第五回 そして、牙が剥かれる②

 裃姿で登城し、但馬曲輪の一室に通された。

 そこには、梅岳を中心に犬山派で固められた執政府の面々が待ち構えていた。

 大和の失脚で、彼に近かった者は全て御役御免となっている。清記も悌蔵も、待ち構えられていた事に対しては、寸分も表情を変えなかった。


「よう来てくれたの」


 梅岳の表情も柔和なものだった。だが、眼の奥は笑っていない。機嫌は良くないのだろうが、それを表に出す事をこの男はしない。


「清記、奥の腹はもう大きかろう?」

「重そうに腹を抱えております」

「大事な時期じゃな。くれぐれも、いとうてやらねばな。平山家の大事な跡取りやもしれぬからのう」

「はっ……」


 清記は、したたかに頭を下げた。

 まずは労いの言葉と共に、相手が最も気にしている事に触れて、優しい言葉を掛ける。この辺りは、流石は梅岳という人心掌握術だ。


「ふむ。悌蔵もいよいよ爺になるのかう」

「些か遅うございますが」

「おぬしは、役目役目で嫁取りが遅くなったからのう。孫はよいぞ。子より可愛い」


 梅岳の言葉に追従するように、梅岳も頷いた。梅岳には、廃嫡した嫡男に娘がいるのだ。


「ええ。老いらくの楽しみでございます」

「ふふふ。かの人斬り悌蔵も、好々爺か」

「時の流れが、そうさせたのでございます」

「ふむ。だが今回呼んだのは、かつての人斬り悌蔵に戻ってもらう為じゃ」


 そう言って、梅岳が一つ咳払いをした。


「お役目である」


 梅岳の底の深い一声に、清記は悌蔵と共に平伏した。


「平山清記。舎利蔵峠に幽閉中の奥寺大和を討て」


 清記は、驚きのあまり顔を上げた。梅岳は鋭い眼光だが、他の取り巻きは笑みを浮かべている。


「何故に……。何故に、義父を討たねばならぬのでしょうか?」

「奥寺大和は悪戯に藩政を乱し、御家の権威を失墜させようとした、治世の悪徒である。御家と領民を想えば、これを討つのは当然の事」

「しかしながら、お殿様は奥寺様を殺さぬと決めたはずでは?」


 言い返した清記を、悌蔵が名前を呼んで止めた。しかし、清記はなおも続けた。


「奥寺様を討つという事は、お殿様の本意なのでございましょうか」

「お殿様の本意じゃと? 清記、おぬしは勘違いしておるぞ」

「勘違いですと?」

「そうじゃ。夜須はお殿様の国に非ず。藩政は儂が動かしておる。執政府の面々から奉行衆に至るまで、全て儂の息のかかった者共よ。つまり、儂こそが夜須を統べておるのじゃ」

「……」

「清記よ。義父を討つのは辛かろう。気持ちはわかる。しかし、これは御家の為なのじゃ。御手先役として生きるならば、この程度は堪忍せい」


 そこまで言いきられると、清記に返す言葉は無かった。

 やはり、梅岳は大和を生かしておくつもりは無かったのだ。大和が生きている限り、梅岳の対抗馬となる。もし梅岳の権力に翳りが見えた時、反梅岳派の視線は舎利蔵に幽閉されている大和に向く。それを見越しての処置という意図だろう。ここに至っては、弟を斬るよりはましだと思うしかない。


「しかし、此度の役目は単に斬ってもらっては困る。大和を斬った下手人は山人という事にしてもらわねばならぬのでのう」

「それはお殿様が反対しておられる義父の殺害を、山人の責任とする為でしょうか?」

「口が過ぎるぞ、平山」


 同席した梅岳の子飼いが、一喝した。

 岩城右衛門丞。清記より十は上。身分も禄高も職位も上。しかし、清記は構わず岩城を睨みつけた。

 右衛門丞は、江戸藩邸で若年寄をしていたが、昨年の末に国元に呼び戻されて中老に昇進した男だった。梅岳の腰巾着と揶揄されるが、あの手この手と銭を生み出す事に長けているという評判であるが、それ以上に清記はこの男と因縁がある。

