毎日帰ったら洗ってるだろ」

一匡はニコニコしながら言う。


「弁当箱の心配なんかしてないわッ!この鍵の事よッ!」

ひかりはそう言いながら親指と人差し指の先で鍵を持つ。


「何だその持ち方はッ!鍵に失礼だろッ」

一匡はひかりを注意する。


「お兄ちゃんのせいでしょー!」

ひかりもギリギリと一匡を怒っている。


「そういやぁお前、今日夕飯の当番だよなァ?」


「そうだけどッ!」


「ハンバーグな」


「え」


「頼んだぜッ」

一匡は笑顔でひかりの頭にポンッと手を乗せた。


「ハァー・・。お兄ちゃんって本当に七央樹とそっくりねぇ…」

ひかりは呆れながら一匡を見た。


「え?」


「七央樹からもハンバーグのスタンプだけが送られて来たわよッ!何なの、アンタ達…」

ひかりはジロリと一匡を見た。


「やっぱさー、俺と七央樹の頭って連動してんのかもしれねぇな…。多分あの夜…宇宙の連中に連れさられて何か埋め込まれたんだわ…」


「あーハイハイ…またその話ね…」

ひかりはまたかとばかりに言う。


「いやマジだって!!弓追純二のUFO呼ぶ番組を見た夜だぜ、ぜってぇに!」

一匡がひかりに力説している。


「あぁ…お兄ちゃんと七央樹が二人でベランダに出てゆんゆん言ってたあの日ね…。あれホント恥ずかしかったわ…」

ひかりはそう言うと、片手を自身の額に当てた。


「月刊マーにも書いてあったんだぜ…埋め込まれた人の話…」

一匡は一気に険しい顔をさせた。


「ハイハイ、月刊ミーだかメーだか知らないけど、もうその話飽きたわ」

ひかりが冷めた表情で一匡を見た。


「って…お前らはさっきから何でここにいんの?」

話の切り替えが早い一匡は、キョトンとしながら三人の男子生徒達を見た。


「・・っ!!」

一匡とひかりの一連の会話を圧倒されながら呆然と聞き入っていた三人の男子生徒達は、一匡に突然話を振られ我に返り驚く。


「何かお兄ちゃんに渡したい物があるみたいだよ」

ひかりがサラリと言った。


「…っっ!!」

三人の男子生徒達はぎょっとしてひかりを見た。


「え、何?」

一匡は男子生徒を見た。


「・・っっ、いや…」


「でもまぁ…あまり変な事考えない方が良いですよ?」


ひかりはそう言うと続けて言った。


「自分の為にも…ね」

ひかりはそう言いながら、男子生徒のタバコが入ってるポケットを見た後、人差し指をさりげなく自身の口元に当て不敵な笑みを溢した。


「…っっ!!」

男子生徒達は驚き、顔面蒼白になった。


「ん?変な事?」

一匡はジロリと男子生徒達を見た。


「べ…別に…」

男子生徒達は慌てて教室から飛び出して行った。


「・・・」

ひかりは冷めた表情で走り去って行く男子生徒達の後ろ姿を眺めた。


「何だァ?アイツら」

一匡も冷めた表情で男子生徒達を見送る。


ひかりはそんな一匡をチラッと見た後言った。


「じゃあ私も行くわ」


「あぁ、おう」


「ハンバーグねー。ひき肉はー・・あー、あるかー」

ひかりは両手を頭の後ろに回しながらスタスタ歩いて行った。


一匡はそんなひかりの後ろ姿を見た後、弁当箱を片付けながらフッ…と笑みを溢した。


--


"危なかったー。お兄ちゃんも結構敵作りやすいからな…。時々様子を見に行こ…"


