最終回 狼の贄①

 黒装束に、身を包んでいた。

 これが、御手先役の正装のようなものだ。深い黒は、返り血を目立たせない。ただ、袖を通す度に陰鬱な気分になるので、清記は好きではなかった。

 舎利蔵峠。その最も高い位置にある崖の切っ先に、清記は座していた。その少し後ろには、同じく黒装束の廉平が控えている。

 春の日の昼下がり。この日は幾分か温かさを感じる。柔らかな日差しが心地よく、お役目でなければ昼寝をしたいところである。

 眼下に広がる佐與郡を眺めながら、清記は塩を多めにした握り飯を口に運んだ。拵えたのは志月で、廉平も無心で頬張っている。志月には、後学の為の視察とだけ伝えていた。


「美味しゅういただきやした」


 廉平が、竹筒の水で流し込んで言った。清記も、その時には全て平らげていた。


「そろそろ行きやすかねぇ」

「全員揃っているのか?」

「へぇ。連中はうずうずしていますぜ」


 連中とは、山人の事だ。昨日、梅岳の命を受けた五人の山人に初めて顔を合わせた。遠野集落ムレの者は一人もおらず、全員が知らぬ顔だった事は、唯一の救いだった。もしそこに、伏や見知った者がいたらと思うと不安だったのだ。


「山人でも、あんな連中がいるんですねぇ。遠野の人たちとは大違いだ」

「山人も人だ。全員が全員、善良なわけがなかろう」


 梅岳が用意した山人は、山賊のような男たちだった。荒々しく、そして知恵の無さが滲み出ている。どうも好きになれないのだが、同時に憐みも抱いていた。

 この五人は、全てが終わると始末する事になっている。これも梅岳の命令だった。連中は無事に成功すると、自分たちが犬山家の家人に取り立てられると信じているのだ。そんなはずはない。なのに疑いもなく信じている五人の浅慮さが、清記には憐れであると同時に、何故か羨ましかった。

 清記は、視線を落とした。眼下には、大和が幽閉されている牢屋敷が見える。漆喰の壁に門扉を備えた、僻地にあるとは思えぬ堅牢な造りだ。

 大和の謀殺。梅岳に命じられた、御手先役としてのお役目。当然、拒否する事など出来ない。

 東馬には、父が差し向けられた。その居場所が、目尾組によって確認されたのだ。具体的な場所までは知らされなかった。それが昨日の事だった。立ち合いの趨勢がどうなったのか、未だ報告は無い。

 だが、あの父だ。剣鬼とも呼ばれるあの父が、東馬相手に後れを取るはずはない。そう思う。そう思いたい。それと同時に、東馬にも死んで欲しくはない。だがあの二人が立ち合えば、確実にどちらかが死ぬ。


「本当にいいんですかい?」


 廉平が、確かめるように訊いた。


「何が?」

「何がって、清記様。真昼間に襲うなんて、正気の沙汰ですかい? 討ち入りってもんは、夜討ち朝駆けって相場が決まっているんですがね」

「構わん。どうせ、全員殺すのだ」


 梅岳には、山人の仕業のように偽装しろと言われただけで、夜中に襲えとは言われていない。


「私は奥寺大和という男を、闇夜の中で討ちたくはない」


 廉平に大和親子の殺害を伝えた時、流石に驚きの表情を隠せなかった。だが、すぐに顔を伏せ、上げた顔は平静そのものだった。それ以来、廉平はこの役目について何も言う事はなかった。この男も、百戦錬磨の忍びなのだ。


「それに、どうせ私は正気ではない」


 廉平が、返事をせずに頭巾と面を手渡した。鹿面は山人が祭祀で使用するもので、顔を隠す為と山人の仕業と思わせる為だった。清記は鹿面であるが、廉平は兎面だった。


「あっしは、いつまでも清記様の傍におりやすよ」

「何だ、急に」

「清記様の為なら、こんなくになどいつでも裏切るって事です」

「嬉しい事を。……行くぞ」


 二人で、高台を下った。途中、五人の山人が合流した。五人もまた黒装束。そして、山人特有の獣の面で顔を隠している。

 既に手筈は示し合わせているので、彼らと改めて話す事はない。そして、迷いも無い。そう自分に言い聞かせた。

 茂みに身を隠した。待ち合わせた場所だ。此処からは、牢屋敷が見渡せる。門番は一人。六角棒を手にしていた。


「行くぞ」

「へぇ」


 茂みから飛び出した。駆ける。牢屋敷が、近付いてきた。門番。清記は扶桑正宗を抜き払った。驚きの表情。その顔のまま、その首を刎ねた。その隙に、山人たちが牢屋敷に駆け込んでいく。

 清記と廉平は、山人の後を追った。途中、悲鳴が聞こえた。顔を見合わせ、邸内に飛び込む。そこには牢番。いや、袖を絞り股立ちを取った武士が、待ち構えていた。その数、十二名。いや、それ以上か。先に飛び込んだ五人の山人は、地面に転がっている。清記は、舌打ちをした。すぐに意図を悟った。何者か謀られたのだ。


