第四回 兄弟②

 翌朝、清記は頴田庄まで馬で駆けた。

 乾いた風が全身を打つ。それが妙に心地良い。

 思えば、久し振りの遠駆けだった。馬は嫌いではないが、歩く方が好きだった。郡内の巡察も、清記は歩く。馬で駆けていると、異変の兆候を見逃す事ような気がするのだ。

 頴田庄と呼ばれる地域に入った。頴田村を囲むように、五つの村が点在している。

 二千五百石。それが梅岳の禄高だ。しかし、あくまでも表向きである。裏でやっている事を含めれば、万石級の財力はあると噂されていた。

 馬脚を緩めて、野良仕事に励む百姓達の姿に目をやった。悪い表情はしていない。忙しそうに働く姿は内住郡と変わらないが、眼の奥の光は穏やかなものだった。

 不満が高まると、百姓の眼の奥に憎悪の色が滲み出る。表面こそ笑顔で取り繕うが、眼が笑っていない。よく眼を見るようにと、清記は穂波郡代官である藤河雅楽に教わった。陣内の仲介で、藤河に代官の心得を学んだのだ。

 藩政を牛耳る、奸臣。君側の奸。梅岳はそう呼ばれる事も多いが、領地運営はしっかりとしていて、領民からは慕われているという評判だった。

 頴田村の屋敷を訪ねると、何やら慌ただしい雰囲気に覆われていた。

 領民と思われる百姓達が、忙しそうに立ち働いている。女衆は料理に精を出し、男衆は酒を運んだり、蔵から什器を出したりしている。

 何事かと呆気に取られていた清記に声を掛けたのは、梅岳自身だった。


「おう来たか、来たか」


 梅岳も働いていたのだろう、紐を襷掛けにして袖を絞っている。


「はっ、今しがた」

「この有様に驚いたであろう」


 清記は百姓達に混じって働く格之助に目を向けながら、


「ええ」


 と、答えた。


「今日は年貢の礼をする日でのう」

「年貢の礼?」

「無事に年貢を徴収したのでな。儂が持つ五つの村の庄屋衆と村民の数名を集めて、酒と料理を振る舞うのよ」

「百姓を酒肴でもてなすのですか?」

「そうじゃ。庄屋衆以外の百姓は、毎年順番で呼んでおるのよ。老若男女関わらずな」


 ほう、と思った。清記がやろうとした、お礼参りの一歩踏み込んだやり方だ。しかしこれが出来るのも、梅岳が五ケ村しか領していないからだろう。内住郡は二十五ケ村もある。平山家の台所事情では、到底賄えない。かと言って、知行地の建花寺村だけですれば、不平不満の温床となろう。


「何の為だかわかるかのう?」

「次の年貢の為でしょうか」


 清記は自分が同じ事をやろうとした理由を答えると、梅岳が鼻を鳴らして清記の背中を叩いた。


「おぬしも嫌な男になったのう。だが、正解でもある。無論、真心からの礼ではあるが、正当に評価をすれば百姓も精を出す」

「正当に評価ですか」

「ああ。作柄が良ければ褒め、悪ければ酒宴はない。事実、昨年はしなかった。だが、二年続けて悪ければ、三年目では作柄が悪くても開いておる。三年続けて悪ければ、最早人知の及ぶところではないでの。それに恩を感じて、百姓は精を出す」


 考え尽くされた梅岳の治政に、清記は深く頷いていた。勿論、内住郡では実施が難しいだろうが、その考え方は大いに学ぶものがある。


(何という男なのだ……)


 清記は、改めて梅岳という男の巨大さを実感した。

 長く藩政を牛耳る奸臣。抜け荷にも手を出し、口封じに仲間すら葬る悪党であるが、それと同時に領民を気遣いながらも、何をすれば最も効果を得られるかを考えられる男でもある。

 軽輩より身を興し、門閥を退けて執政となった手腕に嘘は無い。こんな男に、大和は挑もうとしていたのか。正攻法で攻める大和と、善悪を使い分ける梅岳。初めから勝負になりはしなかった。唯一、勝てる芽はあった。しかし、それを摘んだのは自分だった。


「今夜の事は波多野に訊け」


 清記にそう告げると、梅岳が用人の波多野を呼び、控えの間へ案内するように言った。

 呼び出された波多野は、相変わらず腰が低かった。胡麻塩頭を清記に向かって、何度も下げていた。梅岳の片腕として縦横に働き、時として梅岳の代わりに客と面会をする事もある。しかし、だからと言って主君の威を借る事もない。梅岳とは君臣だけの関係ではないように思えるが、改めて聞く事でもない。

 控えの間では、四人の男達が待っていた。全員見知った顔で、誰もが名うての剣客である。中でも驚いたのは、山岸卯兵がいた事だった。そして、待っていた四人も清記の顔を見て驚いている。


(無理もないな)


 奥寺家の姫を妻に迎えた男が、梅岳の為に働こうとしているのだ。自分でさえ、この無節操さに笑いが出る。


「それでは、ご説明します」


 清記が座すと、波多野が役割を説明した。

 宴が終わり百姓衆が帰ると、奥寺派の残党が襲って来る。宴会の後だから、眠りが深いと踏んでの事だろう。だが、そこで踏み込んできた残党を待ち構えて返り討ちにするという手筈だった。また、それぞれに配置も伝えられた。戦うのは自分以外の四人と、犬山家の家人が十名。清記は、梅岳の傍である。最後の守りという事だろう。


(この者達で主税介を抑えられるのか?)


 と思ったが、清記は何も言わなかった。率先して弟を斬りたいと思わないし、梅岳が考えた事に口を出す気も無い。


「もし、討ち入りをしなかった場合は?」


 そう訊いたのは、山岸だった。


「討ち入りしないという事はありません」

「よく言いきれますな」

「そうなるように仕向けているからでございます。現にもう頴田庄には入っていると報告を受けております」


 四人は周到な謀略に驚いたようだが、清記は眉一つ動かさなかった。

 ここ最近、梅岳の為に働かされ続けてきた。その中で、梅岳の謀才というものは、嫌と言うほど見せつけられてきたのだ。


「それでは酒宴が終わるまで、この部屋でごゆるりと……」


 そう言って波多野が去ると、それぞれ横になったり、備え置いていた将棋に手を伸ばしたりと様々だった。


「酒宴の声を聞くだけで、酒が飲みとうなる」


 と、忌々しく言った男がいたが、勿論ご相伴に預かる事はない。出されたのは、茶と塩がきつい握り飯ぐらいだ。


「まさか、内住郡代官の平山様が来られるとは」


 部屋の柱に背を預けて瞑目していると、ふと山岸に声を掛けられた。

 山岸は甲軍流の剣客で、曩祖八幡宮奉納試合の決勝で東馬と戦った男である。お互い名と顔は知っていたが、言葉を交わすのは初めてだった。

 年齢は、山岸の方が四つほど上だ。しかし無足組の山岸は下士で、大組に属する上士の自分とは、身分が随分と違った。


「左様か」

「正直、平山様は奥寺派と思っておりましたよ」


 幾分かの皮肉を感じたが、その問いに清記は苦笑いで誤魔化すしか術は無かった。大和の義理の息子でありながら梅岳の為に働かねばならない事情など言えようはずがなく、何と答えても訳ありに聞こえてしまう。あくまで、清記は内住郡代官であり建花寺流の師範。念真流も御手先役も、秘匿された存在なのだ。悟られるような下手を打つぐらいなら、何も言わない方がいい。

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