ひかりは心の中で兄の一匡を案じながら歩いていた。


--


しばらくして一匡が教室を出ると、数学の授業の時に野次られていた誠二郎が立っていた。


「う…浦嶋くん…」


誠二郎は恥ずかしそうにモジモジしていた。


「ん?」

一匡は誠二郎の顔を覗く。


「あ…あの、数学の…授業の時は…その…あ、ありがとう…」

誠二郎は呟いた。


「え…いや、別に…」

一匡は驚きながら誠二郎を見た。


誠二郎は俯いている。


「お前さ、もっと自信持って喋れよ。せっかく良い声してんだから」

一匡は誠二郎をまじまじ見ながら言った。


「え…」

誠二郎は、一匡の言葉に驚き思わず顔を上げた。


「お前って良い声してるよなァ。俺は好きだぜ?お前のその声。すっげぇ羨ましいわ…。言ってる事だって全然間違ってねぇんだし、もっと堂々としろよッ」

一匡は誠二郎の肩を叩くとニカッと笑った。


「・・・っ!!」

誠二郎は何だか清々しい風に吹かれたような新しい感覚を覚え、目を見開いた。


「あ、そう言えば数学の時にお前が答えてたー・・X軸が1で?Y軸が3ってやつ?あれって何でそうなるの?」

一匡はキョトンとしながら誠二郎を見る。


「え…えぇ?」

誠二郎は再び驚き、目を丸くしながら一匡を見た。


「あ、俺…実はよく分かってなくてさー。だから授業受けんのも必死なんだわ」

一匡は笑いながら話す。


誠二郎は、あっけらかんとしながら話す一匡を、ひたすら呆然と見つめた。


「お前頭良いよなぁ。明日の放課後、教えてくれね?」

一匡は誠二郎の顔を覗く。


「えっ!!・・構わないけど…」

誠二郎は照れながら呟いた。


「じゃあ明日よろしく頼むわッ、春日亀!」


「・・・っ!」

誠二郎は目を丸くしながら一匡を見ると、一匡はニカッと笑った。


「…つーことで春日亀、連絡先教えて!急に予定変更とかになったら困るからさ…俺バイトしてるし」

一匡はすかさず自身のスマホを取り出すと、誠二郎をまじまじと見た。


「えぇっ!!あぁ…うん…」

連絡先を初めて同級生と交換する誠二郎は緊張しながらスマホを取り出した。


「サンキュー。じゃあまた明日なーッ」

一匡は誠二郎と連絡先を交換すると、笑顔で手を振りながらその場を後にした。


誠二郎は一匡の後ろ姿をただただ呆然と見つめた。


そんな二人の姿を、さらに後ろの陰から、ある女子生徒が一人見つめていた…。


--


「乙辺さんッ!!今日の園芸委員、俺と順番変わってくれねぇ?今日バスケ部ないって母ちゃんに言ったら、日替わりの特売品を買って来いって遣いを頼まれちゃってさー…」

瀬田せた 亀美也きみやが同じクラスの乙辺おとべ 紗輝さきに声をかけた。


亀美也は七央樹のバスケットボール部の仲間である。昨日バスケ部を見学しに来ていた七央樹と早速意気投合し、すぐに七央樹と友達になった気さくな男子生徒である。


一方紗輝は、ひかりと同じクラスの竜輝の妹であった。


「あぁ、良いけど…」

紗輝は何の迷いもなく亀美也の頼みを引き受けた。


「ありがとう!次は俺が行くからッ」

亀美也は安堵した表情で言った。


「今日一緒に水くれすんの、C組の浦嶋七央樹って奴だからよろしくなッ!七央樹にも連絡しとくわ!んじゃッ」

亀美也はサラリと言うと足早に去って行った。


「え…。浦嶋くんって…」

"昨日の…"

紗輝は急に胸がバクバクし始めた。


"それを先に言ってよ…瀬田くん…"