「兎、逃げろ」


 廉平に向かって叫んだ時、刃の光が鼻先を掠めた。槍だった。それも尋常な突きではない。

 もう一つ。清記はそれを払って後方に跳び退いた。


「来たな曲者。奥寺大和は渡さぬぞ」


 槍を構えた武士が、不敵な声色で告げた。


「やはり、そういう事か」


 清記は面の下で、低く自嘲した。恐らく梅岳は、御手先役に大和殺害を命じながらも、牢番には賊が大和を逃がす計画があるとでも伝えていたのだ。

 しかし、何の為に? 清記にはわからなかった。あの男が、自分をして何の得になるというのか。今のところは忠実な下僕に過ぎない。梅岳の仕業ではないとすると、浮かぶ顔が一つ。岩城右衛門丞か。

 奴には俺を殺す理由がある。まず、弟の新之助を斬ったのは自分だ。幾ら梅岳に急かされて、岩城自身が殺害を依頼したとしても、殺したのは自分だ。その上で、先日の反抗的な態度。兎角、身分には厳しい夜須藩では許されない態度だ。

 だが、本当にそうだろうか。梅岳が自分を殺そうとする理由は、有りはしないのか。ある。復讐だ。あの男は、この俺が大和や東馬の復讐をするやもと疑っているのだ。

 そもそも囚われた大和を殺すなど、御手先役を使わなくてもいい。利永への報告も、殺した後で山人の仕業と言えばいいのだ。


「兎。ここは一人でいい」

「しかし、この数じゃ」

「命令だ。詳しくは言えんが、この火の粉にお前まで巻き込みたくはない」


 廉平は更に抗弁しようとしたが、頭を振って消えた。


「賊。仲間は去ったぞ」


 槍の男が言った。よく見れば、御納戸役の永吉忠助ながよし ちゅうすけだ。知り合いではないが、大島流の使い手であり、その槍は夜須随一と言われている。

 そんな男が、槍を持って待っていた。襲撃を知っていた証左である。


(やはり、そういう事か)


 犬山梅岳。あの男だけは、許す事は出来ない。


「牢破りを企てるとは笑止千万」

「一つ訊く。貴公、犬山梅岳に何と命じられた?」

「おぬしには関わりなき事よ」

「私を殺した後は、奥寺大和を殺せとでも言われたのか」

「おぬしには関わりないと言っておる」


 永吉が腹に響く声で吼えると、槍を頭上で振り回す。

 どうやら、永吉は利口な方ではない。顔が図星だと言っている。


「死ね」


 裂帛の気勢を挙げ、猛烈な突きを放った。

 下から突き上げる。その刃が眼前を過ぎていく。捩じりを加えたものだ。掠っただけでも、かなりの肉を持っていかれるだろう。


「よう躱した。貴殿、流派は?」


 清記は永吉の言葉を無視して、正眼に構えを取った。相手は槍。距離の有利さは永吉にある。幸い、他の者が掛かってくる気配は無い。永吉に任せている気配がある。

 清記は、地擦りで距離を詰めた。永吉の穂先。微かに震えている。動く気配だ。それを見逃さなければ、勝てる。

 もう一歩。踏み出す。穂先。動きだした。扶桑正宗を振り上げた。槍の螻蛄首けらくびが宙に舞った。更に踏み込み、袈裟を断った。

 永吉が崩れ落ちる。残った者が、一斉に掛かってくる。清記は咆哮し、跳躍していた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 座敷牢。

 それを封じる錠前を叩き壊した時、大和は座禅を組み瞑目していた。


「血が臭うな」


 目は閉じたままだった。髷と髭は伸びているが、不潔という印象は無い。


「表の悲鳴はお前だったか」

義父ちち上」


 清記は、血で真っ赤に染まった鹿面を脱ぎ捨てた。


「志月は息災か?」

「はい」

嬰児ややこは?」

「もうすぐ、産まれます」

「ふふ。そうか。あの子も母になるのか」


 そこで、大和は目を開いた。澄んだ目をしている。


「血まみれではないか」


 清記は、鬢に汗が伝うのを感じた。気圧されているのだ。座禅を組んだままの大和から、一種神聖とも呼べる気が放たれている。


「……幼き頃より、生き血を浴びて育ちました」

「そうか。そうであったな。それで、お前は私を救いに来たのか? 斬りに来たのか?」

「……」

「後者か」


 すると、大和は軽く微笑んだ。


「それでいい。御手先役としてのお役目を全うせよ」

「義父上。せめて尋常な立ち合いを」


 大和が首を振る。


「義父殿は一刀流の免許まで持っておられるのです。せめて剣客として」

「そうすれば、お前の心が救われるか?」


 返す言葉が見つからず、清記は唇を噛んだ。


「清記よ。私にはお前と立ち合う腕も気力も無いのだ」

「斯様な弱音など」


 清記は、大和の目の前に膝を付いた。すると大和の手が腰に伸び、脇差をするりと抜いた。


「何を」

「全ては私が悪い。私が至らぬばかりに、志月を東馬をそしてお前を苦しませる結果になってしまった」


 大和が、格子窓に顔を向けた。

 穏やかな日差しを受け、青々とした木々が揺れている。そして、枝には五十雀ゴジュウカラ。甲高い声で鳴いている。


「志月に、悪かったと伝えてくれ」

「なりませぬ、何卒その脇差を」

「お前も自分を責めるなよ」

「義父上」

「死ぬには良き日だなぁ、清記」


 大和が、脇差の鞘を払う。格子窓から差し込む陽。それが刃に反射し、鈍い光を発した。

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