第四回 城下にて①

 激しい稽古を終え、清記は百人町にある別宅への帰路にあった。

 夏が終わろうとしているにも関わらず、唸るような暑さは未だ衰えを見せない。今日も稽古中に一人、暑気にあたって倒れたほどだった。

 しかし城下が茜色に染まるこの時分は、幾分か和らぐ。特に、波瀬川から水流を引き込んだ掘割沿いを歩くと、冷感のある風が身体を凪ぎ、稽古で汗にまみれた身体には心地よかった。

 清記は奥寺家の剣術指南役として、充実した日々を過ごしていた。大和は中老としてのお役目が忙しく、稽古には中々顔を出せないようだが、代わりに家人や中間を相手に稽古をつけているのだ。

 腕の程はまちまちであるが、大和が見込んだだけあって、根性は見上げたものだった。清記が課した、赤樫で作られた二貫目の八角木刀での素振りも、黙々とこなしている。


「いざとなれば、命に代えても殿をお守りせねばなりませんから」


 家人の一人が大粒の汗を流しながら、笑顔で言っていた。

 大和は舎利蔵山の紛争を勝利に導いて以来、新進気鋭の重臣として若手藩士を中心に多くの信望を集めている。〔泣く子も黙る〕と言われるほどの手腕で、急速に影響力を強くしている。

 しかし、今の夜須藩は執政・犬山梅岳の天下だ。海千山千の手腕で、藩主・栄生利永のみならず、自らが執政になる際に失脚させた〔栄生十六家さこうじゅうろっけ〕と呼ばれる門閥すら取り込んでいる。この梅岳と大和の関係はわからないが、大和の人となりを思えば良好な関係ものとは思えない。いずれ、対立する事がある。そう思えばこそ、家人達も稽古に力が入るのだろう。

 だから、清記も指導に力が入る。その根底には、嬉しさがあった。純粋に剣に打ち込む嬉しさ。そして大和からの感謝の言葉と共に、自分という存在を認めてくれる嬉しさ。いつの間にか清記は、大和を目標にすべき男だと思うようになっていた。


(だが、奥寺様と犬山様が対立した時には、私はどうすべきだろうか)


 曹洞宗、臨済宗、時宗の寺院が軒を並べる寺町に入った頃、清記はふとそんな疑問を覚えた。

 平山家は、政争に関わってはならない。それは御手先役という性質を踏まえての、不文律だった。しかし、過去に何度か政争に関わった事があると、父に聞いた事がある。ただそれは、刺客として言わば道具としての関わりに過ぎないらしい。つまり、政争に関われる時は、その最終局面を迎えた時なのだろう。


(仮定の話をしたところで何になる)


 そもそも大和が中老になったのは、その仕事振りを認められたからで、認めた男こそ梅岳なのだ。梅岳は、今や人事権をも掌握している。対立する男を引き上げる真似はしないはずだ。

 清記は思考を切り替えて、再び歩みを進めた時、向こうから歩いてくる若侍の姿を認めた。


(あれは……)


 よく見れば、志月だった。白麻の小袖で、夏物の袴を身に着け、腰には細身の大小を佩いている。相変わらずの男装で、髪も若衆髷に結い上げていた。


「あなたは」


 清記に気付いたのか、足を止めた志月の切れ長の目が、一瞬だけ見開いた。しかし、すぐに眼光鋭い目へと戻った。


「稽古のお帰りで?」


 清記が問うと、志月が軽く頷いた。

 志月が通う小関道場はこの寺町、臨済宗の光抄寺こうしょうじの一角にあるという事を、清記は思い出した。


「平山殿も?」

「ええ。そういえば……」


 そう言いかけた清記を尻目に、


「では、わたくしはこれで」


 と、会話を断つように会釈をして、志月は通り過ぎて行った。

 志月とは、立ち合って以降まともに話はしていない。稽古には顔を見せないし、屋敷ですれ違っても、軽く黙礼するぐらいだ。

 嫌われているのだろうと清記は思っているが、大和は、


「意地を張っているだけだ。気にせんでいい」


 などと言ってる。しかも、清記に敗れてからというものの、小関道場での稽古に熱を入れているそうだ。

 いつか雪辱を果たしたいと思っているのだろう。その気持ちは、清記にも大いに理解できる。自分も、いつかは東馬に勝ちたいと願っているのだ。


(しかし、あの気の強さでは旦那になる者は、相当な覚悟がいるだろうよ)


 清記は、志月の小さな背を見送りながら、そう思った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「父上」


 百人町の別宅に戻ると、悌蔵が三人の家人と共に訪れていた。家人は控えの間でそれぞれ休んでいて、悌蔵は清記が起居している一間の縁側で、ゴロリと横になっていた。


「このところ、奥寺様の稽古に励んでいるようだの」

「ええ、まぁ」

「村に中々戻らんから、顔を見に来たぞ」


 五日に一度の稽古と言われたが、最近では熱が入り、三日に一度。時には連日の稽古になる事もある。それ故に、建花寺村に戻る事も少なくなっていた。


「楽しいか? 奥寺家の稽古は」


 清記は同意の返事を返すと、悌蔵の傍に腰を下ろした。


「何なら、このまま住み着いてもいいのだぞ」

「いえ、その儀は。あくまで私は平山家の嫡男。内住郡代官所の職務もしとうございますし、明日には戻るつもりでした」

「お前も物好きな男だの。代官の役目など、下役どもに任せておけばいいというのに。自ら好んで苦労を買って出る必要はあるまいて」


 そう寝ころんだまま言った悌蔵の言葉を、清記は苦笑いで受け流した。この件について、父の理解を得る事は諦めている。父は郡政に携わる事については黙認しているので、それ以上の事を求める気は無い。