紗輝は呆然と立ち尽くした。


--


紗輝が水やりをやる為裏庭の花壇へ行くと、すでにひかりの弟、七央樹がホースを持っていた。


「あ…ごめん…遅くなって…」

紗輝は俯きながら七央樹に近づいた。


七央樹は紗輝を見るなり声を上げた。


「あッ!!昨日の恩人ッ!」

七央樹は目を丸くしながら紗輝を見た。


「え…お、恩人…?」

紗輝は意外な反応をする七央樹を驚きながら見た。


「昨日はマジでありがとう!俺、虫苦手でさァ…特に飛ぶ虫が…。あの時本当助かったわ…。礼言おうとしたら、キミ走ってっちゃうんだもーん。良かったわ、会えて」

七央樹はニカッと笑った。


紗輝はお礼を言われると思っていなかった為、拍子抜けし呆然と七央樹を見ながら呟いた。


「ひ、引かないの…?」


「え、何に?」

七央樹はキョトンとする。


「いや…虫を素手で掴むとか…そういうのに…」


「引くわけないじゃんッ!俺の姉ちゃんも素手で虫捕まえるしッ!カッケーよ、そういうこと出来るって」

七央樹は笑顔で話す。


「え…お姉さんも…?」

紗輝は驚きながら七央樹を見た。


「うん。なかなかいないよな、そういう女の人。だから昨日、姉ちゃん以外で素手で虫捕まえる人がいたから、すっげぇ嬉しかったんだァッ!俺そういう人好きだからーッ」

七央樹はニコニコしながら話している。


「・・・っっ!!」

紗輝は七央樹の何気ない言葉に驚き、一気に顔を赤くさせた。


「どうした?暑い?乙辺さんもそっちの方、水やって。水撒けば少しは涼しくなるかもッ」

七央樹はホースを紗輝に手渡す。


「えぇっ!あぁ…うん…」

紗輝は照れながら水を撒いた。


そんな二人の様子をある女子生徒が陰から見つめていた。


--


「じゃあなー」


竜輝達は、友人の真夏斗と凰太の二人と校門の所で別れた。


ひかりは竜輝と万莉華と一緒に帰路に就いた。


「万莉華と乙辺くんって、私と同じ方向だったんだねー!昨日、兄弟と帰ったから分からなかったけど」

ひかりは目を丸くしながら万莉華と竜輝を見た。


「うん。ひかり…は、たつみやじょうマンションなんだよね?私達、家近いんだよ」

万莉華はそう言うとニコッと笑った。


「へぇー!!そうなのー?嬉しいーッ!」

ひかりは弾けるような笑顔ではしゃいだ。


「あ、でも…私よりたっちゃんの方が近いよね?」

万莉華は竜輝の顔を覗く。


「あぁ…まあな…」

竜輝がクールに返事をした。


「そうなんだ…じゃあご近所さんだねッ」

ひかりは竜輝にニカッと笑って見せた。


「・・っっ…」

竜輝は若干顔を赤くさせた。


「今日は…その…ひかりのお兄さんは一緒じゃないの…??」

万莉華はチラッとひかりの顔を見た。


「あぁ、お兄ちゃん今日はバイトなの。駅前の喫茶店でバイトしてるんだよ。何でも、運命の珈琲と出会ったとか…。美味しい珈琲を淹れる修行をするんだってッ!今度皆で冷やかしに行こうか」