 清記は大角屋徳五郎の仕事ヤマを踏んだ時に、右衛門丞の弟を斬ったのだ。名前は、岩城新之助。暴力を連日繰り返した挙句、困った家族から殺害を依頼されて斬った。


「何だ、その眼は。私は中老だぞ」

「これが人斬りの眼でざいます」

「貴様」


 右衛門丞が腰を上げた。


「岩城、その辺にしておけ」


 梅岳が苦笑すると、首を振りながら窘めた。右衛門丞は梅岳が言うからと、不承不承で腰を下ろす。


「それで山人の件だが、お前の申す通りよ。儂の命で大和を殺せば、お殿様の覚えが悪くなろう。しかし、山人が殺せばそうはならぬ。山人には大和を殺す動機があるからのう。皆も納得する」

「遠野実経の意趣返しでございますか?」


 犬岳が皺首を縦に振った。

 実経を使嗾して、山人を襲わせたのは大和という事になっている。ならば、山人が恨みを持つとすれば、死んだ実経に代わって大和しかいない。何とも悪辣な手である。


「ですが、お殿様は梅岳様をお疑いになりはしませんか?」

「ふむ。疑うかもしれぬのう。しかし、何も言わぬとは思う。あの御方はな、自分の名が汚れなければ、大和を殺しても何も思わん。儂が殺してみろ? 諸侯は大和殺害をお殿様が命じたと思う。しかし山人が殺したとなれば、お殿様は疑われん。勿論、そうなるように仕掛もするがの」

「しかし……」

「実は内諾を取ってもおる。そんな男よ、〔あの男〕は」


 清記は押し黙って平伏した。もう大和を救う手立てはない。諦めるしかなかった。


「それでよい。お前は、既に儂からの報酬を受け取っておるのだ。なのに、今回の役目を断るというのは、儂に対して些か不義理というもの」

「報酬、と申されますと?」


 清記は顔を挙げた。


「おぬしの奥だ。実父が大罪を犯しながらも、離縁も罪の連座もさせておらぬ。それがこのお役目の報酬よ。執政府の中には、御手先役の職にある者の妻として、志月とやらは不適格と言う者もいたが、儂が抑えたのよ。妻と腹の子が助かるのだ。過分な報酬と思うがのう?」


 清記は怒りが込み上げたが、それを何とか堪えた。梅岳。そして、薄ら笑みを浮かべて眺めている執政府の面々。この怒りは、一生忘れはしない。


「さて次は悌蔵じゃが」


 悌蔵が膝行し、一つ前に出て平伏した。


「おぬしは、奥寺東馬を討て」

「かしこまりました」


 悌蔵が即答する。


「お待ちください」


 清記の一声に、執政府の面々は呆れ顔で首を振った。またか、と言いたのだろう。悌蔵は横目で一瞥しただけだ。


「何故に、東馬を討たねばならぬのですか」

「清記、控えよ。執政府のご下命に異を唱えるのか」


 悌蔵が止めたが、清記は構わず膝行した。梅岳は苦笑し、


「岩城、説明してやれ」


 と、命じた。


「あやつは、恐れ多くも梅岳様のお命を奪いに戻ってくるのだ」

「それは何かの間違いではございませぬか。奴が、理由もなく斯様な真似をするとは思いませぬ」

「理由? 父を幽閉されたのだ。これ以上の理由があるとは思えんが」

「しかし、東馬が動けば義父の立場が悪くなるばかり。東馬は左様な近視眼ではございません」

「どうかのう」

「……まさか、東馬に何か吹聴したのでは?」


 梅岳が笑む。気付いたか、と言いたげな表情だった。


「奴がいる限り、儂は安心して眠れぬのでのう」

「梅岳様。という事は、やはり」


 梅岳が頷く。修行中の東馬に、梅岳は何度か刺客を放った。その度に返り討ちにされていたが、何としても始末したい梅岳は東馬に対して、父親を力づくで奪いに来いと挑戦状を送り付けたという。

