第四回 空振り②

 戸を開くと、血走った眼が一斉にこちらに向いた。

 百目蝋燭の下で、二人の武士が荒縄で戒められた上に、口に猿轡で口を塞がれている。

 その傍には黒装束の三人組。廉平と、その手下達だった。

 建花寺村の外れにある水車小屋。浪瀬川の支流から引き込んだ小川が傍に流れるだけで、周囲には何もなく人家も遠い。日中こそ、洗濯や川遊びで人は集まるが、この時分にはまず人は来ない。だから、清記はここを指定したのだ。


「早かったな」


 清記が言うと、廉平は頭巾を外してにんまりと笑んだ。


「そりゃ、仕事ヤマの早さにゃ定評がございましてねぇ」


 清記は頷いた。廉平に尾行の洗い出しを頼んで、まだ二日しか経っていない。


「でも捕らえられたのは、半分は清記様のお陰でございやすよ」


 この二人は建花寺村に戻った清記の後を追い、内住郡に入っていた。そこを、廉平に襲われたのだ。城下なら派手な動きは出来ないが、郊外なら人の眼が減る。清記の帰省が罠だと知らずに、追った所を廉平と手下達に襲われたのである。


「で、この二人の素性は?」

「破落戸の浪人ですぜ。名前は馬渡五十八まわたり いそはち岸部熊次郎きしべ くまじろう


 廉平が名を告げると、二人が顔を背けた。

 総髪で、年嵩の馬渡は鼻髭を蓄えている。歳は三十半ばだろうか。岸部は幾分か若い。浪人の風体だが、小汚くはなかった。


「初めて見る顔だ。家中の者ではあるまい」

「そりゃそうですよ。この二人は単に雇われただけでございますからね」

「誰に雇われたんだ?」


 すると、廉平が頭を振った。


「肝心のそこがまだ。何せ捕らえたばかりですからねぇ。ですが、二人が長柄町の天流道場に出入りしているのは確認しておりやす」

「長柄町の天流道場……」


 その時、水車小屋の戸が勢いよく開いた。


「何をこそこそとしておる」


 現れたのは、悌蔵だった。筒袖に軽衫という、気楽な姿だ。それに、脇差を一本だけ佩いている。


「父上」


 清記がそう言うと、廉平達も慌てて平伏した。


「何故に此処に」

「散歩じゃ。妙に騒々しい気配があると思えば。こんな所で何をしておる」

「それが、実は……」


 と、清記は手短にここまでの経緯と、普段なら捨てておくが、相次いで殺されている件との関係性への懸念も伝えた。


「なるほどの。だがな、この者らは無関係だろうよ」

「それは何故でございますか?」

「勉強が足りんの、清記。長柄町の天流道場。そこの道場主は、君嶋右近きみしま うこんじゃ」

「君嶋」


 清記は、得心した。君嶋は、犬山家の剣術指南役をしている男だ。


(そういう事か……)


 恐らく、格之助に稽古をつける事を知り、指南役の座を奪われる心配をして、何やら画策していたのだろう。


「廉平、二人の猿轡を外せ」

「へい」


 廉平が手下に目配せをし、猿轡を外させた。


「今の話は聞いたであろう。お前達は君嶋に雇われたのか?」


 清記は改めて訊いた。


「君嶋? そんな奴は知らん」


 二人が顔を背けた。


「話さぬのなら、それでもいい。しかし、それ相応の報いは受けてもらう。こちらも命が掛かっているのでね。しかし、話せば何もせぬ。それは保障しよう」

「嘘だ。そんな話、誰が信じられるか」

「信じなくとも結構。二人仲良く死出の山を越えてもらうだけだ」


 と、清記は扶桑正宗に目を落とした。


「待て、待ってくれ。話す。話すから」

「では、お前達は何者だ?」

「俺達は、君嶋道場の食客のようなものだ。道場破りの相手や、道場の留守居をしている。一応は門人という事になっているが」

「剣術家が用心棒を雇うとは笑わせる。それで、どうして私を付け狙った?」

「それは……」


 馬渡と岸部が顔を見合わせると、一つ頷いて堰を切ったように語り出した。

 理由は、推察の通りだった。君嶋は清記に剣術指南役の座を奪われる事を危惧し、更に清記が奥寺家の剣術指南役という事を知ると、


「おのれ、あやつめは剣術を以て権勢を奪わんとするのか」


 と、怒りは憎しみを経て殺意に変わったのだという。

 そして、岡や高倉ら剣客と呼んでもいい使い手が相次いで殺されている事に乗じて、清記を亡き者にしようとしたと、馬渡が語った。


「剣で生きる事が難しゅうなった昨今、君嶋の気持ちもわからんでもないがの……。それで、清記よ。この始末はどうするのじゃ」

「そうですね」


 清記が、再び猿轡で口を塞がれた馬渡と岸邉に目を向けた。


「とりあえず、この二人は殺すかの?」


 悌蔵の言葉に二人は色を失い、首を激しく振った。


「いや、この二人には何もしませんよ。解き放ちます」

「では、君嶋はどうするんじゃ? 斬るか、或いは梅岳様に申し出るか?」

「何もしません。この二人に、私は犬山家の剣術指南役になるつもりは毛頭無いと伝えてもらいます」

「なるほどのう」

「甘いと思われますか?」

「いや、勝手にするがいい。そもそも、お前の問題じゃ。じゃがな……」


 悌蔵はそこまで言うと、廉平に二人を立たせるように命じた。


「もう二度と、変な気は起こさぬような手立ては必要じゃろ」


 殺気。それは一瞬で、感じた瞬間には爆ぜていた。悌蔵の老体が勇躍する。辛うじて見えたのは、脇差の筑前兼國ちくぜんかねくにが上下した動きだけだった。

 すると、二人を戒めていた荒縄が断たれて落ち、次いで着物から袴までが、ぱらりとはだけた。

 馬渡が驚愕の悲鳴を挙げる。岸部は、絶句しているようだ。

 悌蔵はにんまりと笑み、筑前兼國を鞘に納めた。


「行け。そして、君嶋に伝えるがいい。もう二度と、我らに関わるな。もし再びおかしな気を起こせば、次は無いぞとな」


 二人が返事も忘れて駆け去ると、いつの間にか廉平達も消えていた。報酬は渡し忘れたが、奴の事だ。明日にでも受け取りに現れるだろう。


「清記や。人は意図せずとも、誰かを傷つけるものよな」


 悌蔵が、踵を返しながら言った。清記は慌てて後を追った。


「父上、私は犬山家の剣術指南役など望んでおりません。今回は乞われたからであり、私は奥山家の御指南だけで手がいっぱいですよ」

「そこよ。お前がそのつもりが無くとも、相手はそう思わぬのよ」

「なら、談判に来ればいいのです。こんな陰謀など巡らせずに」

「それが出来るのは、一部の強い人間だけじゃて」


 そうかもしれない。父の言い分はわかるが、だからとて陰謀を巡らしていい理由にはならない。ただ、今回は見逃す。が、次は確実に斬るつもりだ。


「それにしても、お前も平山家の生き方が身についてきたようだの」

「果たしてそうでしょうか」

「奥寺家に入り込んだと思えば、次は犬山家。話を聞けば、両家から気に入られているとか。見事な二股膏薬じゃ」

「それは」


 しかし、反論の言葉が続かない。事実として、やっている事は二股膏薬なのだ。


〔第四回 了〕

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