ひかりはニヤニヤしながら言う。


「え…うん!い、行きたいッ!」

万莉華は珍しく強い眼差しでひかりに言った。


そんな万莉華を竜輝は驚いたように見つめた。


「・・うん!じゃあ今度お兄ちゃんがバイトの日に行こうッ」

ひかりは万莉華の様子に一瞬驚いたが、快く返事をした。


「うん…」

万莉華はどことなく嬉しそうな表情をしていた。

竜輝はそんな万莉華を目を丸くしながら見ていた。


「じゃあ私、こっちだから…」

万莉華はそう言って手を振り、ひかりと竜輝の二人と別れた。


ひかりも笑顔で手を振った。


ひかりと竜輝は二人で歩き出した。


「・・そういえば、鍵…大丈夫だった…?」

竜輝が静かにたずねる。


「あ、うん。無事受け取りました」

ひかりは照れながら言った。


すると突然、ひかりが真面目な顔をしながら言う。

「お兄ちゃんの鍵…どこにあったと思う?」


「え…」

竜輝は驚いてひかりを見た。


「食べ終わった弁当箱の中」

ひかりはポツリと呟いた。


「…っっ」

予想だにしないひかりの答えに、竜輝は吹き出しそうになった。


「あり得ないでしょー??どおりで机の中散々探しても見つからないわけよーッ」

ひかりがプンプンしながら言う。


「フフっ…」

竜輝は思わず笑った。


ひかりは驚いて竜輝を見た。


竜輝も自身が女子の前で笑った事に驚くと、我に返り赤くなった顔を逸らした。


ひかりは優しく微笑みながら言った。


「…乙辺くんも笑った顔、いいね」


「・・・っっ!」

竜輝は驚きひかりを見た。


ひかりはニッコリ笑っていた。


「・・・っ」

竜輝はひかりの笑顔に息を呑み、自身の顔が発熱するように熱くなっていくのを感じた。


ブー…ブー…


すると、竜輝のスマホが振動した。

竜輝はスマホを取り出し見つめた。


「・・・」

そしてスマホをポケットにしまった。


ひかりはチラッと竜輝を見た後言う。


「乙辺くんの家って近いんだっけ…?私は、あのマンションなんだけど」


「俺のうちここ…」


竜輝が指差した家は、ひかり達の目の前にあった。


「えぇっ!!近ッ!目と鼻の先じゃん!」

ひかりは目を丸くさせた。


「うん…近い…」

竜輝はポツリと呟いた。


「そっかそっかー!こんなに近かったんだね!ホントご近所さんだッ。乙辺くんの家も分かったことだし、じゃあ…私はあのマンションへ帰還しますッ」

ひかりはそう言うと敬礼をした。


そんなひかりを見た竜輝は、小さく笑みを溢した。

そんな竜輝を見たひかりも、自然と笑顔になる。


すると、竜輝は照れくさそうに言った。

「えっと…俺…は…まだもうちょっとそっちのコンビニに行く…」


「ん?何か買うの?」

ひかりはキョトンとしながら竜輝を見た。


「今日…うちの両親帰りが遅いって連絡来たから、何か夕飯のおかず買いに行く…」

竜輝は静かに言った。


すると、竜輝の言葉を聞いたひかりは、瞬時に何かを思い立ち、竜輝を輝かしい眼差しで見つめながら真っ直ぐ手を挙げた。


「ハイッ!!」


竜輝はギョッとしながらひかりを見た。


「夕飯、私が乙辺くんの分も作るよ」

ひかりは力強い眼差しで竜輝を見た。


「え…」

竜輝は驚いたように目を丸くしひかりを見た。