 政争に対して距離を置いていた東馬であるが、度重なる梅岳の挑発に意を固め、


「私は政事に関わるつもりはなかったのだが、そちらがそのつもりならば致し方ない。思う存分に戦い、犬山梅岳の首級みしるしを頂戴しに参る」


 と、書状を梅岳に寄越してきたらしい。窮鼠猫を噛むと言うが、いよいよ梅岳を斬るしかないと考えたのだろう。


(愚かな……)


 清記は絶句した。あの東馬が、滅びを選ぶとは思えない。きっと何かも間違いに決まっている。そう思いたかった。


「更に放った討っ手も斃されたようでのう。もうすぐ奴は夜須に入る頃だろう」

「殿。東馬の相手、この私に。何卒」

「控えよ」


 右衛門丞だった。清記は睨み返した。


「貴様という奴は」


 右衛門丞が立ち上がり、清記の頭を扇子で打った。今回ばかりは梅岳は止めなかった。


「梅岳様は、貴様に義父だけでなく友まで討たせまいとのご深慮から、悌蔵に命じたのだ。本来なら人斬り包丁に過ぎぬお前に、斯様な配慮など必要は無いのだ。それを貴様は」

「岩城様、しかしながら」

「まだ言うか」


 蹴倒された。清記は咄嗟に脇差に手をやろうとした。右衛門丞の表情が歪み、恐れが走る。今ここで、斬ってやろうか。そう思ったが、清記が猛烈な圧力を背中に感じて動きを止めた。後方に平伏していた悌蔵だった。


「止めよ、岩城。義父を討ち、友は実父と相対する事になるのだ。清記が乱れるのも無理はない」


 そうだ。自らの手で義父を殺し、実父は親友が殺し合うのだ。この状況で乱れぬ方がおかしい。ここ乱れ、執政府の連中を斬ってしまえば、どんなに楽な事だろう。

 それから、手筈の話になった。

 大和の暗殺は、山人の仕業に見せかけなければならない。事実、清記と共に山人数名が帯同する。全員が賊と化した山人ばかりで、梅岳が用意した者たちだった。しかも偽装に真実味を持たせる為、大和の他に幽閉先の牢番や役人まで斬らねばならないという。


「なぁに、取るに足らぬ者を選んで牢に詰めさせておる。おぬしが気に病む事はない」


 と、梅岳が言った。人の命など毛ほどにも思っていないのだ。本当にこの男は、いつか斬らねばならない。心からそう思った。

 そして東馬の件は、その居場所が掴み次第、向かう事になっている。今は目尾組が必死に追っているらしい。


「必ず生きて戻れよ」


 梅岳の言葉に、清記は平伏し成功の誓いを告げた。勝つにしろ敗れるにしろ、待っているのは、悲しみしかない。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 清記は、悌蔵と共に下城した。

 既に日は傾き、夜須城二の丸は茜色に染まっている。

 会話は無い。ただ前を歩く悌蔵の背中を追っている。父が黙っているから、清記も口を開かないでいた。

 長い影が並んでいる。こうして歩くのは、数年振りであろう。

 父は、何を思っているのだろうか。怒りか。諦めか。思えば、昔からその心根を明かさない人だった。自分が元服してからは口数も増えたが、昔は無口だった。幼き日、父に従い刺客の旅に出た時は、何日も黙ってその背中を追ったものである。


「お前は甘い」


 ふと、悌蔵が口を開いた。二の丸の門を抜け、三の丸の家老屋敷へ至った時だった。


「お前の全身から、殺気が滲み出ておった。今にも斬らんと言わんばかりのな。執政府の者らが鈍かったからよかったものの、儂は城内にいる全員と斬り合いをせねばならぬ羽目になるかと冷や汗をかいたぞ」

「父上」

「諦めろ、倅よ。これが平山家の、念真流の暗き宿星なのだ」


〔第五回 了〕

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