「して、父上は何用で斯様な場所に?」

「お前の顔を見に来たと言うたであろう」

「それだけではありますまい」

「ふふ。ちょいとな、執政様の碁のお相手とご機嫌伺いをした帰りでな」

「犬山様のお相手を」

「まぁ、時の権力者と仲良うしておくのも、平山家当主の務めよ。それで、明日は奥寺様のお屋敷にも行くぞよ。明後日は登城してお殿様に会ってから村に戻る」

「奥寺様にもお会いに?」


 思わず声を挙げた清記を、悌蔵が起き上がって睨めた。


「おいおい、犬山様の後に奥寺様に会う事が、そんなに驚く事かえ?」

「いえ、他意はございませぬが」

「ははぁ、さてはおぬし。犬山様と奥寺様が対立していて、儂が風見鶏のようにあっちにいい顔こっちにいい顔をしていると言いたいわけかの?」

「まさか、左様な事は思っておりませぬ」


 すると、悌蔵は快活に笑った。


「まぁ、いい。だが清記よ。よい機会じゃから、言うておこう。仮に犬山様と奥寺様が対立していたとしても、平山家はその両者にはよい顔をしておかねばならぬ」

「それは何故でしょうか?」

「どちらかに肩入れし敗れたとしても、平山家は潰れぬし、制裁を受ける事もなかろう。しかし、扱いは変わってくる。そりゃ、人間だからのう。敵だった者を重用せぬわ」

「……」

「現に実際そのような事が起こっているのじゃよ。儂の三代前の六代様の時にの」


 六代目平山家当主は兵衛ひょうえといい、悌蔵の祖父の兄にあたる。


「話は、更に一代前に遡る。六代様の父、五代様がある男を斬った。上意討ちの刺客としてな。しかし、その男の子が大層な能吏でのう。暫くして、その子が執政にまでなりおってのう。上意討ちされた者の遺児が執政など、政事とはにわからんものよ」

「もしや、伊藤喜左衛門いとう きざえもん殿という方でしょうか?」


 悌蔵が皺首を上下した。

 喜左衛門の父である伊藤勘解由いとう かげゆは、癇癪の気があった当時の藩主を押し込みにして、その弟を藩主に推し立てようとしたのだ。その密計が露見し、上意討ちに処されている。


「それで、執政となった喜左衛門は、自らの父を斬った六代様に、過酷な役目を与え続けた。しかも、その殆どが不必要なものじゃ。まるで平山家など滅んでしまえと言わんばかりにのう。お前には表向きの事情しか伝えておらんなんだが、裏にはそうした事があっての」

「そうでしたか」


 過酷な役目が続いた兵衛は、次第に精神を病ませ、最後は廃人同様になってしまった。そしてある夜、建花寺村で刀を振り回して暴れているところを、七代目となる兵衛の弟・清蔵せいぞうに斬られて死んだのだ。その後に御手先役を引き継いだ清蔵も喜左衛門に酷使されたが、程なくして喜左衛門が失脚し、後に自刃した。喜左衛門失脚の立役者が、かの梅岳でもある。

 つまり、梅岳は平山家の恩人でもある。父はそうした素振りは表に出さないが、梅岳は忘れていないはずだ。


「だからの、色々と気を使わねばならぬのじゃ。犬山様と奥寺様が争う事になったとして、どちらが勝ってもいいように。お前も重々承知せねばならぬぞ」


 清記は、父のように人付き合いが得意ではない。話し上手でもないし、阿諛追従などしたくもない。だから、そうする父を苦々しく見ていたのだが、そうした事情があるとは思いもしなかった。


「そうだ、清記や。お前に伝える事があったのじゃ」

「なんでしょうか」


 改めて悌蔵が言ったので、清記は居住まいを正した。


「儂は、お前にどんな危険が迫ろうとも、ある程度は何も言わぬつもりでおるし、事実今までそうしてきた。これしきの切所せっしょを切り抜けなければ、御手先役としてやっていけぬとな。勿論、今回もそうするつもりであったが、犬山様が是非というので、仕方なく伝える事にするが」

「私の命を狙う者が現れたので?」

「そうじゃ。これは犬山様の手の者が掴んだ事での。儂は言わぬつもりだと伝えたのじゃが、『此度の危機は、御手先役の役目から端を発したもの。お前の親心もわかるが、ご子息を死なせては、藩の宰相として悌蔵殿にもお殿様にも顔向け出来んのだ』と犬山様が頭を下げたので、一応伝える事にした」


 お役目での遺恨。すぐに浮かんだ顔が、幾つもあった。だが、これだと思う者は無い。


「ま、儂が言うのはそれまでじゃ。そこまで言えば十分であろう。その先は廉平にでも手伝って、自分で始末をつけよ」

「はっ……」


 話はそこで終わり、悌蔵がおもむろに立ち上がった。


「清記や、風呂にするぞ。久し振りに父の背中を流してくれんかの」

「わかりました。すぐに支度を」

「その後は、身体を揉んでくれ。お偉方と会うと、肩が凝ってかなわんわい」

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