「今日ね、ハンバーグなのッ!意外とこれが家族から好評でね。うち、ひき肉はたんまり冷凍庫に常備してあるから材料も十分あるしッ」

ひかりは目を輝かせた。


「えぇっ!?そ、そんなん…い、いいのかよ…」

竜輝はたじろぎながら言う。


「うん!任せてッ!」

ひかりは自身の胸に拳を当てた。


竜輝は呆然とひかりを見つめた。


「乙辺くんのとこは何人家族?」

ひかりは竜輝の顔を覗く。


「えっと…4人…」

竜輝は照れながら応える。


「了解!じゃあ出来たらここまで持ってくるね!だいたい六時半ぐらいで良いかな??」

ひかりは竜輝の顔を覗く。


「いや…俺が、取りに行く…」

竜輝は顔を赤くさせながら言った。


「え…良いの?」


「うん…。だから…その…連絡先…教えて…。出来たら…連絡くれれば…取り行くから…」

竜輝は赤くなった顔を逸らしながら言葉を絞り出した。


ひかりは驚きつつも、ニッコリ笑顔で返事した。


「うん!分かったッ」


ひかりと竜輝はお互いに連絡先を交換した。

ひかりがまた連絡する約束をして、二人はそれぞれ別れた。


ひかりは何故か心が弾んでおり、一段と夕食作りに意気込む。


一方竜輝は、遅くなると言う両親に心の中でそっと感謝するのであった…。


--


「じゃあ、お疲れーッ」

「お疲れさま…」

七央樹と紗輝は一通り水やりを終えると、二人は挨拶を交わし別れた。


紗輝が校舎へ戻る途中、ある女子生徒に呼び止められた。


それは、七央樹と同じクラスの煙崎えんざき 瑚己奈ここなであった。

瑚己奈は、昨日七央樹にピッタリとくっつきながらバスケ部マネージャーをやろうかと話していた女子生徒である。


「乙辺さん、言っとくけど男子バスケ部のマネージャー瑚己奈がやることになったからッ」

瑚己奈は自身の胸に手を当てながら、不敵な笑みを浮かべて言う。


「え…」

紗輝は驚いた表情をした。


「乙辺さんもマネージャーに興味があったみたいだけど…虫を素手で取るような女子力無い子はマネージャーなんてそもそも似合わないわよ。男子バスケ部のマネージャーはね、紅一点なの。あなたみたいな男っぽい子がマネージャーだったら、誰がマネージャーだか分からないでしょ?」

瑚己奈は鼻を高くさせながら紗輝をバカにしたように言う。


「・・・っ」

紗輝は俯きながら拳をギュッとさせた。


"浦嶋くんが転校して来る前までは男子バスケ部のマネージャーなんて興味なかったくせに…"

紗輝は心の中で吐き捨てた。


「乙辺さんは顔と行動が一致しなさ過ぎなのよ。いくらあなたが美人でもねぇ、女子力も無いあなたなんて、男子達は女として見てくれないわよ?男子は皆、女子力高い女の子の方が好きなんだから。ましてや、浦嶋くんみたいなイケメンなんて絶対無理。浦嶋くんに近づいたって無駄よ、無駄ッ」

瑚己奈は意気揚々に話す。


「・・・」

"さっき浦嶋くんは素手で虫取れる人好きって言ってたもん…"

紗輝は心の中で反論した。


「とにかくッ!!男子バスケ部のマネージャーは瑚己奈がやる事になったからッ!あなたの出る幕は無いわよッ」

瑚己奈は念を押すように言った。


「・・そう…」

紗輝は無表情でポツリと呟くとその場を後にした。


「・・・」

瑚己奈は紗輝の後ろ姿を仏頂面で見つめた。


--


「よしッ、出来た!」

ひかりは人数分のハンバーグを作り終えた。


"6時20分"


