女剣士②

 鹿毛馬村で志月を待っていたのは、思わぬ事態だった。

 鹿毛馬村に、藩庁からの捕吏が既に乗り込んでいたのだ。それだけではない。庄屋に命じて百姓を使役し、山狩りを行っていたのである。村の背後に聳える里山で、松井を見掛けたという情報を得ての事だった。

 志月は、捕吏が詰めている庄屋屋敷に乗り込むと、


「これは如何なる仕儀でしょうか」


 と、捕吏の指図役を務める住谷丹蔵すみたに たんぞうという男に詰め寄った。

 住谷は陽に焼けた中年で、狡猾そうな目をしていた。


「如何な事とは?」

「我が父・大和が申すには、藩庁は二日待つとの事でございましたが」

「はて? 何の事でしょうか」

「お聞き及びではないのですか?」

「さぁ。我らはただ罪人を追うばかりでございますれば。藩庁との行き違いなど、ままある事でございます。なぁ?」


 と、住谷は周囲にいる部下に同意を求めるように顔を向けると、一同は頷いてみせた。


「承知いたしました。それはよいとして、指図役は私が引き受けます」

「え?」

「私があなた方を含めた全員の指図役を務めると申しておるのです」


 そう言うと、住谷は暫く真剣な表情で志月を眺めたのち、失笑した。


「何と申されますか。幾ら大和様の御息女と申されても女子でございますぞ」

「だから何だと申すのですか。ここは奥寺家の領地。そして、わたくしは大和の名代として参ったのです」

「しばしお待ちを。たとえあなたが指図役となっても、我々が指揮下に入る謂れはございませぬ」

「では、即刻立ち退いてもらいましょう。先程も申しましたが、ここは奥寺家の領地でございますので」

「正気でございますか?」


 志月が頷くと、場にいる捕吏たちが一斉に笑った。


「左様な事をされては、お父上の立場が悪うなりまするぞ。何せ、我々は犬山様直々の命で」


 そこまで言い掛けた時だった。急に、屋敷内が慌ただしくなり、暫くして若い百姓が駆け込んで来た。


「お侍様、大事でございやす」

「如何した?」


 志月は、住谷よりも早く反応した。


「探しておられる罪人が村に乗り込んで来やした」

「何と、この村にか」


 志月は住谷と顔を見合わせて、庄屋屋敷を飛び出した。

 外は、血の海だった。捕吏や奥寺家の家人が、何人も斬り殺されていたのだ。

 その光景が、村の高台にある庄屋屋敷からよく見えた。松井は村の中を徘徊し、一人また一人と斬り倒している。その中には、何の関わりもない女子供まで含まれていた。


「何と悪辣な」


 志月は刀の下げ緒で袖を襷掛けにすると、横目で住谷を一瞥した。


(こやつ……)


 足が竦んでいる。その表情も、色を無くして戦慄している。


「修羅場を前にして何も出来ぬ者が武士を名乗るな」


 志月はそう吐き捨てるや、一気に村を駆け下りた。

 松井は村の中央にある地蔵に腰掛け、一息を吐いている最中であった。何処からか仕入れたのか、酒の徳利を呷っている。着物は襤褸の着流しで、返り血を浴び今までに見た事もない、凶悪な面構えをしていた。


「へぇ、あんたか」


 志月に気付いた松井が、徳利を投げ捨てた。


「奥寺の御令嬢が、何の用だい?」

「父・奥寺大和の名代として、そなたを討ちに参った」

「ほう。お前さんがなぁ」


 と、松井は足元に転がる骸に目をやった。家人が二人と捕吏が一人、そこに倒れている。


「あんたも、ここに並ぶ事になるぜ」

「それはどうでしょうね。あなたにわたくしを倒す腕はありませんよ」

「へっ、言ってくれるなぁ。俺が梅岳の野郎をってりゃ、お前の親父が一番得をしたというのによ」

「父は斯様な謀略を良しとする男ではございませぬ」

「けっ、気に入らねぇ……そういう綺麗事を平然と言うから嫌いなんだよ、上士って奴は」


 松井は抜き身の血刀を志月に突き付けた。そして、舌で口の周りに突いた返り血を舐める。まるで気狂いの類だ。


「へへ。でも、まぁいいや。山狩りをされて、もうどうにでもなれと村に降りてきたが、死ぬ前に奥寺の娘を斬れるとなりゃ、こいつはもっけもんだ」

「そうはいきませぬ」


 志月も、腰の一刀を抜き払った。


「どうかね」


 松井が鼻を鳴らして、正眼に構えた。

 血塗られた切っ先を向けられ、志月は胸の高鳴りを、したたかに感じた。真剣での立ち合いは初めてなのだ。

 手足が震える。奥歯を噛み締め、志月も正眼に構えた。松井との距離は、四歩ほど。

 何故、ここに来たのか。松井と立ち合う事になってしまったのか。今更、後悔の念が湧きあがった。


(このままでは、斬られる)


 と、思った。斬り合う前から、呑まれているのだ。こんなようでは、勝てようはずもない。

 あの男の顔が、ふと浮かんだ。

 竹刀も振らずに、私を破ったあの男。暗い眼をしたあの男に、私でも出来ると思わせたかったのか。

 刃の光。それは突然だった。一つ目は弾き、二つ目は後ろへ跳んで躱した。


「くっ」


 しかし、その光は思った以上に伸びた。

 左の二の腕に、熱を感じた。痛みは無い。ただ、熱いと思っただけだ。

 着物が裂かれ、血が噴き出していた。傷の浅さはわからないが、刀が急に重くなったような気がする。

 どす黒い殺気が身体に重く圧し掛かる、呼吸が苦しい。意識も緩慢になり、志月は思わず片膝を付いた。


「啖呵を切ったはいいが、それまでかい?」


 松井が歩み寄ってくる。その表情。悪鬼のように嗤っていた。

 立たなくては。そう思ったが、身体が動かない。腰が抜けたのか。


「殺す前に、楽しませてもらうぜ」


 殺される。そう思った刹那、急に松井が跳び退いた。そして、その表情には明らかに怯えの色が浮かんでいた。

 松井の視線の先。怒髪天を衝くような気を放つ、あの男が立っていた。


(どうして……)


 何故、ここにあの男が。平山清記が、この場所にいるのか。

 戸惑う一方で、安堵し満面の笑みを浮かべている自分にも驚いた。

 松井が喚いている。清記は何も言わず一刀を抜くと駆け出した。松井も刀を振り上げて踏み出す。

 交錯。松井の首が宙に舞った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「どうして、鹿毛馬に平山殿が?」


 百姓に抱きかかえられて起こされた志月は、傷を手拭いで縛る清記に訊いた。


「通りがかりですよ」

「まさか。私に戯言はよしていただきたい」

「では、これがお役目という事にしておきましょう」

「また嘘を。父に頼まれたのでしょう?」

「いや。これは、本当なのです。領内を巡っては、悪い奴を見つけては懲らしめる。それが私のお役目なのですよ」


 生真面目に言う清記を見て、志月は思わず吹き出していた。

 この男ならば、と志月は考えてしまった。朴訥として、冗談一つも言えない、この男ならば。志月は、自分の顔が赤く火照っていくのをしたたかに覚えた。


〔転章 了〕

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