第三回 犬山家の者たち①

 犬山家の道場で、清記は格之助と向き合っていた。

 道場脇では、格之助と同年代の少年達が勝負を見守っている。彼らは梅岳の小姓で、命を受けて清記との稽古に参加しているのだ。

 格之助が、気勢を挙げた。

 格之助は正眼で、清記は下段である。あれから格之助は、家人相手に相当な稽古に励んだらしく、対峙してみると「おや」と思わせるものがあった。

 才能がある。それだけではなく、よく考えている。これが、格之助の持って生まれた資質であろう。こういう人間は、剣術ではなく万事に於いてそこそここなす。


(しかし、この程度なら山のようにおる)


 格之助に対する評価が厳しくなるのは、犬山家に腹立ちがあるからだろう。

 昨夜、久し振りに帰った建花寺村から百人町の別宅に戻ると、梅岳からの使者が待っていて、明日は稽古だと伝えてきたのだ。

 その事に、清記は強い憤りを覚えた。別に自分は梅岳の家臣でもないし、犬山家の剣術指南でもない。奥寺家は父から頼まれて受けたが、それでも多少の報酬は受け取っている。

 しかし、梅岳は違う。断れない事をわかっていて、こちらに諮る事なく命じているのだ。その根性が気に食わない。報酬が有る無しではなく、人間としての礼儀の問題だった。


(まぁ礼儀を知っていれば、ここまでになりはしなかったろう)


 梅岳は、軽輩の身から成り上がった男だ。利に敏く、抜け目がない。己の栄達の為なら、どんな手でも打つ。そうして潰してきた、元上役は数知れず。自分に大和を探る走狗いぬになれと言ってきた事が、その最たる証左だった。


「隙あり」


 格之助の気勢が、清記の思考を断った。

 小手打ち。迅かったが、清記は余裕を持って防いだが、格之助は追撃とばかりに連撃を繰り出してきた。

 清記はその全てを凌ぎながら、格之助に僅かずつ隙が生まれているのに気付いた。

 利き手とは逆の左の脇。少しずつ、少しずつ甘くなってきている。恐らく、これは罠だろう。格之助は、敢えて隙を作っている。そうやって巧妙に誘い込み、隙を突いてきた所で逆撃を受けるようになっているのだろう。


(小賢しい剣だ)


 普段なら褒める所だろうが、梅岳への鬱憤が清記の加虐心を煽った。


(その脇を抉ってやろうか)


 すると、格之助はなんと思うだろう? 悔し涙でも見せるだろうか。

 頭を使った攻めは、清記の目指すところだ。試行錯誤をしていく中で、成長がある。しかし、格之助には小賢しい悪知恵という印象しか浮かばなかった。


「まだまだ」


 格之助の激しい打ち込み。鍔迫り合いになった。目が合う。口許が緩み視線が微かに下がった。


(これが罠か)


 踵が清記の足の甲に落ちて来た。清記は咄嗟に足を引っ込めると、小手を打って飛び退いた。


「惜しい」


 そう言うと、格之助は心底悔しい表情を浮かべた。


「見事でございます」


 そう言うと、清記は竹刀を引いた。


「惜しい。心からそう思うが、それでは駄目なのだな。仮にこれが真剣であれば、私は手首を刎ねられていた」

「意外な攻撃でした。私は完全に格之助様の術中にありました」


 そんなおべんちゃらを言う自分が、情けなく思えてきた。あれだけ反感を抱いていても、口では阿諛追従が自然と出てしまう。それが城勤めのあるべき姿なのだろう。清記は、そんな自分を否定するように言葉を続けた。


「しかし、表情がよくありません」

「表情?」

「ええ。格之助様は、上手くいくと思ってか表情が軽く緩みました。それで何かあると警戒した直後に、視線が下がった。それで私は察したのです」

「なるほど。しかし、凄いな。僅かな間に、そこまで読み取るとは」

「格之助様が言っていた通りですよ。これが真剣でしたら、賭けているのは命。故に、僅かな間で読み取れなければ生き残れないです」

「うむ。やはり凄いな。大変勉強になった。して、今日は試合を見せてくれると聞いたが」

「ええ」


 この日は、梅岳の屋敷に入ると波多野が出迎え、今日は一つ試合をしてくれと頼んできたのだ。

 理由は格之助の我儘だった。稽古の剣ではなく、試合での剣捌きが見たいという。


(竹刀でする限り、稽古と同じではないか)


 と、思ったが清記は何も言わずに申し出を受ける事にしたのだ。元より、犬山家からの申し出など断るという選択肢がそもそも無い。


「波多野が申しておったが、かなりの腕自慢を用意しておるらしいぞ」

「それは、私も楽しみですね」


 清記は一つ頭を下げ、控えの間へ向かった。腕試しは午後。昼餉を摂ったのちである。格之助の我儘で、余興のような試合をやらされる。それがまた、清記の気分を暗くさせた。

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