「フウー…。間に合った…」

ひかりは胸を撫で下ろし、乙辺家のハンバーグと共に、にんじんやじゃがいもとコーンを軽くバターで炒めた付け合わせもタッパーに詰めた。


ひかりはハンバーグが出来上がった事と、マンションの部屋番号を竜輝に連絡した。


5分後-


ピンポーン…


「はーいッ!」

ひかりは扉を開けた。


竜輝が少し赤くなった顔を逸らすように立っていた。


ひかりはそんな竜輝の姿を微笑ましく思った。


「ちょっと待ってて!今持ってくるね」

ひかりは元気に家の奥に走って行った。


「・・・っ」

竜輝は内心胸をドキドキさせながら待っていた。

部屋からはハンバーグの美味しそうな匂いがしてくる。


「お待たせッ!はい、これ」

ひかりは笑顔で紙袋を差し出した。


竜輝は紙袋を見るなり、目を輝かせた。


「タッパーはいつか学校の帰りにでも返してもらえればいいから」

ひかりは微笑みながら竜輝を見た。


「・・・っっ、あ…ありがとう…。いただきます…」

竜輝は照れながらポツリと呟いた。


「いえいえ、乙辺家のみなさんのお口に合う事を祈ってるよ」

ひかりは恥ずかしそうに小さく笑みを浮かべた。


「・・・っっ…大丈夫…きっと…。匂いが既に…うまそうだから…」

竜輝は目を逸らしながら言う。


竜輝の言葉を聞いたひかりはニッコリ笑った。


竜輝もひかりの笑顔につられて笑みを浮かべる。


「誰…」


すると、弟の七央樹が竜輝をまじまじと見ながら竜輝の横に立っていた。


竜輝は驚きながら七央樹を見た。


「あぁーお帰り、七央樹。こちらは同じクラスの乙辺くん」

ひかりは竜輝を紹介しながら七央樹を見た。


「・・・・」


七央樹と竜輝はお互いに見つめていた。


「あ、えっと…弟の七央樹。私達と同じ高校で一つ下の学年…」

ひかりは弟の七央樹を竜輝に紹介しようとした。


「知ってる…昨日、教室に来てた…」

すると、竜輝はポツリと呟く。


「そうそうッ!」

ひかりは笑顔で返事をした。


竜輝に笑顔を向けるひかりの姿に、七央樹は若干ムスッとする。


「じゃあ…これ、ごちそうさま…。後でタッパー返す」


「あ、うんッ。またねー」


竜輝は軽い会釈をしてその場を去って行った。

ひかりは笑顔で手を振り見送った。


「・・あの人、何しに来たの?タッパーって…?」


七央樹は遠ざかって行く竜輝の後ろ姿を見ながらひかりにたずねた。


「ああ今日ね、乙辺くんのご両親帰りが遅いみたいで乙辺くんが夕食のおかず買いに行くって言うから、ついでだし乙辺くんちの分も作ってあげたの、ハンバーグ!」

ひかりがサラリと言う。


「はっ…はぁぁあ?!姉ちゃんのハンバーグは浦嶋家の特権だろーッ?!何でどこぞの男なんかにっっ…」

七央樹はギリギリと怒る。


「七央樹…、アンタどんだけ心狭いのよッ。私のハンバーグなんてそんな大層なもんじゃないわよッ。乙辺くん家近いんだし、別にいいじゃない」

ひかりはツンとしながらキッチンへ戻る。


「い、家近いッ!?どんだけ?どこッ!?」

七央樹がひかりに詰め寄る。


「オィッ!手を洗えッ!そして服着替えて来いッ」

ひかりは七央樹を跳ね返す。


「・・・っっ」

七央樹は不服そうな顔をさせながら洗面所へと、ドスドス歩いて行った。


"姉ちゃんのハンバーグ…特別なのに…アイツも食うなんて…"

七央樹はムスッとした。


実は、姉ちゃん大好き青年の七央樹であった。


七央樹に何故か今まで好きな子が出来なかった理由は、姉であるひかりを基準として考えているからであった。イケメンモテ男の七央樹があらゆる女子の告白を今まで断り続けているのはそのせいである。

姉であるひかりのような女性を見つけるのはなかなか難しいらしい。

恋愛に関しては、前途多難な七央樹なのであった…。


--


乙辺家では、ひかりお手製のハンバーグ達が食卓に並べられていた。


「兄さん、これどうしたの?」

竜輝の妹、紗輝が驚きながら食卓を見た。


「俺のクラスの浦嶋が作ってくれた…」

竜輝は優しい表情を浮かべながらハンバーグを見つめた。


「…浦嶋…って、もしかして…昨日転校して来た…??」

紗輝は目を丸くしながら竜輝を見た。


「あぁ…そうだけど」

竜輝はキョトンとしながら紗輝を見た。


紗輝はみるみるうちに顔を赤く染めた。


「え…何?」


「な…何でもない…」

紗輝は俯きながら食卓に座った。


竜輝は不思議そうな表情で紗輝を見た。


「そう言えば紗輝、バスケ部のマネージャーやるって言ってたのはどうなった?」

竜輝が紗輝の顔を覗く。


「やめた…」

紗輝はポツリと呟いた。


「え…」

竜輝は驚いたように紗輝を見た。


「私よりも女子力高い女の子がするから、私はもういいの」

紗輝が俯いた。


「何だよ…女子力高いって…」

竜輝は眉間に皺を寄せながら紗輝を見た。


「いただきます」

紗輝はポツリと言いハンバーグを一口食べた。


ガタンッ…


「お…お…美味しい…」

紗輝は目を丸くしながら思わず立ち上がった。


竜輝は未だかつてない妹の表情に驚きながらも、そんな妹のオーバーリアクションを半信半疑な様子で自身も何気なくハンバーグを口に運んだ。


ガタンッ…


「う…ま…」

竜輝も目を丸くしながら立ち上がり妹としばらく呆然と見つめ合った。


ガチャ…

「ハァー…ただいまー」

「ただいまー」


すると、竜輝達の両親が揃って帰宅した。


「遅くなってごめん…ね…」

母の瀬津子せつこが言いかけると、食卓で向かい合って立ちながら固まっている竜輝と紗輝を目の当たりにした。


「何…どうしたのよ…喧嘩?」

瀬津子が驚き心配そうに二人を見た。


「何だ何だ?珍しいな、兄妹喧嘩なんて」

父である航多郎こうたろうが目を丸くした。


紗輝「美味しい…」

竜輝「うまい…」


二人は両親を見つめながら同時にポツリ呟いた…。


一方その頃、浦嶋家では…


「何ィッ!?ひかりが男にハンバーグ作ってやっただとォオッ?!」

兄の一匡がバイトから帰り、ひかりにギリギリ詰め寄る。

兄である一匡も、妹大好き青年であった。

一匡の恋愛事情も弟の七央樹と全く一緒である。


「いやいや、アンタ達兄弟はどうしてそうも全く同じ反応すんのよ。やっぱりメーだかミーだかに連れさられたんじゃないの?二人して」

ひかりは冷めた表情で一匡を見た。


「いやいや月刊マーな?それ雑誌だからな?」

弟の七央樹がすかさずツッコむ。


「しかも家近いってどんなんだよッ!!まさかおまえ…そいつと…つ、付き合ってんのか…?」

一匡はひかりの返しを無視し、青ざめた表情でひかりを見る。


「えぇっ!!つ、つ、付き…付き合ってんのか…?まさか…」

七央樹も慌ててひかりに詰め寄る。


「ハァー・・。付き合ってないわよ…」

ひかりはやれやれとばかりにため息吐いた。


ひかりは改めて危機感を覚えた。

自分の恋愛事情も危ういという事に。

この兄と弟がいる限り、ひかりもまた恋愛は前途多難であった…。


--


ピコン…

"乙辺竜輝 1件"


ひかりのもとに1件の通知が来た。

ひかりは驚き慌ててスマホを見た。


"ハンバーグ、うまかった。

家族も喜んでた。ありがとう"


その文面の後には、目を丸くし驚いた顔をした鳩が、豆を咥えながら「ごちそうさま!」と言っているスタンプが付いていた。


「プッ…」


"乙辺くん…こんなスタンプ使うんだ…"


ひかりはそのスタンプを押してみると、「豆を食う豆鉄砲を食らったような顔の鳩さん」と言うスタンプであった。


"乙辺くん…購入したんだ…このスタンプ…"


「ププッ…」


ひかりは小さく笑った。


スマホを見ながら小さく笑っているひかりを、一匡と七央樹はそれぞれジロリと見た。


ひかりも豆鉄砲鳩のスタンプを早速購入してみた。


"良かった!喜んでもらえて光栄です。

連絡ありがとう!"


ひかりはその文章の後に、豆を咥えながら「どういたしまして!」と言っている鳩のスタンプを一緒に送信した。


"どんな言葉言っても驚いてる…鳩…"


「ププッ…くく…」

ひかりは、ポーズは違えど豆を食いながら同じ表情をしている鳩のスタンプにまた笑いが込み上げる。


「・・・・」

一匡と七央樹は、そんなひかりを険しい表情で見つめながら思った。


"ハンバーグのアイツだな…"


察しの良い兄弟である一匡と七央樹はそれぞれ苛立っていた…。


一方その頃、乙辺家では…


竜輝はひかりに初めて連絡をしソワソワしていた。


ピロロローン…


"ビクッ…"


竜輝は少々緊張した面持ちでスマホを覗いた。


「・・・っっ!」


ひかりらしい元気なメッセージと共に、竜輝が唯一購入した同じ鳩のスタンプを見た竜輝は、驚きと共に嬉しさが込み上げた。


竜輝は顔を赤くさせスマホを見つめながら小さく微笑んだ。


「何ニヤニヤしちゃって…」

竜輝の様子を見た妹の紗輝は不審そうな顔をさせた。


「ニ…ニヤニヤなんかしてねぇし…」

竜輝は慌ててスマホから目を離し顔を背けた。


「・・・・」

兄である竜輝に未だかつてない現象が起きているという事を静かに悟る妹の紗輝であった…。

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